はてなキーワード: 刑務所とは
まず、現状のマスゴミ、テレビ・新聞などで、生活保護が好意的に描かれることはまずないし、見たことがある奴さえいないだろう。
マスゴミが生活保護を取り上げる時は、いつも必ず、不正受給か、受給者の犯罪の時しかない。
私は昔、生活に困った若者同士で、生活保護の受け方を教え合うグループについての報道で、「けしからん! 若いなら働け!」というだけのニュースかワイドショーさえ見たことがある。
不正受給でも他の受給者の犯罪でも、朝日テレビは叩きまくっていた。
日本は、貧困者への福祉を攻撃したメディアがリベラル面できる、世界で唯一の国だろう。
実際は、生活保護が受けられなくて、犯罪を犯すケースの方が、よっぽど多いにも関わらず、そうした事件が報道されることは全くない。
ところが、当の受給者やニートたちでさえ、そうしたテレビへの危機感は少ない。
彼らは、目につくネットの工作員にしか見えないアンチには危機感を抱くのに、テレビには抱きにくい。
というのも、テレビが生活保護を取り上げる回数は少なく、そもそも、そうした受給者たちは、テレビなど見ないからだ。
テレビを見ないように誘導されている、と言った方が正確だろう。
生活保護を取り上げる回数が少なくとも、何度も定期的に流すので、テレビに釘付けの主婦や学生層は、何度となく、そうした報道を目にしている。
だが、極たまにしかテレビを見ない層が、そうした報道を目にする確率は、限りなく低い。
そうして、反感を持たれる層からステルスしながら、生活保護について、特に何とも思ってない、自分が受ける立場になることなんてないと思ってる層に対しては、何度でもネガキャンを繰り返せる。
人は、自分に関心がないことについては、目につきやすい説を、特に考えることもなく、そうなんだ~と思いやすい。
そもそも、生活保護が貰えずに飢え死にするくらいなら、犯罪を犯して刑務所送りにされた方がまだマシなんだから、少し常識で考えれば、生活保護が犯罪を抑止する効果が高いことは分かりそうなものだが、関心の低い人間が、そこまで考えることは殆どない。
真実を言おう。学校とは、刑務所だ。子供という面倒な存在を隔離するための施設である。
これは「ハッカーと画家」でも述べられている真実なので覚えておくように。
人生の早いうちから起業や就職のスキルを得た「賢い人」は、大学へ行かないか、または中退する。
シリコンバレーでは昔から「大学で浪費するな」と言われ続けている。
そう、お前という存在は、大卒という肩書にしか誇れるものがないから、学位を得たというサンクコストにしがみついて必死なわけだ。
こういうサンクコストバイアスに飲まれた意識他界系の大卒者連中が、なぜ無能であるにもかかわらず、学歴フィルターなどといって無能を雇うのか。
これも真実なので言っておく。JTCは従順な羊が大好物だ。何の疑いもせず、一直線にエリートコースを歩んできた、勉強だけが取り柄の従順な羊は扱いやすいのである。
扱いやすい羊は一生管理される運命にあるので、管理外のところで高卒者を差別し始めたりと、荒っぽいことをする。
学歴だけが取り柄の連中が学歴差別をし始めるのは想像するに容易い。
さて、俺が何が言いたいかわかるか?
