はてなキーワード: 仕事納めとは
35歳男。世の中に自分の居場所があるのか、いつも自分に問いかけていた。
ここ数年、たくさんセックスをした。そしたら自己肯定感が湧いてきた。
相手は様々。女子大生もいるし、社会人もいる。彼氏持ちもいるし結婚している人もいる。おしゃれな人、太っている人、裕福な人、不幸な人、色んな人がいた。色んな人と会話をして、キスをして、セックスをした。セックスに詳しくない女性に性を教え込んだこともあったし、お互い協力して最高のセックスを追求することもあった。癒やされるセックスも、溶けて無くなるかのような激しいセックスもした。
そういう経験を経て女性や人間というものが多少わかってきた。なかでも一つ知見として得られて良かったことがある。男性が女性を強く求めるのと同様に、女性も男性を強く求めていること。そのことがわかったし、自分を求めてくる女性が結構たくさんいるということもわかった。自分を求めてくる人がいること、それはこの世の中に自分の居場所ができたことと同義だった。
たくさんの女性とセックスをしたことは、おそらく世間的には良しとはされないだろう。彼氏持ちや夫がいる女性とのセックスもしたので自分のせいで不幸になっている人がいるかもしれない。全部公になったら罵詈雑言を浴びせられる側になるだろう。でも、それはもうどうでもいい。他人の顔色を伺うより自分の居場所を作ることのほうが遥かに重要なのだから。たとえ誰かを怒らせても、罰則がつくことになっても、自分がセックス依存症だと診断されることになっても、それらは些末なことなのだ。
セックス観も変わった。以前の性に疎い頃は、どうも男性が女性を搾取しているような感覚があったが、少なくとも自分のセックスに於いては全くそうではないと思った。むしろ女性からセックスを求めてくるほうが多いと思う。世の中の女性はこんなにもセックスに飢えているのかと驚くくらいだった。搾取ではなく協力。それがセックスだ。
今はもう昔のようにセックスをしなくても良いと思ってる。でも、女性から求められたら断れない。女性も恥ずかしい中セックスを求めてくるわけだから、それを断るのは人間としてひどい行為だからだ。さて、仕事納めの今日もセックスだ。
2日から今日まで休みだった。僕の仕事は、サーバ運用で、仕事納めが31日で、仕事始めが1日だった。幸いにして3日も連続で休めた。おそらくこの仕事をしているうちは、帰省も恋愛もおこらないだろうと漠然と思う。
たとえば、電車、小売りの人たちが年末年始も働く。それは見える。見えるから話題になる。電気、ガス、水道ほかいろいろ。動いて当然と信じられているすべての仕事は見えないのが大半だ。動いて当たり前ではない。僕のサーバ管理もこのうちに入る。動いて当たり前だと思われている。
そんなことはない。絶対にない。常に改善されている。ハードウェアは壊れにくく、壊れる前にアラートをあげてくれる。サーバ自体は仮想だから万が一でもサービスに影響はない。
僕の仕事はそこまでだ。
最近、その上のアプリケーションの作りが雑だと思う事件が増えた。維持運用の僕たちは、いろいろと資格を取れと言われる。業務のうちだし、資格はたとえ、今の場所を離れても、僕の身からは離れない。僕のために資格を取っている。ずっと勉強しているが、たぶん、こんなのは当たり前だろう。
一方で、アプリケーションは資格がない人が集まって作っているように見える。これだけ社会基盤になったのだから、いいかげんシステム設計、開発に資格が必須とされてもいいだろう。とりわけセキュリティ関連は資格が必須ではないだろうか。データファイルがインターネットに晒されていました、と言われても、それは僕の担当分野ではない。定期的に機械的チェックは行うけれど、そこまでで、そのレポートに対して対策が取られたかは報告は必須ではない。レポートを出すまでがこちらの仕事だからだ。
アプリケーションの設計が下手だと、運用に押し付ける「設計」を平気で採用する。そんなものは事故の元にしかならない。
そんな設計でどうして動いているんだろう。
最近はそんなにまじまじと他人の様子を伺う人なんて少ないとは思いますが、
職場では、病欠明けの同僚に声をかけましたし、ベテランさんに年内の仕事の内容も報告できました。
いつもより多少饒舌だったかもしれませんが、普通に過ごせました。
ここから先はよくある失恋した人間の独白になりますが、読みたい人はどうぞ読んでいってください。
ひとつのグループに入ってはいるけど、その中でも特別仲がいい二人組。
私、それの片割れだったんです。
その子とは高校で出会ってどういう経緯があったかはもうすっかり忘れてしまいましたけど、
間違いなくお互いにお互いが一番仲のいい友達になりました。
クラス替えで別々になってもどうやっていたのかずっと一緒にいた記憶があります。
サークルも同じところに入って、私が一人でいると彼女は休みなのかと必ず聞かれました。
就職はさすがに別の会社でしたけど、新入社員の頃には同じものにどハマりしていたので毎週のようにあっては一日中遊んでいました。
今はというと昔のようにしょっちゅう遊ぶことはなくなりましたが、近所でそれぞれ一人暮らしをしています。
私の方が後に一人暮らしを始めたので、彼女は引っ越し祝いのケーキを買ってきてくれました。
私のリクエストはチョコケーキだったんですけど、箱を開けてみたら抹茶のケーキでした。
絶対に好きな味のはずだからこっちにした!絶対こっちが美味しいと思う!と熱弁されました。
確かにものすごく好きな味でした。抹茶だけでなく黒ゴマのペーストが入っていてラズベリーソースもいいアクセントで。
彼女からのプレゼントは大抵私の思考を読んだかのように正確なんです。
……こうして書き出してみるとやっぱり普通よりは仲がいいですよね。
失恋とは書きましたが、彼女に恋愛感情を抱いたことはないんです。
私はヘテロですし。
でも彼女に恋人ができるとその度に静かにひどく嫉妬しています。
少し前に「友達の彼氏に嫉妬するのは、ぽっと出の男が大事な友達を奪っていくから」みたいなツイートを見ました。
