はてなキーワード: 独り相撲とは
人気が出る漫画には必ず理由があると思っているので、『怪獣8号』という作品が売れること自体が意味不明と言っているわけじゃない。
実際、この漫画に関する評価の理由として、推測できるところもいくつかある。ただ、はてなブックマークでも特に人気っぽいのが「?」という感じだ。はてブの層とは作品の趣味が近いと勝手に思っていた(世間一般として高評価であるのが、はてブの一定層にも普通に響いている、という可能性もあるが、個人的な印象では、はてなブックマークでとりわけ高く評価されているように見える)。
悪口ばっかり書くことになって申し訳ないが、別に俺個人の主観なので勢いで言ってしまうと、俺はまず、自分に与えられた力に対する主人公の姿勢が気に入らねえな、と思った(ただ、第1話と最近の話を読んだだけなので、その間で描かれたメッセージや機微をごっそり取りこぼしているのかもしれない。その点で、この文章はそもそも、批評としてのテイをなさない)。
何かのきっかけで、世間的に忌避されている強大な力を手に入れる主人公、というテーマは色んな作品で描かれていて(『デビルマン』『進撃の巨人』『東京喰種』)、俺は、こうした作品は、これまで自分が属してきた価値観の相対化、もしくは破壊へと、展開していかざるを得ないと思っている。
別に、必ずそうする決まりがあるわけないのだが、巨大な力が、しかも敵側からもたらされるという体験の前に、個人の人格や理念がそれまでのかたちを保っていられるわけがないと思っているので、どんな作品も必然的に既存の善し悪しの崩壊ありき、これを通過せざるを得ず、そこから何を描くが各々の見せ所だと考えている。
『怪獣8号』における力は、どうも、単にニュートラルに強大な決定力という感じで、怪獣を処理する側が怪獣になってしまったというジレンマも当然ゼロではないんだろうけど、どうもそんなに要点が置かれて描かれていないように見える。俺はそういう話だったら興味ないのだが、はてブでは人気っぽいので、くどいがちょっと驚いている。
少年漫画としては珍しいな、と思ったけど、「少年」漫画といいつつ読者層はなんだか高齢化しているっぽいので(鬼滅でいくらか下がったんでしょうか)、その辺も時勢的にあざといというか、「おっさんが活躍してる話だったらそんな餌に食いつかないで青年誌読むぜ」と誰にも得のない反発を覚えてしまい、はてなブックマークのみんなもそうだろ? と思って後ろを振り向いたら誰もいないという、なんだよ、みんな普通にああいうの好きなのかよ、という。まあこれは俺の独り相撲でしかないんだけども。
作品で何を描こうが自由だし、売れそうな要素やメッセージを盛り込んで話を作るなんてのは当然のことだ。繰り返しになるが、人気が出る漫画には必ず理由があると思っていて、俺の推測が当たっているにせよ外れているにせよ(全話読んでもいないけれども)、売れる作品はちゃんと読者の何かしらの需要を打ち抜いたのだから、何の問題もない。
ただ単純に、はてブには俺と同じへそ曲がりが多いと思っていたから、「与えられた力のせいで人生が決定的に狂うわけでもなく何となくどうにかなっていて、俺らおっさんむけに狙い澄まされたみたいな内容を荒川弘の絵で描かれておもしれえか?」と思って無視していたらけっこうみんな読んでいるので、なんとなく居心地が悪い。
何が言いたいかというと、「お前は大きな思い違いをしているし、そもそも全話読んでいないのでは話にならないから、今から買って読め」というならそう言ってほしい。面白い漫画が好きなので、食わず嫌いで(ひと口はかじったけど)損しているなら、いまからちゃんと読もうと思う。
スターウォーズ:パパが大悪党だったので緑色のじいちゃんに剣を習ってバッサリ切り落としました。
プレデター:作戦行動中に襲われて仲間が全員死んだけど、倒した。
ランボー:山に引きこもってたけど、大佐が出てこいって言うから出てきた。
ランボー/最後の戦場:軍事政権と戦ってみた(YouTuber感)。
ブレードランナー:レプリカント殺してたけど俺がそうだった件。このレプリカントがすごい!選出。
ブレードランナー 2049:俺が息子だと思ってたけど息子じゃなかった。パパは娘に出会えてよかったね。
スタンド・バイ・ミー:死体探しに行って時折気まぐれに不良に拳銃を突きつけて帰ってきた。
グーニーズ:宝物を探してたら族の仲間と仲良くなって宝も見つかってバンザイ。
オール・ユー・ニード・イズ・キル:なんか繰り返してるうちに攻略法覚えたから楽勝。
ポリスストーリー/レジェンド:この中に犯人がいる、とかやってたら、いた。
カーマ・スートラ:アホの王子が狂乱にふけってると他国に攻め込まれて滅亡。
キッド:俺おとなになったらこうなんのかい。と駄々をこねてどうにかする話。
時計じかけのオレンジ:不良が迷惑を掛けるはなし。
マトリックス:脳内麻薬できぼじいいーーーしてたけど、叩き起こされたので戦う。
オーシャンズ11:潜入しようと思ったので潜入した。
「あの、お話を聞かせて頂けませんか」と断られても無視されても声を掛け続ける彼女。
その場には彼女以外にも新聞社やらTV局やらの人たちが居て、皆情報を得ようと片っ端から声をかけていたのだが、スーツ姿の集団は誰一人立ち止まる様子もない。
自分も上司である調査役と共に浜松町の駅まで歩き、改札を抜けた所で「もう1社別のところに顔出して帰るから」と言われ上司と別れた。
とりあえず帰社して今日の報告書を作成しようと思ったのだが、先ほどの彼女のことが何故か気になって仕方がない。
少し時間が経っているしもう居なくなっているかもしれないな…と思いながら先ほどの場所に戻ると彼女はベンチに腰掛け空を見上げていた。
「少しだけならお話を聞かせてあげてもいいですよ」と声を掛けると、彼女は「いいんですか!?お願いします」と頭を下げてきた。
話の発端はそこから更に2年前の5月に遡る。自社取引先である某企業の決算がどうも怪しいらしいという新聞報道が出た。
(以下、企業名は初芝(仮名)と表記します。私が千葉ロッテファンなだけで、ネーミングに一切他意はありません)
