はてなキーワード: ビビンバとは
豚カレー牛すき焼きエビマヨ豚角煮野菜ビビンバ等々いろいろな味を展開している。
これを初めて見た時、気になるけど買わないまま消える系商品だろうなと思った。
4つで二百円近いのは割高感があるし、大きすぎてこれを包み込めるおにぎりは女性や子供のお弁当箱に入らない、お弁当の主戦場は女子供なのに締め出してどうする、2つ握って男の弁当のご飯にするとしてもおにぎりだけで百円は割高だふりかけで十分だ。
せっかくいろんな味があるのに一種類ごとに別々に売ってるし、半分の大きさにし八個入れて、3、4種類いろんな味が試せるようにすりゃいいのに。
それに冷凍食品は弁当箱の隙間需要なのにおにぎりの中では隙間が埋まらない。
先日スーパーに行くとやはり売れなかったのか豚カレー味が五十円の叩き売りをされており、気になっていたので一つ買ってみた。
カレー味のおにぎりは子供に受けるだろうと習い事の帰り道に食べる用に作ってやると、予想以上に気に入ってしまった。
海苔はカレーにあわないのでいらないと言うので取り除いたら、大きな白いだけのおむすびになり見栄えが致命的に悪くなった、弁当に似合わねぇ。
次は2つ作ってと騒ぐので、おにぎり丸はあと3つしかないよと言うと、もっと買ってと言ってきた。
残り一つになった時にスーパーに行くとおにぎり丸はもう置いてなかった。
もう売ってなかったと言い、これが最後のカレーおにぎりだよーと渡そうとすると
何で最後の一個をこんな時に渡すの?12月の最後の特別おむすびに使ってよと文句を言ってきて、どれだけ気に入ってるんだと遠くのスーパーも行ってみたが置いてなかった。
困る。
息も絶え絶えにリングの上に転がりながら、ウォーズマンはロビンマスクにこう尋ねた。
「だれかオレの顔を見て笑ってやしないか?」
ロビンマスクは彼を見つめ、力強く声をかける。
「だれも笑ってやしないよ」
心から安堵すると同時にウォーズマンの全身から力が抜けていく。
それを抱きとめながらロビンマスクは涙をこぼす。
こんな感動的な場面から始めたい。
これは漫画「キン肉マン」に登場する一人の超人、ウォーズマンについての一つの考察である。
ウォーズマンはロビンマスクの弟子として、漫画「キン肉マン」の第8巻、
人間とロボットの間に生まれ、そのどちらにも属さない「ロボ超人」である彼は登場時、
針状の爪を発射する武器、ベアークローを使って対戦相手を惨殺、
練習のためにグラウンドを走る死刑囚149人のうち148人を殺害、
キン肉マンの仲間であるラーメンマンの側頭部を抉って脳漿に穴を開け、
植物状態にするなど、攻撃の残酷さでいえば作中随一ともいえるだろう。
しかし、そのような残虐さに反して、転んだ子供に手を差し伸べて助けようとしたり、
前述した149人の死刑囚の中でも老人だけは見逃したりといった優しさが
性根は優しい彼を残虐な戦いに駆り立てたのは一体何だったのだろうか。
ロビンマスクは作中、「超人オリンピック」のリング上でキン肉マンへの攻撃の手を止めたウォーズマンに
「また くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活にもどりたいのか」と尋ね、
ここから想像されるのは、彼が故郷のソ連で置かれていた厳しい状況である。
この後、キン肉マンとの闘いを通して彼は残虐さを捨てたクリーンな戦い方の大切さに気付く。
そして、対戦相手のマスクを剥いだ方が勝ちというルールの中で、
ウォーズマンは自身が単なる超人でもロボットでもない「ロボ超人」であることを嘆き、
どこにいっても爪弾きにされ、いじめられ続けた日々を回想して「地獄の生活」だったと称した。
いつしか自分は超人やロボットを「血まつりにあげることがいきがいとなった」のだと彼は語る。
やがて雷鳴に照らされた彼の素顔は、人間でも均整のとれたロボットでもない、
それを見つめるキン肉マンとその婚約者ビビンバの顔も稲光の中で無言にこわばっている。
彼の素顔から受けた、誰も何も発せないような衝撃、
