はてなキーワード: アンガーマネジメントとは
地方実家暮らしアラサー喪女、酒癖の悪い両親を見て改めて実家を出たいと思い始めるも、なにもかもお膳立てされて生きてきたので自立出来ないと絶望するの巻。
会社は車で15分の距離&親と同じなので、一人暮らしの理由が思いつかない。
気にしいが過ぎて連絡する友人も皆無。
母は「過保護のカホコ」というドラマを見て、これあなたの話ね! と嬉しそうに話してきた。
思考停止で生きてきた自分も悪いし、行動力のなさはこれから治ることもないのだと思うと、アンガーマネジメントを頑張るしかないのだろうなという気持ち。
喪女というのはさておいて、マッチングアプリをやったことはある。
でも、そもそも自分を好きではないのに人を好きになろうとすること自体失礼だと思って辞めてしまった。
バリバリのキャリアウーマンで成績出してる、とかならまだ没頭できることがあってよかったんだろうな。
秀でたクリエイターでネット生活充実したのなら、まだ逃げ場があっただろうな。
自業自得なんだけどね。
虐待防止や権利擁護、アンガーマネジメントの研修を散々やってきたが、
結局のところ「こちらの感情のイレギュラー」への対抗策は「我慢しましょう」一択しかない。
どこまで我慢できるか、というのは、個人の価値観と大きく結びついていると思うので、
自分の価値観を曲げられなかったり、うまく仮面を被る事ができない職員ほど我慢ができず、虐待に至る。
そして現状の報酬制度では職員を高給取りにすることは非常に困難であるため、
給料釣り上げによるフィルタリングでメンタルが良質な人材を確保するという事も難しい。
価値観や自己コントロールに柔軟性がある「介護・福祉分野に適性がある」人材は、
「他の業種にはもっと適性があり、条件的にそちらを選ぶ」というパラドックスを解消できない限り、
虐待は無くならない。
1つ目はアンガーマネジメントです。
「感情が湧き上がってきても、どこかで落ち着いてる自分」を獲得すると、無駄な喧嘩をしないで済むのです。
この記事を書くきっかけも、「いつもの自分が、合理性や理性を捨てて怒っていたことを我慢できたから」です。
まず、怒りを我慢できたできた時ですが、この時には
「ADHDの薬飲みました!この薬を飲んだことで怒りを抑えられました!」 へーすごいなーって思って本人のツイート見たら地獄だった
本人にとってはこれでも「怒っていても、頭の中に冷静な部分が残っていて、【損得勘定】を忘れないでクレバーに振る舞える」体験になるのか
(インターネットのそこらじゅうで見かける光景なんだけど、)喧嘩腰のレスをしてる人に、まともに答える気になるわけないじゃん…。
「それが人にモノをたずねる態度か?」
なんて、フィクションではよく言われる言い回しだけど…ネット見てるとそういう気分になることがけっこうある
私も礼儀正しい人間じゃないが、その私が見ても失礼だと思っちゃうと答えるとか答えないとか以前に
「あ、いいです」
ってなっちゃう。
会話がしたいのか、なにか言いたいだけなのかなんだか知らないが…
「あ、いいです」
がびっくりするほど多いこと。
良かれと思うことを提案し続けるとか、自分がいい・好きと思ってるものをちゃんと表現するとか…そういう人って意外と多くないのよね
キレるというよりだんだん呆れてきた…。いやね、基本中の基本で、10年以上前に論理が確立されてる話しかしてないの!応用とか証明とかそれ以前の問題。10年以上前に普通のWeb業界ではどこでも言われてし流れがかわって今残ってることのほうが珍しい話しかしてへんのやけどなぁ…
あのね…この世界は、「どうやらそうらしい」という話が多すぎるわけです。最先端を追いかけてあれをやればいい、これをやればいいと全部それらしいこと言うのはかんたんなんだよ?でも、やると嘘が交じるし、嘘のために不便や不本意なことをやるのは、賛否が分かれる。だから、基本しか言わん10年以上前に確立された理論で、今どきそんなことやってる人の方が珍しいレベルの非常識な話に対して「これは普通のサイト、普通の運営者であれば、早かれ遅かれ対策しますよね」って話しかしてないわけさ
それを言っただけで、キレたり見下したりストーキングしたり…呆れるわ。このレベルの知識しかない人達がそんなにいるとは思わなかった。もうさ…ぼくの中では「横断歩道を渡る前には左右をよくチェックしよう」ぐらいのことしか書いてないから、マジでそれに過剰に反応する人が複数名いる事自体にびっくりしてるもん…。それで元気なくしてる
もう10年も前から否定されだしてる話だから「石器時代の話」として書いたのにさ…それで怒るって…原始人かサルってこと?
