はてなキーワード: かっぱ寿司とは
選挙に行きたいと思ったことがない。なぜならリターンが限りなくゼロに近いから。
自分の投票が選挙結果に影響を与えるのは、複数の候補者の投票数が同数か一票差になったときのみ。それ以外は自分が投票しようがしまいが当選する人間は変わらない。
だから選挙に行かない。コストとリターンを天秤にかけてコストのほうがでかいと判断したから。ただ、それだけ。
少し前にかっぱ寿司が半額キャンペーンをやっていて待ち時間が3時間待ちとかになっていた。そんなに並ぶくらいなら、別の日に並ばずに定価で食べたほうがいいと長時間並ぶ人をバカにする人がたくさんいた。非合理的だと。
ソフトバンクが牛丼一杯無料キャンペーンをやっていたときもそうだ。一杯500円ほどの牛丼のために何時間も並ぶなんて割にあわないと、そういった意見の人たちがネットでは大多数を占めていた。
個人的には、割に合うと思った人間は並べばいいし、割に合わんと思った人間はスルーすればいいと思う。まあ、私が思うとか以前に、ある事柄に対して各々が勝手に合理的かどうか考えて、参加するかしないか判断する自由があるなんて当たり前のことだ。
でも、何故か選挙だとこの当たり前が通用しない。なぜか選挙に行かないことが”良くないこと”になっている。
選挙で自分の一票に価値が発生する確率なんて、宝くじの当選確率のようなものなので、そういう意味では投票の利益はほぼゼロである。一方、かっぱ寿司半額キャンペーンや牛丼無料キャンペーンは何時間も待たされるものの、最終的には半額で食事を得るというメリットを享受できる。
なので、牛丼一杯のために何時間も並ぶなんて割に合わないと思うけど、投票という行為はそれ以上に割に合わない行為だと私は思っている。
こういう「選挙は非合理だから私は行かない」という話が出ると、「みんながあなたと同じように選挙に行かなくなったら、独裁者みたいな人が当選するよ?」という人がでてくる。
そんなことにはならない。だって、合理性で選挙に行くか行かないかを判断する人たちは、コストとリターンを天秤にかけて物事を考えているから。みんなが選挙に行かなくなって、自分の1票が選挙に与える影響が相対的に大きくなれば、逆に選挙に行ったほうがリターンがでかいと判断するのでむしろ選挙に行く。
例えば、クラスで文化祭の出し物を決めるときの投票は、自分の1票の影響がでかいので投票するが、全校生徒1000人が投票する文化祭のテーマ決め投票にはわざわざ参加しない、といった感じ。
世間は気軽に「みんな投票しよう」というが、投票という行為のコストは結構でかい。普段から新聞を読んで、政見放送を見て、各党のマニフェストを比較して。エネルギー政策や経済対策について、専門家でさえ意見が分かれるっていうのに、国の将来にとってどれが最適か?を自分で判断しなきゃならない。めちゃくちゃ時間がかかる。
投票するのにそこまでしなくていいという人もいるかも知れないが、そんな安易な気持ち投票するくらいなら、投票しないほうが国のためになると思う。なんとなくでの投票は国にとってマイナスでしか無い。そういう人がいるから、いつまで立ってもバラマキ政策やタレント政治家がなくならない。そういう人が多いから、選挙ポスターは爽やかな政治家の顔写真ばかりで、具体的な政策は一切書いてない。街宣カーは壊れたファービーみたいに候補者の名前を連呼する
「別に投票してもいいけど、投票しないんなら政治に文句言うなよ」という人もいる。これは、何故そういう論理になるのかよくわからない。
「投票する権利」と「政治に意見する権利」はどちらも国民全員に与えられた権利。「投票する権利」を行使した人限定に「政治に意見する権利」がプレゼントされるなんて、そんなルールはこの国にはない。
投票したい候補者が一人もいないから投票しなかったら、その人はその時点で「政治に意見する権利」をゲットできなくなるのか。それとも、白紙投票すればOKなのか。とりあえず、最もマシだと思える候補者を選べば「政治に意見する権利」を獲得できるのか--。そんなルールは存在しないし、あったほうがより良い政治になるとも思わない。
投票の利益はゼロに近い一方、投票のコストは存在するので合理的行為者は常に棄権するはずだが、実際には選挙に投票する人がいる状態を社会学では無投票のパラドックスとよんでいる。
