はてなキーワード: センパイとは
漫画・アニメ作品は好きなものが多い。ただ宇崎ちゃんは読んだことがない。男性向けR18エロコンテンツは実写も漫画やイラスト、ゲームも嗜む。おっぱいに貴賤なし。
(セクシャル)ハラスメントやジェンダーの問題には関心はあり、マイノリティや弱者とされてきた人達へは大きな配慮も必要だと思っている。
・ポスターの絵は、おっぱいを強調してるなと感じる。その点で、私はエロい要素があると感じる。
ただしそのエロいと感じた要素は、公共空間にあっても私はあまり気にならない程度。実在モデルか2次元モデルかは関係なく。
だけど献血のポスターとしてはちょっと攻めてるかもなーとも思った。嫌悪感や不快感を抱く人もいるだろうなと容易に想像できる。
・ポスターの宇崎ちゃんのセリフは、本人とセリフの対象(センパイ)の性格・関係性が許容されている作品なんだなと私には想像できた。
ただ目線がポスターを見る人(私)を向いていることもあって、上記のような想像ができても自分が煽られてるようにも見えて正直イラッと感じた。
宇崎ちゃんやセンパイの性格・関係性をあまり想像しない人・想像することに慣れていない人なら、もっと不快に感じる人がいてもおかしくないかなと思った。
・上記の絵・セリフに感じたことは、ポスター自体があまり目に触れないようであれば、私はあまり気にしなかっただろうと思う。
一方で、献血の公式キャンペーンとして採用されたという点で、強い嫌悪感や不快感を覚える人たちがある程度いるだろうと想像もできるし、
その感情は不思議ではなく共感もできる。ただし、共感=同感・同意ではない。そういう感情を持つことを理解でき尊重したい、という意味。
また、嫌悪感や不快感を感じた人達が、感じたことを表明することも尊重したい。耳を傾けた方が良いと感じる主張も多いと私は思う。
ただ、規制や撤去を求めるような主張はもっと慎重になった方が良いのではないかと感じる。
・あのポスターをキャンペーンに用いることが(環境型)セクハラに該当するかは、セクハラに限らずジェンダーやハラスメントに関する問題・議論が多く挙がる現在、
許容できる人・否定的な人・中間的な人など見え方が様々に広がってるのかなと想像して、線引が難しい時期なのかなと感じる。だからこそ問題化したのかなと思う。
最終的には、献血の運営主体である日本赤十字社の自主的な判断を私は尊重したい。
・建設的な議論は大いにあって良いと思う。双方が相手側に耳を傾ける、という前提において。
・「おっぱいを強調している」ということに関して、巨乳キャラであることが問題化されているように私には見える主張もあるが、
貧乳キャラであっても貧乳なりのおっぱいの強調というのはあり得ると私は思う。おっぱいを手で隠しながら恥じらう表情とか。
なので、巨乳=性的であると扱うことの是非という問題化の仕方は、ポスターへの批判側・擁護側どちらも問題を小さくとらえてるように私は感じた。
・私自身はポスターの絵に対して、性的な要素を強調していると感じたこともあり、
擁護側の中に「全く性的ではない」との主張をはてブコメントやツイッターで見かけることがあるが、そう主張する全員が純粋にそう考えてるのか疑問を持ってしまう。
これはおっぱいの強調という部分だけではなく、宇崎ちゃんの表情に対しても思う。 私はエッチな表情にも見えるなと感じる。
・ポスター批判を批判する人(≒擁護、と言っていいのかな)の中には、今回のポスター自体の問題にフォーカスを当ててる人達だけでなく、
ポスター批判の中でも特に目立つ弁護士氏等に対して、他のセクハラ・ジェンダー問題への言及との矛盾を批判する人達もいるように見受けられるが、
はてブコメントやツイッターの短文中ではどちらにフォーカスを当ててるのか私には一見してわかりにくく、よく両者を混同してしまう。
結果として「このコメントの主張は無理があるんじゃ…」と混乱して噛み合ってないように感じることも多い。
・あくまでも個人的な印象に過ぎないけど、議論が長引くにつれ、
「相手が折れることはあっても自分が折れることは無い」と強く思っている人達の声がより目立つようになるのかなと感じる。
中には自分が折れないためことを正当化するためにより主張を補強したり、相手を責める隙を見出すことが目的化してるように見えてしまうことも私にはある。
