はてなキーワード: いかすとは
QSでTop100くらいの大学。研究主体でなく授業主体の課程。来る前はこっちで就職できたらいいなと思っていたけど、今は自分には無理だという気持ちが心の大部分を占めている。
自分だけがここに居てはいけないかのような、教室に資格無く盗み入ってしまったかのような、そんな感覚になってしまっている。
「誰も私に触らないでくれ!」「誰か私を助けてくれ!」「ここからつれ出してくれ!」と思いつつ「ここに居させてくれ!」と思っている。痛いし怖い。
アイスクリーム屋さんに誘われたけど怖くて行けないし、5分テーブルで話して!と言われたときには自分に話が振られることが怖くて置物になっている。
分かっている。これが、英語が苦手だからと日本人コミュニティにばかり入り浸っていたツケだということは。
学部生の後輩のほうがよっぽど現地の同級生と話をしているし、友人ができている。
英語を勉強しに来たんじゃなくてこの専攻を勉強しに来たんだからそこまでコンプレックスを感じなくていいんだと開き直ろうとしているが、英語がわからないのであまりに学びが浅く、それも苦しい。
どうしたらこの状況を脱せられるかわからないし、誰に助けを求めればいいかすらわからない。
......いや、本当はわかっている。きっとわからないふりをしているんだ。
できないことと向き合うのが怖いし、やってできないと知ることはもっと怖い。
マジレスするが、こういう行為に名前をつけるとしたらハエたたきだ。
お前から見たら不誠実に見えるのかもしれないが、こちらとしては全く正当な行為なので反省するつもりもない。
君の言い分は人間以下の虫ケラの言い分だ。
今の過剰人権時代は虫けらにも仮初めの人権を与える余裕があるからそれで通るかもしれないけど残念ながら日本はもうすぐそんなこと言ってる余裕なくなる。
そもそも今だってよくよく観察してみたら弱者として扱ってもらえてるのは老人と障害者と病人と強者女性だけだ。
ガチの弱者を本当に助けるつもりなんて誰もない。そろそろ知恵つけたほうがいいぞ。
お前の何が一番ためかって言うと、好意か武力の二択しかないと思い込んでるのがだめ。自分にどんだけ魅力があると思ってんのか知らんが、他人にとってのメリットをまるで考慮してない。
交渉でも借り入れでもいいんだけどなんかメリット提示しろ。問題を叫ぶだけ叫んでどうしてほしいかすら自分で言わない察してちゃんは無視されて当然なんだよ。不誠実な対応をされるのはお前が相手をなめてるからだ。
そういうのに同調するのはお前の言ってることには興味ないがお前を殴り棒として便利に使いたいやつと頭が弱くいお前みたいなやつをオルグしたい活動家だけだ。
賭けてもいいがいまTwitterにとって都合のいい人権ごっこしてる連中は5年後にはお前らみたいなやつを黙らせる方に舵を切る。
さすがにアンチフェミとか白饅頭やら知念実希人みたいな人の言うことをrtしたりいいねしてる人が父親やってるのはもう怖いと思う。
娘を育てていてさすがにこの子がこんな社会に生きていかざるを得ないことに申し訳無さしかない。
たわわみたいな欲望丸出し漫画を広告に使うのさすがにだめでしょっていうだけでキレる男たち見て、(俺ですらいかんでしょって思う)あ〜社会に出てこの子が女性として意見言うたびにこういう態度取られ続けるんだな、と思った。
茶化されるかバカにされて終わり。倫理観のない親に育てられてその価値観を内面化した名誉男性のための英才教育を受けている多くの女児たちがいるんだろうな。自分が娘に対してそういうことしてないか、言ってないかすごく怖い。
電車乗れば痴漢、痴漢を捕まえればセカンドレイプ、安全のために男を警戒すればキレられ、何もしなければ自己責任、まともに相手にしないけど父親とか男が横に立った瞬間に態度を変える店員
申し訳ないな
例えばニュースに絡んで地政学が話題になるが、学問っぽい字面のくせに希望的思考を排除出来てない。
本もネットも調べれば、それっぽい理由が並べられる、複数人が言い出せば正解になる。
数日だったらいいが数年単位でグーグルでもYouTubeで同じ事しか出てこない状況だと、普通の人は正解だと信じるだろう。
ネットでわからないことがあっても質問して解決することはない。
わからないから調べた上げく、それっぽくわかりやすく説明するのに納得することになる。
わかりやすい疑似科学だとネタと判断できる人がまだ多数派だろうが、グラフをいくつか説明すると信じる人が多いだろう。
要約
小説を読むのは好きだ。私は小説を読む時、主人公に感情移入して読んでいる。そして、本を読み終わった後も本の中の主人公の思考から抜け出せない。そのため読了後、本の中の憧れの世界と、自分のどうしようもない生活との落差に驚かされて憂鬱になってしまう。皆さんはこの落差と、思うようにならないことも多い現実に、どう向き合っているのだろう?