https://www2.rikkyo.ac.jp/web/murase/paper/95vote.pdf
政治に参加する方法は選挙以外にもたくさんある。かかるコストも様々だ。
自分が政治家になるとか、選挙事務所のボランティアスタッフになるとか、投票はもちろんのこと、政治家の意見をリツイートするだけでも政治に参加できる。
政治家になるのも、選挙事務所のボランティアに参加するのも、投票するのも、意見をツイートするのも、全部やる自由もやらない自由もあるはずだし、各々がそれを判断する自由があるはず。
弟がかっぱ寿司になってたらさすがに笑うんだが。
日本の人たちは対外的にはいい人ばかりだし、ドライバーも容易にクラクションを鳴らさないのがすごい。少なくとも乳母車を押すおばあちゃんを車内から聞こえもしないのに怒鳴ってるドライバーのおっさんなんて日本では見たことがない。市営バスのドライバーでさえ似たようなもんだ。
日本の客商売はお客様精神、消費者保護の精神が染み付いているのがすごい。
日本のコンビニはボッタクリじゃなくてすごい。この国でコンビニなんてもう騙されに行くようなもんだ。値札ないんだよ商品に。正気かよ。消費者を何だと思ってんだ。腹立つのはこの国で展開してるセブンイレブンも同じようにボッタクリ価格なことだ。値札は付いてるけど。
例えばペットボトル飲料。日本では小さいのとデカサイズのがほぼ同じ値段(小さいのがやたら高い)みたいなことがない。これはすごい。大きいやつは高く、小さいやつは安い。多分何かの法律が機能してんだろうね。
日本のレストランはどこもみんな美味しい。ちゃんと味の素を使いこなしてる。どんなに金だしてもランチで2000円超えることはめったに無いのもすごい。
この国ではレストランが糞すぎるせいか、みんな自分で弁当というか昼食える何かを持参するのが当たり前みたいだ。人参やりんごを所構わずまるかじりしてる人を老若男女よく見かける。菓子パンや惣菜パンもない。あるにしてもマズい。
ゼリーもほとんどない。具沢山なゼリーがない。たらみなんてない。て言うかゼリーなんでないのこの国。バカじゃないの。おいしいのに。たらみ来いよこの国に。この国のスーパーにたらみを陳列してくれ。頼むたらみ。お前のゼリーでこの国に分からせてやってくれ。
寿司だってひどい。この国の回転寿司は休日はよく行列してるくらい人気だが10皿も食えば4000円くらいになる。あんなマズいのにだ。一回日本人がやってる高級寿司屋行ったけどサーモンサーモン&サーモンでひどかったよ。それで2万近く取られた。この国最高の寿司屋でもかっぱ寿司よりマズい寿司が出ると思う。
大衆向けの日本食レストランも酷い。昭和テイストが多く、40〜20年前流行ったような曲ばっか流れてる。味噌汁は具無しでスプーンが椀に入った状態で出される。一応日本人の店員がいる事が多いが大体マズい。
やたら大音量の音楽で踊りだす人たちも日本にはいない。この国で俺の騒音に対する許容度はもう菩薩レベルになった。同時に大切なものを失った気がする。
エアコンが無いと生きられない。
友達も作りづらい。
でも、日本には本当にいい面がある。日本が世界で一番いい国だと思う気持ちもよく分かる。
この国だって本当に良い国だ。まだまだずっといたい。でも日本に帰りたい。だから歩いて5分のところに日本があればいいのにと思う。
使った現金は、元金1765円也。
目的が行ったことない飲食店で食べるがテーマだったので、いくつかはリピート確定店を見つけられてよかった。
・磯丸水産
秋葉原ドーミーインホテルの朝食が現在1000円でカニイクラ丼が食せる。
食べに行こうと思ったらgogoキャンペーンが開始、磯丸水産にウニイクラ丼があると知って参上。
いざ注文しようとしたら三色丼?にサーモン、イクラ、サーモンネギトロがあるのでそっちに日和った。
丼もの単品で腹が満腹になることはないが、回転ずしで寿司30貫食べるよりも腹が膨れた。
味も悪くないしコスパが良い。
ドーミーインホテルよりも店舗が多いので海鮮丼を食べたくなったらこちらを優先することにした。
スシローはコク旨マグロ醤油ラーメン330円と練乳イチゴパフェ280円orイチゴにキュンですパフェ330円が食べたい。寿司は別にいい。
