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はてなキーワード: ディアナ・アグロンとは

2023-12-11

anond:20231210211413

現実の悪を、フィクションにまで広げるのは間違い。という話ですよ。

楽曲フィクションから現実とは関係ないなら、アインシュタインよりディアナ・アグロンは?

女性蔑視として批判された「アインシュタインよりディアナ・アグロン」はフィクション自体の悪でしょう。

秋元康(悪ではない)➡︎ アインシュタインよりディアナ・アグロン(悪)

ジャニー喜多川による性加害(悪) ➡︎ 世界に一つだけの花(悪ではない)

作家の悪 ➡︎ ゆえに作品も悪

とはならない、と私は主張してるのです。

2023-03-17

まず、大きな目が「可愛い価値観文句言えよ

目が小さい女性も美しいという世の中にしたいという安藤サクラ発言が一部フェミニストから叩かれているようだけど。

まあ個人的にはそもそも娘のルックス言及安藤サクラがよくないと思うけれど

でも「女は目が大きいのが可愛くて価値がある」とされる世の中なのは現実じゃん?それで苦しんでる女が沢山いるのは事実じゃん?

安藤サクラはそんな社会を変えようとしているんだから、それはフェミニズム的にはなりとも評価していいと思うんだけど?

今度は目の大きな女性差別される世の中になったら~とか言うけれど、

絶対に来ねえよ、そんな世の中。日本社会の女の顔に対するデカ目童顔至上主義要求は異常だから安藤サクラ言動くらいで変わる訳がない。

何こいつら自分自身が目が大きくて得してるからって、その既得権益を失いたくないの?

そもそも容姿ジャッジされない社会にすべきだとか綺麗事を言ってるけれど、

でもこいつらが、安藤サクラが言い出す以前に、女性が(女性けが)目の大きさで判断される社会に対して物申してるのって一度も見た記憶いからな?

何と言っても、以前に「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞メチャクチャ叩かれた時も、女の子バカでいいって部分だけに集中して叩いていて

若い女性にルッキズム押し付ける「目の大きさが気になる」の部分には完全にノータッチだったから。

つい先日女子高生に二重整形を促す美容広告にキレてた時も、そもそも女にだけ二重が求められる社会批判すべきなのに、あくま広告だけを叩いて済ませてた

まずは女にだけ適用される厳しいルッキズム社会が前提としてあるのにそこは批判せず

それに対して適応しようと努力する行為ばかりをあげつらうって一体何なの?

脱コル運動とかもそうだけどさー、あの人達ってルッキズム社会放置して、盛んに鎧を脱ぐように求めてくるよね…

まあ時々言われるようにフェミニスト殆どは既婚や彼氏ちらしいからね…(ブスや喪女自虐して、どちらかというとアンチフェミになる)

現実社会適応出来て男に求められる、二重まぶたで目が大きい美人ばっかりだからこういう反応になるんだろうな

2022-11-08

NHK教育「♪男は狼なのよ気を付けなさい〜」

いやいや、「男は性欲の狼」が事実だとしてもさ。

まずNHK教育放送なんだから内容が教育以外の何物でもないのは、議論余地はないだろ。

そのNHK教育子どもに向かって「男は狼」と教えちゃうのはどうなんだ、って話よ。

視聴者には男の子もいるんだぜ?

ボクって狼なんだ… とセルフネグレクト的な自己認識インストールされたとしてもおかしくない。

女子視聴者にしても、男だって理由だけで危険因子として予防的に排斥する振る舞いをするように育つかもしれない。

SNSもない昔の時代から炎上もしないで許されてただけでしょ。

いまNHK教育アニメ女の子アインシュタインよりディアナ・アグロンって歌ったら炎上するでしょ。それと同型。

anond:20221108233729

anond:20221108232414

待ってよ。

アインシュタインよりディアナ・アグロン押し付けだけどさ、

twitterトレンドだけじゃなく元増田反省でも示唆されてるように

男と性欲が切っても切り離されないのは「事実」なんじゃないの??