それが登場人物の表情のみを並べることで読者に鋭く突き付けられるのだ。
ウォーズマンの「素顔」は非常にドラマチックなやり方で我々に提示される。
醜い、恐ろしい、そう思ったとしても彼を気遣えば口に出すことができない、
いわば配慮のリアリティとでも呼ぶべきものがこの場面には備わっており、読者ですら、
ウォーズマンの顔からどのような印象を受けたかをあえて言葉にしないように努めてしまうのである。
彼の生い立ちや素顔についての問題はここで一度大胆に明かされたのち、しばらくはその影を潜めている。
残虐を捨て、キン肉マンら「アイドル超人」の一員となったウォーズマンは、
「黄金のマスク」編においては作品舞台として(「黄金のマスク」を巡る戦いはウォーズマンの体内で行われる)活躍し、
仲間を支えながら友情を深めていく。
そして、もはや誰もが彼にまつわる悲劇を忘れ去った頃、冒頭の事件が起きるのである。
彼は師であるロビンマスクとタッグを組み、共闘することとなった。
この時の対戦相手はネプチューンマンとキング・ザ・武道の二人が結成した「ヘル・ミッショナルズ」であり、
ロビンマスクは仮面をつけたネプチューンマンの正体がかつての好敵手、
やがてそれは証明されるが、ネプチューンマンは正体を知られたことを理由にロビンマスクを殺そうとする。
ウォーズマンは師を助けるためにリングに上がるも技を決め損ね、ネプチューンマンに仮面を外されてしまう。
彼の素顔を見た観客は衝撃を顔に浮かべ、ウォーズマンはなんとか仮面を奪い取って、再び顔に装着する。
彼が仮面を外され、再び装着するまでの間に挟まる以下のセリフは注目すべきだろう。
ネプチューンマン「(注:ウォーズマンに対し)醜い顔を隠すために覆面超人の道を選んだのであろう」
ロビンマスク「これ(注:仮面)をウォーズマンからとりあげることはあまりに残酷だ!!」
ネプチューンマンがウォーズマンの素顔を「醜い」と指摘したとき、ロビンマスクは特にそれを否定しない。
それどころか、仮面をつけずに戦い続けることはウォーズマンにとって残酷だと断定的に語る。
これはなぜか。ロビンマスクもやはりウォーズマンを醜いと感じ、
それでいて庇うこともせず受け入れているのだろうか。
当然そうではない。再び仮面をはぎ取られたウォーズマンはロビンマスクに、
そして、「だれも笑ってやしない」という言葉に安堵しながら命を落とすのである。
この場面において我々が再確認しなければならないのは、
そしてそれを“笑われる”ことをいかに忌避しているかということだ。
過去に過ごしてきた「くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活」について指摘し、
ウォーズマンは当時の暮らしぶりを取り巻く貧困と生活の困窮とを思い返し、それを恐れているかのように見える。
しかし、この時ウォーズマンが真に恐怖していたのは単なる生活苦ではなく、当時の自分が置かれていた立場、
すなわち、周囲からいじめられ、疎まれ続ける「地獄の生活」の中で精神的なダメージを与えられることだったのだ。
ロボ超人であることが理由で受けた誹りや嘲りは彼の心に未だ深く陰を落としていた。
アイドル超人として仲間たちと友情を深めようと、戦いを乗り越えようと、
その陰を完全には取り除けていなかったことが、この場面では悲しみと共に明らかになる。
彼の陰を知るロビンマスクがウォーズマンから仮面を取り上げることを「残酷」だと指摘したのは、
仮面をつけずに生きていくことがウォーズマンにとって、自分がロボ超人であることを
突きつけられながら暮らすことと同義であると考えていたためではないだろうか。
彼はここで一度命を落とし、超人墓場で長く労働をすることになる。
それから少しの時が流れ、「キン肉マン」24巻に始まる「王位争奪編」において
脱出に必要な「生命の玉」と呼ばれる宝珠をキン肉マンに分け与えた後、
超人専門の医師であるドクター・ボンベに人工心臓をもらうことで生き返り、
この時の手術のミスのせいで彼は一度ほぼ戦闘能力を失ってしまうが、