ああこのしんどい気持ちってそういうことだったんだなと少し納得ができた気がしていました。
でね、昨日なんですけどその子が遊びにきたんです。
仕事終わりにどっちかの家にふらっと行ってだらだら喋るというのが最近の遊び方になっているんです。
私は彼女と旅行なんでしばらく行ってないななんて考えながら話を聞いていました。
じきに話題は変わっていき私が最近卵焼き器を買った話から実際に作ってみようということになりました。
お互いの家にある賞味期限が危ない卵を持ち寄って、どうやって作るんだ油を入れすぎじゃないか火ちゃんと通ってるのかとかわいわい言いながら作りました。
卵焼きは素材の味が生かされていて改善の余地ありといったできでしたが、綺麗な層になっていて見た目は大成功でした。
「年末に新しい思い出ができたわー」と笑いながら二人で食べました。
でも、彼女が帰った後猛烈なむなしさに襲われて、食器も洗わないまま寝ました。
今日の朝起きて少しはマシになっていましたが、釈然としないまま出勤しました。
ずっとずっと考えていたのは彼女の結婚についてで、今付き合っている人と結婚するんだろうかとか結婚したらもっと遊べなくなるなとか。
でも彼女はそれで幸せになろうとしているのだから、それを止める権利はないし。
彼女は奪われるんじゃなくて、自らその道を選ぶんだよな。
じゃあなんでこんなに悲しい気分なんだろうなと思っていました。
ほとんどの人が昨日には仕事納めだったのか、ガラガラの電車の椅子に座った時に
昨日の卵焼きが頭に浮かんだんです。
ただ小さいフライパンで小さい卵焼きを一個作っただけだったのに、心の底から楽しくて。
私は彼女とこういう幸せを一生かけて積み上げていきたかったんだなと気づいたんです。
もちろん友達でもそんなことこれからもたくさんできるとわかっているんです。
でも彼女は結婚を望んでいるし、子どもが好きで欲しいと思っているとこも知っているんです。
他の既婚の友達を見ればわかります。彼女の望みが叶えばどうなるかなんて。
叶わなければいいなんて、少し頭をかすめたけど本気では思いません。
こんなバラバラな文章を最後まで読んでくれた人がいたらありがとうございます。
私これ嫌いなんですよね。
おわり
引越したからマイナンバーの通知カードが使えなくなっちゃったせいで、
まあ来年発行したら5k円もらえるらしいから来年は発行する予定
そしたら来年おなじことでは困らないだろう
かえりのスーパーとドラッグストアで半額割引の食品かいまくってしまた
冷蔵庫ないのに
前菜と思って買った納豆3パックとおにぎり2個くっただけでおなかいっぱいになっちゃった・・・
まあ昨日袋ラーメンだけだったり、今日もまともにくってなかったりで胃がよわってるきはするしな
でもたべものたくさんあるとうれしい
全部で2300円かったよ
さーてラスアス2やるかなー
※駄文注意
妹が焼いてくれたチョコマフィンが、外サクサク中モッチモチで馬鹿みたいに美味しかったので爆食い。
その合計金額なんと千円分。
家族でひっそり食べたよ。
まずは茎わかめ
こんなに美味しい食べ物はあるのかと大興奮。
そういえば幼女時代は、お金が勿体なかったから甘いお菓子しか買ってなかったな。
地味な辛さに歪む家族の顔を見てご満悦。
そして前回ブコメの中にあった、セブンスター(ツインクルでした)も購入。
うずらの卵みたいなチョコエッグを割ったら、中からシャリザクのお菓子が出てきて楽しい♥
あとパチパチキャンディも買いました。口の中でパチパチして楽しい〜(バカの意見)
でも今年は増田に可愛らしいビール腹のおじさんの爪あとを残したり、個人的にパーソナルカラー診断に行ったりと色々楽しかったです。
ブログとか沢山文章を書ける場所を持っていないので持て余した感情を解き放ってすっきりしたい。
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25日クリスマスの土曜日にM-Line Special Make a Wishというコンサートに行ってきた。
M-Lineはアップフロントに所属する主にハロープロジェクトのOGメンバーを中心とした歌手活動を行うアーティストたちの総称というかファンクラブ名称。
私の参加した25日には元モーニング娘。の道重さゆみ、元Berryz工房の夏焼雅、元Juice=juiceの宮本佳林、元つばきファクトリーの小片リサが出演。
上記以外にも元℃-uteの鈴木愛理や元モーニング娘。の高橋愛や田中れいなが出演したり現役ハロプロメンバーがゲスト出演することもある。
ハロプロ同様ほぼ毎週末全国のどこかでコンサートをしていてセットリストも出演者も結構毎回変わるらしい(下調べせずに行ったのでこの辺は曖昧です)
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もともとハロプロ好きではあるがそこまで熱心にOGは追ってなかったものの、昨年juice=juiceを卒業した宮本佳林のソロデビュー曲として収録されている「氷点下」がとても素晴らしくてどうしても生で聞いてみたくて参加した。
https://www.youtube.com/watch?v=ejeKV4zq0EI
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しかしクリスマスということでハロプロソングの中からクリスマスソングをチョイスしていたり、今日だけの特別なセットリストを聞けたのは嬉しかった。
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道重さゆみのパフォーマンスを生で見るのは何年ぶりというくらい久しぶりだったのだが相変わらず彼女の放つ「かわいい」は強い。
道重さゆみが思う道重さゆみの最上級な「かわいい」を声、歌、ダンス、表情、ポージングすべてから感じて、ブレのなさ、セルフプロデュース力に改めて感服した。
卒業して何年も経つのに今でも道重Tシャツを着てコンサートに足を運ぶ彼女のファンの皆さんの気持ちに共感する。
