はてなキーワード: 譫妄とは
俺は数年前仕事中(戸外)で熱中症になって立てなくなり、やっと動けるようにはなったが帰宅まで手脚が痙攣し続けて往生した。
大変でしたね。
熱中症になると身体の自由が全く効かなくなるからショックですよね。でも、これの 第一の問題は気温が大きい環境で無理して活動していたこと。適切に休憩などをとらなかったこと。水分補給などは次の問題です。
正しく食事が取れてなかった、体調が悪かった、と言ったことも当然熱中症の原因の一つになります。
まずはその前提を共有した後でですが、熱中症の処置の後、しばらく痙攣などが残ったのは、適切に処置しなかった(有効な水分補給とミネラル・糖質の補給をしなかった)ことが原因だです。
処置が正しく無かったことを示します。経口補水液など熱中症になってしまった後の応急処置に有効なものを使いましたか?
既にバランスが崩れているので(そしてそれはスポーツドリンク以前の何かで崩れているので)それを戻してやる必要があったはずです。
後記しますが、スポーツドリンクをちゃんと取れていれば塩分量が不足することはありません。
勿論増田が「塩分多い」と称するスポーツドリンクはこまめに飲んでたよ。それじゃ全然足りなかったってことだね。まずそもそも人によって発汗量が全然違うんで(俺はめっちゃ汗かき)。
この時飲んでいたスポーツドリンクが、厚労省ガイドラインに従った「熱中症予防」のスポーツドリンクを飲んでいたとすると、とにかく足りなかったのは塩分ではなくて純粋に量です。純粋にスポーツドリンクを飲む量です。
多くのスポーツドリンクの塩分濃度は、大量に汗をかくときの塩分濃度の高い汗よりも高くなっています。
発汗量が多くても、理屈の上ではそれを補えるだけの塩分濃度の高いスポーツドリンクを飲んでいれば塩分量が不足することはありません。また通常の食事などで補給されて体内にあるミネラルもあります。
仮にその状態で水分を取らずに塩だけを接種しても同じ症状になっていたことが考えられます。
また、汗っかきの人の方が汗に含まれる塩分量が少ないことが知られているので、体質的に正しく処置していればより熱中症に強い体質をお持ちだと推測します。
ヤバいのは、汗をかけなくなってしまった人。老人や病人が熱中症になるのはこのためです。
そしてその対策は炎天下に出ないこと、水分補給をすること、ちゃんとご飯を食べることです。
なのでこんな血の通ってない増田の決め付けなんか無視して俺は今年も塩タブを愛用するつもり。
愚行権の存在は認識していますので止めませんが、単に室外で作業すると言うだけで、空調が無いという部屋というだけでは、塩分を含むものを飲む必要はありません。スポーツドリンクには塩分が含まれているので追加で塩を取る必要はありません。
炎天下の野外で大量に汗をかくような活動をする場合には、厚労省のガイドラインに沿っていて「熱中症予防」「熱中症対策」と書かれたスポーツドリンクをちゃんと、必要な量きちんと持ち歩き、さらに休憩を取るなどの基本的な対策もとってください。塩タブはスポドリでは無くお茶など塩分が入っていないものを取る場合に必要になります。
ていうか誰も「エアコンの効いた部屋でデスクワークする人間」に向けて「塩分取れ」なんて言ってないんで。Not For You なんだよ。
元の増田にも「エアコンの効いた部屋でデスクワークする人間」の話は一切出てこないのですが、何をみて何に対して戦っているのでしょうか?
