JavaScript って生き物っぽいって思ったのがきっかけだった。
なんか菌?に遺伝子いれてたんぱく質を生産させるやつ? Function は菌の細胞膜で prototype は遺伝子で、だから prototype に全然関係ない違う生物の遺伝子を生きてる菌に入れちゃったり。そうすると全然ちがうたんぱく質が生産されたり。prototype にべべーっとコピーして追加するのなんてまさしくそれっぽい。
だってプロトタイプベースって、生き物しかいない世界じゃない?基本的に。インスタンスってのは生き物じゃない設計図があってそれにしたがって出来た生き物がインスタンスってイメージあんだけど。プロトタイプベースの世界にはそんな設計図も生き物じゃないものもないよね?なのにわざわざインスタンスっていうのに何か違和感?ご都合主義的なもの感じる。クラスは型で、インスタンスを実体だとかなんとかって氾濫してるせいかな。多分この辺の用語が JavaScript をわかりにくくさせてる気がする。
僕の感覚では、オブジェクトってのは生き物で、クラスベースってのは神が設計図に基づいて生き物を生産してる世界で、インスタンスベースってのは生き物が生き物を複製してる世界のイメージだ。多分、原始の生物はインスタンスベースみたいな世界で、海の中にうようよしてたんだろうな、とか。
オブジェクトじゃないものは、生き物じゃない死んでるたんぱく質や RNA の破片みたいな。それだけじゃなにもできないみたいな。それだけじゃ命がないから、生き物の殻に詰めるってのが JavaScript のコンストラクタのイメージ。
Perl の bless したらこれはもう命入ったよ生き物だからねっあとは勝手にしてねってのも、Python の名前空間さえあればなんとかなるよねってのも、JavaScript のハッシュさえあれば世界作れるよねってのも、みんなどこか似ている。ちゃんと OOP を理解できてるかは別としてもこの三つはわりとすぐやりたいことができた。昔 Java の本を買ってきて挫折したのにくらべたら、なぜかずっとわかりやすかった。(bless という命名はすごく洒落てる)
全然関係ないけど、Django の日本語リファレンスは何か萌える。ラクダ本の日本語訳はむかつくのに。
プログラミングを始めたばっかりの時は、なんだか難しい用語の意味を理解しないと OOP がわからないと思ってた。それは僕らの住んでる世界とは全然関係のないプログラミングの技術ってやつだと思ってた。
でも多分違う。
世界が動く仕組みさえあれば、あとは作り手に世界の成り立ちを抽象化する表現力さえあれば、世界は勝手に表現されていくし、動き出してく。たまたま僕らの世界はオブジェクトなもので溢れていて、プログラミング言語が進化すれば世界に似るのも当然だろう。いや逆か。プログラミング言語が世界に似てきたから、オブジェクトなんていう世界に似た概念が出てきたってことか。なんだか難しい用語ってのは、その表現の一部分の技術に名前をつけてるだけなんだな、と。例えば何とか歌唱法や何々画法とか何とかレトリックとかパースの取り方みたいなのと同じ。それは表現を理解する手助けにはなるけど、その意味を知る事がイコール表現力をあげることにはならないんだよね。これに気づくのに遠回りしすぎたなあ。
(知識を得るだけで、100% 還元される人もいるかもしれないけど、そんなのは一部の天才だけだと思う。殆どの凡人はそうはいかない。とはいえ、元の錬度が低ければ、コツをいくつか教わるだけでいきなりうまくいくこともある。ただ、それをまるまんま実力だと思うのは、どんな分野でも危険だ。恋愛テクニックやらを必死に読んでる連中が男女間の深い人間関係を上手くやれてるとはちょっと想像できない!)
プログラミングで表現力を上げるにはどうすればいいんだろう。きっと他と同じだろうな。いい表現を沢山味わって、世界をよく観察して、どう成り立ってるかどう動いてるか、私達はそれをどう認知しているのか、考えることかもしれない。漫画家を志す人が美術解剖学を学んだり、優れた画家が絵筆で世界を生々しく描写するように、優れたプログラマは世界のなりたちをプログラムに写し取ったり、世界の仕組みを作る事が出来るのだと思う。