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今回の道重さゆみ、夏焼雅、宮本佳林、小片リサという4人のメンバーの中で名も顔も一番知られているのは道重さゆみだろうが、
おそらくM-Lineの中心、エースというかセンター、顔とも言えるポジションになるのは今年ソロデビューしたばかりの宮本佳林(と、この日はいなかったが鈴木愛理)
歌もダンスも申し分ない実力のある夏焼雅といるだけで存在感抜群な道重さゆみはむしろ宮本佳林と小片リサを支えながらリードもする頼もしい先輩という立ち位置のような気がしていた。
(もちろん個人の感想ですし二人がこのコンサートの脇役という意味ではない。全員どう見たって主役だった)
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この4人の中で、小片リサはつばきファクトリーを諸事情で活動休止、脱退、そしてソロとして再デビューという少々後ろ暗い経歴があり、
なおかつM-Lineの中では活動歴が最も浅い後輩メンバーという微妙な立ち位置。
表向きはカバーアルバムを発表して、イベントではつばきファクトリーと和解する機会も設けられ新たなスタートを切っているものの、
自分がつばきファクトリーでは小片リサが好きだったこともあり、大丈夫かな、と不安で複雑な思いを抱えていた。
脱退の理由となっているものが他メンバーにも少なからず関わる内容でもあるため加護ちゃんの喫煙騒動のように個人の問題として自虐で昇華してしまうのも難しく(自虐にできるほど時間も経ってないし)
その経歴ごと小片リサが腫れ物扱いになってしまわないかと不安だった。
最初に復帰したM-Lineコンサートで暖かく迎え入れられていたというをレポを見聞きしていてもやっぱり不安なわけです。
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しかし行ってみればM-Lineではソロアーティストでjuice=juiceの元センターで売出し中の宮本佳林が自ら喜んでトナカイの被り物をしたり汚れ役と言うかピエロ?道化?を演じに行ってしまい、
その調子のまま小片リサや道重さゆみにも絡みにいき、道重さゆみには絡みにくいと困惑される状態。(とてもおもしろかった)
仮にこの被り物や道重さゆみという大先輩にグイグイいくような役回りを小片リサがしているとその経歴と元の彼女の真面目な性格から「罰ゲーム感」が出てしまうものの
M-Lineの輪の中心にいる宮本佳林が自ら引き受けてそこに小片リサを巻き込んでMCをしたり、SNSでも彼女との交流を重ねている様子をアピールしてくれているのは
小片リサが新たなスタートを切るにあたってとてつもなく温かい支援だと感じた。孤立させず、かと言って罰ゲームの空気も出さず、すごくうまいやり方でM-Lineに溶け込ませている。
宮本佳林の本心はわからないけどサポートのつもりでやっていると言うよりは恐らく心から楽しんで小片リサと交流を重ねているものと思う。
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そして今回目的であった宮本佳林の「氷点下」は聞けなかったものの小片リサのデビューカバーアルバムに収録されている「真夜中のドア〜stay with me」が本当に素晴らしかった。
https://www.youtube.com/watch?v=LpFTzsG23Pw
クリスマスに失恋ソングかいな、と思ったがとくに最近失恋したわけでもないのに胸に響いて涙が出そうになり気づけば前のめりになって聞いていた。
ステージで毎週末歌い続けることで既出の動画や音源よりも完成度を高めてきたのだと思う。本当にこの曲を聞くことができてよかったと思う。
来年もM-Lineのコンサートは続き、ゲストを迎えながらのソロライブもする予定らしいのでより多くの人の耳に小片リサの生歌での「真夜中のドア」が届いてほしい。
パフォーマンスに関しては先述の道重さゆみが「かわいい」に全振りしているわけだけど、小片リサの場合は本当に彼女の真面目さというのをとても感じる。
ものすごく可愛いとか大胆でダイナミックだとかそうした派手さやわかりやすい特徴はないかもしれないが曲に対して真摯で丁寧。
そうだ、つばきファクトリー時代から彼女のパフォーマンスのこうした真面目な部分が愛おしくて惹かれたんだったな、と思い出させてくれた。
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コンサートの最後に歌われたのは「HAPPY大作戦」(モーニング娘。)だった。
「今日ここに集まっている人たちはみな違う個性を持っていて、まったく生まれたところも住んでるところ全然違って…あ、一部同じ服(道重T)の人もいるけど(笑)、それでも今日この日はここでこのコンサートに来たいと思って集まってくれたそのことが、そしてここにいるみんなが愛おしい(意訳)」と言ってくれてジーンと染み渡った。
このMCはおそらく「HAPPY大作戦」の2番の歌詞『君も 私も あの子も違うんが個性なんだよ』というところに引っ掛けて話してくれたのだと思う。
そうした部分にも道重さゆみらしさを感じて、きっと道重さゆみファンはまた彼女の虜になるんだろうなあと感服。
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そしてこの「HAPPY大作戦」の歌詞は、目の前にある仕事も勉強もなんだって全力で頑張るんだ、手は抜かない、そんでみんなで最高の未来をつくろうよ、なんて綺麗事とも取れるが
日々仕事や色々な面倒事、聞くに堪えないニュースを見聞きしている生活の中でふとこういう曲を聞くと、「あぁそうだな頑張らなくちゃな」と思えてしまうもの。
そしてこの曲は少し前にも一部でツイッターに話題に上がっていた。
