はてなキーワード: へのへのもへじとは
石原慎太郎もうちょっと生きててほしかったわ~せめて北京五輪のすばらしさを知ってから死ねよ
TVクルー(笑)へのへのもへじ(笑)すっかすかの大工みたいな奴(笑)へんな歌舞伎(笑)へんなダンス(笑)パッケージそのまんま買ったドローン(笑)
すまん、ジャップ恥ずかしくないの?
中国様に統治してもらった方がいいよねこれ。大東亜共栄圏じゃんwwwww
ネトウヨもう舌かみ切って死んだ?中国様にはもう一生適わないって悟ったか?
息を吐くように嘘をつく捏造隠ぺい改ざん大好きミンジョクジャップがまともな文化を作り上げることなんて無理wwww
批判の大切さを理解しろよジャップ。すぐ対案出せとかガキみたいに騒ぐけどさ。何もしねえことが対案だっつーのアホか。余計な事すんなカス
野党に批判されたらママに怒られた気分になって不貞腐れるいつまでたってもガキなジャップしぐさを改めて大人にならないとこれから中韓に差を付けられるばっかりだよ?
ま、どっちでもいいんだけどね(冷笑)
「へのへのもへじで描かれた時にポリコレ棒が持ち出される」というのは現段階では根拠薄弱ですよ
これまでいろいろな人物の描き方が槍玉に挙がってきましたが、へのへのもへじが槍玉に挙げられたケースは無かったと記憶してますので、ポリコレウォリアーが本当にあなたの想像上のポリコレウォリアーように動くかどうかは分かりません
それは遠慮なく指摘するとよいでしょう
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 317 | 122438 | 386.2 | 176 |
01 | 112 | 57272 | 511.4 | 752 |
02 | 160 | 57850 | 361.6 | 116 |
03 | 510 | 118236 | 231.8 | 132 |
04 | 758 | 172994 | 228.2 | 148 |
05 | 749 | 138469 | 184.9 | 144 |
06 | 709 | 298855 | 421.5 | 149 |
07 | 590 | 222184 | 376.6 | 204 |
08 | 325 | 115518 | 355.4 | 204 |
09 | 319 | 258500 | 810.3 | 1056 |
10 | 244 | 182492 | 747.9 | 1020.5 |
11 | 312 | 170559 | 546.7 | 222 |
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13 | 476 | 238511 | 501.1 | 96 |
14 | 388 | 102710 | 264.7 | 180 |
15 | 201 | 36727 | 182.7 | 82 |
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17 | 270 | 46637 | 172.7 | 47.5 |
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19 | 157 | 13932 | 88.7 | 42 |
20 | 214 | 54285 | 253.7 | 57 |
21 | 439 | 90862 | 207.0 | 193 |
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1日 | 9109 | 3247223 | 356.5 | 148 |
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アホか
そんなことは書いてない
書いてあるのはこうだ
女相手でも山田と加瀬の2人には一種の障害として描かれる場合もある、しかしそんな状況でも女は決してへのへのもへじには絶対に描かない。
非対称性として女は可愛く描き、男はへのへのもへじにして露悪的に描く世界である。
ふと思った
これってポリコレ的には正しい描き方なの?
そういう女がへのへのもへじで描かれないのは自然だし、そういうことを言いたいんじゃないってならやはり書き手のあたまがわるすぎるだけだ
高嶋ひろみの百合漫画「○○と加瀬さん」シリーズは以前から読んでて好きな漫画ではあるんだけど
話が続くにつれ、というか以前からあったが上京してから露骨に増えだした描写として
男はへのへのもへじに描く
というものがどうにも引っかかるようになってきた。
基本的にこの漫画において男は不浄のものであり不純物であり山田と加瀬にとって障害のような存在として描かれている
出てくる男は2人にとっては皆下衆であり気持ち悪いものとして描かれている
その象徴であるかのように男の顔は全てへのへのもへじに描いている
道行くだけのモブでも男だったら徹底して全てへのへのもへじに描いている
この漫画は百合なので男の存在は邪魔なものという大前提は理解る。
そういったのを当て馬的に出して嫌悪させる事で結果的に山田と加瀬さんの関係が尊いものだという事を強調させる漫画的狙いも理解できる。
山田も加瀬も実はかなり嫉妬心が高いので、男のみならず他の女の子ともちょっと仲良くするだけで嫉妬の対象になってしまう。
女相手でも山田と加瀬の2人には一種の障害として描かれる場合もある、しかしそんな状況でも女は決してへのへのもへじには絶対に描かない。
非対称性として女は可愛く描き、男はへのへのもへじにして露悪的に描く世界である。
ふと思った
これってポリコレ的には正しい描き方なの?
