はてなキーワード: ツイートとは
>テーブレコーダー
やーい手ブレ記録してどーすんだやーい
↓
■anond:20231115174811言及先エントリを開く
単にシードアンドフラワーで1枠だっただけだろう
櫻坂と交互に出るんじゃないの?
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■anond:20231115175033言及先エントリを開く
俺の書いた文章読んでる?
読む気がないならもういいよ
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最近炎上してる年の差婚で、「キモいはただの感想なんだから言っても良いだろ」的な態度のツイートや増田、ブコメを沢山見たんだけど、正直ゲイとしてはかなり怖い。
俺は居ない歴=年齢だから、実際にカップルになった経験があるわけじゃないんだけど
ただの感想だろ、というノリでキモいキモい言われたら多分耐えられない。
なんでそんな軽いノリで他人をキモいと言えるんだ。異性愛者だから?
信じられんわ。
ブロック上限100に対してネタバレありボタンで折り畳まずにネタバレ書く奴多すぎるし、このツイートみたいな意味のない通知も来るし、なんかもう少しなんとかなんないのかね
Filmarksほとんど自分が観た映画の記録用にしか使ってないから明らかにフォロバ目的の人からいいねしてもらっても何とも思わんしたいていそういう方々は解説者みたいにあらすじ説明から入ってらっしゃるのが共通点(全然いいんだけど)
https://x.com/nigousenutajima/status/1446333843368144897?s=46
Filmarksでいいねしてくる人の大半はレビュー読んでないよね 上から順にいいねしてフォローさせようとすんな 今見たら上から順にいいねしてた あたし観たのかなり昔だからこんなに遡っていいねしてきたのがきもい
https://x.com/neosayacandy/status/1393546404568571910?s=46
Filmarksでいいねしてくるやつ本当その映画のレビュー書いてるやつ全員にいいねしてんじゃねーかってくらい遡ってもいいねしてる きもい
https://x.com/neosayacandy/status/1393585732376088582?s=46
↑これ本当にあるあるで、はるか昔かつ映画の内容に関してはほぼ触れてないメモ程度のレビュー(見た映画館の記録とか、一言「おもしろかった」とか)にいいねが来る。その映画のレビュー欄を上から確認するとそいつが投稿する直前までのレビューに連綿とそいつがいいね付けてる。内容がないようなのも一言書き捨ても全部。で、そいつは長文の勝負レビューみたいなの書いてる。
[SUGER (C6 H12 O5)2 と書かれたビン]
「食べ物じゃないんですね!」
……と書かれた画像があった。
まあ当然こんなのはツッコミどころ満載の画像で最初これ自体がコラ画像なのだと思ったのだが……どうも「白砂糖は魔薬!?」という本があるらしく、その中の一コマのようであった(参考↓)
ふと思った。
「これ、塩でも味の素でも水でも何でも使えるくね??」
水なら
[WATER H2O と書かれたビン]
「飲み物じゃないんですね!」
塩や味の素なら
[SOLT NaCl と書かれたビン]
「食べ物じゃないんですね!」
[AJINOMOTO HOOC(CH2)2CH(NH2)COONa と書かれたビン]
「食べ物じゃないんですね!」
……いくらでも作れるな。なんならタンパク質でもいけるし、油でもいけるし、炭水化物でもいける。
[N2 78%
O2 21%
Ar 0.93%
CO2 0.03%
…と書かれたビン]
「そんな恐ろしい薬品だったんですね!」
とか書けちゃう。ビタミンでもミネラルでも、人体に必要な物質だろうと何なら人体そのものでも無限に書けてしまう。
しかし、実際にこれを見てコラだと理解できない人が空気断ちして窒息死しても困るし、そうでなくても変に信じたりしたら空気から汚染物質(ネオンとかアルゴン)を取り除く装置です!!みたいなインチキグッズに走り出しかねない。
なんなら、明らかに人工物であり金属の塊であるワッシャーですら5Gの電波を防ぎますなんて書いたら売れてしまうらしい現状、そんなコラを作って良いものか?
明らかなフォント違いで文字の濃さとかも違うクソコラでも、それを強調のための技法(レトリック)だと思いこんでしまう可能性があるのではないだろうか。
人間は「そんなもん義務教育を受けてれば普通にわかる常識だろう」って事でも、例えば小学生とか中学の時点で理科を20点30点しか取れない人なんかがいたら、パッと信じてしまいかねない。高校の化学を単なる「薬とかを文字の式で表すもの」くらいにしか理解してない場合、そうなりかねないのではないか?