anond:20221108225044

♪ 男は狼なのよ 気を付けなさい

♪ 羊の顔をしていても 心の中は 狼が牙を剥く そういうもの

ピンクレディー『S・O・S 』

男は性欲に動かされてる獣だと、昔から見なされていたが…。

思い違いでなければ、NHK教育の子供向けアニメ主題歌だったよな、これ。

今は、女の子アインシュタインよりディアナ・アグロンと歌っただけでも炎上するのに、、、

牧歌的時代だったもんだねぇ〜〜

2021-12-27

コンサート感想

ブログとか沢山文章を書ける場所を持っていないので持て余した感情を解き放ってすっきりしたい。

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25日クリスマス土曜日M-Line Special Make a Wishというコンサートに行ってきた。

M-Lineアップフロント所属する主にハロープロジェクトOGメンバーを中心とした歌手活動を行うアーティストたちの総称というかファンクラブ名称

私の参加した25日には元モーニング娘。道重さゆみ、元Berryz工房夏焼雅、元Juice=juice宮本佳林、元つばきファクトリー小片リサが出演。

上記以外にも元℃-ute鈴木愛理元モーニング娘。高橋愛田中れいなが出演したり現役ハロプロメンバーゲスト出演することもある。

ハロプロ同様ほぼ毎週末全国のどこかでコンサートをしていてセットリスト出演者結構毎回変わるらしい(下調べせずに行ったのでこの辺は曖昧です)

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もともとハロプロ好きではあるがそこまで熱心にOGは追ってなかったものの、昨年juice=juice卒業した宮本佳林ソロデビュー曲として収録されている「氷点下」がとても素晴らしくてどうしても生で聞いてみたくて参加した。

https://www.youtube.com/watch?v=ejeKV4zq0EI

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結果としてセットリストには「氷点下」は入らなかった。残念。

しかクリスマスということでハロプロソングの中からクリスマスソングをチョイスしていたり、今日だけの特別セットリストを聞けたのは嬉しかった。

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道重さゆみパフォーマンスを生で見るのは何年ぶりというくらい久しぶりだったのだが相変わらず彼女の放つ「かわいい」は強い。

道重さゆみが思う道重さゆみ最上級な「かわいい」を声、歌、ダンス、表情、ポージングすべてから感じて、ブレのなさ、セルフプロデュース力に改めて感服した。

卒業して何年も経つのに今でも道重Tシャツを着てコンサートに足を運ぶ彼女ファンの皆さんの気持ち共感する。

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今回の道重さゆみ夏焼雅宮本佳林小片リサという4人のメンバーの中で名も顔も一番知られているのは道重さゆみだろうが、

おそらくM-Lineの中心、エースというかセンター、顔とも言えるポジションになるのは今年ソロデビューしたばかりの宮本佳林(と、この日はいなかったが鈴木愛理

歌もダンスも申し分ない実力のある夏焼雅といるだけで存在感抜群な道重さゆみはむしろ宮本佳林小片リサを支えながらリードもする頼もしい先輩という立ち位置のような気がしていた。

(もちろん個人の感想ですし二人がこのコンサートの脇役という意味ではない。全員どう見たって主役だった)

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この4人の中で、小片リサつばきファクトリーを諸事情活動休止、脱退、そしてソロとして再デビューという少々後ろ暗い経歴があり、

なおかつM-Lineの中では活動歴が最も浅い後輩メンバーという微妙立ち位置

表向きはカバーアルバムを発表して、イベントではつばきファクトリー和解する機会も設けられ新たなスタートを切っているものの、

自分つばきファクトリーでは小片リサが好きだったこともあり、大丈夫かな、と不安で複雑な思いを抱えていた。

脱退の理由となっているものが他メンバーにも少なからず関わる内容でもあるため加護ちゃん喫煙騒動のように個人問題として自虐昇華してしまうのも難しく(自虐にできるほど時間も経ってないし)

その経歴ごと小片リサが腫れ物扱いになってしまわないか不安だった。

最初に復帰したM-Lineコンサートで暖かく迎え入れられていたというをレポを見聞きしていてもやっぱり不安なわけです。

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しかし行ってみればM-Lineではソロアーティストjuice=juiceの元センターで売出し中の宮本佳林が自ら喜んでトナカイの被り物をしたり汚れ役と言うかピエロ道化?を演じに行ってしまい、

その調子のまま小片リサ道重さゆみにも絡みにいき、道重さゆみには絡みにくいと困惑される状態。(とてもおもしろかった)