少なくとも自分はこの漫画がそういう部分でポリコレ的に叩かれてる場面を一度も見たことが無い
ここ数年はポリコレの空気も高まってるし、自分も特に意識して情報収集したわけでは無いが同調圧力的に何がポリコレ的に正しいか正しくないかの空気感だけはわかるようになってきている。
それを踏まえると、「加瀬さん」シリーズのへのへのもへじ男描写は「ポリコレ的に正しい」とはどうしても思えない
別に自分はどちらかと言えば、ポリコレ尊重よりも表現の自由のほうが大切だと思ってる派だ
だから別に「加瀬さん」で男をへのへのもへじに描こうがどうしようがそこは作者の自由だし不快なら読まなければいいだけの話だ。
けどポリコレ棒を振り回す人達は「加瀬さん」のへのへのもへじに関しては叩いてる様子を見たこと無い
仮にこの漫画がBL漫画で、女を全員へのへのもへじにして不浄・不快な存在として描いていたらどうだっただろうか?
藤本タツキの読み切り「妹の姉」(姉のヌード絵を妹が描いて飾られちゃう話)がポリコレ的に問題だと叩いてた人は
「これが男の兄弟だったら問題無かった」とかとんでも無い事言っていた
結局は男だったら幾らでも毀損しても良い、という事なのだろうか?
自分が加瀬さんのへのへのもへじ男に対して引っかかるのは、わざわざへのへのもへじにしてまで出さなければならないものなのか?って
百合百合した世界を重視させたいなら、近年ありがちだけど男の存在そのものが最初から無いものとするとか
山田と加瀬の関係性を強調させたいなら、いっそ山田と加瀬以外の全ての存在はへのへのもへじしてしまうとか(言っちゃなんだか加瀬さんシリーズって結構セカイ系的な部分あると思うし)
しかしこの漫画は女の子はみんなキラキラ可愛く愛嬌のある存在で、男は皆へのへのもへじで下衆で不浄な存在であるとしている
そんな不浄な存在を、わざわざピュアな山田と加瀬に仕向けていちいち退けさせる展開を、以前からあるにはあったが、大学編から特に露骨に増えてきた印象がある。
けど、それがポリコレ的に問題視されている瞬間を俺は目にした事が無い
ミソジニー描写は駄目だけどミサンドリー描写なら全然構わない、というのがポリコレの人達の結論でいいんだろうか?