当初はまぁちょっとした決算処理の誤りなのかと思っていたが、その後決算公表が2ヶ月程度遅延するという自体になり、そこそこに炎上した。
ただ大幅な下方修正に至ったもののとりあえずは鎮火した…と思われていた。
その後は選択と集中という名のもとに売却出来る事業を次から次へと手放し、事業体制の再構築に着手。
決算は事業会社としては過去最大となる数千億円単位の赤字を計上したが、ここから再生目指して再スタートをきる…はずであった。
取引先への年末の挨拶回りも終え、さあ仕事納めだなと思っていた12月末にとある経済新聞が恐ろしい爆弾をぶっこんできた。
そして報道の都度減損額は膨れ上がり、1000億超?⇒3000億超?⇒5000億超?⇒7000億超?と倍々ゲームの様相。
これまで初芝の管理は支店マターであったが、さすがにこれは面倒を見切れないということとなり本部の債権管理チームへ移管されることとなった。
絶賛大炎上中のプロジェクトに急遽担当として放り込まれることとなった私は「なぜ自分が火中のクリを…」と嘆きながら作業にとりかかった。
年明け以降私は初芝とのコンタクトをこまめに取ると共に、不定期に開催されるバンクミーティングにも担当として出席した。
ミーティング開催日ともなると、浜松町駅からスーツ姿の慇懃無礼な人たちがわらわらと本社ビル目指して歩みを進める。
私もその中に混ざりエントランスで受付を済ませると、一番端に臨時に用意されたミーティング参加者専用のエレベーターへと乗り込んだ。
さすが天下の初芝製エレベーターだけあってスピードが異常に速く、1階から会議室のある39階まで30秒ほどで到着。
参加者は約200名ほどで、株主総会ばりに最前列を主力3行(メガバンク2行+信託1行)の一同が固めている。
そして議事が進むとこれまた駄目な会社の株主総会ばりに初芝側に対する厳しい指摘が飛び交い続けた。
当初1時間の予定であったが、質疑応答が終わることなく続いたため2時間近くたってようやく会合は終了。
その間ひたすら報告書用の議事録を取り続けた私はくたくたになった状態でビルから出ると新聞記者と思しき人たち達が纏わりついてきた。
本社ビルの前で立ち話をするわけにもいかないので、近くの喫茶店に入り名刺交換をした。
「他社の人たちは大学の同級生が銀行に居るとかでそのツテで取材してるみたいなんですけど、私は地方の国立なのでそんなツテもなくて…」と頼み込まれては断ることも出来ず、私は本日のミーティングでのやりとりを一通り説明した。
「今後も引き続き情報交換お願いしますね」と言われ携帯番号とアドレスを交換した私は報告書作成のため自社へと戻った。
帰りの電車の中ではミーティングが終わったときの疲労感はどこかへ消え去ってしまい、何かデートを終えたあとのような気分になっていた。
その後も初芝の炎上は留まるところを知らず、東証の45日ルールを無視し二度に渡って決算短信の公表を延期した際のミーティングは地獄と化した。
「米子会社の減損はいくらなんですか」「2/14には公表します」
「2/14になりましたよ」「減損額は確定したけど監査法人がOKしないので決算短信は1ヶ月後になります」
「3/14になりましたよ」「決算に不正な圧力がかけられた可能性があるのでやっぱり公表出来ません」
などという茶番を繰り返した挙げ句のミーティングなので参加行のストレスゲージは完全に振り切れている状態。
特に初芝の場合は取引銀行が100行近くあり、直接やりとり出来る主力行とシンジケートローンのみの取引で初芝と直接コンタクト出来ない下位行との情報格差があまりに大きい点もストレスを増大させる理由となっていた。
「現時点では決算を公表出来ておりませんが、融資取引については引き続きの延長をお願いします」と頭を下げる初芝経営陣。
「あのさあ、こっちは今日このためだけに飛行機乗って九州から来たんだよ、何の説明にもなってないでしょうが!」
「何の判断材料も無しに延長しろって言われてもどう判断したらいいんですか、材料を下さいよ材料を!」
「銀行はどこも今月末が決算月なんですよ、御社の債務者区分どうしたらいいんですか、引当金をどうやって計算したらいいんですか。御社とちがってうちはちゃんと期限通りに決算しなきゃいけないんですよ!」
質疑応答開始から1時間経過したところで、初芝の司会担当が「1時間経過しましたので、時間の都合で質問を打ち切らせて頂きます」と言った瞬間、場は更に紛糾した。
「何考えてんだよ、ここお前の会社の会議室だろ、なんで時間の都合があるんだよ。この場以上に重要な会合あんの?」
「みんな期末で忙しい中わざわざ足運んでるんだ。ちゃんと全部質問に答えろ」「本気で銀行団の同意取り付ける気がある?失礼にもほどがあるわ!」
など怒号があちこちから飛び交い、質疑応答は時間無制限で行われることとなり、最後の質問が終わったときには開始から3時間ほどが経過していた。
ミーティング終了後、携帯を見ると彼女から「終わり次第連絡ください」とメールが来ていた。
私は彼女とお店に入り今日の出来事を面白おかしく伝えた。仕事的には一番辛かったが、個人的には一番楽しい時期でもあった。
その後初芝は保有する不動産と有価証券を全て銀行に担保として差入する一方で、保有するメモリ事業のファンドへの売却交渉を進めた。
米国子会社がチャプター11を申請したり、監査法人の意見不表明のままの決算を公表したりとなんやかんやありながらも、メモリ子会社の売却は完了し初芝はなんとか銀行借入を返済することが出来た。
当社も数十億円ほどあった初芝向け融資を無事に全額回収することができ、私もようやく重い荷を下ろすことが出来た。
いつもは取材だからといって彼女に奢ってもらっていたが、今回はお祝いもかねて私が彼女にディナーを奢ろう、そう思い彼女へメールを送った。
待ち合わせの時間に10分ほど遅れて彼女は喫茶店にやってきた。
「すいません、別の取材が入っちゃって。今日はまた何か新しいネタがあるんですか」
「いや、そういうのはないんだけど。うちの債権が無事回収出来たんでお祝いも兼ねてこの後夕飯でもどうかなと思って」
「あ、そうなんですか。でもごめんなさい、今日夜はまた別の件で打ち合わせがあるんで。本当にごめんなさい」