再び登場時のような残虐な戦い方へ、そこからクリーンな戦い方へ、と復活を遂げる。
この「王位争奪編」は、キン肉マンがキン肉星の王として戴冠する場面で幕を下ろした。
平和になった世界の中、ウォーズマンはアイドル超人の一人として、
「メディカル・サスペンション」と呼ばれる特別な治療を受けることになり、長らくの療養生活を送る。
そして順調に体力を回復した彼は、「完璧超人始祖編」で再びリングに立ち、
宇宙から襲来した「完璧超人」たちを迎え撃つことになるのである。
しかし、ここで再び悲劇が起こる。ウォーズマンとその対戦相手、
対戦相手であった”完璧超人”ネメシスはロビンマスクを破った後、
塔状に組まれたリングからその体を突き落とし、砂丘に埋めてしまう。
「墓穴を掘る手間を省いてやったのだ」と語るネメシスの言葉を聞き、
慟哭しながら懸命に砂を掘り起こすキン肉マンの姿は非常に印象的なものである。
この場面において、ロビンマスクを失った悲しみをこれまでの感謝に代え、
続く戦いに向けて決意を固めていくキン肉マンと、
戦闘が始まろうとする中にあって敵に背を向け、
もはや姿の見えない師を思って涙をこぼすウォーズマンの姿は対置され、
対して師匠と弟子の関係にあったウォーズマンとロビンマスクとの関係の違いを示している。
その違いは続くポーラマンとの戦いからも読み取ることができる。
ウォーズマンはこの戦いの中でロビンマスクを失った悲しみから暴走し、自身の戦法を見失ってしまう。
テリーマンは彼を見て、普段の「計算され尽くしたクレバーな戦いぶり」とは逆の、
「ガムシャラに向かっていくだけの戦闘本能の塊」のようだと口にするが、それも当然のことである。
キン肉マンにとって、ロビンマスクはあくまで自分と共に成長していく超人の一人であり、
彼を失ったとしても彼はそれをバネに立ち上がって自分なりの戦いを続けることができる。
しかし、ウォーズマンにとってのロビンマスクは戦い方の土台や軸作りに大きく貢献した人物なのだ。
結果として彼はここで師と共に育ててきた「計算」や「クレバーさ」を失い、
ポーラマンに追い詰められ、ウォーズマンは「オレの命などどうでもいい」、
「刺し違えてでもこの戦いに勝利しなければ…ロビンに合わせる顔がない」とまで言う。
ひたすらプログラムとして戦い続けるだけの「ファイティング・コンピューター」だと笑った。
実体のない、いわば幻影のような彼はウォーズマンにこう語りかける。
「お前はいつも自分のことをロボ超人だと気にしているようだが」
「私はおまえをロボだと思ったことは一度もない」
回想の中で、ロビンマスクはウォーズマンに攻撃の仕方を教えている。
もう少しで目標を達成するという時になってぴたりと攻撃の手を止めてしまう。
ロビンマスクは彼を叱りつけるが、よく見るとウォーズマンが攻撃しようとしていた木の陰には子鹿がいる。
ウォーズマンの意図に気付き嘆息するロビンマスクの前で、子鹿は森の奥へと駆けて行く…
「おまえは血肉の通ったわが弟子だ」
「そのことに誇りを持てる超人になってほしい」
「オレハキカイナンカジャナイ」
彼の言葉はこの場面で、機械と人間が何を基準として分けられるのか、
そのような大きなテーマをも巻き込みながら読者の方を向く。
普段のような冷静な戦いぶりを発揮するが、
その背後にある考えを、彼はこのように説明した。
「今までオレはロビンの恩に報いようとするあまり自分の命を捨てるつもりで戦っていた」
「生きるために…ロビンがオレに託してくれた大事な魂を守るために闘う!」
戦いの中にあって「生きる」ために奮闘することはできるか、
「生かす」ことを考えていた時点でウォーズマンは
彼自身が「機械でない」との自覚をもつにはまだ足りないものがあった。
それが、ロビンマスクがウォーズマンに伝えた、「誇り」である。
体は機械であっても心までは機械でないと宣言できるようになった。
「オレハキカイナンカジャナイ」、
そう宣言する彼の言葉があえて機械的にカタカナで表記されているのは、
「あくまでも彼の体は機械でできているが、“それでも”」、という
