はてなキーワード: ツイッターとは
NHKは1日、記者が取材したインタビューなどの取材メモを、子会社が契約する30代の派遣スタッフがインターネット上に流出させていたと発表した。取材を受けた相手には既に謝罪したといい、「視聴者の信頼を損なう、あってはならないことで深くおわびする。さらに調査し厳正に対処していく」としている。
派遣スタッフはテロップの作成業務に従事。ニュース制作の専用端末へのアクセス権を持っており、入手して別の人物に渡したメモがX(旧ツイッター)で拡散された。先月28日に、取材を受けた人から記者に連絡があり発覚した。スタッフは「興味本位だった。大変なことをして申し訳ない」と話しているという。
[時事通信社]
はい残念
終了な
NHKは1日、記者が取材したインタビューなどの取材メモを、子会社が契約する30代の派遣スタッフがインターネット上に流出させていたと発表した。取材を受けた相手には既に謝罪したといい、「視聴者の信頼を損なう、あってはならないことで深くおわびする。さらに調査し厳正に対処していく」としている。
派遣スタッフはテロップの作成業務に従事。ニュース制作の専用端末へのアクセス権を持っており、入手して別の人物に渡したメモがX(旧ツイッター)で拡散された。先月28日に、取材を受けた人から記者に連絡があり発覚した。スタッフは「興味本位だった。大変なことをして申し訳ない」と話しているという。
[時事通信社]
しゃあっ!
現代のSNS、つまりツイッター、フェイスブック、インスタグラムが大嫌いだ。
実際、それはすべて品質管理の逆の方向を行っていて、最小公倍数の目標があり、クリックベイトが設計されている。
感情的な反応、多くの場合道徳的な怒りを引き起こすためである。
近年マジで人が足んねぇというのがあり、
そんなできない奴でも30代で400〜500は普通にもらえるから、ようわからん低収入の仕事で神経すり減らしてツイッターに呪詛垂れ流すぐらいならIT土方やろうぜ。
未経験だと不安でスクールにーとかバカみたいなことを言ってるやつは今すぐどっかに応募しろ。お前は料理人になりたいのに料理教室に行くのか?いいからやるんだよ仕事を。仕事のやり方を覚えるのが先だ。
とりあえず未経験歓迎のウンコみたいな会社を踏み台と割り切って1年働いて、いかにもシステム開発やってきましたみたいな体で転職を何回かやってみるといい。話はコントロールできる範囲で盛るんだ。ちなみに、未経験歓迎のSESは大概クソみたいな昇給幅なので何年もいる意味がほんとにない。だから1年とした。2年ぐらいはいても良いかもしれんけど。
ITの同業種転職はそのまま働くよりステップアップの幅がでかいし達成感あるしサクサク給料増えるそ。
あと激務で身が持たなかったら話が通じないやつとか家庭に勤しむ野郎のフリをして定時で帰ったり突然看病や体調不良で数日休んだりすれば案外ライフワークバランスもイケる。
でもリアルの土方とか職人はめっちゃ稼いでたりするから肉体労働OKならそっちでもいいかもしれんなとは正直思うな!そこそこのデスクワークだと勝てないぐらい稼いでる奴多いから。
人生の間に趣味や特技に関わることで、世間で起きたトラブルが大体投資家がジャブジャブ金を投入したがばっかりに引っ込みがつかなくなったケースが多い
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別途同様のトラブルが起きる
これが良い例だと思う。
投稿したのは、アメリカ在住のしまきさん(@readeigo)。高校時代の親友は日本に住んでおり、メッセージの交換や電話などで今も連絡を取り合っているとのこと。最近友人と電話をしている時、ひょんなことから毎日お昼ご飯を持ってこられなかったしまきさんに食べてもらうためにお弁当のおかずを多めに持ってきていたという事実が発覚しました。そのことを、しまきさんは10年以上知らなかったことから、今回の友人の突然の”告白”に驚くとともに感激したといいます。
そんな投稿を目にした人たちから「こ、これは沁みるお話を…」「泣ける!」などと感動のコメントがたくさん寄せられています。
「ちょっとその友達とお母さんをノーベル平和賞にノミネートされるよう働きかけてきます」
「帰りの電車でほんとにボロ泣きなんですけど」
「素晴らしい友人ですね」
「ちょっとその友達とお母さんをノーベル平和賞にノミネートされるよう働きかけてきます。授賞式には一緒に参加されてください。」
「ちょっとその友達とお母さんをノーベル平和賞にノミネートされるよう働きかけてきます」
これが臭いゆうねん。
他のコメントはセーフ。こういう「ちょっと表現ひねっちゃいました」が臭いんだよ。
オナニストとも言ってもよい。
いや別に何も新しくないが?
赤松のパラディンしかりZUNの東方Projectしかり、一人の人間が自分だけで作ったゲームなんて大昔からいくらでもあるが?