彼女は注文したカフェオレを飲み干すとこれまで本当にありがとうございましたと頭を下げ、そそくさと店を出て行ってしまった。
最初から自分の独り相撲だったわけか…。途方に暮れた私は駅までの道をとぼとぼと歩き浜松町で山手線に乗った。
電車の中で外を眺めながらこれまでの彼女との会話をずっと思い出していた。もう彼女とあんな風に楽しく話すことは二度とない。
「次は鶯谷~鶯谷~」 気が付くと電車は本来降りるべき駅をとっくに通り過ぎてしまっていた。私はあわてて電車を降りた。
どうせ帰宅したところで何もやる気にならない。仕方なく私は駅前に立ち並ぶラブホテルに入り、デリヘルで気晴らしをしていくことにした。
30分ほど待つと彼女ほどではないものの、若くてかわいい子がやってきたので少しだけ気が紛れた。
部屋の照明を暗くし、彼女の顔を脳裏に思い浮かべた状態で舐めてもらったこともあってあっという間に私は果ててしまった。
「ちょっと、イクならイクって言ってよ」と少し咽ながら怒る女の子。
私は笑いながらこう答えた。「出すよ出すよって言いながら一向に出さないお客さんよりはマシでしょう」
最初に言っておく。俺は「花束みたいな恋をした」が大好きだし、元カノのことも嫌いとは思ってない。大筋は実話だが、バレ対策で所々の事実は曲げてる。この文に厳密に該当する個人は多分いないが、20代の童貞のノンフィクションだと思ってくれて問題ない。
タイトル通り。「はな恋」を見て俺が思い出した元カノは、「はな恋」を見ても元カレ(=俺)とのことなんか全然思い出さなかったらしい、という話だ。
当たり前やろと思った人、盛大な独り相撲が好きなら読んでくれ。
どこかにショックを受けた人、その幻想をぶち殺しにきたから読んでくれ。
はな恋の中身の話もするから未見勢は早く観に行け。行って情緒に九頭龍閃されてこい。
まずは思い出話。
高3のとき、親密ってほどでもないけど話すと楽しいクラスメイトの女子がいた。傾向は違うにせよお互い二次元のオタクだったし、かといって自分の世界に閉じこもり続ける訳でもない、それなりに真面目でそれなりに社会性があってそれなりにリア充を僻んでいるタイプだった。派手に迫害される訳でもなく、かといって異性にチヤホヤされる容姿でもないし浮いた話もない、そういうバランスの男女。たまに話が弾むうちに、お互いにちょっとくらい好感情が出るのは、ヘテロの若者だったら自然だろう。
とはいえ高3だ。少なくとも都会ではない立地の(自称)進学校で、大学が近くなる奴はまあまあレアだ。少なくとも俺は「最後だし気になる人には告白しよう」って思えるほど自己肯定感が高い高校生じゃなかった、遠距離の面倒くささを押しつけるのは気が引けるんだよ。だから例の彼女とも、別の大学行ってそれっきりなんだろうと思ってた。
幸運なことに、あるいは不運なことに。俺も彼女も、違う専攻ながら志望校が一緒なのが分かってきた。一般試験を前提に難関(扱いの大学)に挑む勉強ガチ勢どうし、「一緒に受かろうね」という共闘意識はすぐに共有できた。
共闘意識に加えて。「珍しく気の合う馴染みの女子(男子)が」「同じ大学にいるなら」「お付き合いもできるのでは」という妄想だって始まってた。多分、彼女もそうだった。
娯楽も限られ、空気の閉塞してくる受験期。これだけ利害の一致する人間がいたら頼りたくなる。教室やら予備校やらで顔を合わせる中で、少しずつ距離は近くなっていった。並んで歩いた、肩が触れた、バーガー店に寄り道した、ハイタッチした。ギリギリ友達の範疇の、しかし交わす異性なんていなかった、そんなスキンシップがひたすらに幸福だった。リア充が高校のうちにベッドインまで済ませている傍ら、ちょっと手が触れ合ったくらいで舞い上がるような高校生だった(今さらだが男子校勢には謝っておく)
そうやって、言葉にはしないまま意識だけが積み重なって臨んだ試験で、めでたく二人とも合格した。地方の自称進学校で、ちょっとした快挙になるような大学だった。引っ越しの手続きが落ち着いて、二人で祝勝会カラオケをして(君じゃなきゃダメな健全ロボがレスキュー!したのはうさぎですか?)、そのときに彼女から交際を申し込まれた。告白が叶った女の子が泣くんだって知った。
親も応援してくれた難関大にカップルで進む、進研ゼミもかくやという出来すぎた滑り出しで。お互いの好きなことは邪魔しないようにという(主に彼女の)方針だったから、サークルやバイト優先で、一緒に過ごすことはそんなに多くなかった。それでも連絡は頻繁に取り合っていたし、相手が歩く新しい世界の話は純粋に好きだった。たまにファミレスで喋って、帰り道にキスするくらいで十分だった……俺がセッしたかったのは確かだったが、彼女からその手の話をされることがなかったぶん、踏み込みづらかった。まだ未成年だし、付き合いが長くなればそのうち、くらいの気分だった。自分を好きでいてくれる女の子が近くにいる、それで十分だった。
そんな距離のまま後期になって、学業もサークルも忙しくなってきた。お互いに真面目に取り組みたいのは分かっていたから、彼女からの連絡が少しずつ減るのも気にならなかった。
試験期間が終わって、久しぶりに遊びにいって。そこで「別れたい」と言われた。納得もできないまま地獄に落とされて、それでも受け容れるしかなかった。水泳のときはプールの中で海パンを脱がされるような日常だった小学校の頃以来、久しぶりに自死を考えかけたりもしたが、そんな気持ちまで彼女にぶつけるのはどう考えても間違いだったし(H誌のI田の件は絶許)、何とか立ち直った。カルチャーでつながった相手に振られてもカルチャーで立ち直ったオタクだ。気分転換の得意なフレンズなんだね。
あんまりな別れ方をした直後は絶縁状態だったが、数ヶ月もすれば傷も癒え、少しずつ彼女との交流も戻ってきた。そのときは明言していなかったが、サークルの先輩に心変わりしたのが大きな理由だったらしいし、今ではその彼と良好な関係が続いているという。俺自身、無害な友人としてはともかく、性愛の対象としては魅力に乏しいと自覚してるし、そのくせ意識的にビジュアルを磨こうとも思っていなかったから、他の男に負けるのも無理はないと考えられるくらいになった。以前ほど親密ではないし直に会うことはなくなったが、たまには最近の推しコンテンツを布教しあうような関係になったし、それが結構な打率だった(というか言われる前から気になってる率が高い)ものだから、シンプルにオタ友として付き合えるようになった。何より、秘密を共有する相手というのは大きい。
