はてなキーワード: 団塊とは
いまたぶんアカデミック一般書(特に人文系)の書籍刊行って確変状態にあるんだよな、具体的には2010ちょい前-2025年ぐらいのスパンで。それはもちろん団塊の世代が野に放たれたタイミングから暇になって本を読み出したり学び直ししだしたりしたタイミングに合わせてて、それに伴って出版も山のように復刊とか新訳とかを出した。はっきり言ってかなりこの期間の出版はすごいぶ厚い蓄積になっていると後から振り返って思われるだろうと思う。「ニューアカ」みたいなムーブメント以来のものだっただろう。
ニューアカがそもそも団塊の世代が毛も生え揃って社会に出て稼ぎ始めたことで、本を買えるようになったのを当て込んでいた。俗に言うバブル経済だが同じことだ。流行り廃りの末にもう誰も見向きもしなくなったかと思ったが、いくつかのものは最近のそういう団塊老人の退職に合わせて復刊や文庫落ちが続出していった。
その結果どういうことになったか?
だいたい時代遅れの知見とどうでもいい思い出話の開陳だ。読む価値がほとんどない。レビュアーの年齢でフィルターできるようにしてほしい。何の役にも立たない。見たことある人も多いだろう。あれは結局、自分たちのほうが昔からこの著者のことを知っているという、そういう、単に昔から知っているというだけのマウンティングに過ぎない。読書においてもっとも大事なのは言うまでもなく、その本であれその著者のことをどれだけよく理解しているかであるかなのだが、そういう面では頭が固まりすぎて新しい理解を取り入れて自分の視点を更新していけない老人たちは、新しい知見を単に自分の知っている話とか語彙だけでジャッジしてマウンティングして優位に立ったり評価したりしているポーズをしているだけなのだ。結局、そんな資格はもともとないのだ。
老人には本は読めない。新しいことを持ち出されても理解できない。そして、そういう老人たちの市場に当て込んでいるアカデミック出版業界も同じことだ。早晩、終わりが来る。
京アニ事件もそうだが、狂ったロスジェネの負のエネルギーが爆発するような事件が度々起こるし、今後も増えるんじゃないか。彼らは団塊(現在の高齢者)の雇用を守るために労働市場からしめ出され、今度はその高齢者の年金と無駄な医療のため負担を押し付けられている。要するに今の高齢者である団塊に人生を破壊され続けてきた存在だ。しかし怒りの矛先がそこに向いているようには見えない。その一方で老人ヘイトがいくら高まってもデモや革命が起きるわけでもなく、現役世代が高齢者に搾取される社会構造が変わらないことにいらだちを感じる。ロスジェネの絶望と怒りが正確に高齢者に向かわないのは、単にバカなのか狂ってしまって敵を正確に認識できないからなのか・・。 次の狂ったロスジェネが高齢者施設にでも乗り込んで、派手にやってしまってから団塊への恨みを犯行声明でぶち上げてくれたら、多少は世論も目を覚ますかもしれないし有意義な人生の使い方になると思うのだが・・。
枝野は旧民主党メンバーが雪崩を打って小池の靴舐めに走った際に気後れした。
「あいつとは全く考えが違うから」と決然と孤塁を守ったのではなく、「おれは断られるかな…」と、あくまで出遅れてオズオズと最後尾からついていってたら小池が勝手にぶっこけて、また雪崩を打ってUターンしてきた有象無象に担ぎ上げられた。
そしてそのまま負け組のアイドルとして立憲の領袖になったが、枝野にはもともとなにもない。
そもそもがやはりタナボタで原発事故時のスポークスマン役で顔が売れすぎてしまっただけの男。
「私は保守なんです」「里山資本主義」みたいな寝ぼけたことしか言わない男。
枝野の行動原理は、票田である団塊老人層を左派陣営の競合他社に食われないように極力何もせずに大過なく「野党第一党」の椅子を守ることだった。
どんどん死に絶えつつある団塊左翼老人が生きてる間は囲い込んでいたい、そうすれば自分らが引退するまでは政治で飯が食える。それだけ。
左派から「枝野なら…枝野ならなんとかしてくれる」と常に期待されて何もしなかったのは何故か。その全ての答えが外野からは最初から丸見えだった。
単なるフィリバスターを「魂の演説」とか言って持ち上げられたりしていたが、担いでる側も本当はわかっていただろう。この男は偶然このポジションに据えられただけのカカシだと。
「洗濯機の調子が悪くなり始めたので、試しに洗濯板を使ってみた→イメージしてた使い方と全然違って驚いた」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2188096
要するに洗濯板に擦り付けるのではなくて、波板の上で布同士を擦り合わせ揉み洗いするのが正しいという主張だ。
それに対して「ゴシゴシするものだと勘違いしてました」とのコメントが並ぶ。
いやいや、擦り付けで正しいのではないか?