人生がサバイバルであるならば、法律に従って善である限り手段を選ぶ必要がないということだ。
お前がもし子供時代に戻って、手段を選ばずに人生を歩もうとしたらどうするか。羊になるか狼になるか。
それがそのまま今のお前が人生において適用できる戦略になるに違いない。
では、その戦略、つまり手段を選ばないという戦略をお前は今から選べるのか。
ハマースは選挙によって信を得ていたという。ならばその政策の帰結として侵攻を許すことは甘受せざるを得ないだろう。一時の夢に浮かれて原理主義者共を政権に擬したその責任を己で負わずして何の民主主義か。
ガザの外に出る自由もなかったと、青天井の刑務所であったという。日々報復攻撃に苦しんでいたという。失業率が50%で働き口すらなかったという。無為の日々が苦痛であったという。
なぜそのような抑圧を受けるに至ったか。すべては統治を握っていた、あの日熱狂の末に選んだハマースの政策の当然の帰結である。
抑圧されているのならば革命を起こすことこそ、不正を見たのならば加担しないことこそ、正しき人民の義務だったはずだ。
翻って、リベラル人士はこぞって一発の銃弾も打たず、一人の敵国人すら殺さなかったのになお、人民の敵であるという理由だけでアベを殺せ撃てと命じてきたのである。
ならば、リベラル人士はロケット弾を発射し、隣人の老若男女を虐殺した、真に人民の敵であるハマースの首魁共をこそ殺せ撃てとというべきだろう。そしてガザ住民は現にそれを昨日まで怠ってきた。その帰結がこのテロルである。年端もいかぬ赤子の首を鍬で押し切り、住民であるというだけで射殺し、身も知らぬ異国人をそうであるというだけで辱めて殺し、遺体にまで侮りを加える虐殺劇である。
外に出る自由がなかったのではない、出る蛮勇を持たなかったのだ。地中海を見よ、蛮勇によって千万の難民が溺死している。それでも彼らは自由を明日を求めて絶望的な船出に己の身を賭けている。
日々報復を受けていたことは痛ましかろう。ならばなぜその原因となる攻撃を止めなかったか。
働き口すらないのは難儀だろう。しかし逆説的に言えばそれで生活が成り立っているということは、テロ組織のおこぼれにあずかって今日まで来たということだ。テロ組織に対する資金は即ち無為に殺害された他人によって稼がれたものだ。それを承知で、湯気の立った生き血をもせせって浅ましくも生き永らえてきたのだ。
何もできなかった日々ではない、それら正しき行いをせずに空費してきた日々なのだ。
ましてガザの地は全くの徒手空拳であった訳ではない。そこには突撃銃が、爆薬が、ロケット弾が、容易に入手できること日本の、世界に遍在する本物の刑務所の比ではない。なぜ原理主義者共を打倒しなかったのか。自由と職と正義と平和を求めて蜂起しなかったのか。それをガザの住人は大なり小なり怠ってきた。それをしない、即ち肉屋を支持する豚であったからだ。不正を、流血を、戦争を傍観し消極的にせよ支持してきたからこその今日がある。
その前に酒を差し出して、戦車の前で歌を歌って、武器を差し出して和を乞うことこそ、危機に際して人民の正しいふるまいだろう。リベラル人士は常にそう説いてきた。しかしそれを彼らがしないならば、その結果はやはり全くの自己責任であったというべきだ。
選択の時は十分にあった。正しさを選べなかったツケを払う時が目前に迫っている。残念ながらそれは彼らの選択の末だったということだ。
「実はお前、人を殺したことがあるんだぞ。お前が2歳の時、三輪車に乗ってたら小さい子男の子を轢いてしまってな、打ちどころが悪かったのかそのまま死んじゃったんだ。俺とお前はそのまま逃げた。そしたらちょうどその場所で交通事故が起こってな。2台の車が衝突した。小さい男の子はその事故で亡くなったとされた。運転手は男の子を轢き殺したという罪で刑務所に入った。だからお前は人殺しなんだけどセーフだったんだ」
俺は急にそんなことを言われて怒り狂った。
「なんで今そんなこと言うの?しかも酒飲みながら、笑いながら!」
すると横にいた母親が
「そうなんだよね…お父さんはそう言うのよ。でもあなたは悪くないから…」とか言ってきた。
俺は頭が変になりそうになって、悲しいやら悔しいやら、罪悪感も感じるしどうしたらわからなくなった。
自首するべきなのか?でも悪いのは俺なのか?2歳の俺ではなく、逃げた親父が悪いのでは?そもそも証拠もないし、何十年前の話だ。今更蒸し返すこともないのか…?
そんなことを思いながら何もせず過ごしてたら、親父が亡くなった。
もうどうしようもない。
今から自首しようにも、証言する父親が亡くなってたら意味がない。しかも酔ってたし与太話かもしれない。
でも人殺しって時効がないよな?ずっと俺は罪の意識を抱きながら生きなきゃいけないのか?
そんなことを思った。もちろんこれは仮の話だよ。
今もモヤモヤしてるけど、親父の妄言だよなとは思ってる。三輪車で子供を轢き殺すなんてあり得ないしな。
さっきもその場面の夢を見てしまってうなされた。
もちろん仮の話だ。聞き流してくれ。吐き出して少しスッキリした。
(追記)
コメントありがとうございます。やっぱり親父の嘘だと思いますが、当時の記事を調べてみます。
2歳の子供には責任能力がないという話も気が楽になりました。ありがとうございます
おっいたの?