俺は俺で、学年が上がるにつれて人間関係にリソースを割けなくなってきたし(だから新しい相手もいないまま)、あそこで別れなくてもいずれ、という予感を抱くことも多かった。何より、その先が破局であったとしても、彼女との思い出には励まされてきたのだ。ひとときでも誰かに愛された記憶は尊い、続かなくても間違いじゃなかった、違う道に幸あれ。本気でそう思えていた。別れたときに言えなかった「楽しかったね」だって、もう皮肉なしに言えたのだ。
という風な経験を踏まえると。
「はな恋」がビシャビシャに刺さる人だな、というのは察してもらえると思う。
絹と麦が惹かれあっていく様子は高3の淡さを思い出した。初対面で作家の話ができるの最高だし、「電車に揺られる」と言っていたら気になる。
同棲中の過ごし方は進学当初に描いていた理想そのものだった。同じ本で泣いたのは知っていたから、今度は一緒に読みたかった。
環境が変わると内面が変わるのを誠実に描いてくれたのも良かった。別れてからだって心は通じ合う、そんな関係性に自分たちもなれたと思っていた。
「はな恋」のキャッチコピーにまんまと乗せられた、これは俺たちの映画だ――という直感を抱いた頃、彼女も観る予定だとリア垢TLで見かけた。ただでさえコロナで人と会えない今、久しぶりに喋りたくなって、通話での感想戦を取り付けた。
期待通り、映画の話は大いに盛り上がった、それはそれでちゃんと楽しかった。それは良いんだ。
ただ、何を感じたか――というより「自分の経験のどこに響いたか」は正反対だった。
あらゆるシーンが彼女との思い出に接続されたと、缶ビールを片手に俺が語るのを聞きながら、彼女は段々と歯切れが悪くなっていた。顔は見えなかったが、多分げんなりしていたんだろう。
やはり今が優先されるのが当然か、彼女が主に考えていたのは今カレとの馴れ初めや前途だったらしい。それは分かる。社会人なりたてとして当然。
そこからが致命打だった。「君のことも思い出したけど、それは趣味が合う人がいる楽しさであって」「君と付き合っていた頃のことなんて全然思い出さなかった」「4年も経つのに君に思い出されて、ちょっとビックリしてる」
つまりは、4年以上も前の恋人期を鮮明に思い出している俺に戸惑っていた。そんな言い方はしなかったが、完全に引いていた。
俺から復縁を申し出たことは一回もないし、知らないなりに彼女と今カレの関係は(少なくとも言葉上では)祝福している。よりを戻せるだなんて全く期待していない。君の運命の人は僕じゃない、否めないというか今さら否定する元気もない。
それでも。どうやら俺は、終わった恋に甘えすぎていた。彼女が「思い出」のフォルダに整理した体験を、ずっと大事に抱えたまま、昨日のように覚えたままでいる。
新しい恋人が出来たからだとか、そもそも男女で思い出し方が違いやすいとか、そういう話も分かる。それでも俺は、かつての恋人の中で自分がどれだけ小さくなっているかを示されたのが相当にショックだったのだ。それだけ小さくできる存在が俺だ、そのことに今さら傷ついているのだ。
また好きになれとか、振ったことを後悔しろとかじゃない。こんな映画を観たときに思い出してくれる、そんな存在ではいたかった。絹と麦に憧れたのは、あれだけ幸せな現在を過ごしていたから以上に、幸せな過去を大切にできているからだ。パンフレットの一枚目のフレーズに号泣したの、俺だけじゃないだろ。
薄桜鬼もヘタリアも黒バスも、見かけるたびに彼女が話していたことを思い出す。SAOもゆるゆりも麻枝准も、彼女は多分もう気にしていない。
ラジオの映画評で宇多丸さんが言っていた、「別れた後でも、その思い出がある人生は素晴らしい」ことを描く映画じゃないかと。俺自身がそうだった、それを確かめさせてくれる映画だった。柔肌の熱き血潮は夢のまた夢、それでも、そんなに寂しい訳じゃなかった。あの頃に積み重なった初めての温もりは、どれだけ経っても心を温めてくれていた。そんな粘着質な感情なんて誰にも言えない、言えないけれど。彼女だってそうだったと信じていたのだ。別れたとはいえあんなに分かり合えていた。別れた後も上手く折り合いがついた、それはあの頃への愛着があるからだと思い込んでいた。
あんな未来が待っていた、それは一方通行の夢だ。ずっと知っている。
あんな日々もまだ温かい、それも一方通行の夢だ。知りたくなかった。
それでも好きになってくれた自分が誇らしい、そんな幻想だって、確かに明日への糧になっていたのだ。いつかそう思ってくれる人が現れる、それまでちゃんと生きようと自分に言い聞かせていた、それだって幻想だといよいよ痛感した。
とはいえ。精神に多大なダメージを食らったとはいえ。モラトリアムから目を覚ますには良い機会でもあったのだ。「自然な」出会いなんか一生来ない、やるならちゃんと金をかけてシステム使ってやるしかないし、ひとりで生きてく覚悟を決めたっていい。いずれにせよ、あの頃みたいな出会いなんて一生ない。少なくとも「俺には」ない。
色褪せてきたことに気づかず、花瓶に飾ったままにしていた花束を。そろそろ片付ける頃合だろう。
「今回の件からお前が得るべき教訓は」別れた後の恋人に思い出話なんて、大抵の場合はするもんじゃない。胸の奥の花束は、陽に晒したときには枯れていく。
別れた後も思い出話に花が咲く人がいたら、それはそれで尊敬も応援もする。けど、俺は違った。
かつて恋仲だった俺たちへ別れを告げる、いい機会だった。嫌いにならないまま、後悔まではしないまま、背を向けて手を振ろう。数年の時差はあったが、麦と絹の再演だ。
……ということを書きながら、段々と思いはじめたんだが。
「秒速5センチメートル」を作ったときの新海さん、こんな気分だったんじゃないだろうか。ポスト宮崎駿というか終身名誉レぺセン童貞の誠くん、さっき「はな恋」も観たらしい誠くん、大丈夫? 話聞くよ?
