はてなキーワード: 井の中の蛙とは
いろいろな地方を見て回ればわかるけど、実はそういう場所あるよ。
私学は全くなく、塾って言っても有名ドコロが1個2個ある程度でそれほど大したものじゃなくてって所。
青森とか長野とか徳島とかかな(自分の地域以外は大学で聞いた話に過ぎないけど)
勿論、最終的に大都市の塾攻勢の人達と争うわけだからそれらの地域の全体の学力は低い。
でも、その中ではお金なんてなくても十分上に行ける。上に行けば塾攻勢にも勝てたりする。
大学すらまともにないから大学生も殆居ないし、家庭教師ったってたかが知れてるし。
そんな地域で塾なんて一切行かず、公立高校から東京の大学行ったけど、
東京の人や大都市の人が多いのは事実で、皆中学受験が当たり前で、とかの人達で割と余裕のある家庭だったけど、、
一方地方から来てる人は、勿論中学受験なんてものすら存在しないし、普通の家庭と言うより経済的には大変な人のが多かった。
地方で勉強する気になれたのは、自分が不利だ、とかそういった事を全く知らなかったのもラッキーだったと思う。
中学や高校でも最初から周りがすごい、って訳でもないし(中学に関しては単なる地域の人全員が行く場所だし)
それで勉強する気にもなれたし、最後には塾攻勢の人達並かそれ以上にやってたんだと思う。
東京にいたら、私立中学に行けない時点で受験なんてまともにやる気にならなかっただろうから、ラッキーだったね、ある意味。
カネに物を言わせて仕入れた夥しい講義と教材をこなして情報を処理しても、地頭やセンスが優れていることにはならない。
インプットしたことがない類型の問題には対応できないということだから。
これに関しては、金にものを言わせて、っていうのは、やっぱり不公平には感じるけど、
いろいろこなしたり詰め込みだとしてもそれをしたこと自体はしないよりは人間として成長していると思う。
皆が皆出来るならむしろした方が良いだろう。
学歴が無いのに出来る、とか、学歴があるのに出来る、とか、それは小数を探せばある、ってだけで、
絶対的な数として学歴ある方が出来るし。
井の中の蛙なら探検バクモンなんてやんないでしょ。
オシャレハットマン家入とホリエモンが「ロゴなんて5000円で十分でしょ」と言って批判されているらしいけど、それってもう英語圏では遠い昔に通り過ぎた話なんですよね。その辺のwebサービスとかのロゴなんて5000円が適正相場になってるのが英語圏の現実です。本当に日本人というのは頭が古いと言うか井の中の蛙というか、日本語という壁に守られて温々育っちゃって時代遅れの主張をよーいドンで一斉に始めちゃう恥ずかしい所がありますねえ。
そりゃ名だたる企業のロゴだったらそれなりの制作料になるわけですが、小さい企業とかローンチしたばかりのwebサービス、スマホアプリなどのロゴで10万以上かけて作る人はもう絶滅しました。いません。死にました。今のトレンドは「テンプレートから既成のロゴを選択して、+自分の企業名のフォントだけを手作業でデザイナーに入れてもらう」形式です。つまり同じロゴを使ってる企業やサービスが世界中にたくさんあるわけですよ。たくさんあるって言っても世界は広いからほとんどバッティングなんてしないわけですね。例えば最近見たパン屋さん向けのロゴで人気のものは15件も売れてるわけですが、世界中にいくつパン屋さんってあるんでしょうか。星の数ほどありますね。だから被ってたって問題にはならないわけです。それが2013年のロゴに対する世界の人々の普通の感覚です。
インターネットやスマホアプリの普及のお陰で、ロゴに対する需要は1990年に比べると15倍になったそうです。今や一般のブロガーですら自分のロゴを持つ時代ですからね、そのぐらい増えてても不思議ではありません。それに対して、ロゴを軽く作れちゃうぐらいのデザインスキルとソフトを持っている人は20年前から比べるとなんと50倍になったそうです。供給量は需要の伸びを大幅に超えてるんですね。これがロゴの価格低下の最もたる原因の一つです。あんな二次元の適当な仕事でクリエイティブなんてもう恥ずかしくて名乗れない時代なのです。(もちろんトップクラスの仕事は別ですよ、あくまで下の方ってこと)
こういった傾向は別にデザイン業界に限りません。例えばほんの8年前、2005年当時を振り返ってみましょう。
・MovableTypeでちょっとしたブログを書いているだけでネットメディアから取材が来ました。
・Ruby on Railsに詳しいというだけでRuby界で一目置かれました。
どれもこれも、今はその辺の20歳の大学生でもできるレベルですよね。それがたった8年前はもてはやされてたわけです。