秋元康がHKT48というグループに書いた「アインシュタインよりディアナ・アグロン」という曲が簡単に言うと「女の子はバカでいい」とでも言っているようで女性蔑視的だと批判されたのだが、
(見てみるとびっくりするほど薄っぺらな歌詞なのでさすがにプロデューサーとしてこれを自分とこのアイドルに歌わせようと思ってしまうのどうなんだろうと思ってしまう)
それに対して恵泉女学園大学ではそれならばどういった歌詞なら良かっただろうか?という授業を行い替え歌が作られたという。
https://www.keisen.ac.jp/blog/president/2016/05/post-4.html
そしてその替え歌の歌詞がモーニング娘。の「HAPPY大作戦」的な世界観だとして一部で話題になっていた。
HKTの曲が話題に上がった(炎上した?)のは2016年頃のようだが自分がこれについてのツイートを知ったのは先月かそこらのことだった。たまたまRTで見た。
改めて聞いて、そうだ頑張らなくちゃな、学生の頃なんかはこうした歌詞を見ても斜に構えて綺麗事言っちゃってさ、と思っていたけど結局歳を重ねていくと色んなことに真摯に立ち向かって頑張っていかなきゃいけないんだと思わざるを得ないことが多くてこうした曲に立ち戻って勇気づけられてしまうんだなと思う。
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そんな明日も頑張って上司とやりあって最高の2022年を迎えるんだって気持ちになった。
おやすみなさい。
来週も実際はプレミアムフライデーではないとおもうが31日は大晦日休みの人とかきいれ時で大忙しの人となってそうなので増田では来週をプレミアムフライデーとしたい。
さぁ散った散った
コロナ感染による相次ぐ職員の休職、増える残業時間、予算の都合上支払われない残業代、適応障害で倒れる先輩、何故か政府の対応に対する非難を市役所の税務課にかけてくる猿。
元々金は使わないし、こんな生活続ける程なら生活保護でも受けていた方がよっぽどマシだと本格的に嫌気がさしたのと、趣味が興じてメー子で働いてる友人の紹介が重なって転職が決まった。提示された給与みてビビった。今の1.7倍ぐらいになる。友人の話ではそれプラス残業代がつくらしい。民間すげえ。地方公務員の行政職が薄給すぎるのか。職場に泊まり込みとかしないでいいらしい。民間すげえ。
ご時世に仕事仲間たちを残して職場を離れるのは本当に心苦しかった。上司は「こんな状況じゃ仕方ないよなぁ、俺がお前だったらお前と同じことするよ。頑張れよ」と背中を押してくれて思わず涙ぐんでしまった。
今まで公僕として身を粉にしていたが、もう今更懲戒免職だろうがなんだろうがどうにでもなれ、俺は次が決まってるし、もう糞みたいな事にリソースを割きたくは無かった。
ある日、年配の住民が課税証明の発行を窓口で頼んできた。急ぎの県の委託業務を処理で忙しかったが、なんせ周りも対応中だったり余裕が無さそうだったので俺が対応した。威圧的な頼み方。よくある事だ。発行した証明と領収書を手渡すと「良いよなぁお前らは、世の中今こんなに大変なのに椅子に座ってるだけで金貰えてよ、なぁ!!」
今までは「えぇ、はぁ、いえ……」とか適当な相槌を打っていたが、休みの日に見舞いに行った適応障害の同僚の顔を思い出して思わず真顔で「そうだよ、あんたもやったらどうだよ」と言ってしまった。隣で対応してた同僚が間仕切り越しに驚いた表情をしていたのが視界に映りこんだ。
「なんだとてめえおいゴラ!もう1回言ってみろ!こっちはわざわざ足伸ばしてんだぞ!おめえ増田ってんだな!責任者だせ!てめえじゃ話になんねえ!」
パイプ椅子から立ち上がり窓口で凄んでくるおっさん。胸ぐらでも掴んできたら正当防衛で掴んできた腕を引っ張ってカウンターに頭を叩きつけてやろうかと思った。
つうか、証明書発行しに来ただけだろ、何の話だよ。
「〇〇様(おっさんのフルネームの周りに聞こえる大きさの声で呼称)ですね、しっかりと覚えておきます。他のお客様のご迷惑になりますので、警備の者を呼びます。このご時世に大声を出されると先日のように警察が取り押さえに来るので(警察が来たことは過去にない)御遠慮下さい。」
そういいながら内線に手を取り受話器に耳を当てるモーションを取ると「共産党の議員に知り合いいるからな、お前の首なんで飛ばすの簡単なんだよバカが。馬鹿だから市役所でしか働けねえんだよな。馬鹿が」と言って去っていった。
糞みたいな相手に糞対応するのってこんなにストレスが貯まらないものなのか。感動した。4年間市役所で働いてて初めて知った。
隣で対応していた同僚に「ビックリしちゃいましたよー、でもあんま大きな声じゃ言えないんすけどスッキリしましたよ。ああいう客きたら増田さん呼びますね」と笑っていた。
こんな対応しても許される風潮があれば、抱えるストレスってもっともっと小さくて、転職なんて考えてなかったのかもしれない。
俺は今月いっぱいで仕事納めで来月から有給消化に入るんだけれども、コロナ禍の行政職の人の負担が人一倍わかるので、本当に体に気をつけて欲しい。頑張ってください。一日でも早い収束を祈ります。
去年の年末に、大阪市内で暮らしていた母が突然倒れた。原因はコロナだった。
母が倒れてから亡くなるまでの経過を、当時つけていた自分の日記から転載していく。
(日記の部分は長いので、時間のない方は最後の所感だけでも目を通してほしい。)
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2020/12/17(木)
夕方17時頃、仕事中だった。叔母から私の携帯に連絡があり、実家で母が倒れたということを知らされる。
この時点で、電話口からは「母はコロナに感染していて、心肺停止状態だ。救急搬送されて今は病院にいる。」という情報が耳に入ってきた。
いきなりだったので何のことか理解が追いつかずにうろたえていると、とりあえず搬送先の病院に連絡してほしいと言われる。
母がコロナに感染しているということもショックだったが、心肺停止ってどういうことだ?感染が判明して、いきなり重症化したってこと?