仮にこの被り物や道重さゆみという大先輩にグイグイいくような役回り小片リサがしているとその経歴と元の彼女の真面目な性格から罰ゲーム感」が出てしまもの

M-Lineの輪の中心にいる宮本佳林が自ら引き受けてそこに小片リサを巻き込んでMCをしたり、SNSでも彼女との交流を重ねている様子をアピールしてくれているのは

小片リサが新たなスタートを切るにあたってとてつもなく温かい支援だと感じた。孤立させず、かと言って罰ゲーム空気も出さず、すごくうまいやり方でM-Lineに溶け込ませている。

宮本佳林本心はわからないけどサポートのつもりでやっていると言うよりは恐らく心から楽しんで小片リサ交流を重ねているものと思う。

ファンの一人として本当にありがとうという気持ちでいっぱい。

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そして今回目的であった宮本佳林の「氷点下」は聞けなかったもの小片リサデビューカバーアルバムに収録されている「真夜中のドア〜stay with me」が本当に素晴らしかった。

https://www.youtube.com/watch?v=LpFTzsG23Pw

You Tube撮影時は前髪を切りたてだったらしい)

クリスマス失恋ソングかいな、と思ったがとくに最近失恋したわけでもないのに胸に響いて涙が出そうになり気づけば前のめりになって聞いていた。

ステージで毎週末歌い続けることで既出動画音源よりも完成度を高めてきたのだと思う。本当にこの曲を聞くことができてよかったと思う。

来年M-Lineコンサートは続き、ゲストを迎えながらのソロライブもする予定らしいのでより多くの人の耳に小片リサの生歌での「真夜中のドア」が届いてほしい。

パフォーマンスに関しては先述の道重さゆみが「かわいい」に全振りしているわけだけど、小片リサ場合は本当に彼女の真面目さというのをとても感じる。

ものすごく可愛いとか大胆でダイナミックだとかそうした派手さやわかやすい特徴はないかもしれないが曲に対して真摯で丁寧。

そうだ、つばきファクトリー時代から彼女パフォーマンスのこうした真面目な部分が愛おしくて惹かれたんだったな、と思い出させてくれた。

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コンサート最後に歌われたのは「HAPPY作戦(モーニング娘。)だった。

この曲を歌う前のMC道重さゆみ

今日ここに集まっている人たちはみな違う個性を持っていて、まったく生まれたところも住んでるところ全然違って…あ、一部同じ服(道重T)の人もいるけど(笑)、それでも今日この日はここでこのコンサートに来たいと思って集まってくれたそのことが、そしてここにいるみんなが愛おしい(意訳)」と言ってくれてジーンと染み渡った。

このMCはおそらく「HAPPY作戦」の2番の歌詞『君も 私も あの子も違うんが個性なんだよ』というところに引っ掛けて話してくれたのだと思う。

そうした部分にも道重さゆみらしさを感じて、きっと道重さゆみファンはまた彼女の虜になるんだろうなあと感服。

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そしてこの「HAPPY作戦」の歌詞は、目の前にある仕事勉強もなんだって全力で頑張るんだ、手は抜かない、そんでみんなで最高の未来をつくろうよ、なんて綺麗事とも取れるが

日々仕事や色々な面倒事、聞くに堪えないニュースを見聞きしている生活の中でふとこういう曲を聞くと、「あぁそうだな頑張らなくちゃな」と思えてしまもの

そしてこの曲は少し前にも一部でツイッター話題に上がっていた。

秋元康HKT48というグループに書いた「アインシュタインよりディアナ・アグロン」という曲が簡単に言うと「女の子バカでいい」とでも言っているようで女性蔑視的だと批判されたのだが、

(見てみるとびっくりするほど薄っぺら歌詞なのでさすがにプロデューサーとしてこれを自分とこのアイドルに歌わせようと思ってしまうのどうなんだろうと思ってしまう)

それに対して恵泉女学園大学ではそれならばどういった歌詞なら良かっただろうか?という授業を行い替え歌が作られたという。

https://www.keisen.ac.jp/blog/president/2016/05/post-4.html

そしてその替え歌歌詞モーニング娘。の「HAPPY作戦」的な世界観だとして一部で話題になっていた。

HKTの曲が話題に上がった(炎上した?)のは2016年頃のようだが自分がこれについてのツイートを知ったのは先月かそこらのことだった。たまたまRTで見た。

改めて聞いて、そうだ頑張らなくちゃな、学生の頃なんかはこうした歌詞を見ても斜に構えて綺麗事言っちゃってさ、と思っていたけど結局歳を重ねていくと色んなことに真摯に立ち向かって頑張っていかなきゃいけないんだと思わざるを得ないことが多くてこうした曲に立ち戻って勇気づけられてしまうんだなと思う。