ランサーズ(http://www.lancers.jp/)などの例を挙げるまでもなく、クラウドソーシングサービスによってますますクリエイティブの単価は下がっています。需給のミスマッチは価格を押し上げる方向に働きますが、ランサーズのようなサービスによってロゴ作れる人とロゴを欲している人がいとも簡単に繋がれるようになって、つまり需給ミスマッチが改善されている訳ですが、それによって何が起きるかと言うとますます価格が下がるんです。当たり前です。どんな世界もこういう風にできてます。この理屈がわからない人は学部一年生が読むような経済学の教科書でも読んでから出直してください。
僕みたいなデザイナーですらロゴ5000円は仕方ないかなと受け入れてます。だってブランドもCIも無いようなその辺の小さな事業主向けのロゴなんて、理屈も理念もへったくれも無いわけです。事業主の個人的な趣向に合わせてなんとなーーーく小綺麗なロゴを作るだけの仕事です。そんな仕事はもうまともなクリエイティブを持った人間はやってませんよ。そういう仕事で飯が食える時代はとっくの昔に過ぎたんですね。
なんだかこの手の話に毎回妙に怒る人いるじゃないですか。デザイナーでもないのに。なんなんでしょうねああいう人って。誰のために怒ってるの?デザイナーの権利のため?それとも社会のために正義を訴える自分に酔いたいから?こんなくだらないことに怒る暇があったら他に怒るネタはあるでしょう。怒るべきネタが。ほんと暇人ですよね皆さん。
僕らデザイナーは怒る暇があれば勉強します。僕は毎日2時間割いて、新しい技術・世界のデザイン趨勢・他文化の勉強・異業種との情報交換・ヘルニアにならないための運動などなど、生き残る為に必死で頑張ってます。怒ってる暇があれば勉強するのがどんな世界でも生き残るための唯一の策なんですよ。デザイン業界のグローバルな流れも知らないで、感情論で「5000円は安い!人権侵害だ!」って、そういう人はサヨク活動でもやってたらいいんじゃないですか。もうそういう時代じゃないんです。
http://anond.hatelabo.jp/20121204171950
オタの価値観の中では、絵や曲に比べて文芸は低く見られていると思うよ。
言葉は誰でも使える道具だから、専門的な技能という意識が低いんじゃないかな。
「あー下手な絵を書いてる人間って、文章ばっかり書いてる人より立場弱いのかなー、と思って凹んでいるなう」
なんて書いてるけど、元増田さんだって、心の内では絵師としての優越感を持ってるんじゃないの?
pixivを見ると、絵師のROM専に対する差別意識が明らかにある。
「ROM専の方はマイピクをお断りさせていただきます」とかな。
俺は曲を作っててサイトも持ってるから、絵師に対してあまり恐縮しないけど、
もし何もやってなかったり、やってても小説書きや批評家だった場合は違ってくるんじゃないかな。
「作り手偉い」な価値観にこだわっている絵師がいたら、考え直したほうがいい。
これは道徳の話じゃない。絵を描く力と絵を見る力は別だという事実を理解しない絵師は、
学や教養が無くて理論を知らない、理論の実践としての絵を描いていないってことだから、
(ここでいう理論とは、イラスト教本に書いてあるような理論のことではないよw)
オタ系イラストって、日本に生まれ育った人ならば、普通に暮らしているだけで
浴びるように見ることができる。誰でも自然とリテラシーが育まれる。オタなら尚更だ。
オタ系イラストは安易な創作だから、誰でも気軽に良し悪しを論じていいんだよ。
描く人と描かない人の審美眼の差なんかを信じるのは、本当に馬鹿らしい。
余談。
DTMのSNSって、どこも利用者が少ない上に、作り手の比率がすごく高い。
作曲家と聴き専の比率が2:1とかだよ。聴いてくれる人がいない。
基本情報落ちた。
つーか勉強しても無理だわあんなの。参考書のハズレ引いたせいで問題の5割もわからん。しかも二冊買って両方とも。自分にあきれるわ。マジで。
もう来年の一月には就活も始まるしこのままじゃ何を武器に面接望めばいいのかマジでわからん。
一番の成績で学校をでるつもりだったけどそれすら野望()で終わるとは…
上には上がいるもんですね。”井の中の蛙大海を知らず”って感じか。
つか基本情報年二回とか少なすぎだろ。
あとまともに売り込める資格なんて12月のベンダー資格ぐらいか…
それとも就活時期遅くして4月に基本情報取り直してから就活するか…
地道にバイトせずに同人ゲーム作り続けてればよかったかもしれん
こんなダメ人間になるとは思いもしなかった。
変にプライドだけ高くて、精神だけ部活で鍛えたおかげで図太い、頭の凝り固まった文系人間に未来は無いっすね。
今までは努力なんてせずに自分の好きなことだけに夢中になってきたぶんのツケがまわってきたのかも知れない。
心折れそうだわ
「学生は勉強が仕事だ」とか「いい成績をとってればそれでいい」とか言うくせに,
社会人になると「勉強ができるだけ仕事はできない」とか言い出すからこの世界は理不尽.