とりあえず病院に電話をかけると、担当の医師から、母の現在の状態を説明するのですぐに病院まで来てほしいと言われる。
慌てて職場を飛び出して病院にかけつけた。母はコロナ感染の疑いがあるということで、面会は禁止されていた。
遅れて病院にかけつけてきた姉と共に、ICUの前で医師から説明を受ける。
今日のお昼前に、実家で母が突然倒れた。側にいた父が気づいて、すぐに救急要請し、救急隊員がかけつけてくれた。
その時点ですでに心肺停止状態だったので、病院まで搬送される間に心臓マッサージ等の蘇生処置が取られた。
すると、止まっていた心臓が動き出した。その状態で病院のICUに運び込まれた。
精密検査をしてみると、膝に血栓ができていることがわかり、それが肺に飛んで、肺がつまって呼吸ができなくなり、それに伴い心臓も停止したらしい。
今現在、意識はなく、心臓を動かす薬を最大限に投入して、さらに心臓を動かす装置を取り付けて、無理やり動かしている状態だという。
蘇生処置の時に折れた肋骨が肺に突き刺さっていて、身体に大きなダメージが出ている。
心肺停止中に脳に酸素が届いていない時間が長かった為、脳にも大きなダメージが出ている可能性が高い。
今夜間か翌日中には、また心停止する可能性が高く、そうなったときにはおそらくもう助からないとはっきり言われた。
コロナの検査も行われていて、2種類ある検査の内の1つ目では陽性と判定が出ている。もう1つの検査で陽性と出れば確定らしいのだが、それは明日に結果が出るとのこと。
次に心停止した場合には、心臓マッサージ等の蘇生処置を取るかどうか確認されたのだ。
姉と二人でしばらく悩んだが、心停止した場合には、もう蘇生処置は取らずに自然に任せてくださいと回答した。しんどい。
コロナ陽性の疑いがあるので母とは面会することはできないのだが、看護師さんのご厚意でリモートで面会させてもらえることになった。
姉のスマホと私のスマホをラインのビデオ通話でつなげておき、その状態で看護師さんが防護服を着て、母の病室に姉のスマホを持ち込んでもらい、私のスマホから母の様子を見せてもらったり、話しかけたりさせてもらえた。
母の意識はないし、当然反応もないのだが、様子は大体わかった。口に管をつながれてつらそうな感じだった。気の毒で涙が出そうになる。
その後は、ICUの前で待機することもできないので、一旦帰宅することにする。
看護師さんから、次に病院から連絡をもらうタイミングをいつにするか確認された。母が心停止した時に連絡してもらうことにする。しんどい。
帰り道のタクシーの中で姉と少し話をしたのだが、どうもよくわからない。
同居していた父から少し話を聞いた感じでは、母は一週間くらい前から喉が痛かったり咳が出たりして、具合が悪そうだったらしい。
母は今年で73歳。基礎疾患などはなく、最近まで健康そのものだった。
コロナに感染すると、風邪に似た症状が続いて、その後いきなり重症化するというのは知識としてあったが、膝の血栓が肺に飛ぶとはどういうことなのだろう。コロナと何の関係があるのだろうか。血栓ができやすくなるというのは聞いたことがあるような気がするが、それのことなのだろうか。
「コロナ 血栓」でネット検索して色々調べると、やはり血栓ができる可能性が高くなることが最近わかってきつつあるというニュース記事がトップにあがっていた。
2020/12/18(金)
一日中いつでも病院からの呼び出しに応じれるように身構えていたが、結局連絡はなかった。
気を抜くと涙が出てくるので、気持ちを抑え込むのに精一杯だった。
あまり頭が回っていないので、頭を使わない単純作業を中心にこなしていた。
お昼過ぎに姉から連絡があって、母のコロナの残りの検査の結果がわかった。母はコロナ陽性で確定らしい。
同時に、同居していた父が濃厚接触者になってしまうとのことで、思わず頭を抱えてしまった。
母だけではなく、父まで感染したとなっては目も当てられない。
2020/12/19(土)
保健所から実家に連絡があって、父のPCR検査の日程が決まったらしい。次の月曜日だ。
もし陽性だったらどうしようと思いながらも、その可能性は高そうだと覚悟を決める。
とりあえず、保健所からの要請で、当面は父は自宅から外出することは禁止されているので、その間の食料品などの物資供給を、私がサポートすることになった。実家とは電車で15分ほど離れた場所に住んでいる私が、姉と比べると比較的近所だということで、私の担当になった。
午前中に父から必要なものの注文をメールで聞いて、午後から実家近くのスーパーに行って買い物した。それを実家の玄関先に置いておく。父と顔を合わせることは絶対にしてはいけないので、ピンポンダッシュした。
2020/12/20(日)
今日も父から注文が入ったので、救援物資を届けに行く。昨日は食料がメインだったが、今日は日用品が多かった。
父のPCR検査だが、タクシーで来るように指示されているらしく、お金を払う時に手間取らないように千円札10枚を封筒にいれて、それも救援物資と一緒に届けておいた。
帰宅後、姉とラインで、母の感染経路が本当にわからないという話をした。
父からの話では、最近の母は普段から買い物や銀行くらいしか行っていなかったそうなのだが、どこで感染したのかが本当にわからない。
不織布ではなく、自作した布マスクをしていたから、それで防御力が弱かったのだろうかとか、そのくらいしか要因が思いつかない。
2020/12/21(月)
お昼過ぎに、姉から連絡あり。病院から電話があって、母が元気になってきているらしい。
一時は危なかったが、今は心臓もちゃんと動いてきた。血圧も元に戻ってきたとのこと。
検査は市内の大学に併設の病院でやっていたのだが、大学の建物の中ではなく、小さなテントの中でやっていたらしい。
テントの中には小さなヒーターが置いてあって、他にも何人か来ていたが、間隔を開けて並んでいたそうだ。もちろんお互い会話はなし。
検査は一瞬で、「上を向いてください、チクっとしますよ」って言われて、鼻から管みたいなものを入れられてすぐ終わったらしい。
検査費用はかからなかった。保健所からの指示で受ける分には無料らしい。
2020/12/22(火)
ひとまずほっとした。
これから2週間の間はまだ外出禁止で、保健所から2日に一回連絡があって、健康状態を聞かれることになるらしい。
どうして一緒に暮らしていても、感染しないのかが不思議だった。
そのことをラインで姉と話し合ったが、よくわからないという結論で終わってしまった。
最近のコロナは変異して感染力が上がっている?母はそれで感染したのか?
でも、父には移っていないのが謎。かかりにくい人とそうでない人がいる?