コロナだけのせいではないと思うが、地震でもめっちゃびびるような母なので、毎日じんわり継続的に続くストレスが要因の一つだと思う。
あと、認知症で寝たきりになった祖母(101)が胃ろうを断った後も点滴だけで2年目の延命に突入したというのも関係があると思う。(担当医師の経験上、点滴での生存は平均1年と言っていた)
見舞いに行けない、もう会えないまま一人で亡くなるだろうという精神的苦痛のせいもあるだろうが、この件に関してはそれだけではない。
祖母のボケて行った過程と、母のそれが似ている事に私は気付いていた。
母は今年68になる。
その発端を詳しくは覚えていないが、あれは私が退職して夜中起きている事が多くなった頃の事だったと思うので、3~4年前の事だと思う。寝言が半端じゃなくなった。
スマホで録音して聞かせ笑い話にしていたが、多分原因は子供が無職で家にいるストレスだとよく言っていたので、その通りだなとも思っていた。
祖母の場合は同居している従姉妹がお金を盗んだと言い始め、夜間譫妄が酷くなって毎晩階下から大声で呼びつけられ寝ていられなくなった伯父夫婦が施設入居を手配した。
母もいつかそうなるだろうと私は予感していた。65になったくらいから耳が遠くなってきた事もあり、若干話が噛み合わない事も増えた。
鼻が利かなくなってきていて(本人曰く鼻炎のせい)料理の味付けもやや安定しない事もあり、寝言が酷い点とも一致するので、もしかするとレビー小体型認知症の初期では?と自覚を促し認知症に詳しそうな病院も調べたが、老体に鞭打ちながらも家事を問題なくこなし、現役パートで働いている自負もありまだ通院する気にはなれないらしい。
なのでいつの日にか、どんな風に決定的に認知症の症状が現れるのか、私はよく身構えて想像していた。
家に帰る道が分からなくなるのか
財布を失くしまくるのか等々
しかしまさかこんなに時代に即したボケ方をかましてくるとは想像できなかった。
結論から言うと高知東生さんが嵌まりかけたやつにどっぷり嵌まっている。
母がスマホに変えたのは3年前くらいだと思う。ユーチューブとかSNSの何が面白いのかさっぱり分からんと言い、2年と半年の間は換気扇の下でメビウスをふかしながらのナンプレ専用機と化していたのだが、このコロナで暇&テレビ番組クソ化からの愛の不時着からのヒョンビンをYouTubeで検索からの嫌韓動画おすすめ表示からの米大統領選陰謀論フィーバーというコンボが華麗に決まってしまった。
最近また最高に面白いユーチューバーをリコメンド動画から見つけたらしく、その教えに従って近い将来中国から物が入って来なくなるのに備え、この週末は食糧備蓄のための買い出しに行くそうだ。
私や父などはまだ覚醒(まま)していないので、何を言っても信じられないだろうが、バイデン大統領はフェイスマスクを被った偽物。就任演説はイタリアで1日早く放送されていたので録画映像。ファッキンヒラリーの身長が昔と全然違うぜフーアーユー?
なんとか法というのを作って税金改革をしようとしたためケネディ大統領は消された。しかし暗殺されたはずの息子?が実は◯×州で保護され生きており、不正選挙に立ち向かうトランプ大統領を影で応援していた。
などなど。
大紀元エポック社?とか百田尚樹さん界隈のユーチューバーを毎日最高にエキサイティングだと言って聞いている。スマホの画面は小さいのでほぼ見てはいない。コメントにいいねの数が3桁ついた事があるらしい。
こんなにすごい事が起きてるのに日本のマスゴミは一切放送しない。麻耶ちゃんもバイデンをディスる様な事を言っただけですぐ下ろされた。テレビ局も新聞社も中国人が牛耳っているので嘘ばかり流している。CIAもFBIもくそオブくそ。ダークステイトに買収されている奴らは共産主義が嫌ではないのか。中国が佐渡島に学校を作ったらしい。◯◯大学もいつの間にか中国資本が入っていてやばい。中国人に北海道の土地が買い漁られている。
真実を知らない人達は可哀想。この大統領選挙は歴史的大事件であり絶対に映画化すると思う。小さな事からコツコツと!トラさんがんばれ!(まま)
つらい。
起き抜けにNHKしか見てないから不正選挙の事を何も知らないと笑われた父はぶちギレて1ヶ月くらい口を聞かなかった。
母は家族も信じてくれなくて辛い。的な事も言っていたが、陰謀論者が信じてもらえない理由の一つに。周りを無知だと見下している精神性があると思う。
他者より一歩も二歩も先見の明がある自分像というものが無料の動画で永久に提供され続けている。