そんな感じの事を考えて、コラを作ろうとしたが止めた。これを良識というべきか、単に杞憂と考えるべきなのかは分からないけど。人間の知性を信じるのは大事だが、同時に人間は痴性の持ち主であることも重々に承知していないといけない。
15歳〜23歳くらいまで毎日せっせと書いてた日記を処分したい。
今は鍵のかかる場所に保管してあるんだけど、先程
「ときめくかときめかないかより死後どうすんのこれって思った方が断捨離って進むなー」
というツイートを見かけてやべーなと思った。
日記があるおかげで若き日々を昨日のことのように思い出せる。ときめくかときめかないかでいえば圧倒的に「ときめく」品なんだけど、
奔放に過ごした青春の記録を全部克明に書いてしまっているので、死後とて家族に見られたくない内容でびっしり埋まっている。
もし明日私が事故で死んだら、遺品整理で日記が見つかって、家族に読まれて、私は二度死ぬことになる。
ゴミ出し当番の夫はかなりゴミ分別に厳しい人なので、こっそり燃えるゴミに紛れ込ませるのは至難の業。
日記、どうやって捨てましょうかね。
追記:そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。
東京大学と東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学「ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義はTwitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判のツイートはヒットしない(Twitterの検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評はAmazonのレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである。講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。
本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名の形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学の講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学「ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。
まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。
1. 媒体:現地で行う音声形式の講義では記録に基づく批判が困難であるという点。
2. 受け手の資質:講義の対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しかも批判に割くだけのリソースを持っていないという点。
3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。
4. コミュニティ:この講義はボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティを形成する役割を同時に担っており、コミュニティと批判との相性が悪いという点。
以下、これらの点を順に見ていく。
書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画で配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまいやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったからである。
この講義は主として東京大学の教養学部の学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想や概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点からの検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義を批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義そのものが大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである。
ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。
まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲を評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである。
「テマティスムは、作家のメッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ、作家と作品の細部から、作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマを抽出し、作品の価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)
さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師は提唱している。以下に書籍の抜粋を示す。
「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)
「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)
つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。
もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、
①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること
②個別の楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること
③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること
である。しかし書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師の言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚を思考の俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能だからである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由な評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉が賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。
現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバムの作成やちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティを積極的に提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体はマイノリティたる若者を鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義を批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかしコミュニティを形成するとはそういうことなのである。
「ボーカロイド音楽論」の講義が書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙や政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしまう未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。
強い言葉で言えば、
「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別の楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」
である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配は杞憂であってほしいが)。
筆者がこの講義や書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。
1. タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別の作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。
2. 「思考の俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考が必要なぱて講師の感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。
3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的でしか「思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れなものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能な手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法の限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。