人間扱いしてごめんね。人間同士だと期待してたからぼくは最初イラッときて怒ったんだと思う。でも、石器時代の何が今と違うかわからない人って原始人かサルなんだろうね。
ほんとね…難しい話をしたつもりはなかったんよ…。むしろ、ウェブ上の難しい話って、人力で検証するにしてもそれなりの環境と時間が必要だから理論としてわかってても、多くの人にとって「仮説」でしかないのよ。で、仮説じゃなくて、時代とともに証明されたレベルの話しかぼくはしてないつもりで、大手企業の先例、自分の手元にあるデータ、そしてちゃんと続いてるサイトの傾向…などなど、どれをとっても確かなものからしか書いてないんですよ…。難しい難しくないじゃなくて、ウェブにいる時間が長い人なら気づくかどうかだけそれさえダメかぁ…
インターネットだとイキったやつが勝ちみたいな所あるけど…なんかもういいです。原始人と胸毛の濃さで戦うほどぼくは暇じゃないので、いいです。原始人とお猿さんの世界には横断歩道とかなかったから、伝わらなかった。それだけのことなんでもういいっすわなんか、ウホウホしてろとしか言えん
自分の界隈で確立されたことをしゃべってこれだけ反発されるんだから、立憲民主党や共産党みたいな政党がいることにも、刑法175条が100年も変わんないことにも納得。この世向いてないのかな?生きていく自信なくしてきた。一応、やりたいことはやりきってみるけど…生きて行ける自信がなくなってる
しんかいに対して切れてた時は深夜に5時間くらいずっとキレつづけてたから、これでも怒り押さえられてた方かな
https://web.archive.org/web/20190502210202/https://anond.hatelabo.jp/20150620124355
怒っている→カルシウムを取ったほうが良いとか、アンガーマネジメントを習えとなるだけだろ
やっぱ韓国のアンガーマネジメントってすげえわ
6秒耐えれば怒りが弱まるらしいが、実際は6秒間怒りがチャージされて爆発するようになった
子供に勉強を命じる前にアンガーマネジメント講習でも受けたらどうか
アンガーマネジメントを意識してから頻度は少なくなったけどどうにかならんかなぁ
さっきの記事(https://anond.hatelabo.jp/20211208113755)を書いてから、いろいろなSNSで、イライラして旦那に暴言を吐いた、吐かれたという類の真意について調べた。
旦那が悪いから私は悪くない、というタイプの意見が多いが、それ以外にも、ちゃんと旦那はまともな人なのに時期によって精神不安定になって暴言を吐く、とか、
精神不安定な時期は自分の感情をコントロールできない、とかそういうのも多い。
特に自分の感情をコントロールできない、ということに関しては、女性は生理前のPMSの時期になると著しく精神不安定になり、暴言を吐いたりひどいことを言ってすぐに自己嫌悪に陥ることが多いということを、以前からよく結婚生活の悩みなどを紹介するサイトでもよく見かけていた。
しかし、見かけるのはいいけど、それの対処法は周りの人が許してあげて欲しいとか、仕方がないことだからとか、本人も悩んでるとかそういったものばかり。
でも自分で感情をコントロールできないから仕方ないって、性犯罪者が逮捕されても何度も同じことを繰り返すってのと構図的に一緒じゃないの?
仕方がないことだから周りが我慢しろという対応で、本当にいいの?