2020/12/23(水)
どうも母に対する勧告書のようで、コロナから回復した際には、他人と接触する仕事をしたら罰則があるとかそういうことが書かれているらしい。
母が回復することはあるのだろうか。なんとか意識が戻るところまでいってくれないだろうか、そんなことばかり考えてしまう。
2020/12/24(木)
母が倒れて今日でちょうど一週間。病院からの連絡は特に何もない。
どうなっているのかが気になる。
2020/12/25(金)
今日で仕事納めだが、明日から休みになるという開放感がまるでない。
頭の中は母のことでいっぱいだ。
2020/12/26(土)
父に救援物資を届けに行った。
母が倒れてから、実家に帰る頻度が上がっているが、家の中には絶対に入れないので、あまり帰宅した感触がない。
2020/12/28(月)
家でぼんやりしていると、夕方16時頃に、母の担当医師から連絡があった。
母の症状は横ばいで、もう睡眠薬は与えていないが、ゆさぶったりしても反応はなく、意識が戻らない状態であるということ。
そして、12/24(木)に2度目のPCR検査を行ったが、結果は陰性に変わっていたとのこと。
1/4(月)から一般病棟に移ることになるので、そのタイミングで面会できる機会を設けると言われた。
一般病棟であっても原則面会は禁止なのだが、今回だけ特別に認めると言われた。
もし今後、血圧が下がっていったり、酸素の取り込み状態が悪くなるなどした時に、心臓マッサージや血圧を上げる薬の投与をするかということを尋ねられた。
どちらも体に負担をかける行為になってしまうが、どうしますかと訊かれた。
「今後、母の意識が戻ることはあるんですか?」
「心停止していた時間が長く、脳に酸素が届いていない時間が長かった為に、再起不能なまでにダメージがきているので、回復は難しい」
とはっきり言われた。
じゃぁ、と思った。
徐々に死に向かっていくのを、ただ見送ることしか私達にはできないのか。
そのことを踏まえたうえでの選択だ。
姉と電話で小一時間相談した結果、母の容態が悪化した際には積極的な回復処置は取らずに、自然に任せる方針でいくことにする。
肉親の生死に関わる方針を、こんなに短時間で決断していかないといけない残酷さに打ちのめされた。しんどい。
2020/12/29(火)
母の症状は横ばいとはいえ、高熱が出ていたり、少しずつ呼吸が弱くなっていったりと、厳しい状態であるらしい。
それを聞いて、またしんどくなってくる。
実家へ、四度目の救援物資の配達に行った。今日は姉にもついてきてもらった。
保健所によると、明日で父の外出禁止は解除になるらしい。なので、配達するのも今日で最後になるだろうとのこと。
お墓参りのことを父が気にしていたので、それもあわせて行ってきた。
姉はお金を触ったり、玄関のベルに触ったりするたびに、逐一手をアルコール消毒していて、結構神経過敏になっているみたい。
でも、大阪市内に入ったら、そこまでしないと今は危ないのかもしれない。
2020/12/31(木)
父によると、母の友人から、自宅に電話がかかってきたりしているらしい。
携帯がつながらず、音信不通になっているので、母のことを心配しているのだろう。
ちょっと家の用事で忙しくしているということにして、父が適当にごまかしているようだ。
2021/1/1(金)
元旦だが、一日家でじっとしている。
何もする気になれない。
2021/1/3(日)
姉とラインで少し話しをした。
いままで母がやってあげていたことが全部抜け落ちてしまうので、それをどう拾い上げていくか?
晩ごはんは生協のお弁当の配達を使うとか、家事も最低限やりやすいような形を模索していくとか、色々とそんなことを相談した。
2021/1/4(月)
今日は仕事初めだったが、なかなか集中して仕事に取り組めなかった。休憩多めでなんとか乗り切った。
今日から母が一般病棟に移る。でも、コロナの影響で、一般病棟であっても面会は全面禁止らしい。
でも、この間医師から連絡があったように、条件付き(一度に二人までの入室、事前に検温すること)で一度だけ面会が許可されるとのこと。
今日は、父と姉が二人で面会に行くことになった。
人工呼吸器が繋がれているので、口の周りは痛々しいけど、それ以外はそんなに変化はなかったらしい。
話しかけたり、手をさすったりしたけど、反応はない。手はすごくむくんでいて、結婚指輪が入らないので外されていたらしい。
母が救急搬送を受けた時に身に着けていた衣服が返却されてきたけど、ビニール袋でぐるぐる巻にされていたらしい。ウィルスはもう消えていると思われるけど、空ける場合は洗濯して欲しいと看護師さんから言われたとのこと。なんか怖いからそのままゴミの日に出すことにしたらしい。
私は、明日一人で面会に行くことになる。
2021/1/5(火)
ところが事前の検温で37.4度が出てしまい、病室には入れてもらえなかった。また後日来てくださいとのこと。
もよりの駅から病院まで20分くらい歩いたので、体が温まっていたのかもしれない。
また金曜日あたりに行こうと思う。
次は駅から病院までタクシーで行って、コートは脱いで、事前に一階で体温を何度か測って安全なのを確認してから挑むことにする。
2021/1/6(水)
もう母が倒れてから三週間近く経つからだろうか。この異常な状態にも、体が徐々に慣れてきているのかもしれない。
2021/1/7(木)
首都圏で緊急事態宣言が出たが、大阪ももうすぐ出ることになるようだ。
2021/1/8(金)
母の面会に行ってきた。
仕事を抜けて、最寄り駅まで電車で移動し、そこからタクシーで病院まで行った。
1階ロビーに腰掛けて、自分で持ってきた体温計で検温してみたら36.5度だったので、今日は大丈夫であることを確認して7階へ。
「お待ちしてました。お熱どうですか?」と看護師さんから言われ、「さっき測ったら36.5度でした」と応えると「じゃぁ、入ってください」と言われる。
母は口に管を入れられていて、そこだけ痛々しかったが、鼻から上は顔色もよく、穏やかな表情だった。
