はてなキーワード: ブラックとは
書き直してあげると
とかじゃね?
これなら意味不明な点が無い。
ホルモンバランス崩れて体も精神もめちゃくちゃになるし、一年間はまともに眠れる夜が一晩もないし
その中で自分の体調維持と数時間放置したら即死ぬ生き物の世話と同居人の生活管理を同時にせにゃならん
専業主婦にはその後介護と言う育児以上の超絶ブラック労働も待っているからなあ。
子供を産まない専業主夫でも、育児と介護を全て一人で行うというのであれば十分「並みの男の労働」と同等の働きはしていると思う。
ノートン先生の延長のために思い立ってVプリカというものを作ってみた。ネット決済専用のプリペイド式クレカみたいなもん。
そしたら「シマンテックストアでは使えません」って出て涙目wwwwwwしょーがねーからコンビニ払いで延長そのものはしたんだが
さてどうするこのチャージした金額。貴重な食費削って入れたのに…
で、ふと思って好物の「トップバリュきつねうどん」をググってみたらあるじゃないですかイオンストア。あー、通販もやってんのね。
早速2ケース注文したったwwwwこれで元取ったは。色々捗るとはこのことかいwwww
(訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)
村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。
ところがその目論見は外れることになる。
期待していたのは、バルセロナやパリやベルリンのような街だった。
そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ、劇場、文学、シットコム、フィルム・ノワール、オペラ、ロックといった、
西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタンな世界都市を私は期待していた。
誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。
実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。
そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。
アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、
私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。
最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、
どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。
私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。
そして蜂の巣状のガラス製ピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき、
ついにユキという村上のアシスタントに見つけてもらうことができた。
あまりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。
実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。
そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。
村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初の記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなたの最初の記憶はなにかと尋ねる。
それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。
彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。
流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル。
そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。
「明確に覚えている」と彼は言う。
「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」
村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。
その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶は自分の中にある、と感じた。
ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。
村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分の記憶を写し込んでいたのだ。
村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中、
週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。
その結果、電力、公衆衛生、メディア、政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。
大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。
この本はアジアで数百万部を売り上げ、
まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。
62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学の最高峰としての地位を確かなものにしている。
疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界の大使となった。
そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。
アメリカによる戦後占領を受けた1949年の京都、日本の前首都である。
「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。
「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。
「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。
彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、
そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である。
彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説とジャズに没頭して十代を過ごした。
二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブを東京で開いた。
掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、
作家としての村上のキャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。
どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生を根底から変えてしまう。
29歳の村上は地元の野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴ・ヒルトンというアメリカ人助っ人バッターが二塁打を打つのを見ていた。
平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上は天啓に打たれた。
そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。
そして彼は書いた。
数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。
それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。
アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。
わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。
『名犬ラッシー』、『ミッキーマウス・クラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲、フランスの映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディラン、マーヴィン・ゲイ、エルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストック、サム・ペキンパー、ピーター・ポール&マリー。
以上はごく一部に過ぎない。
そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本の芸術の引用がまったくない。
村上作品のこうした傾向は日本の批評家をしばしば苛立たせている。
そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆に時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。
「時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。
30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。
すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。
彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。
そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。
「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」
そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。
30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンル(SF、ファンタジー、リアリズム、ハードボイルド)と様々な文化(日本、アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。
どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。
そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。
彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。
なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。
とはいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。
特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。
安全な言葉遣いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。
私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。
数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。
彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロン掛けが好きだという)。
靴は履いていない。
彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップでブラックコーヒーを飲んだ。
その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からのお気に入りの小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。
話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。
その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。
「大きいな」と村上は言った。
「電話帳みたいだ」
http://anond.hatelabo.jp/20120111210752
簡単には、這い上がれない。
契約社員でも、派遣でもいいから、上場企業なり有名企業なりで、安定した所で働いた方が、勉強になって良かったなぁ。
社会について、学べた気がする。
世の中の動き、みたいなものが分かった気がする。
二部上場とただのブラックというか、中小企業だと、雲泥の差だなぁ。
ベンチャーをありがたがる必要も無い。
まずはウチの会社がどんな会社かを文章がヘタだから箇条書きで。
【時間編】
・5分で終る打ち合わせを30分〜1時間もやる。
・MTGや打ち合わせの時間を守ったことがない。顧客も平気で待たす。
・納期を守ったことがない。社内納期なんか余裕で一週間くらい遅らす。
【業務編】
・契約書を作らない。それでこの間「話が違うじゃないですか!!」って怒ってた。
・コントロールが効かないクライアントは、「俺あの会社きらいだから今度からお前担当な!」
・夜中まで残ってるスタッフに「あ〜それクソみたいな案件だから手抜いていいから。」
【福利厚生編】
・打ち合わせにいっても交通費がでない。
・給与明細をくれない。
・ボーナス?なにそれ??