今思うと母は自分の『人をみる目』という第六感にかなりの自信を持っていた。
多目的事件の数年前から某グルメ王の目の奥が嘘臭くて嫌いと言い続けていた。
特殊詐欺被害者でいう『自分は絶対に騙されないと思っている一番騙しやすいタイプ』の傾向があった。
それに小出恵介は好きだと言っていた。
私はターミネーター2のジョンコナーになった様な気分の日々を過ごしている。
母はテレビをほぼ見なくなったので、話題が大統領もしくは中共(界隈で言う中国共産党のことらしい)しかない。夕飯の献立の話を話していても、そういえば……で、絶対に大統領の話になった。
例え数年後日本が共産化している未来を知っているとしても、家庭でその悲惨な未来の話ばかり繰り返し聞かされる家族はたまったものではない。未成年だったら確実にグレている。
そういえば私が高校生の時、家のポストにイカした宗教画のぶっ飛んだ教えの冊子がポスティングされていたので、そういうの(ムーとか)が好きな友達に見せようと思って学校に持っていったら大変喜ばれたが、その場に居た一人が不自然に席を立った。別の友達の目配せで察したが、どうやら両親がその宗教の信者だった様だ。
その友人は当時から成績優秀で今では先生と呼ばれ、wikipediaで近況を確認できるまでになっている。
私も一時同じ様な人生を望んだが、手に入らなかった。スタート地点は同じだった気もするが、なにせ家で集中して取り組む時間が少なすぎた……と、突然回想するに至ったのは、母がこうなってから、まあ家での学習が捗る。驚くほど集中できるのだ。何か、怒りとか悲しみみたいなものが私を没頭させてくれる。
思えば私は不思議なことに、十年以上かかるにしろ望んだものは運よくその切れ端くらいはなんとか手に入れてきたのだった。
『その友人の様な人生』は手に入らなかったが、もしかするとこれからそうなるのかも知れない。母のこの認知症もある意味想像し、望んだものだったのだろうか。
だとしたら引き寄せの法則という本がおすすめなのでぜひ読んでみて欲しい。
望んで手に入らないものはないのだ。
私がハイヤーセルフから得た知識を公開してるライフミッションについてのYouTube動画のリンクも張りたいが、そういう場所ではないので割愛する。
譫妄っていうのか。すげぇ変換できたぞ
父親もリストラされて年金生活までの5年間は、譫妄状態になった祖母の看病で祖母の年金頼みの生活。
母も一緒に看病していたが、さすがに介護の限界で一昨年に祖母を病院に収容。一年で寝たきりになっていつ死ぬともわからぬ状態。
自分も薄給かつ過酷な労働、自分の適正のない会社で労働を積み重ねた結果。精神を病んでまともな仕事に就けない体になってしまった。
どうしてこんなことになってしまったのか。
両親が子供たちのために貯めた結婚資金も使われることはなく、子供たちもみな両親自身のために使ってくれるようお願いしている。
他の兄弟も一時期経営が不安で定期的に給料が未払いがあったような中小企業に勤めてたり、介護職などで忙しくとも豊かではない暮らし。
みな、仕事に忙しく休みがないのもあり出会う機会もなく生涯独身で終わりそう。
出会いの場がなさ過ぎるせいか、また別の兄弟の一人はそれなりにいい生活してるようだが、
新興宗教にはまって金を宗教につぎ込んでこっちにも布教活動してくるから、親戚一同に腫れ物扱いになってたり……。
末っ子の自分すらもう40近く。なんの職能もない自分。職業教育受けたところで何にもなれそうにない。
20年前は孫の顔を見るのが楽しみといっていた母親も今となっては諦めたようで、
少ない年金で自分の老後をどうやりくりするか必死に考えいてる。
田舎の総合病院に赴任して老人を看ている医者だが、独り身の老後は本当に悲惨だと本当に実感した。
結婚もせず、結婚しても子供も持たずに生きようとしている人が今は多いが、現代ですらこの状況なんだから、今の20〜40代が後期高齢者になる頃にはもっと日本も苦しい国になって、間違いなく悲惨な死に方をする老人が増えるだろう。