そうですか
それはあなたが社会学に興味があるからそう思うだけで、あらゆる分野の学者に一定数そういう手合いはいるのではありませんか
しかも大学の外にもそういう輩はいて、専門知識やら既得権益やらマネーやら腕っぷしやら激辛カレーライスやら、おのおの得意技をちらつかせて弱者を支配しているのではありませんか
学者さんは社会的に保護されていて叱られた経験が希薄なため、衆目の面前でやってしまうというマヌケをやらかしがちかもしれないとは想像します
でもあなたが言うような社会学系の学者に特異的な現象は存在しないような気がします
それとも自称学者という言葉の意味は、素人ということなのでしょうか
素人なら、パチスロでにいて、頼んでもないのに横であれこれ指南してくれる赤い顔をしたセンパイと同じなのではないでしょうか
あなたが学問の道を志すも苦悩の中で挫折したというように読み取りましたが、そうだとすると、挫折が憧れとなって学者という人種に過剰な期待を寄せているのでしょうか
いや、過剰かどうかはわかりませんが、とにかく学者にもいい者と悪い者がいて、悪い者は目立つということは間違いないと思われます
日本赤十字社と『宇崎ちゃんは遊びたい』のコラボポスターが炎上している
論争の中心がキャラクターのセクシーさに集中してるが、個人的な感想としてはセリフが良くないと思う
献血をするかしないかは個人の自由であり、「注射が怖いから」という理由で献血を行わないという意見も尊重されるべきである。件のポスターは献血協力者を増やすことを目的に作られたものだが「注射が怖いんスか~?」という煽りで協力者を呼び込むのは適切でないと感じる
もう少し踏み込むと、『宇崎ちゃん〜』に登場する「センパイ」は男性キャラクターであり、「センパイ」が注射を怖がることを想定し嘲笑するさまには「注射を怖がるのは男らしくない。男は男らしくあるべきで注射を怖がってはいけない」というメッセージが込められているように思える
私は男性だが注射が怖い。健康診断の前日は採血の恐怖で眠れなくなる。今回の騒動でこのポスターを見てちょっと傷ついた。例の弁護士みたいに無闇に掲載中止を呼びかけたりはしないが、例のポスターに気分を害された人間がいることは知っておいてもらいたい
原作知らないので、人を馬鹿にしたような顔で「センパイ、まだ献血未経験なんですか?ひょっとして注射が怖いんですか?」とか煽られるのは不快。
安易なアニメコラボは短期的にはファンの献血利用が増えて好影響はあると思うけど、
「最近のアニメすごいな、流行るだけあるな」と思った。そういうレベルの人間視点
セカイ系とかは知らない
ネタバレは多分少しあり
一回目(ひとりで)
・映像美に見入った、雨の描写の大変さは素人でも想像に難くない
・気になったのは
・総じてネットでよく言われてるやつ。まあ「そういうもんだし」で片付くので大きな問題はない。
・あえて悪い言葉でいえば「幼稚」な印象をもった
・でも抗えない魅力があった。男の子と女の子が互いの名前を叫べばそれだけで立派な物語だ。
抗えず二回目(ひとりで)
・開始前にトイレ行ったのに、少人数+冷房のパワーで思考キャパが尿意によってみるみる浸食されていった
・夏美がコーヒーやらビールやらごくごく飲む頃にはすでに漏れそうだった
・でも頑張った。同じ映画を二回見る経験なんて初めてだから、なんとしても失敗するわけにいかなかった
・それがもう失敗であった。エンドロールが始まるや、慎重にかつ速やかにおずおずと情けなく退出したのは私です
一回目の視聴では「いやいや、出会ってからホダカがなんで陽菜に恋したかが貧弱すぎて感情移入できねー」と
思っていたが、冷静に考えればこれほど魅力的な女の子が日常に現れたら好きにならないはずがないのだった。
君じゃないとないよ、意味は一つもないよ、と。そういうこと。
二回目ってことで「陽菜はいつから自分の体の変化を認識してたのだろうか」という視点が持てた。
太陽に手をかざす描写がこれでもかと出てくるんだけど、一回目と意味合いが全然違って見えてくるのね。
あとあんまり喋ってない気がするんだよね陽菜。気のせいかなセリフ少ないと思う。もっといろんな声聞きたかった。
陽菜が最後の最後、どういう感情だったのか、これがもう少し描かれていてほしかった気はする。
