はてなキーワード: スカポンタンとは
*t*“[http://example.com:title=ページタイトルかつ日記の見出しタイトル]”
または
*t*“[http://example.com:title]”
このような日記の見出しを付けてる事が多かったが、はてなブログに強制移行された記事を見てみると、
または
“”
「 OH! 」
スカポンタン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
2019年頃はてなダイアリー終了し はてなブログに強制全移行統合されてから、ある程度に時間が経ってから 自分は強制移行された当時の記事を見たが、その見出し(はてなブログでいうと記事タイトル)が欠損している事に その時に気付いた。
一応自分は、はてなダイアリーを閉鎖前にエクスポートしてバックアップも(下書き記事も)取っているので、ちょっと他人事で、「まあ、誰かそれに気付いて指摘しているだろう」と思っていたが、今でも杞憂か後悔か「自分が当時はてなにその不具合を言ってた方が良かったんじゃないか?」と時たま思い出すので、
(現在までの間に、はてダ時代の移行記事をはてなブログで数年に数回程度見返したが、その部分が直ってないし。「まさか?誰もその不具合に気付いていない?」または「誰かそれに気付いていても誰もはてなに報告してない?」と。)
はてな公式から はてなダイアリーの終了発表宣告されてから約5年が経ち今更ながら、増田に書いておく。(本当は、もうちょっと後に(節目な11月07日とか 2024年頃)、この記事を投稿した方がよかったんじゃないか?と思ったが…。)
これがきっかけで、全部 直ってるといいな。(泣)
実は現在まで自分の、はてなダイアリーのバックアップ内容や状態など未確認なんだけども、まさかそっちも記事タイトルとか欠落してないよね…。
余談: 正直に言うと、はてなダイアリーの方が軽くて 貧弱なガラケー程度のブラウザで見れて書けて好きだったんだ。はてなブログもMarkdownモードで書けて意欲的に見えてて嫌いじゃないんたけども…。
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2023-08-31 08:52 追記として、はてブコメへ返信
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リンク先がなくなっていても、もしURLさえがあればインターネットアーカイブなどでリンク先のページを辿れる可能性がありますし、当時の記事で自分が何のサイトや何に対してを言及してたかが不明になってしまうので。
生きづらいは誇張表現なので軽く捉えて欲しいのだけれど、他人に心配されるのがマジで苦手。
気をつけなくちゃいけない場面での注意喚起とかは全然大丈夫なんだけど、例えば家を出るときに
「隣町で刃物を持った男が出たらしいから気をつけてね」とか言われると、シンプルにすごいテンション下がる。
刃物を持った男に遭遇して刺されるところまではその一瞬で想像してしまうし、自分側に余裕がないと「刃物を持った男と遭遇しろってこと?」みたいな曲解解釈さえ頭をよぎることがある。
親に宿題やったのか聞かれる感じのウザさというか。
第一刃物を持った男に遭遇してしまってもこちとらどうしようもなくないかという。逃げられるようにヒールやめとけみたいなそんな感じなのか?
別に刃物男じゃなくても、「忘れ物しないようにね」とか「遅刻しないようにね」みたいなのも同様の気持ちになる。
当たり前に自分で気をつけることをわざわざ言ってくるほどこっちがスカポンタンって認識なんだろうか、みたいな。
上手く言葉にできないけれど、馬鹿にされているように感じるというか……。相槌感覚で心配ワードを使ってくる世話焼きみたいな性格の人間とマジで相性が悪い。
巷に蔓延る退行ネタ。右を見ても左を見てもバブちゃんバブちゃん赤子幼児育児育児育児
勿論、作品の何処にも退行要素はない。
百歩譲って退行ネタはまだ良い。普段喧嘩して血腥いCPの筈が家庭内ほのぼのパロにされている。
仲良くお手手繋いで。
マリアナ海溝より深い溝が二人の間にはあったのでは?容易には乗り越えられない心理的な壁が。
それを幼児ぷにぷに輪郭お目々まん丸キャラ(最悪の場合涎すら垂れてる)と意味分からないポジティブ思想の受によって解決させている。
良い加減、言わせて頂きたい。
公式を見ろやどこにそんなド天然要素がある?微塵も存在せんわ。大体、何処から出て来るんだそのお花畑な発想は。男には生理も出産もない。あるのはちんこだよちんこ。生産しなくて良い、消費すりゃ良いんだよ。女のスカポンタンな思想を応用すんな。育児あるあるを男に代弁させるな。自分の創作物でやれ。人生経験値が低いからそんな事するんですか?経産婦で知能指数下がりまくってそんな事するんですか?一切その絵柄癒やされねえから本当勝手に消えてくんねえかな。
四月十八日(土)
久々に日記を書く。
