はてなキーワード: アウトプットとは
ずっと仕事に関してストレスを抱えたままなんとかやってきたんだけど、ついさっき突然ボキっと心折れた。
これはまあ自分のせいもあるから仕方ないが、他の人が「僕はわかんないんですけど〜、増田さんどうなんですかね〜?」とミスしてるの知りながら嫌らしい聞き方してきたのはちょっとモヤっとした。
「えっ増田やりたくないのかと思ってた。はずしちゃった」と上司は言っていたがずっとやりたいやらせてくれと言っていたのに、意味がわからなかった。悔しくてないた。
一番嫌いなおばさんが喋り通していて、声聞くだけでイライラするのに、一番大嫌いな話題で大嫌いな上司が大嫌いなおばさんと話してる音声聞くと虫唾が走った。
どう生きてればこんなに卑屈で嫌みったらしい内容が打てるんだって感じの内容に辟易した。
で、会社の通信が悪くて、画面止まって音声も飛び飛びになった。
うわ、なんだこれって思った瞬間に、多分ストレスというか精神的なキャパが溢れて、ひゅっと息呑んだまま涙がぼろぼろこぼれ始めた。
つい10ふん前の話だ。
マイクミュートにしたまままだ会議続いてるんだけど、なんかアウトプットしないと落ち着けなくてここに書いてる。
今すぐにでもMTG落ちて抜けて帰りたい。
ずっと仕事に関してストレスを抱えたままなんとかやってきたんだけど、ついさっき突然ボキっと心折れた。
これはまあ自分のせいもあるから仕方ないが、他の人が「僕はわかんないんですけど〜、増田さんどうなんですかね〜?」とミスしてるの知りながら嫌らしい聞き方してきたのはちょっとモヤっとした。
「えっ増田やりたくないのかと思ってた。はずしちゃった」と上司は言っていたがずっとやりたいやらせてくれと言っていたのに、意味がわからなかった。悔しくてないた。
一番嫌いなおばさんが喋り通していて、声聞くだけでイライラするのに、一番大嫌いな話題で大嫌いな上司が大嫌いなおばさんと話してる音声聞くと虫唾が走った。
どう生きてればこんなに卑屈で嫌みったらしい内容が打てるんだって感じの内容に辟易した。
で、会社の通信が悪くて、画面止まって音声も飛び飛びになった。
うわ、なんだこれって思った瞬間に、多分ストレスというか精神的なキャパが溢れて、ひゅっと息呑んだまま涙がぼろぼろこぼれ始めた。
つい10ふん前の話だ。
マイクミュートにしたまままだ会議続いてるんだけど、なんかアウトプットしないと落ち着けなくてここに書いてる。
今すぐにでもMTG落ちて抜けて帰りたい。
「勝負を挑んだ」挑戦者氏が5日目の7/11(日)の予測の結果をまだ書いてない気がするけど、予測はKnoa氏が699人・挑戦者氏が702人・実際が614人で、3勝2敗1分だよね? これ、勝ち越しだ負け越しだと云々できるレベルの精度の差かなあ…と思うし、Knoa氏が見落としているデータも踏まえてモデルをきちんと作ってるから精度が高いと自負する挑戦者氏が、これだけ激しい乖離を出してしまっているということは、挑戦者氏のご自慢のモデルも、Knoa氏に噛み付くほど大したことないじゃないの?という感想も持ってしまった。
挑戦者氏はKnoa氏の予測について「説明変数の記述ばかりで、モデルの記述がない」と厳しく批判してるんだけど、おれみたいな外野からすると、モデルとか構築がどうであっても、そこそこの予測精度が出てるんだったら別にそれで構わないんだよね。ロジックよりもアウトプットと現実との対応のほうが大事なの。事前に書かれた予測が比較的実態に則してるなら、それを踏まえて自分の危機管理とか今後の生活の仕方や商売の指針にもできるわけだからさ。
いくら挑戦者氏のモデルが精緻でも、Knoa氏が念頭に置いてない重要な説明変数が考慮に入れられてても、それは挑戦者の頭の中で組み立てられたバーチャルな完全性でしかなくて、そのシミュレーションが現実世界と照応してないなら、おれにとっては特に優位性はない。「いや、このデータを入れなければダメなんだ、モデルを提示しなければダメなんだ」という主張は承るとしても、その主張の正しさを外野のおれたちが判断する時には、やっぱり的中率ありきなんだよ。
それに、挑戦者氏とKnoa氏の予測って言うほど乖離してないんだよね。「Knoa氏の予測は常に上振れする、悲観的だ」ということなら、過剰に危機感を煽る危険な予測だ、みたいな批判もできるけど、実際は挑戦者氏の予測のほうが下回ってる日もあれば、完全に同一だった日もある。たった6日間の予測でだよ。
自分は大局的判断のベースにするには、数人という単位での的中率のわずかな差よりも、外れたときにどれぐらい外れるか、どのぐらいに収まるかのほうが重要だと思ってるんだけど、6日間の両者の予測で、実際の数字との乖離が一番激しかったのは
予想者 | 日付 | 予測 | 結果 | 乖離率 |
---|---|---|---|---|
Knoa氏 | 7/6(火) | 705 | 593 | 18.8% |
挑戦者氏 | 7/11(日) | 702 | 614 | 14.3% |
で、大外れしたときの乖離率はたいした差はない。これじゃ「片方は当たるも八卦で、もう片方はちゃんとしたシミュレーションだ」とは言えないなと思う。
挑戦者氏はあんまり攻撃的な語り口を使わずに、粛々とモデルを磨いて、精度の高い予測を出し続けて、予測結果の信頼性の高さでKnoa氏を駆逐するのがいいんじゃないかと思うよ。両者の予測、楽しみにしてるよ。
な、頭悪いだろ?