時折無茶苦茶なことを言い始めますが、自分が怒りにとらわれていた時点での感情であって、日ごろから自分がそういった主張の人間というわけではありません。
ただ、そういう風な思考回路を辿ったよという事実が誰かの参考になるんじゃないかと思い記録しています。
また、タイトルの「理不尽な怒り」というのは、自分が勝手に理不尽に相手に怒りの感情を抱いたという意味です。
理不尽なのは私の考えがであって、叱責した側がではありません。
まずはどのような叱責であったかについて。
内容は、数日前の仕事においてある方にサポートしてもらったことについて、一言何かあってもいいんじゃないのかといった類のもの。
単純に私が忘れていたのが悪いので、叱責の内容自体はもっともなものだと思っています。
場所は職場の休憩所で、人が多く集まっている時間帯。非常に威圧的な態度での言葉で、言われている間私はすくみあがっていました。
いわゆる「人前で叱責する」というパワハラの一種みたいな感じです。上司ではなく先輩なのでパワハラとも少々異なる気がしますが。
申し訳ない気持ちと相手の威圧感に押されて頭が真っ白になった。
始業直後のことであったので、とりあえず仕事に取り掛かるもそのことが気になって頭が回らなくなる。この時点ではまだ叱責されたことを気にしている段階。
脳細胞の稼働率が普段と比較して70%ぐらいまで落ちているという感じがする。
思い返せば、あの日特に大きなミスを起こさなかった自分はよくやったと思う。
怒られたことを反芻しているうちに、言われた内容や場所、その時の相手の表情態度などパーツ分けをしてそれぞれに思いを巡らすようになる。
やはり仕事は片手間でやっている状態。脳細胞稼働率が70%で、30%ほどは常に怒られたことについて考えている。
「内容についてはわかるけど、何もあんな風に言わなくても」「そもそもあんな注目を集める場所で言うか」「挨拶を忘れていただけなのにあそこまで言われる必要はあったのか」「怒られたせいで仕事に手がつかない」
といった具合。思考が迷走を始め、相手自体への嫌悪感や怒りが混じり始める。
仕事が終わり余裕が出てきたことでさらに思考が迷走し、半ば個人攻撃、差別的思考のような内容が中心になっていく。
「そもそも日ごろから威圧感出しまくりで鬱陶しい」「前職が○○だって聞いたけど、研修で人間性を否定されたっていうんだったら人間のいるところに帰ってくるなよ」「普段から他の後輩も偉そうに見下してるしそんな態度で感謝してもらえると思ってるのか」等。
ベトナム帰還兵の悲哀を描いた名作で、母国に帰ってきても碌な仕事も貰えない青年、ランボーが感情を爆発させるシーンは映画史上屈指の名シーンだと思う。
私はそのシーンを見て帰還兵の苦しみに思いをはせた事があったが、ここで一つ実感した。
上下関係に異様に厳しく、威圧感があり、言葉はぶっきらぼうだが鋭く、暴力的で何をするか分からない。そのうえ何かあったときに物理的に制圧することも不可能。
前3つでも相当きつい。全部そろった帰還兵を自分が職場で受け入れられる自信はない。
考えてばかりで疲れたので、強めのアルコールを摂取し思考を吹っ飛ばす。
あまり気にならなくはなったがそれでも時折辛く感じる。
とりあず当日はここまで、明日は休日なので何とかなるだろうと考えて就寝。
テレビを見て気を紛らわそうとするが、一定間隔で怒られた時の声音と顔がフラッシュバックし始める。
傷が熱を持ち始めた時のようにじんじんと痛みとフラッシュバックが繰り返し、まるで自分の視界上に怒り色のペンキをぶちまけられたみたいだとか考え始めた時点で察する。
「やばいこれトラウマか、トラウマになりかけなのかこれは」なってる。
余りに繰り返し続けるので、発覚しにくい方向での嫌がらせの方法について考え始める。
あれでもないこれでもないと考えた上で「まだ陽性出てないコロナ患者がいたら、体液でも貰ってあの人中心にクラスター発生させたいなぁ」とか考えだした時点で瀕死だった理性が復活する。
ものすごく不毛だこの思考は。不毛だとわかっているのに思考がコントロールできない。
そもそも相手の主張内容自体は間違っていないのに、相手の人格を否定するような考えや相手を貶めるにはどうすればいいかという想像が頭をめぐって止まらない。
ここでまた唐突にあることを思い出す。この展開、三国志で死ぬほど見たやつだ。
人前で叱責されたことを根に持ち謀反を計画するも、事前にバレて族滅されたり。
酔っぱらった状態でのパワハラを根に持ち、出陣前の上司を裏切り殺したり。
気に食わない上司に不満をもちそれを口にしたことを讒言され、庶民に落とされたり。
張飛と関羽の部下は悪者扱いされがちだが、その気持ちを不覚にも理解してしまった。
あの人も主君に酷い仕打ちを受けつつもその場は耐え、のちに謀反に手を貸し復讐を果たした人物だった。
よく耐えられるもんだと思った。自分ならその場で動揺して打ち首だ。マジリスペクト。
さらに「好きの反対は嫌いではなく無関心」という言葉を思い出し、そんなわけがあるかと叫びたくなる。
自分が忘れたくても関係なく興味を引き、頭の一部を支配して、マイナスの感情と心身への不調をもたらす感情。
完全に好きの反対だ。バフとデバフの関係であり、興味という原点から正反対のベクトルを描く感じだ。
「好きの反対は……」などといった小洒落た言葉に何の意味もない。好きの反対は嫌いだという事実を直視したほうがいい。
嫌いな対象に対してばかり思考が向いて建設的なことを考えられない状態というのはかなり堪えた。
とりあえずこの感情はろくでもないものだという自覚を持ったので何とかしようと思って、鬼滅の刃のアニメを見始める。