10年ほど前に咽頭がんで亡くなった義父が、亡くなる直前、意識を失った状態でとても苦しそうな表情をしていたのを覚えていたので、そのイメージで予想していたのだが、ぜんぜん違った。まるで眠っているみたいに見えた。
姉が言っていたように、手はむくんでぱんぱんだった。手と二の腕を握りながら何度も話しかけてみたが、反応はない。
いまにも目を開けて起き上がってきてもよさそうな感じがするのに、そうはならなかった。
時々、母がつながっている機器類から「ピコピコーン!」というアラート音が鳴るので、それが母にとってうるさくないのかなと気になった。
面会する時には、看護師立ち会いで、時間は5分だけだと事前に聞いていたのだが、看護師さんはすぐ病室からいなくなって、その後も一切呼びにこなかったので、結局一時間くらい母の側にいた。
一時間くらいたって、「ちょっとお体拭きますねー」と言いながら看護師さんが病室に入ってきたので、そのタイミングで帰ることにした。
職場の私の席の2つ後ろの島(5メートルくらい離れている)に座っている人が、コロナ感染の疑いがあって、今PCR検査を受けていて、結果が出るのが明後日らしい。
その島の人たちは全員帰宅していた。多分、当面はリモートになるのだろうか。
もし検査が陽性ならば、保健所が消毒しに来るし、その間はオフィスは立ち入り禁止になるのだろうか。
2021/1/11(月)
私の方は相変わらず時々、しゃくりあげるような呼吸と涙が出てくる。不意に母親のことが頭をよぎって、それに引きずられるようにして乱暴に心が揺さぶられるような感じだ。
2021/1/12(火)
仕事してると不意にしんどくなってくる。どこまで行ってもしんどいタイプのしんどさ、絶望感。
2021/1/13(水)
2021/1/14(木)
もうどうしたらいいのかわからない。どうしようもないのだけど。
2021/1/15(金)
出社してる時と特に変わりなく、集中力途切れずに仕事できたと思う。
今は週イチだが、これならフルリモートでもやっていけそうな気がする。
できるだけ出社時と同じ環境に自室を揃えることがコツだと思った。
仕事終わりの疲労感は、出社時とあまり変わらない。けど、通勤時間の2時間を有効活用できるのがいい。
2021/1/17(日)
一日家でぼんやりしているだけだった。何もする気がしない。
2021/1/18(月)
仕事に行っていたが、夕方に病院から私の携帯に電話があって、母の酸素の取り込み量が低下していて、今夜にも亡くなるかもしれないと告げられる。
慌てて姉と父に連絡し、病院へ向かう。
病室に入る前の事前の検温で、また37度が出た。いい加減にして欲しいこの体温計。体温計をリセットして、「熱はなかったです」って嘘の申告をして突破する。
二人づつしか面会できないとのことなので、はじめに父と二人で病室に入る。
母は苦しそうな感じもなく、穏やかな感じだった。今日は髪型に乱れもなく、きれいに見えた。
酸素取り込み量の数値が90を切るとまずくて、一時は70くらいまで低下していたが、持ち直して80くらいまで戻してきていると看護師さんから説明される。
母の意識はないが、それでも苦しかったりの感覚はあるのだろうか。
一旦、全員帰宅することにした。また容態が急変するようなことがあれば、連絡が貰えることになっている。
2021/1/19(火)
またすぐに連絡が来る可能性が高いので、それを待っているようで心身が疲弊していく。
2021/1/20(水)
ずっと非日常が続いているようで、そういう緊張状態にいつまでも心身が慣れていかずに悲鳴を上げている。
続き
↓
「あの、お話を聞かせて頂けませんか」と断られても無視されても声を掛け続ける彼女。
その場には彼女以外にも新聞社やらTV局やらの人たちが居て、皆情報を得ようと片っ端から声をかけていたのだが、スーツ姿の集団は誰一人立ち止まる様子もない。
自分も上司である調査役と共に浜松町の駅まで歩き、改札を抜けた所で「もう1社別のところに顔出して帰るから」と言われ上司と別れた。
とりあえず帰社して今日の報告書を作成しようと思ったのだが、先ほどの彼女のことが何故か気になって仕方がない。
少し時間が経っているしもう居なくなっているかもしれないな…と思いながら先ほどの場所に戻ると彼女はベンチに腰掛け空を見上げていた。
「少しだけならお話を聞かせてあげてもいいですよ」と声を掛けると、彼女は「いいんですか!?お願いします」と頭を下げてきた。
話の発端はそこから更に2年前の5月に遡る。自社取引先である某企業の決算がどうも怪しいらしいという新聞報道が出た。
(以下、企業名は初芝(仮名)と表記します。私が千葉ロッテファンなだけで、ネーミングに一切他意はありません)
当初はまぁちょっとした決算処理の誤りなのかと思っていたが、その後決算公表が2ヶ月程度遅延するという自体になり、そこそこに炎上した。
ただ大幅な下方修正に至ったもののとりあえずは鎮火した…と思われていた。
その後は選択と集中という名のもとに売却出来る事業を次から次へと手放し、事業体制の再構築に着手。
決算は事業会社としては過去最大となる数千億円単位の赤字を計上したが、ここから再生目指して再スタートをきる…はずであった。
取引先への年末の挨拶回りも終え、さあ仕事納めだなと思っていた12月末にとある経済新聞が恐ろしい爆弾をぶっこんできた。
そして報道の都度減損額は膨れ上がり、1000億超?⇒3000億超?⇒5000億超?⇒7000億超?と倍々ゲームの様相。
これまで初芝の管理は支店マターであったが、さすがにこれは面倒を見切れないということとなり本部の債権管理チームへ移管されることとなった。
絶賛大炎上中のプロジェクトに急遽担当として放り込まれることとなった私は「なぜ自分が火中のクリを…」と嘆きながら作業にとりかかった。
年明け以降私は初芝とのコンタクトをこまめに取ると共に、不定期に開催されるバンクミーティングにも担当として出席した。
ミーティング開催日ともなると、浜松町駅からスーツ姿の慇懃無礼な人たちがわらわらと本社ビル目指して歩みを進める。
