はてなキーワード: 不細工とは
二重顎がコンプレックスだ。
いわゆるアデノイド顔貌で、子供の頃ずっと副鼻腔炎だった影響か口呼吸が治らなくて、二重顎。ちなみに親も同様。実家帰ると横から見た時の顎のラインが父以外そっくりで吐き気がする。
二重顎が嫌すぎて、コロナの在宅勤務中に脂肪吸引した。50万円。一時は二重顎がなくなって本当に本当に嬉しかったのだが、結局取りきれていなかったのか、左を中心に復活してきてる気がする。結構たるみやすくなるらしい。絶望。
ハイフ、美顔器、マッサージ、整体、ボトックス、ヒアルロン酸、いろんなところにとにかく二重顎をなくすためのお金を費やしてる。いくらになるんだろ。
結婚して夫の目があるので、いまはDTある施術はできない。さすがに妻が脂肪吸引してたなんて知ったら引かれるだろう。でも本当は糸リフトとかやりたいけど。
痩せるために毎日5キロ走ってる。食事制限もしてる。まあ食べちゃう時もあるんだけど。つらい。けど体は痩せても二重顎は治らない。デスクワークだから姿勢が悪いんだろうなと思って、気をつけるようにしてるんだけど、ふとした時の夫の他撮りでめちゃくちゃ横から見た、笑った時の、首と顎の境目がなくなってるの見て病む。つらい。
二重顎に効く、という言葉を見かけたらとりあえず試すようにしてる。
けど本当に本当に二重顎が治らない。死にたい。けどまさか二重顎で死にたいんだなんて誰にも言えない。他人から見たら、ばかばかしいことだって、わかっちゃいるんだけど。
アラフォーのおじさん。
よく言えばクールでミステリアス。悪く言えばコミュ障で社会人としてどうなの?というレベル。
マスクをしていると本当にかっこいい。身長や雰囲気も相まって佐藤健みたい。
でもマスクを外すと思わず「うっ…」と胸の奥から何かが込み上げてくるくらい不細工だった。雑に剃られた髭で漫画みたいに青いアゴ。何よりもガタガタの歯は歯科衛生士がぶっ倒れてしまいそうなほど。
でも不思議なことに、顔の上半分だけで惚れたはずなのに致命的な顔の下半分を知った上でとても惹かれた。
話したこともなかったのに、おじさんは頻繁にこちらを見てきた。はじめは気のせいと思っていたけど、視界の隅で堂々とコチラを見ている。キモイ。
そのうち話すようになり、あの視線は話しに入りたい合図だと判明した。
直接話してない話でも、詳細に覚えてくれている。
「あのとき言っていたよね」と。聞き耳を立てるのが趣味なのかと思っていたけど、シャイなだけなんだ。
目をじっと見て話してくる。複数人で話していても、その目が私から逸れることはない。
作業の手を止めて、こちらをじっと見つめて言う。「好きな食べ物はカントリーマアムです。好き。」「大好きです。」…カントリーマアムに対するコメントにしては少し重い。不二家も泣いて喜ぶだろう。
のちに、おじさんは他の人と話すとき、あまり人の目を見て話さないと知った。
なるほど。
でも、不思議と嫌じゃなかった。だって気のせいかもしれない。そう思うのは私には好意があるから。そうでなければ、この事実は恐ろしいことのようだけど。
私はおじさんがどういう人間なのか1ミリも知らなかった。モテそうな雰囲気。年が近い女性社員と仲が良くて、女性社員からのアプローチを冷たくあしらっているのを目の前で見たこともある。だから、女慣れして遊びまくっているから今もバツイチなのだろうと思い込んでいた。そうさせるほど色気があった。
でもそうじゃなかった。
おじさんの本性は、マスクの下に見たものが答えで…魔法使いらしい。そして、異性よりもゲイにモテる。
できればその事実を知って幻滅したかった。それどころかおじさんのことをもっと知りたくなった。
飲み会の夜、二次会に行くところをなぜかおじさんと2人で歩くことに。酔っ払っていた私はもう、好きで好きでたまらなかったから、自然に腕がくっつくほど近づいて、無理だったあの顔をニコニコしながら見上げて、好きなだけ話しかけた。
おじさんは、私が話しかけるといつもデレデレと溶けるように笑った。他の人と話すとき、いつもクールでポーカーフェイスだったのに、そのおじさんはどこにもいない。
でもそれがピークだった。