つーか色んなフリゲのサイトで中高生が作ったゲーム並んでるしなすでに。
AIが絵を描けるようになり、曲を書けるようになり、ボーカルを歌えるようになり、プログラミングをやってくれて、アイディアも出してくれて、固有名詞やセリフも考えてくれるからって何も変わってないが?
俺は挫折したぞ。
だってツイッターでググったら既に他人が出力してたのがあって、「あっ、じゃあ俺はガチャ回さなくていいや」となったもの。
手を動かさない奴はどんなに環境が揃っても手を動かさないんだ。
分かるか?
何も変わってねえ。
0に100をかけようが億をかけようが変わらねえんだよ。
昔も今も一緒だ。
手を動かす気力のない人間は何も生み出さずにこうやって愚痴を吐くだけなのさ
それとも引き出せるってのかい?
引き出してみろよ。
今、5chもツイッターも、「興味がある話題」だから触れるって感じじゃない。
5chで漫画のスレッドが立っても、その漫画読んでる奴とかじゃなくて、「漫画なんてまだ読んでるのか」みたいに同じこと毎回書きたい奴しかよってこない。
政治厨だの男女対立だの、クソほどどうでも良い楽しくもない話題ばかりなんでそんなに必死に伸ばしてるのか。
昔のネットを返してくれ。
でもこれは去年のアニメだ
恒星。は行ってないしそこで追加された楽曲も全然ハマらなかった
いきなり去年のことを思い出している
イラク戦争みたいに悪のゲリラ相手にチマチマした戦争が長引いている感じでもなく結構本格的だ。
簒奪や暗殺が成功して大量の核兵器を保有した人類史上最強のPMCが誕生、というかそれがそのまま超巨大な領土を保有するという展開もあったわけだ。
20年ぐらいして状況が落ち着いたらこの世界線を舞台にした映画とかも作られそうね。
暗い話が来たから娯楽関連に戻るが、今年は「ゴジラ-1.0」と「君たちはどう生きるか」というクソデカ邦画が出たのが大きいと思う。
日本神話をモチーフにしつつジブリの歴史をなぞった君生きは死にかけのジジイの強烈な自己顕示欲と陶酔が詰まっていて非常に歯ごたえがあった。
ゴジラ史を完全に改竄してその中でやたらと小綺麗な倫理観でもって戦後日本を描いたゴジマイも造り手の妙ちくりんな思想が詰まっていて中々に作家性が高かったと言えよう。
セクハラ問題があちこちで噴出しまくってうちの会社でも「ハラスメントは駄目らしいぞ。特にセクハラ駄目っぽいな」みたいなことをセクハラしてそうな爺さん達が盛り上がっていて時代の変化を感じたな。
でもAIも進歩はしてるんだが、結局実用には程遠いなって感じで、一番楽しく使えているのはネットデブリを量産してる企業アフィリエイターぐらいじゃないか。
ツイッターがX(元ツイッター)になりマネタイズ機能のせいでクソリプAIが跋扈する地獄のSNSになったのも大きな時代の変化だな。
結局それで新しいコミュニティが活性化するでもなく、やはりTwitterは最強だったんだなで終わったのは面白かった。
逆に一周回ってリアルって閉鎖的でいいよなってノリが更に強まった感じはある。
セクハラとかしてもバレにくいし悪いこと痛いことしたい奴にはリアル最高だよなウンウン。
あとなんだろ。
なんかイマイチないんだよな。
いいよな。
デックビルド系ローグライクの欠点である1プレイの長さが軽減されて15分で終わるし、毎ターンスロット回せるから毎ターンギャンブル要素あるし。
エッセンスとアイテムでダブルバフ出来ればどの絵柄もサイッキョになるポテンシャルがあるから毎回のゲーム体験の変化が大きいんだよな―。
ヴァンサバやスレスパと比べて目指すべきルートの手探りっぷりが大きいっていうか、その周回の正解が見えたあとの収束っぷりが強いっていうか。
とりま目指すべきテンプレがあっても、その周回ごとに上ブレしたものを追っかけるほうが圧倒的に強いから勝ってる時ほど戦略が尖るっていうのが脳に気持ちいいぜ。
いやまあでもやっぱ単純に素晴らしいのはプレイヤーに出来るのが選択することだけって所よな。
いいビルドは組めたけど油断してPS下がって負けたみたいな萎えが少ない。
ビルド系ローグライクなんて結局はパチンカス脳で運ゲーしてTUEEEEEしたいだけだからさ。
麻雀なんて結局ダブリーから跳満上がった奴が勝つクソゲーだけど、それが滅茶苦茶人気なのは運ゲー極まってるからなわけで。
運を味方につけるためのストライクゾーンを広く取れるかどうかだけがPSでいいわけよ運ゲーなんて。
その辺割り切ってるゲームが遂に出てきてくれて嬉しいぜ。
ソシャゲのガチャやハクスラのドロップに求める「ぶっ壊れキタコレ!もう俺無敵じゃん!」の感覚が詰まってんだわ。
エッセンスとアイテムで方向性完全に被って速攻でビルド指針決まった周回とか家賃にダブルスコアつけたまま最後まで突っ走ってゲーム完全に壊れちゃうのが楽しすぎるんだよなー