漫画は読んだけどアニメは見てなかった。今無限列車編の4dxが上映されてるらしいのでこの休暇中に全部見ようと思いマラソンをスタートする。
水の呼吸って映像化するとこんなに奇麗なのとかそういう今更感あふれることを想いつつ全話見てそのまま勢いで映画館に行ってみてきた。
前々から「こんなまっすぐな主人公が評価されるなんて凄い時代だ」と思っていたけれど、改めて炭治郎君凄いな。
相手のことを否定したり、食って掛かったりしない。伊之助との会話で特に顕著で、話の腰を折らずにうまく相手を動かす技術が突き抜けている。
これぐらい器用かつまっすぐに人付き合いができたら素晴らしいだろうなと思いつつ感動のまま映画視聴終了。
大迫力で素晴らしい体験ができたが、常に微振動が続くので、途中でトイレのために退室する客がいたのが印象に残った。
怒られた話? そんなものどうでもいいや。
あの××のために思考回路を割いたこの数日間は完全に無駄だった。
負の感情に思考のリソースを割くの本当に無駄でしかないよね。あー無駄無駄。
↑のような思考をするようになったらかなり精神的に楽になった。
それなりに落ち着いたうえで、休み明け、同僚に「この前のアレなんだったの?」と聞かれたので「仕事関係で気が利いてないってちょっと怒られてねー」と軽く話をして独り相撲終了。
独り相撲をさんざんやったけど、なんだかんだで人に話を聞いてもらうのも大事だよねという話であった。
・怒りは二次感情と言うが、困惑や恐怖が怒りに煮詰まっていく過程を確認できたのはよかった。
・ハラスメントが成立するにあたっての、内容以外の要素の影響の大きさを実感できた。
・嫌いという感情がいかに不毛なものかを理解できた。これからは嫌わず憎まず梯子を外すよう努力します。
・謀反ってこうやって起こるんだなというのを肌で体験し、スケールの大きい経験をした気になった。歴史は繰り返す。
怒りに囚われているときの自分の感情がまるで自分でないみたいに制御できないことが非常に厄介で印象深かったのでみんなにもっと知られてほしいなと思う。
自分は普段から、「嫌いな相手のためにエネルギーを使うのが勿体ない」という理由で他人を嫌わないことをモットーにしていたから、怒りを抱いている状態でもある程度理性が働いたが、本当に自分ではない何かを必死で抑え込んでるような感覚を覚えた。
「ごめん無理なのおおおおお必死でやってるけど無理なのおおおおおうおおおおお本来の俺はこんなのじゃないいいいいい俺の思考に侵入するなぁあ脳のリソースを奪うなぁぁぁぁぁ助けてぇぇぇぇマジ無理いいいいい」という具合で悲鳴をあげながら向き合いました。善逸かよ。
これが独り相撲というやつか
承認欲求って本当に厄介だと思う。
それに囚われてしまうと、方向性を見誤って、気づけば推したちへ顔向けできない。なんてことになっていたりすることもある。
二次創作をしていて、自分のかいた推し、推しの解釈をより多くの人に見てもらえる。というのは中々脳内麻薬の出てくる甘美なものなのではないでしょうか。
勿論、「全て推しと自分のため。誰に見てもらわなくても構わない。」というスタイルの人もいるだろう。正直めちゃくちゃ憧れる。かっこいい。
けれど私はそんな風になれなかった。
最初は幸せな推したちを描いて満足していたはずなのに。その内、推したちは私の承認欲求を満たす道具になってしまっていた。
そのことに気がついた時、私はもう推したちへ顔向けできない。そう思った。普通にショックだった。そうしたのは自分だったのに一丁前にショックを受けていた。
この日記は、そんなふうに推したちへ顔向けできなくなった底辺絵描きオタクの後悔日記である。ちなみに国語の成績は常に赤点ギリギリだったのでめちゃくちゃ文がとっ散らかっていると思う。
私はある日、○×△のカプにどハマりした。
それまではROM専鍵アカウントで神々の作品を見させてもらって萌えていただけの私が、突然○×△専用のアカウントを作って、道具を揃え、小学生の時以来お絵描きをし始めていた。
下手くそでも何かしらの情熱を感じてくれたのだろうか。少しずつではあったが、フォロワーさんが増え、○×△について語り合える人が増えてきた。
絵茶やもくりにも参加したりして、どんどん仲間が増えてきた。嬉しくて楽しくてたまらなかった。
だんだんと増えていった相互さん達は、絵の上手い人、素敵な小説を書く人がたくさんいた。可愛い絵。かっこいい絵。キュンとする話。切ない話…その人たちの作品はどんどんいいねがつくしRTもされる。
人との交流が増えるたび、だんだんともっと自分の作品を見てもらいたいな。という欲求が増えてきた。
そのくせ、私は努力もせず描きやすい角度だけ描いて、絵の勉強もしなかった。
「どうせ今更練習したって、世の中にたくさんいる絵の上手い人たちの様になんてなれやしない。」
そうやって努力したってどうにもならなかったときに傷つきたくないから、言い訳して上手くなる努力をしなかった。だからフォロワーさんが増えたといっても、普段反応をくれるのはその中の半数もないくらいだった。
見てもらえるわけがないのだ。そんな愛のない、手を抜いたもの。優しくしてくれる人たちと、推しの上で胡座を描いていたのだ。
でも私はそのことに気がつかない。
推したちの幸せを考える日々は、いかに人に描いたものを見てもらえるか。しかも努力せずに。にシフトしていった。
たくさんの人に見てもらうにはどうしたら良いか?
それは勿論素敵な作品をかきあげることだろう。
けれど底辺絵描きの私には中々遠い道のりだ。すぐに!今すぐに見てもらいたい!どうしたら良い!?