注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンスの書籍『利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体の利他行動も、種や遺伝子を主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身の生存や繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないからである。(遺伝子は自然選択の対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択の対象として観察可能なものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て「個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。
https://x.com/PentanO102/status/1722457164277846350
教室でラノベ読んでて「うわwエロ本読んでるじゃんw」みたいなイジられ方をされて、自分の趣味が公共空間では「そういう扱い」をされるんだって理解を得て、オタク趣味の「出力」の仕方を学ぶもんだと思ってたけど、Twitterだと「なぜ認められない!むぎ〜💢」みたいな方向に行きがちなんだよな
https://x.com/pentano102/status/1722459489558053299
ラノベがエロ本か否かって話じゃなくて、理解がない人間には「そういうふうに映る」っていうのを理解する処世術としての話ですね。
https://x.com/pentano102/status/1722908294577377534
流石にだるいな
別にこれは差別を助長したいとかそういう意見じゃなくて、実体験(当方6-7年前に高校を卒業した20代)に基づく話だし、オタクコンテンツが社会的に人権を得て、認められるべきとはいえ線引きは必要だと思いますよ個人的に、っていうツイートだろ。
https://x.com/pentano102/status/1722908653228065120
あとやたらと「今は令和の世の中だから今の子はそうじゃない」みたいな引用くるけどだいたい私より年上ってプロフに書いてるのはお笑いなんか?6-7年前に高校出た人間としては元号変わったくらいでスクールヒエラルキー内でのオタクの立ち位置が劇的に向上してるとは思えないけど。
https://x.com/PentanO102/status/1722457164277846350
教室でラノベ読んでて「うわwエロ本読んでるじゃんw」みたいなイジられ方をされて、自分の趣味が公共空間では「そういう扱い」をされるんだって理解を得て、オタク趣味の「出力」の仕方を学ぶもんだと思ってたけど、Twitterだと「なぜ認められない!むぎ〜💢」みたいな方向に行きがちなんだよな
https://x.com/pentano102/status/1722459489558053299
ラノベがエロ本か否かって話じゃなくて、理解がない人間には「そういうふうに映る」っていうのを理解する処世術としての話ですね。
https://x.com/pentano102/status/1722908294577377534
流石にだるいな
別にこれは差別を助長したいとかそういう意見じゃなくて、実体験(当方6-7年前に高校を卒業した20代)に基づく話だし、オタクコンテンツが社会的に人権を得て、認められるべきとはいえ線引きは必要だと思いますよ個人的に、っていうツイートだろ。
https://x.com/pentano102/status/1722908653228065120
あとやたらと「今は令和の世の中だから今の子はそうじゃない」みたいな引用くるけどだいたい私より年上ってプロフに書いてるのはお笑いなんか?6-7年前に高校出た人間としては元号変わったくらいでスクールヒエラルキー内でのオタクの立ち位置が劇的に向上してるとは思えないけど。
https://x.com/PentanO102/status/1722457164277846350
教室でラノベ読んでて「うわwエロ本読んでるじゃんw」みたいなイジられ方をされて、自分の趣味が公共空間では「そういう扱い」をされるんだって理解を得て、オタク趣味の「出力」の仕方を学ぶもんだと思ってたけど、Twitterだと「なぜ認められない!むぎ〜💢」みたいな方向に行きがちなんだよな
https://x.com/pentano102/status/1722459489558053299
ラノベがエロ本か否かって話じゃなくて、理解がない人間には「そういうふうに映る」っていうのを理解する処世術としての話ですね。
https://x.com/pentano102/status/1722908294577377534
流石にだるいな
別にこれは差別を助長したいとかそういう意見じゃなくて、実体験(当方6-7年前に高校を卒業した20代)に基づく話だし、オタクコンテンツが社会的に人権を得て、認められるべきとはいえ線引きは必要だと思いますよ個人的に、っていうツイートだろ。
https://x.com/pentano102/status/1722908653228065120
あとやたらと「今は令和の世の中だから今の子はそうじゃない」みたいな引用くるけどだいたい私より年上ってプロフに書いてるのはお笑いなんか?6-7年前に高校出た人間としては元号変わったくらいでスクールヒエラルキー内でのオタクの立ち位置が劇的に向上してるとは思えないけど。
https://x.com/PentanO102/status/1722457164277846350
教室でラノベ読んでて「うわwエロ本読んでるじゃんw」みたいなイジられ方をされて、自分の趣味が公共空間では「そういう扱い」をされるんだって理解を得て、オタク趣味の「出力」の仕方を学ぶもんだと思ってたけど、Twitterだと「なぜ認められない!むぎ〜💢」みたいな方向に行きがちなんだよな
https://x.com/pentano102/status/1722459489558053299
ラノベがエロ本か否かって話じゃなくて、理解がない人間には「そういうふうに映る」っていうのを理解する処世術としての話ですね。
https://x.com/pentano102/status/1722908294577377534
流石にだるいな
別にこれは差別を助長したいとかそういう意見じゃなくて、実体験(当方6-7年前に高校を卒業した20代)に基づく話だし、オタクコンテンツが社会的に人権を得て、認められるべきとはいえ線引きは必要だと思いますよ個人的に、っていうツイートだろ。
https://x.com/pentano102/status/1722908653228065120
あとやたらと「今は令和の世の中だから今の子はそうじゃない」みたいな引用くるけどだいたい私より年上ってプロフに書いてるのはお笑いなんか?6-7年前に高校出た人間としては元号変わったくらいでスクールヒエラルキー内でのオタクの立ち位置が劇的に向上してるとは思えないけど。
https://x.com/PentanO102/status/1722457164277846350
教室でラノベ読んでて「うわwエロ本読んでるじゃんw」みたいなイジられ方をされて、自分の趣味が公共空間では「そういう扱い」をされるんだって理解を得て、オタク趣味の「出力」の仕方を学ぶもんだと思ってたけど、Twitterだと「なぜ認められない!むぎ〜💢」みたいな方向に行きがちなんだよな
https://x.com/pentano102/status/1722459489558053299
ラノベがエロ本か否かって話じゃなくて、理解がない人間には「そういうふうに映る」っていうのを理解する処世術としての話ですね。
https://x.com/pentano102/status/1722908294577377534
流石にだるいな
別にこれは差別を助長したいとかそういう意見じゃなくて、実体験(当方6-7年前に高校を卒業した20代)に基づく話だし、オタクコンテンツが社会的に人権を得て、認められるべきとはいえ線引きは必要だと思いますよ個人的に、っていうツイートだろ。
https://x.com/pentano102/status/1722908653228065120
あとやたらと「今は令和の世の中だから今の子はそうじゃない」みたいな引用くるけどだいたい私より年上ってプロフに書いてるのはお笑いなんか?6-7年前に高校出た人間としては元号変わったくらいでスクールヒエラルキー内でのオタクの立ち位置が劇的に向上してるとは思えないけど。
該当のツイートからは「作品として公表する」という前提は特に読み取れませんが……
https://twitter.com/akihikokondosk/status/1723413966918152644
架空のキャラクターは◯害しても良いですし、その他考えられ得るあらゆる不幸な目に遭わせても良いのです。愛しても良いですし、合意を得ずに結婚式を挙げても良いです。それをやっても現実の人間の被害者は発生しないからです。だから「現実と架空の区別を付けてください」と書いています。
彼はキモさを叩かれているのではなく、
クリプトン・フューチャー・メディアが所有するキャラクターである初音ミクとの結婚を宣言し
クリプトンの創作ガイドラインに「当社、当社製品または当社キャラクターのイメージを著しく損なう利用」を「絶対NG」と明記されているのに
「架空のキャラクターは◯害しても良いですし、その他考えられ得るあらゆる不幸な目に遭わせても良い」とツイートしたことが問題視されています。