私はそれ以降、おじさんの顔をまともに見ることすらできなくなった。話しかけられなくなった。急に何もできなくなってしまった。
決定的なのは、おじさんからも何かあるわけでもなかったから。確信したのだ。「全部気のせいだ」。あれから何日たっても、そう。
気のせいでした。
でも勝手に好きでいよう。
顔を見るたびにえずくけど、こうして寂しい夜になると、ふとその顔が浮かんでくるから。
そのうち冷めるよ❗️
アラフォーのおじさん。
よく言えばクールでミステリアス。悪く言えばコミュ障で社会人としてどうなの?というレベル。
マスクをしていると本当にかっこいい。身長や雰囲気も相まって佐藤健みたい。
でもマスクを外すと思わず「うっ…」と胸の奥から何かが込み上げてくるくらい不細工だった。雑に剃られた髭で漫画みたいに青いアゴ。何よりもガタガタの歯は歯科衛生士がぶっ倒れてしまいそうなほど。
でも不思議なことに、顔で惚れたはずなのに致命的な顔の下半分を知った上でとても惹かれた。
話したこともなかったのに、おじさんは頻繁にこちらを見てきた。はじめは気のせいと思っていたけど、視界の隅で堂々とコチラを見ている。キモイ。
そのうち話すようになり、あの視線は話しに入りたい合図だと判明した。
直接話してない話でも、詳細に覚えてくれている。
「あのとき言っていたよね」と。聞き耳を立てるのが趣味なのかと思っていたけど、シャイなだけなんだ。
目をじっと見て話してくる。複数人で話していても、その目が私から逸れることはない。
作業の手を止めて、こちらをじっと見つめて言う。「好きな食べ物はカントリーマアムです。好き。」「大好きです。」…カントリーマアムに対するコメントにしては少し重い。不二家も泣いて喜ぶだろう。
のちに、おじさんは他の人と話すとき、あまり人の目を見て話さないと知った。
なるほど。
でも、不思議と嫌じゃなかった。だって気のせいかもしれない。そう思うのは私に好意があるから。そうでなければ、この事実は恐ろしいことのようだけど。
私はおじさんがどういう人間なのか1ミリも知らなかった。モテそうな雰囲気。年が近い女性社員と仲が良くて、女性社員からのアプローチを冷たくあしらっているのを目の前で見たこともある。だから、女慣れして遊びまくっているから今もバツイチなのだろうと思い込んでいた。そうさせるほど色気があった。
でもそうじゃなかった。
おじさんの本性は、マスクの下に見たものが答えで…魔法使いらしい。そして、異性よりもゲイにモテる。
できればその事実を知って幻滅したかった。それどころかおじさんのことをもっと知りたくなった。
飲み会の夜、二次会に行くところをなぜかおじさんと2人で歩くことに。酔っ払っていた私はもう、好きで好きでたまらなかったから、腕をくっつけて、無理だったあの顔を見上げて、好きなだけ話しかけた。
おじさんは、私が話しかけるといつもデレデレと溶けるように笑った。他の人と話すとき、いつもクールでポーカーフェイスだったのに、そのおじさんはどこにもいない。
初めてなので少し緊張したが、閉所も暗所も平気なので特に何事もなく検査を終了。
待合室のテレビで夕方のニュース番組を小一時間ほど眺め、大谷翔平かっこいいなあと惚れ惚れしていると名前が呼ばれたので検査結果を聞きに診察室へ。
輪切りの脳や脳血管の画像などを見せられ、特に異常はなかった旨の説明を受け頓服薬を処方され帰宅。
何も問題がなかったのは良かったのだが、頭部を縦に真っ二つにした断面図が、あまりにも鼻が低く、口元が出っぱっていて衝撃的だった。
自分の鼻が低い自覚はあったけど、ここまで横顔ブスとは思っていなかったのでめちゃくちゃショック。
はあ〜。整形したいけど、鼻と口元って二重整形とかとはわけが違うよなあ。
骨格が不細工だと本当にどうしようもない。
もともと独り言のつもりで書いたので、ナルシストな表現があるのは大目に見てください。
初めて体重を気にしたのは小二の頃。
体重計に乗った時の数値が以前よりも大きくなっていることを気にしたのか、その年代の平均値よりも大きいことを気にしたのかは覚えていないが、体重計の針が示した数値ははっきりと覚えている。
その時は25kgだった。
周りと同じセーラー服が着こなせなかったのだ。