要約終わり
小説を読むのが、苦手というか、嫌いになった。
小学生の頃は、学校図書館にある本とか地域の図書館の本をかなり読んだ。
中学生の頃は、学校図書館の本だけでは飽き足らず、友達からラノベを中心に本を借りて読んだ。
高校の頃は、「国語の勉強」と言い訳して読書と受験勉強を1対1ぐらいでしていた。
登場人物の気持ちに思いっきり感情移入して話を読み進めるのにはワクワクする。
とっても綺麗な情景描写を見つけたときは、まるで自分が本当に綺麗な景色を見てるみたいでとっても感動する。
悲しい話だったら心が締め付けられるし、いい話だったら心がぽかぽかする。
ハッピーエンドで本が終わった時には、感動して涙が出そうになる。
でも、小説を読み終わった後が嫌いだ。
頭の中は小説の世界でいっぱいで、私は主人公になったみたいに心が揺れ動いている。
でも現実はそうじゃない。
友達と遊ぼうにも、あまりにも突然すぎて誰も乗ってくれないと思う。
頭がぐらぐらする。
本の中と現実が違いすぎて、その落差に頭がついていけない。
本の中では、楽しいことと、辛いことがバランスよく混ぜ合わされて出てくる。
主人公の行動が、周りに影響を及ぼしている。
高校生が主人公の小説なら、雨の日の通学が面倒な様子とか、あんまり書かれていない。
友達と何を話していいか分からずに悶々とする様子とか、あんまり書かれていない。
自分のいないところで友達が楽しそうに遊んでる様子とか、あんまり書かれていない。
現実はそうじゃない。
楽しいことも辛いこともある。
でもそれと同じぐらい、面倒なこともあるし、どうしようもないこともある。
本と違って現実は決して都合のいいところで終わらない。
いつまでも終わりが見えない道が続いてく。
本を読み終えると、まず現実との以外に驚く。
そして、もっとこうしていたらと自分の今までの生活を責めてしまう。
後悔というよりは、諦めだ。
どうしようもない。分かってる。
でも現実は本の中と違って退屈だし、私は本の中の主人公と違い、空虚な人間だ。
小学生の男女の幼馴染が、お互いの家庭環境の悩みを共有しつつ成長していく話だ。
男の子は近所に引っ越してきたみなしごとの関わり方に悩み、女の子はお母さんの再婚相手とそのことどう関わっていけばよいか悩んでいる。
物語が進むにつれだんだんとお互いに秘密を共有しだし、仲が深まってきた中で、突然に女の子の引っ越しが決まり、卒業式を迎える。
「きれいな景色を見ていると、いろんなこと、もう、どうでも良くなっちゃうね。」
本当にそうだと思う。きれいな景色を見たり、きれいな本を読んでいると、いろんなことがどうでも良くなってしまう。
「そうだといい。でも、きっとそうではない。どうにもならないことって、ある。けっこうたくさんある。」
この本を読みながら、私は小学校の頃を思い出した。
でも、私は幼馴染になるほど人と関わる努力をしていなかった。
本の中と違って、現実はどうにもならない。
どう受け入れていけばいいのだろう。どう向き合っていけばいいのだろう。
私は本の中から、その答えを読み取れなかった。
好きな歌のワンフレーズなんだけど、日本語として違和感あるかないかすげえ微妙なライン
でも、「今から私が踊りますので、皆さんは鏡みたいに動いてくださいね〜」って言われて、ヨッシャー鏡みたいに不動を貫くぞ!とはならないし、普通に考えてまあ鏡に写った像のように動くだろう
鏡のように手を伸ばす、って言ったら、そりゃもう、こっちが手を伸ばすのと同じように手を伸ばし返すってことに決まっている
鏡のもつ物理的なプロパティ(かたい、動かない、冷たい等)を真似ながら手を伸ばしてほしいって意味なわけがない
鏡像だったらなんの文句もないんだけど、鏡だとなあ!鏡は鏡だもんなあ!