勉強しかできない風に育った私はどうすればいいんだ,と,途方に暮れながら就活している.
死にたい.
とよく思う.生きていくのが不安で苦しく思う.
*
記憶はないけれど,母はきっと相当悲しんでいたんだと思う.
それが影響してか,母を悲しませまい,苦労させまいと,
自分はひたすらいい子ちゃんに育った.
勉強をがんばって,通知表ではよくオール5をもらった.委員長もやった.
公立の中学へ行き,公立の高校へ行った.
やりたいことも,夢も希望もなかったけど,
そのうち見つかった時のために,選択肢が広がればいいかと思ってた.
3年生までをサークルもせずにだらだら過ごし,
就職活動が盛り上がってきて,なーんにもできない自分に絶望している.
*
やりたいことの選択をいつも先延ばしにしてきた.
そのつけがいま回ってきたけど,やっぱりやりたいことなんて分からない.
集中力がない,逃げてばかり,計画性もない,効率悪い,アイディアも出せない.
研究室は優秀な人が多くて,自分のくずさがよく分かって悲しい.
作業量が多いのもつらくて,進捗報告は毎週すごいプレッシャー.
あってもうまく言えなかったりで,だめだって手応えしかなかった.
こんなくず,入ったってまともに働ける気がしない.
研究室に迷惑をかけてる申し訳なさと,逃げ出したい弱い気持ちでいっぱい.
くずには相応な,名も知らぬ会社にそっと入って,そっと辞めるのが似合ってるのかな.
体を売るか?女を売るか?でも,コミュニケーションだってできないくずなのに.
染み付いた「母を悲しませまい」という気持ちはなくならず,
頼れないな,学費は返さなきゃな,こんなくずに育ってごめんな,と思ってる.
*
いつか,こんな風にくるくる悩んでた頃を,懐かしく思えるのかな.
それか,地球はやく滅びればいいのにな.
あぁ,生きるのがツラい.
贅沢な悩みだこと.
色々考えてみた。
ネットがなかった時代を。
僕はよく2chをみる。見るたびに不幸になる気がする。
例えば恋愛のことについてを取り上げてみよう。
僕はモテる方ではない。背も低いしイケメンだとは思わない。これは主観的評価である。
それでは2chに書きこんでみよう。例えば恋愛ネタの掲示板があったとする。
他の人は嘘を書いているかもしれないし、本当のことを書いているかもしれないが、
本当のことを書いたとしても、見人にはそれが本当かどうか分からない。自分の時も然りである。
ここでネットがなかった時代に戻ってみよう。僕はこういった話を誰かにするだろうか、そして皆の纏まった情報を聴く機会などあるのだろうか。
噂や人の話の上では、不特定多数の情報を膨大に得ることなんて出来ない。大阪に住んでいて、見も知らない新潟の人の噂話を聞くなんて
まあないだろうと思う。殆ど小さなコミュニティの中だけだ。そういった話を得るためには、女の子の情報網や、積極的に収集する力がなければ
そもそも叶わないだろう。しかしながら僕はコンビニに置いてある週刊誌や、投稿による「実話」マンガなんかを元にしてそういった情報を得るかも知れない。
インターネットの正確性なんてこの際どうでもいい。
ただその膨大な情報量が人を不幸にさせる可能性がある、ただそれだけなのだ。
海の広さを知ることは本当に良いかどうか分からない。そもそも海ではないかもしれない。
井の中の蛙は池に行ったこともなければ、湖に行ったことさえないのだから、それが何なのかさえ
理解出来ないことだろうと思う。
この広さが心地良く、いつも止めることが出来ないでいる。
不幸さと同時に、時々すこしばかり幸福を分け与えてくれている気がしてならないのだ。
コメントも、トラックバックも、2chならレスをくれることだろうか。
ものの危険性を知ることは良いことだと思う。ただし止めることが出来なければどうしようもないのだが。
反発を生む物言いが当たり前と思う割には、自分に同じ物言いされると怒る
尖っているのと自分勝手なのとを履き違えている
論理的な様に見えるが、前提となる情報が足りていない状態でゴールへ向かうのでおかしい方向にシュートする
人と違う意見が個性だと思っているが、周りからは単に天邪鬼と思われてるだけ
「分かる人だけ分かれば良い」というのは、普段付き合いのない人もその中に入っていないと井の中の蛙だという事が分かっていない
周りに理解されない理由がプラス評価よりもマイナス評価の数が多い結果だと気が付いていない
真の理系気質の人は上記の様な人が居るせいで、理系の評価がマイナスから始まり非常に迷惑している
たまに聞かれるんだが、いつ頃からかアホらしくて答える気にもならなくなった。それでもまだ聞いてくるヤツがいるから呆れる。私と同じ立場だったとして、理性があれば本当にそんなことを考えるだろうか?それとも、単純に相手が私の立場を見えていないだけだろうか?
