とりあえず悪から身を守れば善でいられるのと、自分から善を取り込みにいかなきゃ悪のままってのじゃ、後者のほうが不寛容だと思うが。
「性悪説的な世界で性善説を支持した」と仮定するなら、性善説はすなわち、他者への排斥、ひいては自己否定に繋がります。 悪から身を守ろうにも、自分自身が悪である。 人間には...
「性悪説的な世界で性善説を支持した」と仮定するなら、性善説はすなわち、他者への排斥、ひいては自己否定に繋がります。 「性悪説的な世界で性悪説を支持した」としても、 結...
しかし、存在そのものを否定されるり、行動を是正せよとされる方がましではないですか。
性悪説も性善説も「悪を礼儀や教育によって是正する」という点では同じなので。
性善説的な是正要求って、いつか終わりがくるような気が致します。 「これだけ待ったのに正しくできないから、『お前は』少しおかしいんじゃないか」というような。
それは変な解釈しすぎでは。 実際に礼を身につけさせてそのとおりに行動させればそれなりの態度になるわけだし、 それでダメでも儒教のことだからどうせ「こんな悪人が生まれたのも...
性悪説にしろ性善説にしろ単なる誰かの妄想なので それを前提にした世界っていうのがあまりピンときませんでした。
人の主観が妄想として無視されたら、人の嫌がることをしないとか、そういう意識にも裏支えがなくなってしまう。