そこで私が手を出したのが、エ□だ。
創作界隈において、エ□というのはちょっとした起爆剤の役割を果たすんじゃないかと思っている。
(ちなみに私は作者さんの愛のあるエ□は大好きだ。決して否定しているわけではない。きちんとした努力を積み重ねられて、愛を込めてかかれたエ□は本当に素晴らしいものです。)
案の定、普段はそこまで見てもらえない私の絵も、ほんの少し肌面積が多いから…という理由でワンクッション置いて注意書きをつけるとあら不思議。途端に普段の二倍の反応をもらうことができる。お手軽おバズりアイテムだ。
(ちなみにこの時もらった感想は、「やばー!エ□〜!」とか「たまらんー!」というエ□作品へのテンプレ構文みたいなものばかりだった。そりゃそうだ。だってそこには推しへの愛も絵に対する愛もないんだから。他にコメントしようがないってやつだ。感想くれるだけフォロワーさんは本当に優しいと思う)
これに味をしめた私はちょいちょいR18絵を描く様になった。そしてその場限りの反応が欲しくて投稿した。
そうすると私はエ□もいける口だと思われ、次第にTLでの会話や絵茶、もくりなんかでもそうした話題を振られるようになる。
そしてオタクの良くないノリで時々あげられる、どこまでえぐいエ□話ができるか。ノリ良く話せるか。みたいなエ□チキンレースが始まる。馬鹿か。話を振ってくれた人たちもドン引きしている。何度も言うがそこに推しへの愛なんてない。イキったオタクがいるだけだ。
次第にエ□絵を描いても反応が貰えなくなってきた。
ただでさえ絵の基本のキも出来ていない人間の、ちょっとでも反応が欲しいだけの愛のないエ□絵がずらっと並ぶフォルダ。
醜い。気持ち悪い。
違ったはずだ。○×△にハマったばかりのあの時、2人の幸せな姿を見たくて、描きたくて絵を描き始めたはずだ。下手くそでもいいから、少しずつ描ける表現を増やしていこう。そうしていつか、心から「あー!やっと理想の表情を2人にさせることができたよー!幸せになるんだぞー!」って、推したちと共に喜びたい。祝福したい。そう思って描き始めたんじゃないのか。
もうそこからは本当に恥ずかしくって、推したちをそんな風に描いてしまった自分へ対しての怒りが収まらなくて、フォルダの絵を全部消してアカウントの絵も全部消し去った。
アカウントは、私生活が忙しくなったから。そう一言残し、暫く経ってから消した。
これもまた最悪だなと思う。けれど、あの時の私の気持ちをダラダラとTLに流されてもフォロワーさんも困っただろうと思う。
それから私は○と△の絵が描けなくなった。いくらペンを握っても、いくら描くぞと気合を入れても、かけなかった。
今、私は昔の様にROM専で、色んな方のかかれた、推したちへの愛に溢れた、キラキラと輝いている作品を見させてもらうだけの日々に戻った。
けれど、時々純粋に2人へ対して愛を持って創作していた頃を思い出して寂しくなることもある。
全部自分が浅はかだったせいで、押しに向き合えなくなってしまった私は本当に馬鹿だった。
もし今、創作活動をしていてモヤモヤしている人は、どうぞ原点を振り返り推しへの愛を思い出して欲しい。
(ちなみに私はエ□を否定するつもりも承認欲求を否定するつもりもありません。
上にも書きましたが、愛の込められているものはとても素晴らしいですし、何かを生み出す人にとって承認欲求っていうのは大切な意欲の源だとも思います。
神字書きになりたい。
私はあるジャンルに最近ハマり、ABというカップリングで二次創作小説を書き始めた。
原作が世に出て日が浅いというのもあり、当初はpixivの作品数も少なかった。
書かずにいられない衝動と、作品数を増やしたい欲求から、私はAB小説を書き続けた。
そして一か月も経つと、ほぼ毎日のようにABのイラストや漫画や小説がTLに流れてくるようになった。pixivの作品数も1桁台だったのが50以上に達している。
AB好きとしては嬉しい状況だ。
ABを書きたいという衝動は常にあるため、相変わらず私は頻繁に新作を書いては公開していた。しかし、キャラクターをしっかり描いている上に時代考証や構成もすばらしい数万字の長編がアップされていたりすると、自分の書いた浅くていい加減で大して文章も上手くない5000字程度の短編がみすぼらしく見えてくる。
見えてくる、ではない。みすぼらしいのだ。
書かずにはいられないし、書いたら誰かに読んでもらいたい。だからpixivやTwitterにアップする。
そして神がアップした作品を読んでは惨めな気持ちになるのだ。私はどう足掻いても、ABをこんなに素晴らしく描くことはできない。彼らの魅力を伝え切れない。
「枯れ木も山の賑わい」と自分に言い聞かせて書き続けてきたが、私の書くものなんてあってもなくても大して変わらないのではないか、という考えに囚われ始めると、泣きたくなってくる。
神の小説を読んで、私もこんな風になりたかったな、と思ってしまう自分に気付くと自己嫌悪が加速した。
神だってそれなりの努力をして、その領域に達しているはずなのだ。何もせずにただ毎日いい加減なものを書き散らしているくせに、能力だけを欲しがろうと言うのか。
そう考えた私は、AとBへの理解を深めるべく資料となる本を読み込んだり、二次創作小説の舞台として設定した場所について時間をかけて調べたりして、自分なりに努力をした。プロットも、以前より細かく作るようになった。
しかし、それでも私が生み出せるのは毒にも薬にもならない短編だけで、神は日々素晴らしい作品を生み出し続けている。
そうして自己嫌悪を募らせていたある日、私の書いた小説におけるキャラクター解釈を「彼らの感情や人間性を蔑ろにしている」と嫌悪していた人が、神の作品に救われているのを見た。こうなってしまうと、枯れ木も山の賑わいどころか、私の存在は害なのではないか。
小説を書くのも好きだ。自分で書くものも(恐らく「自分が書いたもの」というバイアスがかかっているのだろうが)それなりに気に入っている。
それだけで満足すべきなのだと、頭ではわかっている。わかっているのに、私は私の書いたものを嫌悪する人の言葉に囚われ、神と自分を比較して勝手に傷ついている。
神は私の書くものが好きだと言ってくれる。
私はそれをどうしても信じられない。
素直に受け入れて喜べばいいのに、あんな素晴らしい文章を書く人がこんなものを読んで面白いわけがない、いつも私が感想を送るから気を遣わせているんだとかえって惨めさが増すばかりだった。完全な独り相撲である。
毎日とても辛い。いっそ小説を書くのなんか止めてしまって、読む側に回れば楽になるんだろうと思う。でも私はまだ書きたいのだ。小説を書くという行為を通して、AとBの関係性の美しさ、二人の愛の尊さに触れていたい。
そうした欲求よりも辛さが上回ったときに、私はようやくこの苦しみから解放されるのだと思う。それまでは耐えるしかない。
そうなる前に割り切れたらいいのに、とも思う。
病床はないし、死者は出てるし
政府が頭絞って考えた結果がマスク2枚と10万円のバラマキだし
他の国と比べて経済を殺しにかかってるし、というか衰退してるし。
いい加減分かってるんじゃないですか?