それを勘違いしたまま、インプットだのアウトプットだの、油断するとモチベが無くなるだの言っても意味ねぇって話なのに
古いとか新しいとか言い出しちゃう
再定義すりゃ、相手が否定出来て、自分が正しくなるとでも思ってる典型的なサブカル脳
みたいな
ちな、独立してない楽しみとやらは、それリア充と同じものなんじゃねぇの?
的な
これ読んでぱっと思い浮かんだのが「掲示板やオフ会で他人と話すのが好きな人」だった
話してて分かるんだ
あぁ、この人は「語りたい」のだなぁって
ゲームが好きな「結果」誰かと語りたい人と
誰かと語りたい「結果」ゲームを遊んでる人って違いが出るんよ
哀しいのは、後者も自身のアイデンティティを「オタク」だとするんだよね
掲示板文化みたいなのが残ってればそれでも居場所はあったかもだけど今はSNSの時代
そういう人って、自分が楽しめなくなった原因を「誰かと語れないから」ではなくて、「コンテンツがつまらなくなった」に見出そうとする
だって、自分はオタクで、積極的にコンテンツを楽しんでると勘違いしてんだもの
絵描きさんだとしたら、そのジャンルの二次創作をするのはなぜですか?
廃人活動もしてないのに楽しそうにしてる人と、がつがつやってもなんだか空虚なあなたとの違いは、どこにあると思いますか?
みたいな
的な
ふらっと青森に行っては、ラブリッジを写真に撮ってTwitterに流し、友人が数人「わかってる」コメントをする
仰々しく聖地巡礼とか書かない
そういう反応を期待する「趣味」ではないしね
「他者の中の自分」が目的の「趣味」はコミュニティをきちんとしないと長続きしないように思う
それらはインプットとかアウトプットとかそういう話じゃない、どうしようもなく他者依存のもの
そりゃそうだ、だってどこまで行っても自分が好きだけでやってんだから
そういう違いをきちんと把握して
趣味の対象を憎んだり、加齢で楽しめなくなったと勘違いしたりしてしまう
まっとうなエンターテイメント、読後感の良いハリウッド映画のような漫画・読み切りなら大歓迎だけど、それを高いレベルでできるっていうのはものすごい才能だと思うし、数あるエンタメの中で漫画に求められているか?とも思う。
漫画の良さの一つは、広大な世界が漫画家ひとりの頭の中から生み出されることであり、それは1人の人間の「偏り」がそのままアウトプットされる面白さでると思う。ハリウッド映画だったら監督・脚本家・プロデューサー・出資者・観客の間で角が取れた表現になることと比べ、個人の偏りがそのまんまお出しされる危なさと面白さ。
⑥それに対してテック系の人たちはそもそも業務内容・アウトプット・進捗が割合定量的に管理されていることが多く、会社での評価が、上司にどう思われるかも重要だがそもそもアウトプットの量と質・進捗を守ることが大事になる。またアウトプットの質は、ある程度投入時間に比例するし、ノウハウ的な蓄積も投入時間に比例する。会社で謎接待をする・される時間があったら業務アウトプットの品質向上や進捗管理に投入したいと考えている。そもそも進捗が守れないとデスマーチを行進しなければならなくなることがあり避けたい。ここが人事・総務など社内スタッフ部門・営業部門との違いである。
⑦⑥のテック系の人同士で進捗会議をするときには目的を達成が最優先だから、相手を気持ちよくして譲歩を引き出そうという意識は互いにない。その場に百貨店の外商みたいなビジネスマナー体現者が入ってくると、警戒するし時間の無駄で却って失礼な奴という印象をもつ。なので、テック系での打ち合わせ商談は、相手を気持ちよくさせるためのビジネスマナーは最小限にして、時間効率を重視する方が好感度高い。過剰のビジネスマナーは慇懃無礼/謎マナーと言われる。
⑧ある程度の大きさの会社だと、テック系のトップに人事・総務など社内スタッフ部門出身で、社内政治で出世した畑違いの人がつく場合があり、時間の使い方についての価値観が特に違うので部下からとても煙たがられる。アウトプットの中身そのものよりも、アウトプットはできるだけ手を抜いてつくり、それをいかに上手に自分の手柄として社内上層部に売り込み自分と組織との評価を上げるかということに注力がある。こういうトップはアウトプットの中身に関心がないのでコア価値コンピテンシーを生み出せず中長期で技術組織を弱体化させることが多いと思うが、出世に対して確信があり、実際出世することが多い。