だとしたらポリコレって結局自己愛性のための道具でしか無いという事なんだろうか。
もう一度言うが俺は「加瀬さん」がミサンドリー漫画でも(俺個人の心のひっかかりは別として)そこは表現の自由なのだからそこ構わないと思ってる
テレビで何回か見てたんだけど、近所のイオンでジブリを上映するとの事で行ってみる。
前から三列目で見たんだけど、画像か荒い感じがした。絵がザラザラしてて、解像度を無理に上げてるようだった。あと、ナウシカの顔の構成がけっこう単純だなと思った。具体的には、へのへのもへじに濁点増やしたような感じ(あくまで個人の意見です)。背景に比べると、非常に単純な感じ。逆に背景や戦車や飛行機は細部まで描き込まれた絵がそのまま動いてる感じがした。
最初は画面の見た目を思いつつ、観てたんだけど、だんだん引き込まれて、ナウシカが小王蟲を助けてるとこぐらいから、目から水が垂れてました。あと、トルメキアにやられているペジテが味方だと思っていたら、風の谷に王蟲の群れを送り込むことを画策していることを知ったときの絶望感が凄かった。戦争の非情感をよく表してると思った。
今コロナ対策で、席の前後左右が空いているので、周りが気にならずに観れるから、みんな行ってね。次はもののけ姫見に行くかな。
私はインターネットに無数に存在する「絵師」というヤツの端くれの端くれのような存在である。
自分が絵師としてイマイチなのは、旬の人気キャラクターを描いていないこともあるが、まず単純にただただ絵が下手である。
ポーズが単調。手足が描けない。まず身体も顔も上手く描けてない。構図が上手く作れない……などなど下手ポイント上げたらキリはないが、自分が上手ではないということはよく理解できる。
絵を描いてる以上、やはり絵が上手くなりたいものだ。
自分の画力に足りないもの、それは明らかに基礎だった。人体の構造とか絵の基本ルールから知らないことが多すぎた。
「へのへのもへじ」のように、丸を描いて点や線をそれっぽく配置すれば、人はそれが顔だと認識できる。
だが美少女・イケメンのような綺麗で魅力的な顔を描こうとしたら、角度や間隔、大きさなどパーツ間の綿密な調整が必要になる。その方法を私は知らないまま絵を描いていたのだ。
このコロナ自粛期間、家にいられるという大きなメリットを得た私は、改めて本格的に絵の勉強を開始することにした。
私は有料のものを含め講座系の動画を見漁ったり、練習用の教材を試したりした。
すると簡単なことに、短期間でもコツさえ掴んだらある程度は絵がうまくなるものなのだ。
しかしもう一つ、絵のコツそのもの以外に気付いたことがある。それは自分の自己肯定感が絵の上達を妨げていたことだった。
心のどこかで無意識に「自分は一生絵が下手なままだ」と思っていたのだ。
これでも「自分はもっと上手くなれる!頑張ろう!」とか「自分の絵柄は好き!」などとポジティブな事を考えていたつもりだったのだ。
でも心の奥底では「自分は一生絵が下手なままだ」とか「自分の絵が上手いはずがない」と思い込んでいた。
それに気づいたのは、絵のコツを一つ掴んだ時だった。今までにないぐらいバランスが良い顔が描けたのだ。自分でもびっくりするぐらい綺麗だった。
「こんなの私の絵ではない」
次の瞬間ハッとして「綺麗な絵が自分で描けて、なぜいけないのか?」「どうして、私の絵ではないと思ったのか?」を自問する。
「自分の絵が上手いはずがない、上手くなるはずもない」、それが答えではないか?
ばかばかしい。なぜ上手くなるために練習してるのに、上手くなったら自分の絵じゃないと拒絶しなくてはならないのか。
それが自覚的になっただけよかった。次に「こんなの私の絵ではない」と思っても、都度それを否定していけばよいのだから。
この話はまだ劇的なハッピーエンドではない。
でも知り合いから「最近上手くなったね!」と言われるようになったり、心なしか前より「いいね」の数も増えた。
下手なままでいるべきだと思う自分を殺し切る頃には、きっとそれなりに絵が上手くなっていることだろう。そんな気がしてきた。
漫画っぽいイラストは記号の集まりだというのはみんな知っているね。
何十年か前の昔の漫画は「ボディも顔も両方共記号」だったんだ。
または劇画とかいう「ボディも顔も両方共写実的」というパターンも、あるね。
で、現代では「写実的なボディ」に「へのへのもへじの顔」というハイブリッド形式が流通し始めている。
女のボディは写実的に描写するけど女の顔なんてへのへのもへじで十分ってわけ。
フェミが怒るのも分かる気がするなぁ。
違う、そうじゃない。
「絵柄」は作者に依存するけど「同じ作品内」でも顔立ちの描き分けができていないものが稀によくある。
ついでに言えば非ヲタに限らずオタクでも「この作品、ハンコ絵じゃん」と思ってる作品群があるんじゃないの?「ハンコ絵なんてない」という主張だったっけ?
アニメキャラが「記号化」していることは敢えて言うまでもないだろうけど、ようするにアニメキャラは「へのへのもへじ」と同じなわけ(特にオタク向け)。
「なんで、みんな顔がへのへのもへじなの?」という問いかけに対して「いや、同じへのへのもへじじゃないよ。筆跡をよく見なさい?まぁ素人には同じに見えるんだろうが」と返しても意味が違うって分かるよね?