病院で亡くなる高齢者というのは本当に哀れだ。肺炎だか尿路感染だか認知症だか分からないような状態で運ばれてくる老人がいくらでもいる。そういう高齢者はたいてい重度の認知症を抱えていて、おむつを着けられ、体調を崩したのもあって口からものを食べられず、病院では譫妄を起こして大声を出し続けている。腕のカチカチに固まった細い血管に無理矢理点滴ラインを確保しようとするものだから内出血ばかりで、看護師さんが苦労して確保したラインを自分で抜くものだから、手は縛られ、体もベッドにくくりつけられている。一日に1リットルか1.5リットルの点滴が命綱。病院食が出るも自分では全く食べられない。鼻からチューブを入れられたり、果ては胃瘻を造られたりして栄養を流し込んでもらうことになる。
今、悲惨だと思ったか?経腸栄養をしてもらえる老人はまだ幸せだぞ。胃瘻を造ってでも生きて欲しいと願ってくれる家族がいるんだから。赤ん坊に戻ったような、自分でメシを食えない老人は大抵そこでストップだ。医者が家族に話をする。「認知症に老衰もあって体力がなくなり、ご飯を食べられなくなりました。経鼻胃管か胃瘻で栄養を入れることもできますが、どうしますか」家族は言う。「食べられなくなったならそれが寿命です。このまま看取りたいです」そうするとどうなるか。命綱の点滴を減らしていく。1リットルが500ミリリットルに。500ミリリットルが100ミリリットルに。もちろん、そんな量で生きていけるはずがない。最初は大声を出して暴れていたような患者も、それが1週間も続けば動けなくなって、ひからびるように死んでいく。血圧が70くらいになったら家族が呼ばれ、死亡確認をしてお終い。
悲惨だろう?ところがどっこい、こうやって看取られるのもまだ幸せな方だ。看取ってくれる家族がいるんだから。死ぬまでお見舞いに来てくれる家族がいるんだから。認知症が進んで医者と家族の区別もつかない老婆に、同じく足腰の立たない旦那が毎日車椅子に乗って会いに来ている。神経疾患で人工呼吸器を着けられ、目でしか会話できないのに、週に1回は孫がやってくるおじいさん。そういう人はゆっくりと衰えていって、静かに家族に囲まれて死んでいく。これは幸せな方なんだ。
本当の不幸な患者とは—どんな背景であれ、見舞いに来てくれる、看取ってくれる家族も友達もいない、死ぬまで独り身の高齢者だ。
今はまだそういった「本当の独り身」の高齢者は少ない。何だかんだ言って息子夫婦がいたり、親戚がいたりして、見舞いと看取りに来てくれる人がいる。特にこんな田舎では、高齢者の友達づきあいも残っているから。だが、まれに見かける本当の独り身は、悲惨としか言いようがない。そういう老人はたいてい、市営アパートか、先祖から受け継いだ古い家に独りで住んでいる。足腰の立たない高齢者にはたいそう暮らしづらい。そのうち転んで骨を折ったり、肺炎にかかったり、今の時期だと熱中症にかかったりして(クーラーがない家も多いのだ!)救急車で病院に運ばれてくることになる。
病院でもこういう患者は困ってしまう。骨が折れた、肺炎だ、入院させて治療するのはいい。だが、家族もいない、介護サービスも利用していない老人は治療が終わっても家に帰せないのだ。最初の内はまだいいが、老人は何度も繰り返し病気になる。そのうち体力がますます落ちてきて、認知機能も衰えて、やがては独り暮らしなど全くできなくなって、やせこけてわけも分からない状態で運ばれてくる。誰が世話をするのか?介護の費用はどこから出るのか?方針を相談しようにも、親族もいないのだから病院だけで考えるしかない。もちろんソーシャルワーカーが仕事をしてくれるが、果たしてこの老人は、自分独りで生きていけない老人は、生きている意味が、楽しみがあるのか?という思いを誰もが抱える。そんな老人が治療不可能な状態になれば、家族に相談するまでもなく(相談する相手がいないのだから)ゆっくりと看取る、ということになる。わけが分からないまま、病院で誰にも見守られず枯れていく老人。
また別の悲惨さもある。子供や配偶者がいるものの、関係が良くないために世話をしてくれないパターン。90歳近くまで元気だった独居男性が、大腿骨頭骨折(老人にはよくある)で病院に入院したところ、あっという間に認知症が進行してわけも分からない状態になった。これもよくあること。隣県に住む息子に連絡を取ってみたところ、オヤジは昔からオフクロにも俺達にも暴力を振るって、家庭を顧みない人間だった。独りで暮らしているのもオヤジの勝手だし、今更世話なんかしたくない。死ぬならそのままでいい。もちろん、キーパーソンの了承のもと看取りコース。これまた悲惨だが、生き様だ。