鏡は鏡、世界で一番美しいのは鏡、だもんなあ!
るしあってそんなタマなん? 恋のから騒ぎに出てたようなやつで、その後も顔自信ネキで何度も顔出し、今の彼とも昔から匂わせ頻発してきたような曲者やぞ
億り人から一瞬で無職な上にまふまふにはフラれたし凶悪なアンチに一生粘着されること確定してるし明日からどういきていいかすらわからん状態
今まで炎上系で生きてきたわけでもなくむしろチヤホヤされることで自尊心満たしてきたタイプだから打たれ強くもない
ずっと見てて不思議だなあと思ってたんですよ。
「サイゼリヤなんてありえない!」とかいう話だけども、ありえないんだったら、男に「サイゼリヤ行こう!」って言われたときに「デートでサイゼリヤなんてありえないから他の店に行こう!」って言えばいいだけなんだよね。
そういう自己主張、自己表現すらしないで男に言われるがままについていくってあまりにも幼稚で子供というか、察してちゃんというか、自立してないというか、自我がないというか、ほんと呆れてしまいます。
サイゼリヤ批判してる女たちってむしろ「私は自立してます、できる女です」みたいなフェミニストさんたちなわけでしょう?
それなのに男に言われるがままにサイゼリヤで食事して後から文句言うような人たちなわけ?
なんかその辺よくわかんないのよね。
男に「サイゼリヤ行こう!」って言われたときに、自分の意見を言うだけでいいわけよ。
「デートでサイゼリヤなんてありえないから他の店に行こう。たとえばここの店とかどう?」ってさ。
それが普通の会話というか他人とのコミュニケーションってもんでしょう。
それすらできないって謎なんですが。
これって自分の意思がない女ってことですよね。少なくとも自分の意見を言うことができない女ってわけ。
こんな連中が「私フェミニストです、意識高いです、オタク死ね」みたいなこと言ってるのって不思議だなあと思うわけ。
食事でどこに行きたいかすら自分の意見言えないような人が本当にインテリなんですかね?
周りに流されて生きてるだけの愚鈍な女にしか思えないんですが。
人と人とのやりとりって双方向のコミュニケーションなんですよ。
不満があるなら相手に伝えてみればいい。
それで相手が折れてくれて自分の望み通りに動いてくれるようになるかもしれない。
あるいは全部自分の通りにしてくれなくてもある程度折れてくれるかもしれない。
相手がこうしてきた、でも自分はこうする、すると相手はそれに対してどうする、と。
最初から自分の都合のいいように動いてくれないなんてヤダヤダヤダってただの子供ですよ。
ただの子供なのに自己評価では自分は自立してる賢い女ってわけなのよね。
なんなんこれ。
自分の意思や意見を相手に伝えることもできない人間が何で偉そうにしているの?
文句も言わずに相手に従ってついていって、あとからわーわー文句言ってる。
こんなのただの子供ですよ。
もっと主体的に生きた方がいいよ。自分の意思を持とう。自分の意見を持とう。自分で立とう。
彼女たちの自己認識では「自分は自立してる強い女、賢い女」ってことになっているのに、行動パターンが幼稚な察してちゃんでしかない。
自分は責任取らないけど、世の中の男は悪だから自動的に自分の思う通りにならないのは全部男が悪いってわけ。
ちゃんとフェミニズムを学んだら、男に気後れなんかせずに自分の意見をはっきり伝えると思うんですが。
自分の意見をはっきり伝えていたら、女性側がデートでサイゼリヤに行きたくないにも関わらずサイゼリヤで食事してしまうなんて悲劇は起こらないのに。
この問題ってほんと単純で、サイゼリヤに入る前に女がいやだって言えばいいだけなんですよ。
なんでそれすらできないの?