現実の人間の顔立ちを見分ける時とは適用される判定基準がまるで違うわけ。
オタクはへのへのもへじの違いが分かるけど、人間の顔を見分けるのは苦手。
一般の方は人間の顔を見分けることができるけど、へのへのもへじの違いはよくわからない。
>>非ヲタは多分漫画の顔は皆一緒、程度の認識しか持っていない
一般の方には仮に人間の顔を見分けるための「顔立ち判定ドライバー」のようなものがあるとしよう。
じゃあ一般の方には顔立ち判定ドライバーがあるのだからアニメキャラが同一ルールで処理可能なものならオタク同様に見分けられないとおかしい。
つまり「非ヲタには分かるまい」みたいな主張は、顔立ち判定ドライバーでは判別不可能に繋がり、ルールが異なることを示唆する。
そして「オタクは現実の人間の顔を見分ける能力が低い」という仮説はキャラクターごとに服装、髪型、髪の色、目の色を変えるようなオタクコンテンツの特徴から導き出せる。
また、こうした「濃い味付け」がなされている時点で、「逆に顔立ち判定ドライバーの精度が一般の方よりオタクの方が優れている」という可能性を否定する。
悪いけど当初の主張に関しては逆に確信を深めたよ。
よく考えたら「オタクがアニメキャラの顔を見分けることができる」というのを否定する意味がない。
反論するなら「オタクでも現実の人間の顔を見分けられる」という形じゃないとおかしいわけだし。
オタクは顔立ち判定ドライバーがうまく働いていない。でもアニメキャラは見分けることができる。「絵柄」とか「線の引き方」があるから。
「好きなものに詳しくなるのは当たり前」と思われるかもしれないが、その主従関係は実は明確ではない。
「興味を持ったから詳しくなる」のか?
「詳しく「なれる」から興味を持つ」のか?
オタクは脳の器質的に現実の人間の違いはわからないがアニメキャラの違いが分かるから、アニメキャラのほうが大切である。
そうした違いが(「傍若無人さ」と表現したが)オタクが現実の人間に対しては言わば「一般の方がアニメキャラに対してするような」振る舞いを生む。
その可能性を指摘している。
>>オタクは大体においてその環境に投げ込まれるというより、自発的にオタクになっている
わたし(や世間?)のオタク観に不満があるらしいのはわかったが「自発的にオタクになっている」というと「そうだったっけ?」感は否めない。
「自発的にオタクになっている」というのが本当だとして、そうした「欲求(と目的(目的意識?))」がどこから来るのか?という話をしていた。
>>「オタクだから(ではないから)+直ちに+判子絵を好む(好まない)」
そういう「法則」的な話をしていないと分かってくださいよ。
そういうノリで話をするなら「オタクの定義なんて実際のところは明確でないのだから誰もオタクなんて名乗るべきじゃないしオタクなんて言葉は使うべきじゃない」という話に繋がっていくよ。
>>2016/06/21
ご存知ドラゴンボールZの主題歌「CHA-LA HEAD-CHA-LA」。作詞は森雪之丞。
へのへのかっぱ。
このへのへのかっぱがすごい。
へのかっぱの頭にへのを重ねて、へのへのもへじとかけた駄洒落が言えるくらい俺は余裕だ。CHA-LA HEAD-CHA-LAだ。っていう悟空の精神が表れている。すごい。
多分曲に合わせて偶然できたフレーズなんだろうと思うが、それにしたって「へのへのかっぱ」は天才的すぎる。
CHA-LA HEAD-CHA-LAの歌詞全体を見ると論理的には意味不明だがすごく感覚的に伝わってくる。悟空が自由に飛び回っている姿が目に浮かぶ。先入観が入っているところもあるが、でもやはりCHA-LA HEAD-CHA-LAはすごい。
CHA-LA HEAD-CHA-LAはすごい。
http://news.livedoor.com/article/detail/14233641/
↑いわく、やはり曲が先にあって歌詞は後から作ったそうだ。CHA-LA HEAD-CHA-LAの他にも雪之丞氏の作詞にまつわる興味深い話が書かれている。良ければ読んでみては。