思い知っちゃったね。
魚自体は好きなんだけどもっとこう焼き魚とか天ぷらとかのほうが好き。
上司と回転寿司にいったときにえびアボカドとか頼んでると「遠慮せずにトロとか食っていいんだぞ」っていわれるし、
友人と回転寿司いっても「おい しみったれたもんばっか食うなよ」と言われる。
好きで食ってるのに。
回転寿司にいって生魚食わないと許されない雰囲気がある。いや、あった。
だからしばらく回転寿司なんて行かずにスーパーで納豆巻きの寿司パックとかばっか買って家で食べてた。納豆巻おいしいよね。
かっぱ寿司で何を食べるか。
圧倒的サラダ軍艦しかないとおもうんだけど、そればっか食べることはどうも許されないらしい。(調べたところ長野はサラダ軍艦大量消費が認められているらしい、長野に転職すっかなぁ…)
昨日は15時頃まで家で作業に没頭していてつい昼食を取り忘れた。
「晩飯まで待つのはつらいな…」と思いつつ今の時間なら回転寿司がめちゃくちゃ空いているのでは?回転寿司なら食う量を調節できるのでは?と考え、近場のかっぱ寿司にいく。
まぁ結構人が入ってたんだけど、待つこともなく着席できた。
いいのか?いま俺を止めるものは誰もいないぞ?
サラダ軍艦5皿に納豆巻き3皿、わさびナス3皿、えびアボカド1皿をいきなり注文にぶち込んだ。
『早生まれの不利は大人になっても続く』という見出しの記事が最近話題になっていた。
高校入試の偏差値や所得にも影響しているという記事で、統計的に3月と4月で偏差値が約4.5違うというものだった。
6歳になりたて、小学1年生の入学時には身長が109センチ。趣味はスーパーファミコンとドラゴンボールZのビデオ視聴。
好きな食べ物は近所のかっぱ寿司で食べるお寿司。おじいちゃんが大好き。
すでに当時、幼稚園に置いてあったひらがなの書き取りが苦手で、勉強するために行く学校に不安を持っていた。
ひらがなの書き取りより一人でスーファミをするか、読めないゲームの取扱説明書を眺めることのほうが好きだった。
小学校へ入学するにあたって、家で何かドリルをやらされたりということはなかった。3つ下の妹が1人。
小学校1年生の2学期後半、もしかしたら自分はやっぱり勉強が嫌いなのかもしれない。と初めてハッキリ感じた。(当時は苦手、というより自分は勉強が嫌いかも。という感覚だった。)
そう感じたのは1年生が使う「さんすうセット」から卒業した時だった。
今まで視覚的にすうじを追っていたのに急に文字になった途端混乱した。1~5までの数字の計算なら頭の中におはじきを思い浮かべその数を数えた。
5以上が出てくると考えるのもしんどくなり、鉛筆が止まるようになった。隣の席の子を気にしながら指折り数えた。
しかし学校の授業は進む。どんどん進んでいく。そのうち先生がクラス内の学力差に気づき、わからない人が居たら遠慮なく声かけてねと言ってくれるようになったが
職員室は入りづらく、先生も大抵居ない。2度ほど先生からクラスの勉強についていけない子達に声をかけて補習が行われたが、自分から声をかけることはほとんどなかった。
当時にしてみれば、先生は忙しそうに見えたので時間を取らせるのもなんだか悪い。とも思っていた。
そんなことを考えるものだから、授業中にわかりません。と言うことはまず無かった。授業中、自分だけわからないことが怖かった。
体育。一番小さいサイズの体操服を着て走り回り、1年生になって初めての健康診断が行われた後、背の順で並ぶと一番前になり、前へならえでは小学校6年間一番前で手を腰に当ててふんぞり返っていた。
夏のプールでは一番浅瀬で泳ぎ、先生達には常について回っていてもらっていた。
学校行事に「持久走大会」というものがあった。1年生は校庭を3周。
今でも当時の録画を見ているかのように覚えてる。150人ほどいる学年でビリだった。
ビリから2番めからも相当離され、残り半周を学年みんなが、そして親御さん達が全力の声援を送る中。
顔と耳を真っ赤にしながら腕をめちゃくちゃに振って走った。親と仲がいいA君のお母さんなんか名前まで叫んじゃって。
恥ずかしかったし悔しかったし辛かった。達成感はほんのちょっぴりで、もう2度とこんなことしたくないと汗まみれになりながら思った。
