何事も。「自分は誰にも助けられずに自分の力で何とかしてきた」というのは、本人には成功体験だが社会にとっては失敗なのだ。
そういう体験を積むと他者、弱者、特に次世代へのあらゆる資産の転移が停止する。先輩に世話にならなければ後輩に教えようとは思わない。誰かに助けられた経験がなければ、困っている人にも自分で何とかしろと思う。個人ではアリだけど社会全体でコレをやると社会としては維持できなくなり、失敗になる。
団塊がバブル崩壊後、採用を絞り非正規化を進めたのは「戦後日本を豊かにしたのは俺たちの実力、努力のお陰(ただの人口ボーナスという運なのに)」その豊かさが己の物だと誤認した。だから「渡さなかった」
団塊から氷河期へのあらゆる転移が断裂した事で、日本の人口減少による停滞は決定された。
また今の会社で、氷河期の生き残り上司が下に親切にしてるのを見たことがない。奢らないし教えないし、投資と子供の中学受験で、運良く手に入れた今の資産を守る事で頭がいっぱいだ。
本当は実力で何とか出来たのではなく、ほぼ運。俺は努力した?努力できるかどうかも運であり、選べない。
例えば貧しく生まれても国のおかげで大学まで無料で、失職しても災害にあっても手厚い保護が受けられるなら愛国心もつく。そうでなければ「実力があるから出ていこう」と思うし、出ていけないものはレイシズム、アナーキズム、半出生主義に傾倒する。
人間には、どんな幻想でも良いから「バトンを受け取って誰かに渡す」存在としての認識が必要。自分の実力で生き抜いたと勘違いした者は、いつまでもバトンを握って離さないまま走って倒れるしかない。
お前が増田に成り下がったのも運が悪かったからか?
運で成功失敗が決まるなら失敗した人を誰も救うことはできない
出た 愚か者特有の二元論
それほど運という要素は強いのである 神が振ったサイコロの目を変えることはできない
増田が俺から100円もらったらそれは「運が良かった」かもしれないが、俺から死たらそれは明確な意思で100円与えたことになるから運ではないよな?
増田の明確な意思が俺に向くか他の誰かに向くかは運である
増田の明確な意思がお前を向かなかったのは努力不足
人生ってそんな一回の成功や失敗で全部決まっちゃう人って少なくて 大体は数回の成功や失敗が積み重なってできていくもので 共助でリカバリーができればできるほど 救われる人が出...