おまえもそういったよなぁ。
じゃあ次はどうして自動車のエアコンガスに付随しているクーラーオイルをクーラーオイル単体で詰め替えたかのようにいったのか。
それと「補充というべきものなのに「変えさせられた」と最初に自分で書いた」理由。2023年9月26日15時42分ごろおまえの頭はどうなってたの?
「変える」って普通取り替えるか入れ替えるの省略形だよね。なんで「補充させられた」って書かなかったの?なにを「変えた」の?そこに重大な論理の飛躍がありますが?
さあ俺にわかるように説明して。短文だろうが長文だろうが全然ごまかしばっかりで納得できてないから。非論理的な主張の押し付けじゃんかw
無説明だと論理の飛躍に当たることをすることに対する落ち度はどう考えても説明しない側にあるだろうよ。
どう転んでもそれにより生じた飛躍に対してアホと言われたことに対して、授業料云々言ったところで逆ギレでしかないわ。
なんていったんだからおのれの労力顧みずに完全に説明してくれるよね? 飛躍に焦点をあてれば飛躍はアホなんでしょ?(なんでこいつ何度も「焦点をあて」るのかね、アホみたいな文にしかならんのにw)
おまえ自身がアホと認定されていいと明示することと引き換えに「クーラーオイルをかえさせられた」発言以降の自動車関連主張をすべて諦めてもいいよw
「対価が無かろうが主張するなら論理的に行うのは義務。その義務を果たしたくないならそもそも主張することを諦めることだ。」ふふっ「諦めることだ」wwwwwwあっははは、かっこいいね!
自分の言を守って諦めたのかとおもってたよ、9/28から10/6まで一週間以上かかって諦め切れないなんて本当にアホだなw
この愉快な増田は「クーラーオイルの説明してくれないで逃げる増田」だからなぁ、また俺がスレッドストッパー取れちゃうかな……
視聴率のリンク先を読めばこんなことにはならなかったのになw刑務所でもwikipedia位は読めるはずだがw
あ~中国かなぁw
諦めたのねw 馬鹿だな~w
元ヤクザだの元半グレだの重度の人格障害だの、全て当たってはいるんだけども
あれ根本は重度の尊大型アスペルガーか、幼少期の異常な環境で脳の海馬や側頭葉が死滅してるんだと思う(脳細胞は壊れると二度と復活しない)
うちの会社にも似たようなの2,3人いるし、ツイッターだといそにいがかなり近いと思う
ようするに何が言いたいかというと、あれは何をどうやっても治らない
正直に言えば、どこか残念でありほっとしている。
※
対馬市長は先日、最終処分場への文献調査候補地として、応募しない旨の宣言をした。
もともと、核廃棄物の処分場はもう十五年くらい前から誘致をしてはどうかという動きがあったのだ。当時は調査を受け入れるだけで10億円が支払われると言われていた。
しかし、前市長はこれをバッサリと切り捨てた。このときは市民運動というほどでもない、変わり者が少数でわめいていただけだったので、それですっかり火は消えてしまった。その後、前市長の後継を取った現市長が就任。
二期目の市長選では対抗馬として核廃棄物処分場の誘致を謳う候補が立候補したものの大差で現市長が当選したのである。
ただし、この時の対立候補は対馬となんの関係もない大阪の右翼活動家で刑務所服役復帰戦のような様相があり、本気で当選する気はなかったと思われる。
いずれにせよ、現市長は『最終処分場誘致派を下しての当選』という事実を得てしまった。実際は堅実な市政への評価と、なにものともしれない右翼活動家への嫌悪もだいぶんあったのだけど。
※
しかし、原子力に関するどこかの組織に旅費を全部出して貰って、どこかを視察してきたらしい。
日本に最終処分場などないのに、何を見てきたものか。酒宴などの歓待を受けたのか否か。日当や土産代などの現金を受け取ったのか。
それもしらない。
もしかしたら、貧しい旅行で勉強だけして帰ってきた可能性もある。
それでも旅費を利益関係者に出させたというのはいかにもまずかったのではなかろうか。議会でも反対派議員から突っ込まれていたし、それはそれとして今後揉めるかもしれない。
とにもかくにも、議会で正式な議題として『処分場の誘致』が上がってしまったのは事実である。もちろん、誰だって別に核廃棄物や処分場が欲しい訳ではない。それに伴ってついてくる金が欲しいのだ。
その額たるや、文献調査を受け入れるだけで20億円。
ざっと検索したところ、対馬市の年度支出額はおよそ250億円程度であることがわかる。