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さて、まだ明日仕事だけれど仕事納めでもある。

そんな明日も頑張って上司とやりあって最高の2022年を迎えるんだって気持ちになった。

今年の最後に良いコンサートに行けた。

この気持ち文章にできてよかった。

おやすみなさい。

2016-05-10

アインシュタインよりディアナ・アグロンを取り巻く意見について

もうとうにブーム……いや、炎上は収まったことだろうか?

私のTLには未だに批判意見が流れてくる秋元康の「アインシュタインよりディアナ・アグロン

今更のような気もするが、未だに私の中でモヤモヤが消えないのでここに吐き出させてもらう。

その前に、簡素だが私のことを書く。

アラサーの女

以上だ。

ついでに言うと二次元女の子アイドルを愛でている。

三次元アイドルやぶさかではない。娘。は最高だ)

モヤモヤというのは「アインシュタインよりディアナ・アグロン」についての批判意見が多すぎるということ。

批判したい気持ちはわかるし、批判の内容はごもっとなのだが、それに対して「この歌詞はかわいくていいじゃないか」という意見をあまり見かけない。というか、そう言えないこの現状。

(あ、ディアナ・アグロンは怒っていいと思うんですよ。なんかバカ代名詞みたいにされちゃって可哀想

私はこの歌詞が嫌いではない。かわいいとすら思う。

なぜだろうか。

1つはそういう女性がいてほしいという願望なのだろう。

アイドルに求めるものに近いというか…ただ愛でるだけの偶像を求めているのかな、と思う。これは男性依りの思考だと思う。

ただ可愛いを追求する女の子。そんな女の子を支えたい。なんというか…推したい。という感情に近い。むろん頭のいい子は推せない、と言うつもりはないが、正直私はバカな子のほうが愛しい。

二次元アイドルを好きな理由はここにある。現実女の子をあまりそういう目で見ているというのは公言しがたい)

女性的な願望…いや、個人的な願望としては、見てくれのいい女の中身はからっぽであってほしいという願望か。これは偶像云々ではなく、純粋に見た目で勝てないような相手に、せめて中身で勝ちたいから中身がなければいい、と願う卑しい感情である

実際、見た目だけで得をして生きている(ように見える)女はいやというほど見てきた。(私が得をしたこともある)