・有給?なにそれ??
・給与アップ?なにそれ?
みんなは、この会社のことを「ブラックじゃね?」っていうけど僕は、こんな外から見て最悪な状況でもこの会社やスタッフが好きでなおかつ案件は刺激的で満足してた。
「俺達は、プロなんだからもっと意識もとうよ。いまからプロの条件を話ます。」
っといっていきなりプロの条件を話だした。僕等は、まったくその条件にあてはまってない。
世間一般の「普通のプロ」を社長は、求めていたのか〜っと思った。
それならまずあなたから治さないとこの会社では、「普通のプロ」は、育ちませんよ。
僕は、その瞬間にあんなに好きだった社長に急に魅力がなくなりただの屁理屈言うおじさんに見えた。
前は、ガンガン切り込んでバカやっていたのにいまは、芸能事務所や大企業と取引できるようになったことを自慢し、あげく蓋をあけてみたらへんなブローカーに振り回されてあげく入金されなかったり・・・。
ごめん。本当はずっと前に気付いてたんだ社長に魅力がなくなっていたのは・・・
「普通」ではない僕らをまとめて「普通」ではない仕事をさせてくれた・・・
でもあなたが仕事をしなくなって業績が悪くなってそれで急に僕らに「普通のプロ」になってくれって・・・・
この会社をやめようと決心した瞬間。
世の中とんでもないキチガイというのはいるもので、そういう人間というものはたいてい社会不適格な人生を歩んでおり、大学には通えず、中卒、高卒であることが多い。
中卒、高卒を雇わないというのは勉強ができるできないではなく、キチガイを寄せ付けないという意味において絶大なフィルターである。
ただし、このフィルターでは、健常者でありながらキチガイじみた行いも軽くこなせるような人材は間引けない。使いようによっては功を奏するときもあるので、これはまあしかたない。
世の中とんでもないDQNというのはいるもので、そういう人間というものはたいてい親もとんでもないDQNであり、大学には通えず、中卒、高卒であることが多い。
中卒、高卒を雇わないというのは勉強ができるできないではなく、DQNを寄せ付けないという意味において絶大なフィルターである。
ただし、このフィルターでは、いい環境にいながらDQNな人間を間引くことはできない。が、コネクションなど使いようによっては功を奏するときもあるので、これはまあしかたない。
世の中とんでもないブラック企業というのはあるもので、そういう企業というものはたいてい底辺の人間が集まっており、大学には通えず、中卒、高卒であることが多い。
中卒、高卒を雇わないというのは勉強ができるできないではなく、企業のホワイトぶりをアピールするという意味において絶大なフィルターである。
ただし、このフィルターでは、ブラック大企業は間引けない。運悪く入ってしまっても経験は生きるので、これはまあしかたない。
というわけで、学歴フィルターというのはいい生活を送る上では不可欠な要素なのである。みんなも素晴らしい人生を送るために、いい大学に入っていい企業に入りましょう。(起業しろとかいうバカは頭を冷やすように)
職員をどれだけブラック労働させても結局予算が足りてないってのは、つまるところ(外郭団体を含む)組織体系そのものが肥大化しているということ。
予算が足りないことと組織の大きさが適切かは全く別問題だと思うが
政府の規模が小さくて人手・予算が足りないからブラック化してる可能性もあるわけで
職員をどれだけブラック労働させても結局予算が足りてないってのは、つまるところ(外郭団体を含む)組織体系そのものが肥大化しているということ。職員個々人の労働を過酷化する余地はもうあまりないけど、組織そのものをスリム化する余地はまだまだ山ほどあるよ
むしろ今まで景気が良かったから何とかなってただけでしょ
大阪の財政問題は根本的に「さぼっている職員の人件費」が支配的問題ではないので、そこを槍玉に挙げて制度的欠陥(職員をどれだけ働かせても役人に与えている仕事そのものが不毛)を放置してきたのがむしろ今までの流れ。
そりゃそうだよね、その制度的欠陥を作ってきたのは(当時の)与党政治家であり、正そうと思ったら自分たちが作ってきた制度を欠陥品だと認める必要があるわけだから、結局適当に別の悪そうな奴を槍玉に挙げて誤魔化すしかない。
まあ、おかげで職員待遇の問題は劇的に「改善」してきている。中堅以下の職員の待遇は同程度の学歴なら民間以下になっているし、若手職員はブラック企業並とすら言われるほどに切り下げられた。