子供の頃からもっと適した教育を受けさせないといけないんじゃないのって思う。
アンガーマネジメントなんて大人になってから知る人も多い。ずっと知らないままの人も多い。
自分も似たような状況だった。相手との上下関係はなく、同じ部署の同僚だったけど。
増田の怒りはストレス要因だから、そのうち増田が潰れるぞ。コメントが何を言おうが自分を責めるな。どんなに丁寧に教えてもダメなやつはダメだと切り捨てろ。いるんだよそういう奴。
上司や周りの人間に助けを求めた方がいい。きっと増田は真面目な人で仕事にプライドも持っているだろうから、自分から指導役の立場を降りるのは苦しいだろうけど、職を失くすよりかはましだ。
自分の場合はまるで成長しない同僚の分の仕事が全部こちらに降りかかり、教え方が悪いのかと自分のことを責め続け、怒りたくないのに怒りを持ってしまう罪悪感に押し潰された末に鬱病になった。
退職後カウンセリングに通っているけど、怒りの感情が表に出やすいのは幼少期に怒鳴られて育ったトラウマが要因と言われた。
アンガーマネジメントも勉強したけど、あれは突発的な怒りに対応するためのもので、増田のような蓄積した怒りに対してはあまり効果がない。
こんな所に集まるやつらの話を聞くより、メンタルケアのプロに早く相談した方がいい。自分の場合は産業医が多少力になってくれたし、心療内科よりはカウンセリングが合っていた。
間違っても自分を責めるな。たとえ部下が育たなくてもそれはお前だけの責任じゃない。会社の責任だ。その辛さや苦しみはお前が1人で抱えなくてもいいんだ。
あなたみたいな人のためにアンガーマネジメントのカウンセリングがあるんだけど。
あと自分も氷河期世代でよく怒鳴られてたけど、怒鳴って状況がよくなるとか、相手の能力に対して感じる疑問が解消されると考えている人は
そんな事が一切ある分けがないのに怒鳴ることで一時的な自分の心のイライラを解消するだけで、コミュニケーション能力の障害があるのだと思っている。
今は日本の企業を脱出して、そういう人が法的に処罰される環境で働いている。大変心地よい。
他人を怒鳴って使役する人は、その行為がどれだけ不快で能力を向上させるために無効なものかを考える想像力が欠けている。
大体他人に対して声を荒げるって獣か何かかな?怒鳴られた方は驚いて屈辱の気持ちを感じてパニックになるだけで、
本来あなたが改善させたかった問題に焦点を定めて対応なんかしてくれなくなるし、ただ怯えるだけで仕事が余計に進まない。なんの効力もないよね。
君のやり方はチームにとっては非常に問題だよ。
仕事の能力というのはその仕事そのものも大事だけど、協調と周りの協力を促す能力も重要。
ちゃんとそれっぽい本を読んでわかった気にならないで専門家の力を借りてお金を払ってカウンセリング受けて。
アンガーマネジメントができない人は女とセックスができない
私は基本的にはまったく「怒る」ということはしないのだが、でも、教育上、「怒り」はある程度は必要だと思っている人間である。なぜなら言語やロジックが分からない人間に対しては非常に有効なコミュニケーションの手段だからだ。(今回の「怒る」は大声で怒鳴る怒りを指してる。) あと、自分の考えを纏めながら書いているので、少々読みにくい文章になるかもしれない。怒らず、ご容赦頂きたい。(私なりのジョークである。)
例えば、ある人間が危機的状況に陥いったとしよう。たとえば、小さい子どもが火の中に手を入れようとしたり、道路に飛び出しそうになったりしたとしよう。そのとき咄嗟に大声で「ダメ!」と言ったとしても、それはその危機的状況から救うための「怒り」である。また、こういう危機的状況の陥いるとき、本人はなにかに夢中(たとえば、ボール遊びに夢中で道路に飛び出しそうになったとか)で危機に気づいてなかったりする場合が多く、そういった子どもに、普通に話しかけても聞かないことも多い。なにかに没頭している子どもを気づかせるために「怒り」をつかうのだ。そうすると、子どもは静止する。