これは土台となった現状が悪いと言われればそれまでだが、そんな現状で生きてきた私がそういう思考で生きていたからといって誰が私を責められるだろうか。

ようは、見た目がいいんだからバカであってほしいのだ。そこしか勝てないから。

後者の私の卑しい感情は置いておくにして、ただ可愛い<だけの>子を推したいと思うのはよろしくないことなのだろうか。

私はただ可愛いだけ頭がからっぽの子を愛でたい。

更に言えば、そんな子になりたかった。

そう、そういう子になりたかたかアイドルが好きなのだ

アイドルは正直めちゃくちゃ努力してああなっている。でもその努力をおくびにも出さずにちょっとぬけた可愛いだけの偶像を演じてくれている。

から私はその偶像享受し、自分がなりたかたか可愛いだけの子をその偶像見出し自己投影して愛でる。

うわぁ…めっちゃ気持ち悪い。皆様の声が聴こえる。でもそうなんだから仕方ない。

話がそれました。

ようは、この曲は「一部の層がアイドルに求めること」を的確に表しているように思うのだ。

少なくとも、私の推したい(なりたかった)女の子理想像のものだ。

内面もっともっと考えていようが賢かろうがどうでもいい、表面はこうであってほしいもの、そのもの

理想アイドル像って実際の女からみたらそんなに非難したいもの

あなた達がこうならなきゃいいじゃない。

私はこうなりたかったしこういう女の子が(推し的な意味で)大好きだ。

まとまらないけど、言いたい。この歌詞かわいい

今の私の心境は、とってもかわいいカバンを見つけて大喜びしているのに「機能的じゃない」「ポッケないじゃん」「使えない」とめちゃくちゃdisられた気分なんだ。

私はこの歌詞が好き。こうなりたかった。

2016-04-25

そういえば秋元康アインシュタインよりディアナ・アグロンを叩いているフェミニストの中に、

「目の大きさが気になる」に着目して叩いている人が一人も見付けられなくて絶望した

2016-04-23

HKT48炎上楽曲はそういう女の子を求める日本社会へのアイロニー

アインシュタインよりディアナ・アグロン」で炎上してるHKTですが

なにしろHKTのメンやヲタは「ブスだけど有能」が売りで一癖も二癖もあるHKT支配人指原が秋元に最も寵愛されているメンなのはわかりきっているし

AKBセンターHKT宮脇がそのルックス以上に頭の良さと強い意志で今の地位にいるのがわかりすぎるほどわかっている。宮脇と同程度のルックスや可愛さだったらわざわざ博多から持ってこなくてもAKB本体に何人もいるのだ

本来この歌を聴くのは熱心な博多ヲタしかいない

炎上してから批判している連中も分析している連中も大半はHKTセンターをめぐる複雑な物語構成や個々のメンの特徴を知らんわけで

博多ヲタならこの歌詞から表層的な意味と裏腹の意味を見出すのだからこのような批判は出ようはずもないのだ

ディアナグロンの名前をだしたのも反語的な意味があると深読みしてもおかしくない

楽曲歌唱の4人はいずれも次期センター候補

田島は初代HKTセンター速読が得意な読書家。秋元が最もアイドルとしての才能を認める一人。

朝長もかつてのHKTセンター。この歌詞に表面的には一番しっくりくるがセンターを外されたときにひどく悔し涙を流すなど熱く秘めた情熱を持っているメンバー

矢吹は元子役でなんでもこなせるスーパーキッズ未来AKBセンター候補

田中美はファンを引き付ける能力が高く、戦略的ファンを増やしている

この4人は間違いなくこの歌詞反語的な意味を読み取っている

確かにこの4人はみな無邪気で女の子らしい一面を指原や宮脇以上に持っているとは思うが

この歌詞に出てくるような何も考えない女の子じゃセンター候補に選ばれることはないのだ

HKTにはこの4人と同年代で先輩の田中菜津美という15歳のメンバーがいる。身長171センチ、口が達者でファッションセンスは最悪、ただし言葉のチョイスと、4万人の観客の前でも臆せず一人でMCができる度胸とスキル高校生になったばかりではありえない天才的なメンがいる。この歌詞とは真逆といってもいい存在秋元はこの田中の話芸を「鶴瓶をみるようだ」として最も高く買っていて、前曲では秋元選抜強硬に推したにもかかわらず他のスタッフスルーされてしまった(秋元意見が必ずしも通らないのだ)秋元が推すのはこういうメンバーなのだ

この「アインシュ・・・」を歌唱しているHKT4人はこのAKBGトップ二人そして秋元が推す同世代田中菜と同じグループの、センター候補の後輩たちなのだからこの歌詞反語的な意味合いだというのは私のようなただのファンの百倍はわかっているのだ

あのMVを見ただけで「あんなの歌わされるなんてかわいそうだ」と言ってる連中は実はあの四人の可愛らしい見た目で実は中身までないと思っているのだ

2016-04-16

アインシュタインよりディアナ・アグロン』読解

アインシュタインよりディアナ・アグロン』の歌詞批判されている。

http://matome.naver.jp/odai/2146033391996228201

http://mess-y.com/archives/29624

大変もっともな批判だと思うが、せっかくなので匿名で別の見方を書いてみたい。

秋元康バカじゃない

秋元康性格悪いかもしれないし、心が歪んでいるかもしれないが、海外ドラマは好きらしいし、ドラマを見てメッセージ誤読するようなバカじゃないはず。たぶん元のドラマを見ていて、ドラマメッセージもよく分かっている(この前提に同意できない人はこの後読んでも無駄かもしれない)。

歌手:なこみく&めるみお

歌詞カードクレジットを見ると上記の通り。要するにHKT48というグループから選抜されたユニットの曲。そしてシングルカップリング。こういうの扱いの曲にはちょっとしたお遊びが入るのがアイドルソングの恒例。たとえばグループ卒業する主要メンバーカップリングソロ曲をもらって、歌詞も歌っている本人の体験を元にして本人のイメージに近づけて書くとか。つまり、この歌詞はなこさんかみくさんかめるさんかみおさんの実体である

なんで役名じゃなくて俳優名なの?