私の腕は、他の女子生徒が袖からのぞかせるものと同じように細くはないし、なんだかブツブツしている。
それに、体育が極端に苦手だった。他の人は軽々と走るトラックが何よりもキツかった。
きっとそんな自分は、他の人の目にはみっともなく映っているんだろうと思った。
ただ、この頃の私はまだましな方だったと言える。
家族もまだそこまで太っていない、普通体型だと言っていたし(それでも太ってはいたが)、何より中学では成績優秀、昔から活発な性格を知っている友人が多かったので、太っていることを何も後ろめたく感じる必要はなかった。
それに、中学生の頃までは私自身美醜の基準がわからなくて、自分の容姿が優れていないことを知らなかったのだ。
中3の時に仲良くなった、かなり容姿が優れている男友達は私に対して恋愛感情を抱いているようだったし、それ以外の人からもモテた(ただ、この容姿端麗な男友達と比べて私がかなり太っていることに対しては、私自身何か思うところはあった。それにこの男友達は美醜の感覚が壊れているようで、誰よりも男前な自分の顔を不細工だと言っていた。その目で見た私に恋愛感情を抱いていたということは、つまりそういうことである)。
言ってしまえば、自分の容姿が優れていないのに明確に気づいたのは高校生の頃だった。
腹が減った以上仕方がないと、食べるのが好きな私は頻繁にホットスナックを帰り道に食べた。
太っている人間が太るものを食べている姿は滑稽なので、隠れながら食べた。
私は時々、自分の体型をいじられた。
脚の長さを測られたり、太っていると言われたり(実際太っているが)した。
それによって、人並みに傷ついた。
顔については明確な言及はなかったが、周囲の人(とくに男子生徒)が私に対してはかなり不機嫌そうに話すのを見ていると、顔も悪く、太っていて、容姿はかなり悪かったんだろうと思っている。
実際、この頃に撮った写真に写る私は、髪も汚く肌も汚く、笑顔は醜くて眉毛が太い、極度に太った姿をしている。
太るものを食べていたら「そんなの食べてるから太るんだよ」と思われそうだし、痩せるものを食べていたら「そんなの食べてんのに痩せてないじゃん、意識だけは高いね」と思われそうである。
実際、これは誰にも言われたことのない言葉だが、常に思われているのではないかと怯えていた。
それゆえ、外食をするときは店に知っている人がいないかよく探した。
他人からどう思われるかなど大して気にしない私でさえ、こうである。
それほどまでに、太っているということは自信を失くさせるものなのだ。
きっと、太っていて繊細な女の子には、もっと色んな場面で、もっと色んな罵倒の言葉が聞こえているんだろうと思う。
高校の3年間は太り続けた。
受験期が近くなったために高3では外で勉強をするようになり、それに伴って休日は基本外食をした。
毎回、ラーメンやハンバーガーなど、太るものばかりを食べ続けた。
それ以外の時間も、腹が減れば食べた。
食べることぐらいしかストレスの発散方法がなかったのか、元々食べるのが好きだったからなのか知らないが、とにかくよく食べた。
このままだと痩せられない、ずっと太ったままだから、今日で太るものを食べるのはやめようと思っていても、やめられなかった。
「痩せる」ということがかなり遠い道筋のように思えて、どうも継続ができなかった。
その時よく見ていたサイトでは、どうやら私はBMIが28と少しあって、標準体重よりも16.5キロ重いらしい。
時々ダイエットを決意しては数日で諦め、熱意を忘れた。痩せなければという意識、自分の滑稽な容姿に対する後ろめたさだけが常に頭の片隅にあった。
写真に写るときは少しでも痩せて見えるように工夫したし、それでもその後見た写真には他の人よりも著しく太った自分の姿が写っていた。
高3の頃に、こんなに太っていても仲が良くなったクラスメイトとの写真にも、太っているから喜んで写ることができなかった。
太っていて、顔も優れておらず、髪も汚い私には、どんな服を着こなすことも難しかった。
まず、「着たい服」ではなく「着られる服」を着るようになる。
「着たい服」など、考えられなかった。
少しでも痩せて見える服を好んで着た。