今週、初めて週五回のテレワークをフルに行ったが無事に終わった。同居人とは「ちょっと来ておくれ」「今仕事中だタコ」「緊急事態なんだよスカポンタン」「なんだとデコスケ」というテレワークをする家庭ではお決まりのやり取りを一通り行い、もろもろの協定が結ばれた。台所を使う時間とか、大声での会話を控える場所とか、そんなものだ。幸い同居人は一言余計だが協力的なので、大変助かっている。
自分がテレワークをすることが決まる直前の通勤電車は、横浜から東京へ向かう混雑するはずのものであったが、行きも帰りも座ることができる状態で、その異常さに不安を覚えると同時に、テレワークができるならコロナとか関係なく最初からやればよかったじゃん? という気持ちにもなっている。もちろん、泥縄式に決められたテレワークで大変な思いをしている人も多いのだろうが、これを機に在宅勤務が増えるといい、災い転じて福としてほしい、と素朴に考えている。
とはいえ、かくいう自分も先ほど今週は業務が無事に終わったと述べたが、実のところそうでもない。まず、自宅マンションのネット環境があまりよろしくない。在宅勤務が増えたために集合住宅全体の通信量が増えたせいで、やや重くなっている気がする。そのうえ、家庭内でもWi-fiを使う人間が増えたので、回線がぷつぷつと切れる。これについては、新しいルーターを導入することが決まった。
最大の問題は、職場のサーバが非常に重くなっていることだ。うちではVDI、つまり個々人の端末ではなくてサーバにデータが入っていて、そこにアクセスして仕事をする仕組みになっているのだが、急に在宅勤務が増えたためにサーバが対応できず、しょっちゅうフリーズするようになった。クリックをしても受け付けず、やがて待機画面になる。IT担当が急遽、VDI画面の解像度を落した設定にして通信量を減らしたことで多少は改善されたが、それでもアクセスが集中する始業時刻になると非常にもたつくので困っている。
現に、当社では全社員が出社する曜日と一部しか出社しない曜日があるのだが、明らかに出社人数が多いときほど動作が重いので、こちらにできることはほとんどない。ただ、動作が重くなってきたら一度VDIを切断するとか、気晴らしの紅茶を入れるとか、妹の作ったケーキをかっ食らうとか、その程度しかやりようがない。
慣れない職場環境でストレスを溜めないために、毎朝一時間ほど近所を散歩してから業務を始めている。本来なら電車の中で読書をする時間なのだが、それよりは日照量を確保することを選んだ。幸い、これからは気温が上昇していくし日差しも十分に強いので、気持ちのいい朝を過ごすことができる。花壇も満開だし野草も花盛りだ。それに、ジョギングを始める前はウォーキングをしていたため近所の土地勘があり、適当な散歩ルートを五つ見つけてある。それを月曜日から金曜日に割り振れば、曜日感覚も保つことができるだろう。
しかしながら、これでも運動不足のせいだろうか、よくわからない夢を見て三時ごろに目を覚ますことが頻繁にある。そのあと眠れるといいのだが、大抵は床についてもほとんど意識が途切れない。起きてパソコンをするくらいなら、眠れないまま横になっているほうがましだとは言うけれども、退屈ではある。
一応、休日にもジョギングをしてはいるのだが、やはり休日に都内に出掛けて美術鑑賞ができないせいかもしれない。そう考えると、原因は案外精神的なものにあるのかもしれず、それはどうしようもなさそうだ。自宅に積んである図録の類を眺めて自分を慰めるしかない。こういう具合に、美術や映画の鑑賞、友人との食事会ができないことで、じわじわとダメージを受けている。なお悪いことに、自宅周辺の有隣堂や紀伊国屋書店が軒並み閉鎖され、職場周辺の書店も全滅したので、月に一度の本社勤務のときに出ても本が買えない。まだ近所のブックオフがかろうじて生きているが、ここが閉鎖したらかなり気持ちにダメージがあるだろう。とっととキンドルを導入すればいいのだろうが、一日ディスプレイを眺めているような仕事なので、休みのときくらいは目を大事にするために画面から離れたいし、書店をだらだらとうろつく時間は、自分にとっては絵画鑑賞と同じくらいに大切な時間なのだ。
ここまで書いてふと思ったのだが、自室で業務と睡眠の両方を行うので、精神のオンオフの切り替えがうまくいっていないのかもわからない。それで眠りが浅い。
しかし、自分はまだいい。医師や薬剤師の友人は、第一線で働いていないとしても不安になる話ばかり聞かされていることだろうし、現在どれくらい危険な事態なのかひしひしと感じているはずで、そのストレスは大変なものだ。
こういうわけで、他人との接触がほとんどできないために、失恋からそろそろ立ち直って婚活を始めるか、と思ったのだが、そのためのハードルが非常に高くなっている。どうせ数か月は休みたいと思っていたので、夏までに始めればいいか、と思っていたのだけれど、米大学の悲観的な予測によればこの事態が数年続くとのことで、そうなると待ってばかりもいられない。とりあえず、事態の推移を見守ってからにはなるが、夏になったら資料請求をし、話だけでも聞きに行きたい。