で、大阪の問題は解決しているかい?全然解決してないよ。当たり前だよね。大阪の財政問題に占める人件費問題は全体から見ると些末な問題でしかないんだから。制度は悪くないまださぼってる奴がいるから駄目なんだ、と言い張って続けるとしてどこまでやるんだい?職員全員がブラック待遇になったらやっと制度改革に着手するのかい?しないだろうね。
正社員になりたくない
長時間労働をしたくない。
以前正社員で休日月5日、一日13時間労働をして精神をぶっこわした所為で、長時間労働が怖くてたまらない。
ふと思い立って仕事を探してみるものの、元々ブラックにしか受からなかった無能な私だ。希望に適った職なんて見つからない。
資格なんて持ってない。折角4年間も大学に行ったのに、結構必死に通っていたのに、大学は私に仕事に繋がる何かはもたらしてくれなかった。
どうして私はあの大学に行ったのだろう。
親に薦められて、親が安心だからという理由と、Fラン故に、受験勉強をしなくていいという楽さに釣られたのだ。
あの時楽をしたつけが、今回ってきたのかもしれない。
ハロワに行くのも怖い。
求人を眺めていると泣きたくなってくる。
条件にはもれなく資格が書かれていて、何も持っていない自分は間違いなく役に立たない人間で、誰にも必要とされていない。
私のやりたい事は私には向かない事で、できない事だ。
そう思っても、人は正社員の方がいいと言うし、自分でもフリーターは良くないという考えに囚われる事があって、度々将来への不安が頭をもたげる。
フリーターでも将来安泰だったらいいのに。
生活にも困ってないのに。
当たり前ですが、勤労意識というのは
「しっかりしろーー、覚悟が足らんーーー、働こうとしないお前が悪いーー」
であがるものではありません。
経済の売り買いというのは、基本的に「これをしたことで、儲かるだろう、状況が良くなるだろう」という「期待」によって支えられています。
端的に言えば、近年の日本で女性は、労働して、報われるという経験を得ていないのです。
景気が良いときでさえ、男性に比べて大して報われていない経験を、日本の女性は体験し、学習しているわけです。スウェーデン等とは違い。
これをすれば、よりよい結果が得られるという学習に基づいて、行動は発生します。
不景気で職がない男性に「ニートなのはお前の心がけが悪い。おまえ自身の問題だ」と言ったところで、なにも解決しません。
そもそも職がない、あっても搾取されきったブラックなものしかないのが根本の原因で、ニート化している人は、それをたっぷりと学習してきたからです。
そもそも「○○自身の心の問題」で社会現象を解決できたためしはまずありません。
構造やシステムを変えて、初めて人々の心の方がついてくるのです。
教育勅諭で心意気を学び、「ほしがりません勝つまでは」と唱えて育った人々が戦争に負け、飢えで今とは比べ物にならないほどの強盗・殺人に走っていました。
「○○の心構えが悪い」は、社会問題の原因ではなく結果です。
国の経済状況で心が変化するのは、日本人女性に限らず、全ての人間に当てはまることです。
であるがゆえに、まずはシステムを変えて、状況を変えていかないと、と考えているわけです。
勤労することで報われる学習を社会の女性全体が体感すれば、勤労意欲はそこで初めて発生するからです。
というか、DNAで勤労意欲の変化が起こるわけでもないのに、スウェーデン人と日本人との間で勤労意欲に差があるということは、後天的学習した内容に差があるのはほぼ間違いないでしょう。
それを、社会変化のせいで勤労意欲が下がるのはおかしいといわれても、どうなんだと。
むしろ、社会的に積み重ねてきた歴史が違うもの同士比べたから、結果が違うのであって、社会的にまねるべき部分はむしろ大いにあることの証左だと思います。
が、それが危険だといわれると、もう「女性の心意気が悪いんだ」という何の解決にもならない話にしかたどり着かないと思いのですが。
pixivとかでヘテロ男向けエロは堂々とご開帳するのがOKでも腐女子コンテンツはランキングに出てこないようにしろとか主張するのいたし。
あれは酷かったよなあ。
pixivユーザなんか99%二次オタで、外部から見りゃ丸ごと「キモいオタク」なのに、
「萌え萌え美少女はキモくない。正義。でもBLはキモい。二次イケメンもキモい。悪。」っつー連中がわんさか沸いてた。
萌え萌え美少女作品も、公式から許可されてない二次創作だったらブラックに近いグレーなんだって知ってます?
って言ってまわりたくなったよ。