どのウエストラインにすると痩せて見えるかばかり気にして、私服を着たときは鏡の前で数分にわたって腰を調節した。
それでも、ふとした時に鏡やガラスに写る自分はかなり太っていて、腕も汚く、特に横から見た時の腰の太さが異常だった。
運動もせずに、友達とも遊ばずにテレビなんか見ているから太っていて垢抜けないんだろうと思っていた。
それでも、垢抜けた人のようにオシャレな格好はしてみたかった。
この汚い顔、太った体でもできるオシャレといえば、髪飾りぐらいだった。だから、髪飾りはよく購入した。
金のピン、青いリボン、カラーゴム、シュシュなど、あらゆるものを買った。青いリボンをつけた日は、いつもより可愛くなった感じがした。
それでもやはり、あまり変わらなかったが。
ファッション誌も読んだりしてみた。
しかし結局、ファッション誌でさえ遠い世界のように感じられ、誌上の情報を断片的に真似してみては全く垢抜けない、そんな様子だった。
街中では綺麗な人しか見かけないし、綺麗な人はどうしてあんなにも綺麗なのか気になった。
同じくらい太っているのに綺麗な人もいた。あの人たちと自分は何が違うのかわからなかった。
成人式でも、私は醜かった。
成人式の頃にはかなり太っていた。両親と横幅が大して変わらなかったし、下ろせない髪によって隠せなくなった輪郭は、顔の肉を強調させた。晴れ着を着たら多少は綺麗になれると思っても、実際には綺麗になれなかった。せっかくの写真も、何も嬉しくなかった。
大学生なってからも変わらず、ウエストラインを調節し続け、周りを気にしながら外食をしていた私は、大学3年生の時に急に思い立ってダイエットを始める。
「暇だから痩せよう」とかの軽い気持ちで、たまたまそう思った日の前日に2万歩近く歩いていたからとか、その程度だ。
痩せるためには食事管理と運動だよな、とか思いながら、食事管理アプリで一番ダウンロード数が多いらしい「あすけん」を入れた。
痩せることは大変ではなかった。
あすけんは、健康的に痩せることをモットーとしているアプリらしくて、(賛否両論あるが)それなりに沢山のものを食べることができる。
ダイエット中でも、世間一般で言われているような「揚げ物は食べてはだめ」とか、「毎回白米の量を半分にして」など、する必要がなかった。
規定値に収めることができれば、ファストフードだって食べられたのだ。
ただ、規定値に収めるために、お菓子を食べることは必然的になくなった。
むしろ、食事管理を通して自分の食生活を数値上で管理できるようになったことで、いつの間にか太ってしまうのではないか・想定外のことが起こってしまうのではないかという不安がほぼ全て払拭され、ストレスがなくなった。
歩くことも苦ではなかった。
脚はかなり疲れたが特に大変さは感じなかったし、モチベーションなども保つ必要がなかった。
歩いている途中、どうしてもしんどくなったときは、6月のライブ(のちに10月に延期になる)までに必ず痩せなければいけないことを思い返したり、曲で歌われている美人な魔性の女のように自分がなることを妄想したりするなどして乗り切った。もっとも、こんな容姿で美人になることを妄想するなど、言語道断であるが。
そうこうして、痩せた。
夏の時期は中弛みなどあったが、合計16キロほど痩せることができた。
ウエストは20cmほど細くなったと思う。
標準体重よりも少し重いが、ダイエット中は体重の数値よりも骨格筋率・体脂肪率などを重視したため、この体重でも見た目は普通の人よりも少し痩せている程度になったのだ。
痩せても大きいままだった胸に対して腰は標準より細く、腕は少し太いものの一般的な太さになっている。
痩せてまず、服を買うのが楽しくなった。
初めて服を買った。大学3年生にして。
ジーンズを履くなど、太い脚が強調されてしまって私には絶対無理だと思っていたが、憧れの黒スキニーを履くことができた。
思い返してみれば、その時はまだダイエットを初めて数ヶ月しか経っていなかったため、まだ着こなすことはできなかったが。それでも当時は嬉しくて仕方がなかったのである。
家族とアウトレットに行くのも楽しくなった。自分の表現したいことが、服で表現できるのが何よりも楽しかった。