すでに文献調査受け入れを表明している北海道の寿都町の年間予算規模が60億円ちょい、神恵内村に至っては20億以下だ。
これが500億円とかなら、もっとグッと賛成に傾いたかもしれないが、提示額がいかにもしょっぱすぎる。
中には「文献調査だけやって20億を貰い、本格的な設置は断ればいい」と堂々と言うものもいたが、それで国から怒られるくらいなら最初から応募しない方が市長としても、市役所としてもいいだろう。
なんせ、国境離島として国から沢山の税金を貰ってどうにか回しているのだ。国の機嫌というのは、往々にして自治体を殺すことがある。
つまり、20億円があまり見合っていない気がする問題があるのだ。
だから推進派がいくら勢いを出しても、反対派を黙らせることはできない。
なんせしょっぱいのだ。
20億あればあれもこれも、とはならない。少なくとも市民に実感のある使い方は全くできないで消える金額でしかないのだ。
さらに、対馬は住民の半分くらいが水産か観光で飯を食っている島だ。
この人たちの家業にはマイナス補正がついて回る。なんせ、処分場や核廃棄物と記念写真をとりたい。推したい、みたいな変わり者はとても少なそうだ。最大限、好意的にみて「気にしない」。最悪「対馬産の物は徹底的に避ける」人が出てくる。実際はその間のグラデーションのどこかに皆が分布される。
逆に、仕事の恩恵を受けそうな土木業者も兄弟なり親戚、友人などの近しい者がかならずそういった職に就いている。
だから、みんな微妙なのである。推進派議員はあまり勢いが出せない。
対して、反対派議員は誰はばかることなく大声で反対運動を展開する。
それに伴って、推進派議員が「心ない言葉を投げかけられたので、市民を訴える」だのワケのわからない展開に発展したのだが、それは横枝だ。
対馬という島は歴史的に、ずっと国家中央の差し出す意向を飲んだり誤魔化したりして過ごしてきたのだ。騙したことは沢山あるが、面と向かって国家に反逆したことはないし、大きい島には必ずついて回る独立運動も皆無である。
推進派議員も熱心に燃えさかり続ける老婆などがいたが、全体的にはトーンダウンしていき、最終的な採決では賛成10、反対8で決定した。
※
『核廃棄物の最終処分場として、文献調査の受け入れを進める』のが議会の結論となった。
『意見書提出権にもとづいた市長への、議会としての意見の提出』であったわけだ。
実のところ、市議会でどう決定しようとそれは、『市議会としてはこう思っていますよ』という枠をはみ出ないのだ。
もちろん、市政というものは市民の為に行われるものであり、市民を代表する市議会の意見というのはかなり重要な物だし、常に尊重されている。たいていの場合においてはそのまま通る。
それでも対馬市長はこれを突っぱねた。
理由として、風評被害がすでに起きかけていること。市役所に様々なところから苦情の連絡があっているらしい。
そして、観光や水産業が年に200億円近い経済規模を持っている点。風評被害で一割売り上げが減れば、それで20億の交付金は吹き飛んでしまう計算になることを上げ、最後に住民の合意形成がなされていないと告げた。
確かに現状で推進派と反対派が分かれているのなら、当然まずは見送ってみるというのは一般的な判断だろう。
もっとワンサイドに推進へ傾けばともかく、議会でさえ半分に近い票が反対だったのだ。仮に市民の半数が内心的反対者なら、市長の経緯と立場から現状維持が当然だと思う。
利益を得る者は一部で、大勢が不利益を被る危険があるのだから。
これは、まあ逆に言えば市民がもっとずっと大勢賛成して誰も反対など言えないほどの金額が約束されるのなら受け入れに傾いていた可能性は高かろう。
対馬といえば小さな離島と思われがちだが、長崎県の面積の2割以上は対馬が占める。案外にデカいのだ。経済規模もそれなりにデカいし、特産品もある。マグロやアナゴは景気も良い。
分散した20億円の余波など個人にはいくらも入らない。今時は田舎の集会所を建て替えるのにも一億円がかかる時代だ。
もっと、もっと巨大な、皆が涎をたらして狂う対価が必要だったのだ。
そうして、それが提示されない以上、対馬市には縁がなかった。保守的な田舎の住民が変化を突きつけられて、ストレスに耐えられなかったというのもある。
個人的には、誘致が決まればいち早くニューモに手紙を送るなどして、自分の山を買わないかアピールするつもりだったが、土地成金の夢はあっという間に醒めてしまった。