当事者として彼女の葛藤は誰よりも大きいはずなのに、基本的にホダカ視点だからなこの映画。
・凪、かわいいよ凪
言わずもがなの、センパイ然とした大人顔負けのサービス精神と子供の無邪気さが共存する魅力的なキャラ
一回目の視聴では釈然としない部分に気を取られてかそこまで感動しなかったけど、
二回目は凪先輩のパンチライン「姉ちゃんを返せ!」で涙を流させていただきました。
でもなんで凪先輩はあのビル来れたんだろうね
あとこのキャラは抜群に声がいいと思う。声優とかわからんけど演者の方もっと評価されるべき
・声がいいといえば、ホダカ。これはすごいことだ。
序盤の「帰りたくないんだ」で見せる弱さは胸を突くし、なにより終盤の叫び連発に込められたエモさはヤバイ。
叫びってのは基本的には耳障り悪いはずなんだけど、ホダカの叫びは淀みない真っ直ぐな感情が乗ってて
聞き手の心をぐいと動かす力がある。最優秀ボイス賞。
一回目は「いやリーゼントとかあり得ないし」と冷めた部分もあったが、この良質な叫びのおかげで二回目は変に引くことなく楽しめた。
・総じて二回目は話の流れがわかってるだけに、キャラの感情の動きに注目して見ることができた。
(これはこの作品に限らず、そういう楽しみ方があるという発見)
スガさんとかね、「実は奥さん晴れ女だった」考察が話題になってたけど、そういう視点で見るとなかなか面白かったり。
さすがに三回目はないけど、機会あれば見たいし誰か誘ってくんねーかなくらいに思ってる
言うほど賛否両論ではないと思う
4月に新卒で働き始めてから「なんかおかしいな」と思っていたけど、さっきトイレ休憩しているときに確信した。
いや、いきなり言われても意味わかんねえよって思うかもしれないけど、世間では「会社と学校は違うもの」って認識があるよね?
「そんなんじゃ社会に通用しないぞ」なんて常套句もそれが前提にあるわけじゃない?
おれも会社≠学校だと思っていたわけよ。自立した大人たちがビジネス・スキルで火花を散らす戦場みたいなイメージ。
でも、実際会社に入ってみると何かおかしい……。というか、イメージと違い過ぎるわ。
例えば、センパイが「ビジネスマナーとは」みたいなことタメ口で説教してくるわけ。
同期同士で集まって「飲み会行こーぜ」とかやっているわけ。
いやいや、学校かよ。同学年で遊んでカラオケ行ってって、かなり学校だろ!
それで上司に呼び出されたかと思ったら「増田くんが席に立っている時間が長いんじゃないかって言われてね……」とか言い出すのよ。
社長が朝礼に出てきて「礼儀とは……」とか喋ったりしているわけ。
「年度末まで××を達成しなきゃいけないから、今の時期は△△に集中だ」
受験勉強かよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
「AさんとBさんって付き合っているらしいよ」
興味ねえよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
なんというか大学以前に退化している。毎日同じメンバーで集まって「みんなで●●をやるぞ、協調力が大事だ」って家庭科の実習ですかい? なんか裏切られた気分。会社ってぜんぜん会社じゃねえぜ!
返信読みました。
ずっと同じレベルのハードワークを続けていて、急にだめになる例を自分以外に1人知っています。
あなたのが過労かどうかはまあ知らないんですが、おれもだめになった時「こんなん、もっと忙しい月もあったのに」という感想を持ちました。
おれは今から思えば過労でした。いろいろがんばってて、お正月休み明けたらなんかもうすべて無理になっていました。
おれのまわりのハードワーカーでは、25歳くらいから衰え始めたと述懐するセンパイは多いようです。
何にせよ一般的に徹夜は不健康の極みです。徹夜明けは心臓おかしくなりませんか。
こいつは失礼。
でも発表内容が修論の印刷物よりもグレードアップしてないと即退学っていうわけじゃないんでしょう?
すでに提出したような内容を15分間とか喋って、その後立ってれば卒業可能なのではないですか。
健康な人間の場合、窮地に追い込まれてもなんとか生きる道を模索するのが一般的です。
もうすべて無理になってから、おれは治ってません。
元気が一番。
ジュッセンパイヤーあああああああああああ