“それでも”の先、逆説のその先を読者に想像させるためではなかったか。
ここで物語は、生まれ持った肉体の性質を変えることはできないけれど、
心は変えることができるのだと我々に伝えるが、
「ロビンはオレのなかで永久に生き続ける このオレが死なない限り
幼少のころ、自身を「地獄の生活」に追い込んだロボットの体に対する複雑な思い
――憎しみ、悲しみ、怒り――、
それをロビンマスクが与えた誇りによって乗り越え、肯定することに、
最終決戦としておかれたネメシス戦の直前、
すぐにその発言を打ち消し、「生身である半分」では理解できると語る。
ロボ超人である自分を理解するとともにしっかりと受け入れている。
ポーラマン戦で彼は、「超人オリンピック編」を彷彿とさせる雷雨の中、
「醜いツラだ」、「みんなおまえのツラをみて笑っているぜ」と嘲笑されるが、
彼はその言葉を「それがどうした」と打ち消し、師のために戦いを続ける。
自分の顔を見られること、
そして笑われることを臨終の間際にすら恐れていたあの彼はもはや存在しない。
敵を「生かし」、自分を「生かす」ことに注力する。
「キン肉マン」という物語においては、「人は変わる」ということが繰り返し語られる。
そしてそれを超越する新たな勢力へと超人たちはその立場を次々と転じ、
その度に誰かが喜んだり悲しんだりする。
しかし、生まれ持った体だけはどうしても変えることができない。
そんな葛藤や劣等感、「変わる」ということに向けた諦観交じりの強い欲求を
ウォーズマンは常に抱えているが、
そのような「変わらない」ロボットの体が他方、
静かに受け入れるだけの強さを持っている。
もともとの「トロフィーワイフ」は、
周囲へのアピールのためだけに手に入れる愛情の欠落した結婚とでもいうのか。
邪推くささが拭えないのは気になるが、
しかし、漫画やアニメのヒロインが「トロフィー」であるとはどういうことだろう。
「あのヒロインはトロフィー的だ」と評されることが多くなっている気がする一方で、
具体的な説明がないからどんなヒロインのことを指しているのかがよく分からない。
とりあえず三つほど推測してみた。
一つはピーチ姫のような、
「そのヒロインを助けることが物語の目的となっている」ようなタイプだ。
お飾りのヒロインで、恋愛描写も不十分になりがちだから、トロフィー的と言うのも理解できる。
バトル漫画やスポーツ漫画だと、ヒロイン自身が戦うのでなければ、
「トロフィーヒロインとか言ってる人たちはハーレムが嫌いだろうな」という推測からである。
ハーレムは「最後に一人を選ぶ」ものと「最後は全員と付き合う」ものとがあるが、
前者であれば、むしろ競争率が高いのだから最後は愛情勝負になるし、
ヒロインごとに出番が均等に割り振られて「お飾り」化するということも少ない。
後者であれば、ひとりひとりを攻略して手駒に加えていく様は確かにトロフィー的だが、
現実的には、時と場合によって、一つめのタイプをトロフィーと呼んだり、
二つめや三つめをトロフィーと呼んだりして使い分けているのかと思うが、どうだろう。
○昼食:ご飯、味噌汁、サバの味噌煮、ほうれん草、ひじき、玉ねぎサラダ
○調子
はややー。
超いい天気な上、僕が苦手な種類の花粉が飛んでなかったので、意気揚々と散歩を楽しんだ。
1時間半ぐらい歩いた先にある、ゲームとかTCGとかが売っているお店のストレージで、さらに1時間ぐらい粘るなど、休日を満喫した。
が、さすがに往復3時間近く歩くとヘトヘトになってしまい、帰ってきたらすぐダウンしてこの時間まで寝てしまった。
●TCG
○ポケカ
長らく休止してたけど復帰! ではなく、部屋の片付けでポケカを整頓した。
ただ、やっぱり悪タイプのポケモンたちは集めたいなあ、と思っていたので、30円ストレージを漁って大量購入。
やっぱりこういうコレクション系はバインダーに入れて眺めたいので、バインダーのシートを通販で購入。
と、お金を割と使ったけど、データだけじゃなく物もやっぱり集めたいのでいい感じ。
●3DS
○ポケとる
Sランク700個。
おわり!