それと、もう一つの濃厚接触である風俗産業だが、店舗によって対応が違う。自分がひいきにしていたハレ系ブランドのヘルスなんかは、過剰サービスの要求に対する厳しい態度や、店舗に防災グッズを置くなど元からコンプライアンス意識が高かったのだが、緊急事態宣言が出た時点で全店舗の閉鎖を決めていた。一方で短縮営業にとどまるヘルスもあるし、ソープランドに至っては管轄する法令が違うせいだろうか、いつもと同じように営業していた。回春マッサージをはじめとしたデリヘルも営業しているところが多い。ちなみに、お気に入りのバニーガールバーは最初のうちこそ通常通りに営業していたが、緊急事態宣言が出て一週間後、五月六日まで閉鎖となった。世間の空気に押されたかたちだろうか。未曽有の事態のため政府も混乱している面もあるのだが、政府も具体的な指示をするというよりは指針を示すにとどまっているため、現場で対応のずれが見られている、ということなのだろう。
こうして、ほとんどの趣味が封じられた以上、心底ソープランドに行きたいのだが、わざわざ危険なことをしに行くのも馬鹿げている。そういうわけで、ひたすらエロ動画を見ている。内容はもちろんソープランド系だが、時折回春マッサージ系か、混浴で裸を見せつけて女性を発情させ、襲われるものだ。どうも受け身ばかりでよくないと思うのだが、仕事を能動的にしていると、なんだか受け身になりたく思う。これは人によって違うかもしれない。仕事でストレスがたまるとお尻ペンペンしながら後ろからしたくなる人もきっといる。まったく、こんな卑猥な空想ばかりしてしまう自分があさましく思われる。匿名とはいえこんなところに垂れ流しにしている。そして、十万円支給と聞いて思い浮かぶのはソープランドばかりだ。自由に出歩けるようになったなら、投資するとか資格を取るとか、もっとましなことを考えられるようになるだろうか。
ところで、どうせなら日本でもpornhubとかの有料サービスを無料にするとかしてくれたらいいのに、と思う。外国人の美女とエロチャットをしたい。そういえば日本のアダルトビデオ配信ってどうなったんだっけ、と調べてみたらソフトオンデマンド無料配信は3月末までであった。というか、あれもサーバが落ちたんじゃなかったか。
小学校5・6年のころの担任だったA先生は面白い小太りのおじさんで、アイドルオタでだった。
教師然とした大人というよりはもっと身近な親戚みたいなフランクさがあって生徒には人気だった。
先生はよくクラブ帰りとかに危ないから、遅くなったからと生徒を車で家まで送ったりしていた。
先生が車に乗せるのがクラスでも可愛い子だったり中心人物な子だということは流石に私も気付いていた。
私は家が学校の裏だったから送ってもらう必要はないし、なによりブスのメガネのガリ勉だったので二年間先生に送られることはなかった。
当時の私は何も知らないアホだったので、可愛い子が特別扱いされることが羨ましかった。
二十歳を過ぎて、当時同じクラスだった友達と四人で飲み会をした。
一人はクラスで人気者で先生にも目をかけられてた男子Oくん、一人は私と同じく中学受験組で勉強ばっかりだった男子Iくん、そして最後の一人が将来の夢はアナウンサーという先生のお気に入りの中でも特に気に入られていた可愛くて利発な女子Nちゃんだ。
当然、A先生の話にもなる。Oくんが「A先生ってロリコン疑惑あったよね」と言った。
そこでようやく私は、あったしかに!?と思った。今思うとただのロリコンだわ。
Iくんが「一回 俺がロリコンだと思うやつ手を挙げてみろ ってホームルームで言われたことあったよな」と言った。何それ全然覚えてないが???
A先生の素行はどうやら学校でも問題になってたらしい。スカポンタンの私は何も覚えてなかったし何も感じていなかったが。
そして当事者のNちゃんは、「先生が車に乗せようとするのすごく嫌だった、気持ち悪くて」と言った。
言葉通り連れ込もうとするのが気持ち悪いだけだったのかもしれないし、もしかしたら言わなかっただけで車の中で何かされてたのかもしれない。分かんないけど。
大人になった今だから先生のやってたことはだいぶアウトだし手を出してないにしろロリコンだったんだろうなと思える。
でも、当時のロリコンなんて単語も考えも知らなかった私はただただ「先生」に選ばれる子が羨ましかった。
流石に知らない人についていくようなことはなかったと思うけど、もし先生が車乗せてくれるって言ったらすごく喜んだと思う。
何が言いたかったかと言うと、大人なら当たり前に察知できる「危険」も子供には別の側面で見えているかもしれないということです。
すれ違う人すべてに警戒する世の中にはしたくないけど、「危ないことを危ないことだと認識できる」だけの知識を得る最低限の教育は大切なのだ。
今、ゾーニングやらなんやらで子供にこんなもの見せられない!とエロいコンテンツの規制が激しい。
ぶっちゃけ、規制をすること自体はいいんじゃないと思う。恣意的な基準が〜とかそういう問題はともかくとして。
でも、そうやって自然と知ってしまうきっかけを消し去るなら、大人はきちんと子供が自らを守れるだけの知識を与えてやらなければいけないと思う。
子供だった私は運良くそういう目にあうことはなかったけど(痴漢は何回かあったが)、きっとそれは運が良かっただけだと思うし、もしそういう事態に出くわしていたら、なんの警戒も持たずに被害にあっていただろうと簡単に想像できるから。