現体制になってからもう7年ほど、準備する期間はあったはずです。
そう予言したあなた方が、何故同じ立場で困窮した乞食に成り下がっているのか?
政権が移り変わるその時に、冬の時代が来ると見越して対策を打てなかったのか??
今回の件も。
どうせ対岸の火事と眺め惚けてたんじゃありませんか?
ダイヤモンドプリンセスが隔離されてた頃から「パンデミックになる」「対策は不十分」という声が出ていました。
転売屋よりも遥かに早く独占して、のうのうとコロナに罹患する恐れなく暮らせたのではないですか?
それがまあ、やれ対策が不十分だ、やれ金をばら撒けだの消費税を無くせだの。
今更言って聞く相手だと思っているなら相当頭がハッピーな構造をしているようですね。
七年間言葉で訴え続けて、あなた方の意見が通ったことってありました?
というかですよ。
言葉で通じないことが分かってるならもっと対応はあるでしょうよ。
あのねえ、それを主張しても相手が同じ土俵にいないからダメなんですよ。独り相撲やってどうすんです?
某映画のビームじゃありませんが、総崩れさせてこちらの主張を通すには一番簡単な方法です。
爆弾なり持って、なんならそれすら持たずに車で突っ込んでしまえば、はいおしまい。
1対1交換じゃなくて、数千対1交換でいいんですよ。
相手のトップはたかだか10数人、こっちは万を超える倒閣派だ。
警備が厳重だろうと、束でかかればどうしようもない。
今後の日本の未来を考えたら数百数千の命くらい安いもんだと思いますがね。
え?自分が死ぬのは嫌だ?そんな甘ったれた覚悟で国を変えたいなんて言わないで下さいよ。
リスクを払わないで得られるものなんて碌でもないなんて今の政治見りゃ分かるでしょう。
それにここであなたが犠牲になる代わりにトップが交代するとします。
政策は急転換、コロナ対策に予算は組まれ万事解決、犠牲者皆無!
そのお陰で国の経済も回復し有能な指導者のお陰で日本は立場を守り切ることができました!!!
ハッピーエンドです、良かったですね。
ちょうどあなたの犠牲はこれから喪われる可哀想なコロナの犠牲者と入れ替わりになるんですよ。
あなたの命で誰かの命が助かる、ここまででイーブン。
どうです、損益を考えるとやっぱり対費用効果の高い作戦でしょう?
さあさあ、反体制派の皆さん。
政府を打ち倒しに行きましょうよ。
変われ変われと言って変わらないのですから、強引に変えて行きましょうよ。
これで動かないんだったら、あなたは政府をまだ信じている証拠です。
あるいは他者の犠牲にふんぞりかえって安全な所から主張する、敵の同類です。
病床はないし、死者は出てるし
政府が頭絞って考えた結果がマスク2枚と10万円のバラマキだし
他の国と比べて経済を殺しにかかってるし、というか衰退してるし。
いい加減分かってるんじゃないですか?
現体制になってからもう7年ほど、準備する期間はあったはずです。
そう予言したあなた方が、何故同じ立場で困窮した乞食に成り下がっているのか?
政権が移り変わるその時に、冬の時代が来ると見越して対策を打てなかったのか??
今回の件も。
どうせ対岸の火事と眺め惚けてたんじゃありませんか?
ダイヤモンドプリンセスが隔離されてた頃から「パンデミックになる」「対策は不十分」という声が出ていました。
転売屋よりも遥かに早く独占して、のうのうとコロナに罹患する恐れなく暮らせたのではないですか?
それがまあ、やれ対策が不十分だ、やれ金をばら撒けだの消費税を無くせだの。
今更言って聞く相手だと思っているなら相当頭がハッピーな構造をしているようですね。
七年間言葉で訴え続けて、あなた方の意見が通ったことってありました?
というかですよ。
言葉で通じないことが分かってるならもっと対応はあるでしょうよ。
あのねえ、それを主張しても相手が同じ土俵にいないからダメなんですよ。独り相撲やってどうすんです?
某映画のビームじゃありませんが、総崩れさせてこちらの主張を通すには一番簡単な方法です。
爆弾なり持って、なんならそれすら持たずに車で突っ込んでしまえば、はいおしまい。
1対1交換じゃなくて、数千対1交換でいいんですよ。
相手のトップはたかだか10数人、こっちは万を超える倒閣派だ。
警備が厳重だろうと、束でかかればどうしようもない。
今後の日本の未来を考えたら数百数千の命くらい安いもんだと思いますがね。
え?自分が死ぬのは嫌だ?そんな甘ったれた覚悟で国を変えたいなんて言わないで下さいよ。
リスクを払わないで得られるものなんて碌でもないなんて今の政治見りゃ分かるでしょう。
それにここであなたが犠牲になる代わりにトップが交代するとします。
政策は急転換、コロナ対策に予算は組まれ万事解決、犠牲者皆無!
そのお陰で国の経済も回復し有能な指導者のお陰で日本は立場を守り切ることができました!!!
ハッピーエンドです、良かったですね。
ちょうどあなたの犠牲はこれから喪われる可哀想なコロナの犠牲者と入れ替わりになるんですよ。
あなたの命で誰かの命が助かる、ここまででイーブン。
どうです、損益を考えるとやっぱり対費用効果の高い作戦でしょう?
さあさあ、反体制派の皆さん。
政府を打ち倒しに行きましょうよ。
変われ変われと言って変わらないのですから、強引に変えて行きましょうよ。
これで動かないんだったら、あなたは政府をまだ信じている証拠です。
あるいは他者の犠牲にふんぞりかえって安全な所から主張する、敵の同類です。