6月には、以前買ったスーツがあまりにもブカブカになってしまっていた。そのため、スーツを新調する必要があった。それが何よりも嬉しかった。
周囲、特に家族からも褒められた。私自身は大したことをしたつもりはなかったが、母はことあるごとに私のダイエット成功を努力の結晶だと褒め、認めてくれた。今私は母のダイエットを手伝っている。
遠く離れた祖母も、久しぶりに会った時はずっと痩せたことを褒めてくれたし、それ以降も電話でよくダイエットの話をしては褒めてくれる。認知症が進行したもう一人の祖母も、ふとした時に私が痩せたことに気づいて喜んでくれた。
かなり痩せて、体型も標準に近くなった頃、垢抜けようと思った。
眉毛も剃った。3分の1の太さにまで削った。これで丁度よかった。
そして、メイクの仕方を変えた。スキンケアを覚えた。色んなものも買った。パウダー、マスカラ、ビューラー、グロス、コンシーラー、アイライナーなど。
黒いアイライナーを引くことで、私の強い目力はちょうど良いほどに強調され、かなり化けるようになった。時期は大学3年の12月ごろ。
黒いアイライナーは、たまたまYoutubeで見ていた動画に出てきた女性が黒いアイライナーを使っているのを見て、真似して買った。安物だが、これが私からしたら魔法の道具だった。
もとの顔も、痩せて眉毛を削れば悪い顔ではなかった。少しばかり人中が長いが、その程度大したことはない。
顔の比率も理想に近く、肉の取れた輪郭は綺麗な卵型で(若干面長だが)、顔は普通のサイズよりも小さい。昔から姉と母に言われていた言葉(太っていたので信じていなかったが)は、本当だった。目の大きさも平均値より大きく、力強い目は目鼻立ちをはっきりとさせ、鼻筋もある程度通っている。目と眉毛の距離が近く、口も大きく、芸能人レベルではないがまさに顔タイプエレガントといった形だ。キリッとした顔つきは、周囲の人に賢そう・しっかりしていそう・頼りになるといった印象を持たせる。縮毛矯正をし、アイロンで伸ばした髪は、顔の力強さに負けていない。あの太かった眉毛に伴う長いまつ毛は、私の目の美しさを作り上げている。立体的な造形の顔と長頭の形は横顔の形を綺麗にし、腰の細さを強調させる。
この顔が、さらにメイクで化けた。黒いアイライナーはよりはっきりした目へ、書かれた眉毛はより凛とした表情へ変化させ、色白で力強い顔には真っ赤なリップも映える。赤いアイシャドウや濃いチークにだって負けず、それどころかより顔を華やかに彩る。マスクを取っても、整った顔立ちは変わらなかった。マスカラではっきりとさせた長いまつ毛は、少し目を細めて現れた奥二重に重なって、憂う表情を美しく彩る。
街を歩けば、通行人が振り返った。周囲の男子学生や男の人が私にだけ優しくする場面だってあった。よく色んな人から眺められた。見惚れられた。彼氏もできた。いつも私の顔を美人だと言ってくれる。ネット上のコミュニティでは、私が美人だという話がよく話題になった。実際に出会ったネットの友達は、女慣れしている人でも私の姿を見て固まっていたし、明らかに優しくなっていた。どうやらその後、写真で見るよりもずっと美人だったと言いふらしていたらしい。私の姿を見て美人だと言わない人はいなかった。昔はあんなに綺麗に見えた通行人も、今思えば普通の人だ。
醜く太った、毛深く垢抜けない女から、誰もが認める美人になった私は、お洒落に目覚めた。真っ黒なワンピース、激しいピンクの色、かっこいいベストなど、強い色の服や上品そうな服を身に纏った私は、ミステリアスで不思議な魅力を持つ美女とも言えた。イヤリングは顔の煌めきを増大させるし、特殊な色のネイルにだって負けなかった。
痩せて美人になってからの私は、よく音楽を聴くようになった。聴く音楽の対象が変わった。
美しい歌声で歌われる妖艶な曲に自分を重ね合わせたし、繊細さを重ね合わせたような曲のような価値観を持ってみたいとも思った。私の容姿だと、そのような価値観を持っていてもきっと絵になると思ったからだ。私はここ数ヶ月間、美人な自分と美しい曲を重ねては、綺麗な自分に酔いしれ続けている。それはもう、異常なまでに。