というのも、昭和の2槽式洗濯機には小さい洗濯板が付いていたものがあったからだ。
脱水槽の蓋が閉まっててチラとしか見えないのが残念だが、これを見て欲しい。
https://www.kajitaku.com/column/dry-cleaning/3331
洗濯槽と脱水槽の間にギザギザが見えるだろう。これは洗濯板で、がんこ汚れをここでゴシゴシするためのものだ。ここで揉み洗いというのはナンセンスという事が判るかと思う。
これは上から下まで全面に凹凸が入っているが、もっと多かったのは洗濯槽右下の隅切り部分に斜めにチョットだけ凸凹が入っている形式だ。靴下とか襟とかを擦り洗いするのに適していた。
厨房などでは未だに2槽式洗濯機の方が人気がある。どのみちそばにずっと人がいるから移し替えも気にならないし洗濯水を使いまわせて融通も利く。更に水場においても壊れにくい。
更に昭和の日本製家電というのは耐久性が今から見ると異常でオーバークオリティなほどで、水場に置いて家庭の使用頻度の10倍くらい酷使してるのに30年以上持つというタフさである。
折れたダイヤルが平成デザインのものに交換されていたりする。これは平成洗濯機が先に壊れて昭和機の部品取りにされたという事を意味する。
だから厨房や事業所などでは洗濯板が付いた洗濯機が平成中期でも残っていた。そしてそれらの洗濯板部分は摩耗して穴も開いていた。これはこすり洗いされまくったという事だ。
因みに昭和40年代までの洗濯機は1槽式+ローラー付きだが、これにも洗濯板が付いているものがあった。
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=61877998
これも、この上で揉み洗いするという動機はなくて、ここでゴシゴシとこすり洗いする為のものというのが判るかと思う。
こういう補助的洗濯板が消えたのは洗剤の進化による。固形石鹸から合成石鹸へ、そして洗濯機のメインストリームが2槽式→縦型全自動→ドラム式と進化してそれに合わせた洗剤が開発されて「いちいち部分的に手洗いする」という必要がなくなったのだ。
今の時代にこういう事をわざわざやるのが金になるのがYoutubeのDIY界隈で、DIYの裾野が広大なのが英語圏なので、こういう時は英語で検索するのがいい。
https://www.youtube.com/shorts/W1KKCwEUVJc
これなども擦り付け洗いしているだろう。ほかにも沢山動画があるので「how to use washboard」で検索してみるといいと思う。だれも揉み洗いとかはしていない。
ただ、後述するが一枚づつこすり洗いしてるのは下手だと思う。
米をとぐときに水はどれぐらい入れるだろうか?米が浸るヒタヒタぐらいでといで、すすぎの時は水を沢山使うだろう?
これはヒタヒタぐらいでとぐのが一番効率がいいからだ。水が多いと米が動いてしまってとぎにくい。水が少ないと米表面がこすり合って良くとげるのである。
容器の中を洗浄するのに小石などを使う場合も然りで水は少ない方が洗浄力が上がる。
洗濯板の上で揉むというのも同じで、水の中で動くよりも布同士がこすり合い、同時に潤滑材として機能して滑りやすい、水ヒタヒタの状態が一番洗浄力が強い。このヒタヒタを維持しやすいように凹凸はカーブしている。真ん中に水が集まり易いからだ。
この状態で一番下に布の一部を敷き、その上を滑らせる形で他の部分を動かすとこすり合わせれて汚れが落ちる。これが一般的な使い方と思われる。
なお、洗濯板を使う場合は最近主流の液体洗剤は適さないと思われる。というのも最近の洗剤はドラム式に最適化されていて泡を殆ど出さない。
だが洗濯板では泡が潤沢に出ないと滑りが悪くなってダメなのだ。下に敷いた布がめくれてしまう。布も痛みやすい。
もとスレのtogetterではマンガの描写からこすり洗いでなく両手で揉み洗いが正解と導き出されているが、マンガの描写が正確、精密になったのは劇画の流行を経てその手法が吸収された1970年代以降なのだ。
劇画の嚆矢は昭和30年らしいが、これが一般化したのは団塊世代が青年であった昭和40年代/1965年~70年代である。
団塊は「大人になってもマンガを読んでる世代」の走りだったが、それは「大人の鑑賞にも耐える」を志向するマンガが流行したためでもあった。
初期の劇画は『カムイ伝』のようにコマ割や表現が映画的/ハードボイルドで人物画は「劇画チック」というだけだったが、やがて描写が緻密になっていく。例えば最初期のゴルゴ13は背も低くマンガテイストが残っていて今見ると滑稽だ。だが巻を下るとその描写は緻密で正確になっていく。
70年代末には劇画はやがて下火になっていくが、今度は青年漫画などに劇画の手法が輸入されるようになっていった。
有名なのは手塚治虫の『ブラック・ジャック』で、「マンガの神様」手塚は、しかし昭和40年頃になると丸っこい子供向けマンガしか描けない前世代の遺物のような扱いになっていった。
そこで手塚は医学書や解剖図を読み漁って人物は丸っこい細部が緻密な描写のフィクションを作り上げ、復活を果たした。これはさいとうたかおが後に極めることになった劇画の手法である。
三種の神器と呼ばれた洗濯機が低価格化して多くの家庭に導入されたのは昭和40年前後である。
つまりマンガで緻密に作画がなされるようになった頃には洗濯板が一掃されていたのだ。
「作画崩壊」は昔は無かった。劇画の手法が輸入される1970年代末まで人物が走る時は弓線と足二本で表現された。
洗濯板も然りで板と石鹸と手と泡描いたら洗濯が表現された。劇画ではこれの表現はNGだ。そして現在のマンガは劇画ルールが導入されているのである。
こういう訳で「洗濯板の上でゴシゴシ」が正解と思われる。但し、一枚だけを凹凸に擦り付けるのではなく十分に泡立てて凹凸の上の布の上で布を滑らせて布同士を擦り合わせる。
一番まずいのは、ノンフィクションマンガなどの描写に難癖をつけて「擦り洗いはしない、揉み洗いが正解」とネットで聞いた事との相違のクレームを入れてしまう事だ。
ノンフィクションでは資料を揃えて居る事が多い。その執筆態度は劇画に始まるものであり、洗濯板が現役だった頃にはその影響がまだなかったというのが今回の誤解の原因である。