私もその中に混ざりエントランスで受付を済ませると、一番端に臨時に用意されたミーティング参加者専用のエレベーターへと乗り込んだ。
さすが天下の初芝製エレベーターだけあってスピードが異常に速く、1階から会議室のある39階まで30秒ほどで到着。
参加者は約200名ほどで、株主総会ばりに最前列を主力3行(メガバンク2行+信託1行)の一同が固めている。
そして議事が進むとこれまた駄目な会社の株主総会ばりに初芝側に対する厳しい指摘が飛び交い続けた。
当初1時間の予定であったが、質疑応答が終わることなく続いたため2時間近くたってようやく会合は終了。
その間ひたすら報告書用の議事録を取り続けた私はくたくたになった状態でビルから出ると新聞記者と思しき人たち達が纏わりついてきた。
本社ビルの前で立ち話をするわけにもいかないので、近くの喫茶店に入り名刺交換をした。
「他社の人たちは大学の同級生が銀行に居るとかでそのツテで取材してるみたいなんですけど、私は地方の国立なのでそんなツテもなくて…」と頼み込まれては断ることも出来ず、私は本日のミーティングでのやりとりを一通り説明した。
「今後も引き続き情報交換お願いしますね」と言われ携帯番号とアドレスを交換した私は報告書作成のため自社へと戻った。
帰りの電車の中ではミーティングが終わったときの疲労感はどこかへ消え去ってしまい、何かデートを終えたあとのような気分になっていた。
その後も初芝の炎上は留まるところを知らず、東証の45日ルールを無視し二度に渡って決算短信の公表を延期した際のミーティングは地獄と化した。
「米子会社の減損はいくらなんですか」「2/14には公表します」
「2/14になりましたよ」「減損額は確定したけど監査法人がOKしないので決算短信は1ヶ月後になります」
「3/14になりましたよ」「決算に不正な圧力がかけられた可能性があるのでやっぱり公表出来ません」
などという茶番を繰り返した挙げ句のミーティングなので参加行のストレスゲージは完全に振り切れている状態。
特に初芝の場合は取引銀行が100行近くあり、直接やりとり出来る主力行とシンジケートローンのみの取引で初芝と直接コンタクト出来ない下位行との情報格差があまりに大きい点もストレスを増大させる理由となっていた。
「現時点では決算を公表出来ておりませんが、融資取引については引き続きの延長をお願いします」と頭を下げる初芝経営陣。
「あのさあ、こっちは今日このためだけに飛行機乗って九州から来たんだよ、何の説明にもなってないでしょうが!」
「何の判断材料も無しに延長しろって言われてもどう判断したらいいんですか、材料を下さいよ材料を!」
「銀行はどこも今月末が決算月なんですよ、御社の債務者区分どうしたらいいんですか、引当金をどうやって計算したらいいんですか。御社とちがってうちはちゃんと期限通りに決算しなきゃいけないんですよ!」
質疑応答開始から1時間経過したところで、初芝の司会担当が「1時間経過しましたので、時間の都合で質問を打ち切らせて頂きます」と言った瞬間、場は更に紛糾した。
「何考えてんだよ、ここお前の会社の会議室だろ、なんで時間の都合があるんだよ。この場以上に重要な会合あんの?」
「みんな期末で忙しい中わざわざ足運んでるんだ。ちゃんと全部質問に答えろ」「本気で銀行団の同意取り付ける気がある?失礼にもほどがあるわ!」
など怒号があちこちから飛び交い、質疑応答は時間無制限で行われることとなり、最後の質問が終わったときには開始から3時間ほどが経過していた。
ミーティング終了後、携帯を見ると彼女から「終わり次第連絡ください」とメールが来ていた。
私は彼女とお店に入り今日の出来事を面白おかしく伝えた。仕事的には一番辛かったが、個人的には一番楽しい時期でもあった。
その後初芝は保有する不動産と有価証券を全て銀行に担保として差入する一方で、保有するメモリ事業のファンドへの売却交渉を進めた。
米国子会社がチャプター11を申請したり、監査法人の意見不表明のままの決算を公表したりとなんやかんやありながらも、メモリ子会社の売却は完了し初芝はなんとか銀行借入を返済することが出来た。
当社も数十億円ほどあった初芝向け融資を無事に全額回収することができ、私もようやく重い荷を下ろすことが出来た。
いつもは取材だからといって彼女に奢ってもらっていたが、今回はお祝いもかねて私が彼女にディナーを奢ろう、そう思い彼女へメールを送った。
待ち合わせの時間に10分ほど遅れて彼女は喫茶店にやってきた。
「すいません、別の取材が入っちゃって。今日はまた何か新しいネタがあるんですか」
「いや、そういうのはないんだけど。うちの債権が無事回収出来たんでお祝いも兼ねてこの後夕飯でもどうかなと思って」
「あ、そうなんですか。でもごめんなさい、今日夜はまた別の件で打ち合わせがあるんで。本当にごめんなさい」
彼女は注文したカフェオレを飲み干すとこれまで本当にありがとうございましたと頭を下げ、そそくさと店を出て行ってしまった。
最初から自分の独り相撲だったわけか…。途方に暮れた私は駅までの道をとぼとぼと歩き浜松町で山手線に乗った。
電車の中で外を眺めながらこれまでの彼女との会話をずっと思い出していた。もう彼女とあんな風に楽しく話すことは二度とない。
「次は鶯谷~鶯谷~」 気が付くと電車は本来降りるべき駅をとっくに通り過ぎてしまっていた。私はあわてて電車を降りた。
どうせ帰宅したところで何もやる気にならない。仕方なく私は駅前に立ち並ぶラブホテルに入り、デリヘルで気晴らしをしていくことにした。
30分ほど待つと彼女ほどではないものの、若くてかわいい子がやってきたので少しだけ気が紛れた。
部屋の照明を暗くし、彼女の顔を脳裏に思い浮かべた状態で舐めてもらったこともあってあっという間に私は果ててしまった。
「ちょっと、イクならイクって言ってよ」と少し咽ながら怒る女の子。
私は笑いながらこう答えた。「出すよ出すよって言いながら一向に出さないお客さんよりはマシでしょう」