きっと今までずっと醜く、虐げられるように生きることを続けてきたから、その反動が大きかったのだと思う。もう周りを気にしながら外食をする必要なんてない。大手を振って表を歩ける。私は痩せて美しくなってから、以前のようにこそこそと生きる必要は無くなったのだ。
そしてこれからしばらく、美しくなった自分に酔いしれ続けるのだと思う。綺麗な服を集め、もっと上品になって、周囲の人からは高嶺の花として扱われて生きるのだ。
それでも、つい一年前まで醜かった自分の影は消えない。私が美しくなったのはここ数ヶ月での話しだから、それまでに虐げられてきた記憶の方がずっと長い。目を閉じれば、高校生の頃のクラスメイトの男子生徒の、私にだけ雑な扱いをする様子がフラッシュバックする。今だって、太っている人や不細工な人を馬鹿にする言葉には腹が立つ。容姿が優れている友人と扱いが違うことを語った漫画やツイートには、思わず共感して読んでしまう。所詮ここ数ヶ月で綺麗になっただけの私は、外見が変わろうとも中身はほとんど全く変わらないのだ。昔の醜かった自分を見下し、悦に浸りたくとも、浸り切ることはできない。
しかし、やりたいことはある。太っていると周囲の人が本性を表すとは本当のことで、きっと私に対して明確に態度が悪かった人は、そういう人なんだろうと思う。そして、私が太っていた時から仲が良かった人は、本当にいい人なのだ。
私のことが、高校の頃から好きな人がいるらしい。もうすぐ4年になる。私は彼に対して恋愛感情はなかったので、ずっと見てみぬふりをしてきたが、もし今の彼氏と別れたら、会いに行こうと思う。
その友人も容姿はそれほど優れていないし、言ってしまえば内気な人だ。きっと、人の容姿などもあまり気にしないんだろうと思う。
それでも、こんなに美人になった私をみてほしい。彼が好きになったのは私の容姿ではないにしても、昔よりも綺麗になった私をみて、感動してほしい。そして、それでも中身は変わっていないことを伝えたい。
不細工ではない程度のほどほどの顔がいいのかもね
そこそこ混んでる電車のドアにもたれて内側向いてスマホ見たりなどしてるヤツめっちゃ迷惑かつ邪魔じゃね?
こいつらのせいで混んでるのに他の客が詰められないし、そもそもなんでこっちはお前の不細工な顔を見せられなきゃいかんのだと。
何より自分の顔を多勢に見られてよく平気でいられるなーと不思議でならないんだが。
外側向くかせめて横向きで立ってくれ。
申し訳ないが私は彼女の動画をまともに観たことがない。着物初心者向けの自装動画と名古屋帯の結び方動画、着物のたたみ方の動画を飛ばし飛ばし見た程度だ。
この人の着付けはド下手クソだ。
ちょっとね、と笑える程度ならいいのだが、着物インフルエンサー(笑)と言い、雑誌やYouTubeや企業コラボで着付けを教えている人にしては、拙い。
趣味の範囲で着物を着て楽しんでいる私から見ても、かなり拙い、というか無駄が多い。
私が見た範囲で具体的に言うと、
・胸紐をしてからおはしょりの中の始末をする。しかも三角に折り上げずに、ぐしゃぐしゃに上げる。
・帯をしめるときに、クリップで止めたり、すでに巻いている帯に挟めば十分なものをわざわざ仮紐を使って止めている。
というのがあった。
着物に関わりが無い人にはよくわからないかもしれないが、これらは無駄が多いし、最終的に時間がかかる。しかも所作にスマートさが無い。
いわゆる初心者向けの動画だから、初心者でも着れる方法という考えなのかも知れないが、それにしても汚い。
こういう時、「着物だって服なんだから好きな着方でいいじゃない!着付けが汚いからって大きなお世話だ!」という人が出てくるだろうが、彼女の着物は正統派に着ると考えた時にあまりに不細工だ。(おそらく彼女の着方的に和洋ミックスをしたい人よりも正統派な着方がしたい視聴者が多いだろう)
しかし、彼女がどんなにみっともない着付けをしようが私には関係がない。関係がないのはわかっているが、どうしても言いたかった。
「お前は初心者の気持ちがわかってない!すなおさんの動画のどこが悪いんだ!」と思う人もいるだろう。けれど私から見た彼女はスマートで素敵な着物を着た方では全く無いというだけの話なので気にしないで欲しい。
………やっぱりあの畳み方は下手くそもいいところだよなぁ。