知的な障害がある人とか認知症の人、混乱・譫妄の症状が出てる人に接すると、どこかで怖いと感じてしまう。
決して差別したいとか個人として見下してるわけじゃないんだけど、ふと身構えてしまう。
同居していた祖父が病気の進行と共に夢と現実の区別がつかなくなっていった時、
他の家族が寝静まった深夜に、一対一で話を聞いたり言い聞かせたりしていると
決してここから離れてはいけないと思う反面、今すぐ逃げ出したいような気持ちにもなった。
黒い服を着た中国人の話、屠殺場の豚の話、ありもしない新居の話、上京する前に暮らした故郷の話。
ひとつひとつ頷いて聞いていたけど、私はあの時密かに鳥肌を立てていたし、手足はひどく冷えていた。
大切な家族のはずなのに、ぎらぎらと異様な光を宿した目を見ていると、不安で仕方なかった。
それは本人も同じで、正気に返った時に「なんでおかしくなるのだろう」だとか、
「さっきまで気ちがいになっていた」とかぼやくから、余計に胸が痛んだ。
大丈夫だよ、きっと強い薬を飲んでるせいだよ、寝ぼけちゃったんだねと励ましながら、
私は祖父が「自分が変になっていることを自覚している」ことに安心もしていた。
本当はそれが本人にとって一番つらいことだったのかもしれないのに。
そういう物語めいたものを愚かしくも信じたいと願っているので、
自分が彼らに対して恐怖心を抱くことや、それを表に出すことはいけないことだと思っている。
本当はもっと、どんなことも動揺しないで受け止めたいんだけど、今の自分にはそれができない。
怖がるなんて失礼だと思うのに、この恐怖がどこからくるのか、よくわからない。
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