20〜40代の若い人達に言いたい。独身生活、または結婚しても子供を作らない生活は、健康で人生を楽しめるうちは確かに楽で楽しいかもしれない。だが、あなたたちが老人になり、衰えていく時に、世話をしてくれる家族がいないと本当に惨めで不幸な死に方をすることになる。独り身は老衰スピードも速い。80歳まで元気に生きてある日ぽっくり死ねる自信がないなら、悪いことは言わないから、結婚して子供を作った方がいい。それも1人ではなく、2人3人を大切に育てるんだ。3人も子供がいれば、あなたと配偶者が衰え死んでいく時に、それを見守って支えてくれる人は、結局家族しかいない。
我ながらバカ相手に親切に過ぎるが、もう一回答えよう。
「ひとつ前の書き込みである『じゃあ猫本人を特定して~』が最初だと思った」ときに(まず根拠なしに「最初だと思った」のがもうおかしいが)、普通は「猫」というのはなんのことだかぜんぜん分からないはずだ。こういう疑問点が出た場合、通常ならそれがなにか?をある程度でも確認するため状況を遡る。今回のトラバツリーは1ページの中を手繰ればいいから楽だが、バカはそんな論理能力がないからいきなり相手を「本気で譫妄か何かかと思って」しまう。基地外は、すぐに他人も基地外だと思うらしい。
恵まれないアフリカの子供たちにとっては、100円の募金くらいではどうにもならんが、その問題に対して個人として割けるリソースが100円が限界であると考えるなら、それはもう100円出せば足りる話だろ。それと一緒だ。
例えば、恵まれないアフリカのガキを救うのが大人の義務だと「本当に」思うなら、それをネットで説いて"も"いい。しかし、同時にアフリカのガキをせめて励ますでもなく、救援を求めるデモを継続していくでもなく、援助活動に喜捨するでもなく、募金もしない、というのが「本当に」あり得るか。
別に大枚はたけと言うのではない。できる範囲でやればいいだろう。だが大人の義務とやらであれば、数千円程度はたやすく募金でき、月に一日潰すくらいはできるはずだ。なのに、やるのはただネットでの「搾取国」バッシングだけ。しかもどうせそれさえすぐに飽きてしまう。そのバッシングが援助実現に繋がるものならまだいいが、もちろん繋がりはしない。現実に存在する具体的な「恵まれないアフリカのガキ」には「彼ら」の救いはなにひとつやってこない。「"救うのが"大人の義務」であると叫んだはずなのに。
それがそもそものhttp://anond.hatelabo.jp/20100628014014でいう
「身近な他者」には冷たいが、「社会」をよくしたい、「社会」を変革したいという気持ちはあって、この文章もそのために書かれたのだろう。
という話じゃないのか。この手の人間の「問題」は「本来の問題の未解決を糾弾すること」であって、「本来の問題の解決」ではないからそういうことができる。
というか、「その問題に対して個人として割けるリソースが100円が限界であると考えるなら」ってどんな状況を考えているのか。正気なの? 正気なわけないか。
知的な障害がある人とか認知症の人、混乱・譫妄の症状が出てる人に接すると、どこかで怖いと感じてしまう。
決して差別したいとか個人として見下してるわけじゃないんだけど、ふと身構えてしまう。
同居していた祖父が病気の進行と共に夢と現実の区別がつかなくなっていった時、
他の家族が寝静まった深夜に、一対一で話を聞いたり言い聞かせたりしていると
決してここから離れてはいけないと思う反面、今すぐ逃げ出したいような気持ちにもなった。
黒い服を着た中国人の話、屠殺場の豚の話、ありもしない新居の話、上京する前に暮らした故郷の話。
ひとつひとつ頷いて聞いていたけど、私はあの時密かに鳥肌を立てていたし、手足はひどく冷えていた。
大切な家族のはずなのに、ぎらぎらと異様な光を宿した目を見ていると、不安で仕方なかった。
それは本人も同じで、正気に返った時に「なんでおかしくなるのだろう」だとか、
「さっきまで気ちがいになっていた」とかぼやくから、余計に胸が痛んだ。
大丈夫だよ、きっと強い薬を飲んでるせいだよ、寝ぼけちゃったんだねと励ましながら、
私は祖父が「自分が変になっていることを自覚している」ことに安心もしていた。
本当はそれが本人にとって一番つらいことだったのかもしれないのに。
そういう物語めいたものを愚かしくも信じたいと願っているので、
自分が彼らに対して恐怖心を抱くことや、それを表に出すことはいけないことだと思っている。
本当はもっと、どんなことも動揺しないで受け止めたいんだけど、今の自分にはそれができない。
怖がるなんて失礼だと思うのに、この恐怖がどこからくるのか、よくわからない。