https://querie.me/answer/ST8s9I6rozezVXc5z41p?timestamp=1702007027
既に回答欄で必要なことは書かれているが、「有害な本を出さない道徳的義務があるに決まってますよ。」等の表現にひっかかってしまう人はいるようだ。誰がその正しさを担保するのかというような噛み合わない指摘がブコメには散見される。そもそも、質問自体が少し混乱した内容になっているように思われるので、前段の「事実誤認や著しい誤りがある本は出版するべきではない」という主張について、少し内容を変えて「(ある書籍を)出版するべきではない」という表現に表現の自由が認められるだろうかという観点から考えてみたい。
まず、おそよどのような主張であれ、その内容に一切かかわらず、言う(表現する)ことが正しく、言わない(表現しない)ことが間違っているという価値観を持っている人は、恐らくいないだろうというところから始める。「どのような」という中身は、回答者のいう「デマ」や「他人に害を与える」内容のものかもしれないし、名誉棄損(他人に害を与えるに入るだろうが)やステマ広告かもしれないし、ある表現をするべきではないという内容の表現かもしれない。その範囲に関しての価値観はそれぞれに違いがあっても構わないし、むしろ違うはずだが、およそ常に表現がされることが正しく、されないことが正しくないという主張は、誰にも支持されないだろうとういことは前提にできると思う。
その中で、具体的にどの表現がされるべきでないものなのかということについては、社会の構成員間で価値観の違いがある以上、社会的に決定せざるを得ない。その決定は、各々の異なる意見を表現によって交換すること、すなわち、議論によって形成されていくべきだ。そうやって、名誉棄損や著作権法違反への表現の規制は認められてきたわけで、その議論を担保するからこそ表現の自由は民主主義社会において重要性があると言える。つまり、表現の規制についてもその限界は議論によって定められるべきだということも前提にしていいだろう。
ここで、「出版(表現)するべきではない」という主張に表現の自由が認められないとすれば、表現に関する規制について、常に片側の議論の主張を欠く状態になってしまう。無論、あらゆる表現において表現されることに価値があるとか、表現すべきではないことについては議論の余地なく決めることができるという前提があれば、そのような表現規制も許されるだろうが、これは今まで書いてきた前提とは反する。つまり、出版するべきではないという表現にも表現の自由は認められ、一定の尊重がされるべきであるに決まっている、ということになる。
その上で、質問者に戻るのだが、出版するべきかどうかという判断に「事実誤認や著しい誤りがある」かどうかという観点を入れた場合、いわゆる思想の自由主義市場の問題、すなわち、誤っているかどうかという判断自体が表現を戦わせることによってしか得られれないものではないかという問題が出てくるという側面がある。その点から、およそと事実誤認等を理由にした表現の事前の抑制は行うべきではないという主張はあり得るだろう。ただし、医薬品に関する虚偽の効能の広告規制のように、実際には事実に反することを理由に法規制される出版行為がある場合もあることからわかるとおり、少なくとも現行法解釈上は思想の自由主義市場的な価値はほかの価値との相対的な衡量の中で認められるものにすぎない(出版という一行為態様が禁じられるということが直ちに表現そのものを封じられるわけではないということも考慮すべきだろう。)。抽象的な議論を離れ、個別の事例の判断になれば、消費者保護等の観点からの規制をおよそ認めないという人は少ないのではないかと思われ、そうだとすれば、その限界の判断は批判を含めた議論の中で決められるべきという上述の議論に戻ることになる。
インターネット上では、いわゆる反キャンセルカルチャー的な文脈から、批判表現自体ですぐに表現の自由を持ち出し反批判を行う意見が散見されるが、批判表現は表現の自由で認められるべき重要な表現である。少なくとも、近時話題になっている角川の事例においては、表現の自由な交換による意思形成を超えた、事実上の表現規制的な圧力がかかったとは私には到底考え難い(まあ、そう考えたい向きがいることも仕方がないことだなとは思う。)。他方で、個人のツイッター(X)上の大したことのない発信に鬼の首でもとったかのような大量のリプライが付くような場合など、この時代において考えるべき問題も存在しないわけでもない。批判表現という表現の自由にとって重要な表現を一般論で封じ込めて「論理的にすっきり」しようとするのではなく、一つ一つの事例にきちんと頭を悩ませることが重要なのではないかとふわっとさせて終わりたい。