甘えん坊でビビリな子
1歳上の兄猫のお乳をよく吸ってて一時期は兄猫のおっぱいが吸われすぎてハゲてた
いつも通り過ごしてた夕方頃に呼吸がなんだかおかしいぞ?と病院に連れてったら肥大心筋症だって
調べると予後が悪いとか早めに発覚すれば薬でコントロールできるとか人によってマチマチ
最初は楽観的に考えてて、病院で見てもらって薬をあげてたら大丈夫でしょって思ってたら一気に3ヶ月で病状が進行
肺水腫と胸水を治すための利尿剤で腎臓悪くして最後の方はご飯も食べずひたすらちゅーるあげてた
たまにすれ違う人で嗅いだことあるような臭いだったから人間も腎臓悪くすると臭いがキツくなるんだろうか?
いつもと違う鳴き方をするから酸素室を覗くと、急に呼吸と心臓がすごく早くなってぐったりしたと思ったら咳をして動かなくなった
亡くなる時に咳をするみたいなことが書いてあるサイトがあったからあぁこれかとすごく冷静だった
正直苦しむ時間が長くなるなら安楽死の方がとも考えてたけどいざ決断するやっぱり無理
結果的に家で看取れたし、兄猫も家族も最期は一緒にいられて安楽死を選ばなくて良かった
あの時ああすればよかったとか後悔することはたくさんあるけど、出来ることは全部やったから良い最期を送ることが出来たんじゃないかとは思う
来世では丈夫な体に生まれていっぱい飯食ってくれ
うわつまんね…
主人公の本郷沙織は今まで5作の小説を出したらしい。まだ26で5作も出版させてもらえたのはすごいことだ。自室らしき場所も大きなソファのある広い部屋で(実家が太いか副業で儲けてるのでなければ)印税収入の多さを伺わせる。不満轟々の濡れ場シーン込みでこれだけ売れるなら他のところに大きな強みがあるはずだ。
それなのに本郷とその小説がちっともすごく見えない。小説はすごいかすごくないか以前にどんなものか全くわからない。純文学かエンタメか、現代ものか歴史ものかファンタジーかSFか、客層はどこか、推理ものか職業ものか……そしてなによりその強みが1mmも出てこない。本郷自身も編集も同窓生たちも揃いも揃って不出来な恋愛描写についてしか語らないからだ。
本郷は恋愛描写以外のシーン、読者から高評価を受けてるシーンへの情熱をひとかけらも見せない。
同窓生は面白い部分への感想も言わずにいきなり「でもさ、初々しいよね」をぶち込むなかなか無礼な人。
そして肝心の編集。編集は最初の読者として作家を客観的に評価し強みを生かし弱みをカバーするのが仕事なのに、こいつは本郷の真面目な相談に「処女乙とか書かれてたんでしょ」「無理っすよ」と素人でも言えるような煽りから入る無能。本郷先生の強みはこれこれだから恋愛小説よりもそれを生かせるようなジャンルにしましょうとか、濡れ場描写に得意分野を組み合わせて独自性を出しましょうとか、そういうことを言うのが仕事だろう。仕事だろう。
仕事だよ。何もったいぶって無駄に溜めて溜めて、本郷が追い詰められてからようやく青筋立てて叫んでるんだよ。それぞれの作家に合った提案をするのは編集の基本業務だろ。最初から普通にやれ。
無能がついにちょっと仕事をしただけのシーンで何を感動すればいいんだ?
この物語は「普通という王冠」からの脱却を描いているようだが、作家ともあろうものがナイーブに普通を目指すのか。小説家は個性的なものだと思われてるけど実は私には普通の生活への憧れがあって云々、とかそういうセリフも挟まれていない。
それでも本郷がそういう人間なのはまあわかる。現実にもそこそこいるかも。しかし編集さあ…「普通の恋愛小説は書けない」って恋愛小説舐めすぎ。世の中で百花繚乱に咲き誇る恋愛小説たちを雑に普通で括るなよアホか。