一応、全ポケモン捕獲が目標なので、解禁したゲンシグラードン、デオキシスS、色ゲノセクトも捕獲しないとだけど、
○お便り返信
お便り返信です。
ワンチャン増田とはてブしかやることがないような現場もあるからポジティブに行くんや - oooooo4150のコメント / はてなブックマーク
なんにしても残れたのでよかったですが、2連続でいいところを引ける可能性は少なそうです。
ATはデレステのトレチケタイムくらいの感覚じゃないかしら。だいぶ違うか。 - msdbkmのコメント / はてなブックマーク
そのデレステ? のトレチケタイム? というのはちょっとよくわからないのですが、
(このわからないキャラに関していつまで続けるかは、ゲーム日記が4月1日が周年記念なので、そこあたりで)
はあああああ。
ゲームをするときは1人で孤独な方が好きなんですよね、いやお前、ポケモンとかいうコミュニケーションツールじみたゲーム毎日しとるやんけ、ですけども!
いいいい、一週間のバランスはとれてる…… ような…… とれてないような……
美味しい!
前の客がビビンバを穿った痕が残ってて、カルビスープにスプーンを投入した直後だったのでやっちまった。
代えのスプーンも同じような痕が残ってて急いで店員呼んで苦情入れたけど、その店員、普通はカルビスープの代えを用意するもんでしょ。
なのにごめんなさい言うだけで、代えのスプーンを持ってきただけだった。
いやちゃんと説明したのよ。スプーンの裏側にビビンバの痕があって、明らかに洗い残してか、もしくはそのスプーン入れ(箸も入ってる)は使い回してるのは明らかだったのに
謝罪もそこそこにスプーンだけ交換ってちょっと頭おかしいよね。店員が馬鹿とは思いたくないけど普通はやっちまったんだからカルビスープ代えるとかあるでしょ。ないのか。
さすがゼンショーグループだけはある。客対応最悪だったね、昨日の話だけど。平野店ね。
昨日来店した時にいつもと違ってスプーン入れがソース置いてある台座の隣りにあったのが真ん前に置き換わってたけど、仕様変更は別に良いのよ
そうじゃなくてちゃんと一本一本洗って確認してから入れて欲しい。こっちは金払って食べるんだからさ。
ホント気を付けて欲しい。
まぁ気持ちはわかるよ、多少はね。反日の韓国人とか見ると、関わりたくねーって思うし。
でもさ、その嫌韓感情はさ、その反日韓国人とか、クソ下痢みたいなこと言ってる人たちに対してだけでよくね?
ひとくくりにして、あいつら(韓国人全部)みんなクソだから知らねー、あいつらクソだから攻撃してやる、っていうのはさ、よくないよ。
こないだのASKAに対してなにやってもいいだろ、って曲公開したりタクシー映像公開した人たちと同じなわけよ。
youtubeとか見るとさ、ひどいよね。
お前関係ないじゃん?嫌韓チャンネル?なんのためにあんの?って感じ。煽ってどうすんの?
っていう図式はやめようよ
なんかあなたに害したの?
まずは落ち着こうよ。
誰かにストレス発散しても、その負の気持ちはめぐりめぐるだけだよ。
カルシウム摂ろう、な。