確かに、同世代で結婚している人間もいるし、子供がいるヤツもいる。友人の中にもいる。でも私にとっては、そっちのほうが特殊に見える。それが彼らの当たり前なのかもしれないが、少なくとも私にとっては特殊だ。だったら単に私のことが見えていないだけなんだろうな。私は特殊なんだろうか。果たして。そうは思えない。とても。
27歳。団塊ジュニアより5年ほど下か、ゆとりより5年ほど上か。
我々と大体同世代になるのは、サカキバラの東くん、バスジャックのネオ麦くん、芸能人はよく知らないけど、最年少で芥川賞だった人とか、思いつくのはそれぐらい。
我々の世代の流行といえば、イジメ、キレる十代、円光、バタフライナイフ、オウム真理教、あとなんだろう、時事としてはそんなもんか。
ソ連も一応は知っている。ベルリンの壁も知っている。教科書でも習った。ソフホーズとかコルホーズとか、五カ年計画とか、過去としてではなく。
私は映画が好きだったから、子供の頃はベトナム戦争の映画ばかり見て育った。洋画と言えば、ハリウッド映画と言えば、どこもかしこもベトナム戦争だった。
バブルも崩壊直前直後だけを知っている。平成米騒動とかもあったっけ。覚えてないけど。
小学生の途中で土曜日は完全に休日になった。確か卒業間際だったと思う。
小学校は4クラスあった。中学は6クラスだった。我々以降はどんどんクラスの数も減っていっていたと思う。少子化の走り。
失われた20数年とかリーマンショックとか重なっているけれど、もう物心ついたときにはそういうのは当たり前。
日本が経済世界一だったことがあるってのも幼い頃の記憶であるかないか程度で、実感としては残っていない。
だから、老人が言っていることは何一つ信用できないし、そもそも老害としか思っていないし、老人が作った会社も信用していない。そしてその老人が作り上げ、老人にて成り立っているこの社会も信用していない。参加したいとも思わない。早く逃げ出したいというのが本音だ。
老人は我々を食い物としか思ってないだろう。我々を奴隷としか思っていないだろう。彼らは自分の息子に対してでも、まともに人扱いしているのか疑問に思う。私から見れば、彼らは自分にへつらうか、同調するか、そういう人間以外は取り合わない。取り合ったところで果たして人間扱いしているのか、上手く使おうとしているだけにも見える。そして、私はそれだけは絶対に出来ない。吐き気がする。
今思えば、そういう反発、反発ではないな。脱却、逸脱、それはずっとあったのかもしれない。子供の頃から、学生の頃から。大人になっても。
老人と若者の世代間闘争とか、感覚のズレとか、大昔からある話だと言うけれど、今と昔が違うのは、その数の割合であって、社会が成熟した今は老人が圧倒的に多い。若者の反発などは、存在したとしても見向きもされないほど無力だ。そのことが老人には理解できるだろうか。丁度今中国と日本が戦争するようなもので、力も数もジジイたちが握っている。我々は既に諦めている。
私は外国のニュースを見るたびに思う。40代の首相がいる国だったり。26歳のCEOが老人たちの会社を、一瞬で、理解も出来ないようなサービスで、追い抜いたり。老人たちはその自らが作り上げた狭き共同体の中で、どう考えているのだろうか。狭い中で権力を奮ってはいるものの、それが井の中の蛙であるということに対して、そしてその井戸は、自らの無能によって自ら侵食や崩壊を招いていると言う事実に対して。老人帝国は無視されて終わるか、食いつぶされて終わるだろう。このままだと。私は別にどっちでもいい。同国人として多少なりとも憂う気持ちはあるけど、関係ない。どうしようもない。
一芸がある人、世渡り上手な人、金のある人、上手くいってる人は同世代にだっていくらでもいるだろうから、彼らはただ好きにがんばってください、としか言いようがない。ただ、それらを何一つ持ち合わせていない私のような人間は、ただただ毎日を成り行きに任せて過ごすしかない。普通の人が普通に暮らし、普通に過ごせて普通の人生を歩み、普通の生涯を終える、そういう絵に描いた普通は、今の私にとっては理想でしかない。理想、理想ですらない。私はそういう普通を望むことすらしなくなった。どうでもいい。