得意と言える科目も特になく、ぼんやりと授業を受けるようになった。
もうすでに躓いてわからない科目は聞いているだけだったし、授業の後半に配られたプリントは授業中に解き切ることができず提出しそこね、隠すように机の中に仕舞った。
そのうち授業中に提出できないなら無理やりにでも提出すればいいのでは?と
割り算プリントにデタラメな数字を並べて、クラスの賢い子たちと同じくらいのタイミングで先生に見せにいくも怪訝な顔をされ、突き返された。
考えて答えを割り出すことよりも、提出することに拘った結果だった。
小学5年生の頃には科目すべてが苦手に感じて自分は不出来な人なんだなと自覚していた。
国語は漢字の覚えが悪く、社会科も47都道府県がいつまでも覚えられなくて居残りをした。
音楽も練習したつもりだったリコーダーのドレミの歌はクラスで下から数えた方が早かった順位だったし、美術も風景画や人を描くのはまぁまぁできたつもりだが、立体物はからきし苦手だった。
4年生から始めたスイミングスクールの甲斐あって、高学年になったら持久走はなんとかビリから抜け出した。
中学はもうすでに小学校の時点でついていけなくなった学習状況に拍車がかかり、赤点スレスレか、がっつり赤点を取るかだった。
中学には水泳部に所属したが、3年生にもなると後輩にどんどんタイムを抜かされ、結局水泳部の中で一番遅い状態にもなった。
(書くか悩んだが案外いろんな所でやっているようなので)
中学の運動会が自分の生まれた月によって割り振られる、「春夏秋冬組み分け運動会」だった。
1年生の時に割り振られ、中学生活3年間自分は春組として運動会を迎える。
夏組・春組が強く、冬組はここ数年4位から脱却せずにいた。秋組に至っては万年3位だった。
毎年夏組と春組が接戦を繰り返し、最終的に毎年夏組が優勝をさらっていく。
夏組に割り振られた6月生まれはガッツポーズをして喜び、その学年の生まれの割合から冬組に割り振られた10月生まれは先生に詰め寄り、春組に割り振られた人たち同士で3月生まれか4月生まれかの確認しあいっこが始まる。
秋組に割り振られた人たちは特段リアクションは薄かった。
秋組以外は今年こそ妥当夏組・秋組を狙い奮闘し、夏組は連続首位を逃すまいと躍起になっていた。
運動会を開催してみると、やはり夏組が優勝し、春組が悔し涙の2位。涼しい顔で3位を秋組が握り、終わるころにはあきらめムードの冬組がうなだれていた。
中学1年生の運動会を終えて初めて、早生まれや冬組が体力的に劣っていると体感した。
ぼんやりしがちな性格のせいで単に学習についていけないだけかと思っていたが、なるほど、早生まれはこうして遅生まれ、夏生まれとの差ができるのか。と納得したシーンだった。
今から5年前の運動会、実に30年ぶりくらいに冬組が優勝したと聞いたときはもう知っている後輩も居ないようなこの年の運動会の結果を喜んだ。
きっと当時の学生たちはそれはもう喜んだことだと思う(最下位になってしまった秋組には来年がんばれ、と手を合わせた。)
高校は公立高校へ行ったが、やはり勉強についていけなかったのと家計を助けるためアルバイトしつつ、通信制の高校でマイペースにプリントを進め、コツコツとDTPデザインの勉強をした。
高校生にもなるとインターネットはかなり身近になり、勉強がすごく苦手というと、家庭教師を志望しているネットの友人が声をかけて勉強をSkypeしながら見てくれたりと、本当にちょっとづつ勉強を再開したりした。
通信制の高校へ通いだしてからはかなりストレスなく勉強できるようになり、自分の進行度で確実に学ぶことができたのが嬉しかった。
正直今でも変わらないが、答えを導き出すために考えるということがすでに苦手で放棄するようになってしまったのが今となってはもったいないなと思う。
もちろん、小学生当時の私に考え続けるという根性がなかったことも問題の一つだったのかもしれないが、早生まれがどうして不利を背負い続けてしまうのかという話に関しては
適切な学習環境が必要なのではないか、と当事者の自分は思った。
ちなみに、小学校1年、2年生を担当してくれた先生は自分と同じ誕生日の美しい先生だった。
聡明で明るく、朗らかな先生が大好きだったし幼いながらも尊敬していた。