最初に私が引っ掛かったのは『glee』というドラマを見た女の子の歌なのに、歌詞が役名のクイン・ファブレイじゃなくて俳優名のディアナ・アグロンなことだった。この時点で既に歌詞主人公女の子俳優さん本人と演じるキャラがごっちゃになるタイプバカという設定なんよ。ハリウッド映画を観に行って「外人てみんな同じ顔してるから話が分かんなくなっちゃった」言うのと同じタイプバカという設定なんよ。「おバカでいい」と思っている人じゃなくて、客観的バカなんよ。

余談だが、大昔ご飯屋さんで隣のOL3人組みたいなのが「ほら、『ER』にイタリア系モテる小児科医がいるじゃん…」ていう会話してて、横からダグラス・ロスでもジョージ・クルーニーでも、名前のどこにイタリア系の要素があるんだよ!顔が濃かったらみんなイタリア系かよ!」ってツッコミたくなった経験がある。TV海外ドラマなんて雑に見ている奴いっぱいいるから。みんながみんなメッセージとか気にしてないから。ぼけっとしながら見誤読する奴いっぱいいるから。

邪推というか結論

おそらく秋元康ユニットの4人の誰かが舞台裏かどこかで世間話をしていたんよ。そしたらその子が「最近グリー』っていうドラマにハマってんれすよ。その中でも特にディアナ・アグロンていう女の子がすごくきれいで、目なんかもキラキラしてて、男の子にもモテて、すごく憧れなんれすよ」みたいな話をしてきて、秋元は心の中で「うわー、こいつ、ドラマ現実区別曖昧だぞ。ドラマの内容も全然読み取れてないぞ。…うーん、でも、こいつ、TVで見た人に憧れて、その人に近づこうといろいろチャレンジして、これはこれで本人はなんか幸せそうだなあ。よし、こいつを主人公にした曲を1つ作ってみるか」みたいなことがあったんだろう。

「この歌詞秋元康理想女の子を描いているに違いない!ロールモデルにしようと企んでいるに違いない!」と考えるか、実在モデルがいる実在エピソードを元にした歌詞と考えるか。歌っている本人は案外「うわー、私が話した事を元に歌にしてくれてる。私だけの歌だ。大切にしよう」と思っているかもしれない。

2016-04-14

アインシュタインよりディアナ・アグロン歌詞は「目の大きさ」に拘ってる所に私としては結構感心しましたね。

「目が大きい」=「可愛い信仰は、女性に対するルッキズムの最たるものの一つですから

「難しいことは何も考えない 頭空っぽでいい」「女の子は可愛くなきゃね 学生時代おバカでいい」「どんなに勉強できても 愛されなきゃ意味がない」 よりも

「目の大きさが気になる」の方が歌詞として問題だと思うんですがそこに触れるフェミニストを見た事ないですね

2016-04-12

秋元康の書いた歌詞正論しか言っていない件

難しいことは何も考えない

空っぽでいい

二足歩行が楽だし ふわり軽く

風船みたいに生きたいんだ

女の子は可愛くなきゃね

学生時代おバカでいい

今一番大切なことはそう

キャピキャピと音が聞こえることでしょ

アインシュタインよりディアナ・アグロン

テストの点以上 目の大きさが気になる

どんなに勉強できても

愛されなきゃ意味がない

スカートひらひらとさせて

グリーのように

実際、バカ必死こいて勉強して一般入試受けるより、コミュ力磨いてAO入試受けたほうがいい大学入れる可能性高いじゃん。

入学後もコミュ力ある奴は過去問回してもらってコミュ障ガリ勉よりいい成績取れるし、就活なんか外見とコミュ力がある奴が圧倒的に有利だろ。

「どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない」って男女問わず普通に生きてたら当たり前。

glee世界ではクイーン・ビーだったことを過去の栄光にして田舎に生きるしかないのかもしれないが、

現代日本ではクイーン・ビーはクイーン・ビーのまま女子アナになって、野球選手IT起業家結婚したり、自民党から出馬して政治家になれるんだぞ。

 
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