では「怒り」の相手が大人だとどうだろう?正直、子どもが相手よりかは、「怒り」の必要性がそこまでないと思う。なぜなら、相手は話せばわかるし、論理も通じる場合が多い。だから正直「怒り」が必要な場面があまり思い浮かばないことが多いだろう。アンガーマネジメントをしっかり行なうべき状況が多いように感じる。しかし、その怒る状況が思い浮かばないからといって、私は基本的に「怒り」は必要ないと言い切ってしまうのも恐ろしさを感じる。やはり、「怒るべき」ときに適切に怒るべきでなのだ。ある程度の感情表現は必要だと思うからだ。
また、しかしながら、大人であっても相手がやはり「言葉」や「論理」が全くつたわらない人間であって、または、相手を救う状況の「怒り」は存在するように私は思う。例えば、部下が客先でミスを犯したとしよう。それで上司が「なんてことをやったんだ!」みたいな「怒り」を表現したとしよう。そうすると、クライアントが「まぁまぁ、そんな部下もがんばってるんですよ」とフォローをする。そのような茶番だが、でも結果的に、部下を救っている。ただし、このような場合であっても「怒り」でなくても部下を救う手立ては他にもあっただろう。ただ、沢山ある選択肢の中で、「怒り」選んでいることは尊重するべきだ。
あと、「危機的状況」を救うための「怒り」もよくよく考えたら、工事現場のおっちゃんも怒鳴るのが多いように思うのは、おそらく本当にミスったら死に直結することが多いからだろう。論理的になぜ「ダメ」というのを説明して辞めてもらうより、直感的に「ダメなこと」を覚えてもらう、体に覚えこませる方法だ。論理的に考えさせると、手遅れパターンだ。その場合は、「怒り」は有効な手段である。その場合は、なぜダメかよりも、とりあえず、「ダメな行為」を覚えこませるために怒鳴るのだ。工事現場のおっちゃんの偏見が入っているが、しかし、工事現場以外にも、論理的に考えたら作業的に遅れる場合、「怒り」を表わすのは他の職業でもありうるように思うし、その時に優しい口調で諭したらたぶん、作業自体が遅れる場合、も多いにあるだろう。時間というのが大事で遅延に損害が発生るう現代において、こういうことは多いにありうることは想像に難くない。
とまあ、いくつか「怒り」のフォローをしてみた。ただ、始めにもいったが私はそこまで「怒り」を表現することは殆どない。そういう恵まれた状況だからというのもあるだろう。しかしながら、「怒り」という表現を排除するのもなんだか寂しい、ように感じるのである。喜怒哀楽は人間に備わっている表現だ。感情表現のない上司は、ハードボイルドさもあり、クールにも感じる。一方で、熱血な上司もまた、一つの個性をして否定したくないと私は考えているのである。
ヤフコメに書いたのは小室さん眞子さんの結婚や試験関連について。
それで突然コメントが書けなくなった。
■背景
ヤフコメ民にとにかくむかついていた。
まともな批判ならいざ知らず、あいつらは小室さんの容姿、顔の大きさをいじりだしたり、ロイヤルパワーついてたのに無能だとか、そんな男を見抜けなかった眞子はばか女とか、本当にひどい。
書くやつも書くやつだが、いいねする連中も本当に信じられない。
許せなかった。
だからこっちも頭に来てしまって、そんなことしか書けないおまえらヤフコメ民より遥かにあの二人の方がましとか、無能はヤフコメに張り付いてヒスってるおまえらのほうだろ、とか言い返してしまった。
■停止になるまで
まず、5回くらい個別のコメントに上記のようなやりかえすレスを投げてたら、投稿時に警告が出るようになった。
「ガイドライン違反の可能性があるコメントが見受けられます、繰り返すとコメントできなくなります」みたいなやつ。
それでも、その時はまだ投稿できたので気にせず書いていた。
さらに10回くらいやり返しのコメントしてたら、突然書けなくなった。
次やったら書けなくなるよ!みたいな最終警告もなかった。
それで、ヘルプから問い合わせたらサポセンの人に強い口調で、誹謗中傷に当たると判断して停止措置をおこなったと言われた。
「2度と解除しない」
「登録した電話番号で新たにアカウントとったらそのアカウントも停止措置が適用」
ということだった。
重要なのはここで、一度やらかすともう2度と投稿ができなくなるし、同じ電話番号はもう使えない。
やってしまったと思った。
メインの電話番号で登録してたから、もうこの番号は死んでしまった。
結局、おれのやったことはヤフコメ民と同じ穴のむじなだったわけだ。
サポセンの人に泣きついたけど、これ以上は回答しないと突っぱねられた。
まあ、Googleとかは問答無用でアカ凍結して問い合わせもままならないって聞くから、理由を教えてくれるだけまだ良心的なのかな…。
いま冷静になって、アンガーマネジメントができてなかったことに反省してる。
こういう公共の掲示板で罵り合って憎しみの応酬になるのは良くなかった。
■その後
ヤフコメ以外は別に普通に使えるので、まあそのまま続けても良かったんだが、たまたま別に電話番号もあったのでそれで登録しなおした。
次からは、糞なヤフコメ民にやり返すんじゃなくて、そんな中でも小室さん眞子さんを応援するようにしたいと思う。
あと、ヤフコメでバチバチやりたい人はまずアカウントから電話番号は消すかしておいたほうがいいかも?
以上、少しでも周りの参考になればいいと思って書きました。
『Q.なぜルール(だと自分が信じているもの)を守らない人に対して苛立つのか?』
この設問に対して多くの人間はあーだこーだと理由をつけて自分の政治的な正しさと義憤の正当性を主張する。
しかし違うのだ。
この感情を誰もが持っている。
その上でそれに対してのカウンターウェイトである「完璧でなくても意外となんとかなる」を個々人毎に調整しているだけだ。
潔癖症という病はこの「完璧さに対する執着」が肥大化した病だと言われているが、実際には真逆で「完璧でないことに対する許容」の感情が萎縮したことによる病なのである。
完璧でないことに対する苛立ちの感情は誰もが非常に強烈に持っており、生まれつき欠如していても言語などを学習する過程で強力に植え付けられる。
1が2ではなく1+1は2になるということに対して曖昧さの介入を許さないという感覚を持っているからこそ我々は言語や理論を数多く習得し操ることが出来ているのだ。
こういう話をすると「それは『完璧でなければいけない』という脅迫観念であって、ムカツクという感情ではないのでは?」と考えるものもいるだろう。
強迫観念が植え付けられているということは、それに逆らうものに出会った時に精神が不快感を自動的に出力するということであり、不快感を感じれば人はそれを苛立ちの感情として抱え込むことになるのだから。
確かに「完璧でないものを見ると不快感を覚える」と言った方がより正確なのかも知れないが、結果的に出力されたものを「完璧でないものを見ると苛立ちを覚える」であり、それはすなわち「ムカツク」なのである。
これはもう学習されてしまった感情様式であり、人間的な思考や感情を持つための回路に何度も深く刻まれてしまっている。
あとから抜き出そうとすれば全てが崩れ去ってしまい、そのものの言語体系すらも曖昧で本人にさえ理解できないものとなるであろう。
「完璧であることに対する強迫観念」とはすなわち人間を人間たらしめるための器であり、同時にその器を形作る物質そのものが人間にとって毒なのだ。
自分たちの精神や思考を構築する骨組みの中に毒物が混じっていることに対して我々は自覚的になるべきだ。
「完璧でないものはムカツク」という勘定から背を向けてアンガーマネジメントを学ぼうとしても無意味だ。
自分にとって完璧とは言えないものにぶつかった時自動的に苛立ってしまうということを受け入れるしか無いのだ。
つまり、毎度毎度苛立ちに対して精神を抑え込むという面倒臭さを受け入れるほかないのだ。
ここから目を背けたアンガーマネジメントは皆無意味である。
アンガーマネジメントって知ってる?(ニチャァ)