①基本的に旅館・ホテルとか百貨店のコンシェルジュとか、コルセンとかそのあたり向けのビジネスマナーを標準としている。
②①の人たちは、接触する人を気持ちよくさせてお金を使ってもらう職業(プロ)
③①の人たちは、距離感が違うだけで、②の意味で風俗業・キャバ・ホストと同じ構造
④営業の人たちは、なんとしてでも売り上げを上げたい。もし、お客さんが気持ちよくなってお金を使ってくれるなら
法に反していない限りどんな手でも使いたい。なので「マナー」を重視し、周りにもそれを求める。
⑤人事・総務系などスタッフ職の人たちの給料は、「真の業務アウトプット・プロセス革新」の達成率でなくて
上司にどう思われるかで決まることが多い。なので全力で上司を「お接待」する。会議の席次や名簿の順番位で
上司が気分よくなって給料上げてくれるならしめたものと思っている。なのでマナーを重視し、周りにもそれを求める。
誰に向けた文章でもない、ただ思いついたことをダラダラ書いているだけです。
自分は字を書く系のオタクで、所謂一次創作をしているのだがここ一年ほど書けずにいた。書けないときは自分を責めたり鬱っぽくなったりしていたが、幸いなことに(?)鬱で通院中のため、薬を飲みながら生活している。
ここ数ヶ月の間に質のいいインプットをする機会が増え、創作意欲が復活してきた。
しかしいざ書こうとしてもなかなか筆が進まない。
創作するのはつらい。できないのもつらいが、している間もつらい。そうして苦労して生み出した作品はPV一桁とかで行き止まり、世界のどこかにあるサーバの容量を圧迫するだけのノイズとなる。それが分かっているからつらい。でも、何もしないのはもっとつらい。
頭の中にあるものを書きなぐって、何度も推敲を重ねて、ようやく人目についても問題ないものになるまでにものすごく時間がかかる。時間のかかるわりに報われない。いや、報われたいわけじゃない。ただ自分の中に発生したアイディアをアウトプットしたいだけ。でも書いたからには誰かに見てほしい。わがままかよ。
一次創作はつらい。
いや、二次創作もつらいだろう。しかし作品名で検索すれば同士と出会える可能性のある二次に比べて、作者の頭の中にしか存在しない一次もなかなかつらいものがある。完結させなければそもそも見て貰える機会すらなく、完結したところで読んでもらえる可能性は限りなく低い。そもそも自分は読んでほしいのか?完結させればそれで満足なのか?よくわからない。
短編中編を完結させたことはあるが、完結したときの達成感はたしかに楽しい。投稿したときも楽しい。それでいいのでは?でも、そこに至る道程が長い。自分は何がしたいんだろう?
以前、創作する系しない系両派のオタクと会話する機会があった。
創作しない派の主張としては「創作するまでのエネルギーがものすごく必要だし、そこまでエネルギーがないからやらない」だった。わかる。創作するのってものすごくエネルギーが必要で、その割に完成したところで得られるものは少ない。なんていうか、割に合わないのだ。
一方、創作する系オタクの主張は「自分の発想を実体化させないと苦しいから」というものだった。これもわかる。その人はアナログ系の創作物を作っていたから「実体化」というものに強いこだわりがあったのかもしれないが、たしかに何かを完成させるという体験は他では味わえない達成感がある。
じゃあ書けよ、と言われるかもしれないが、書きかけの小説を読み返すのがつらい。しかし、続きを書くためには読み返して過去との整合性を取る作業が必要である。うーんこのジレンマ。
所詮趣味だ。書けないからってなんのデメリットもない。でも創作をやめることはもっとつらい。
創作活動はつらいし、それを乗り越えたからといって何かになる可能性は限りなく無に近い。
それでも手を止めることはできないのに、書かなければならないと思うとしんどくなる。
どのみち辞めるという選択肢はない。そして、辞める選択肢がないなら書き続けるしかないのだ。
オチはありません。
どうも、覚えてる人がいてくれると嬉しいけど何年か前にプログラミング完全に理解した程度でプログラミングの覚え方を語ってしまったおばさんです。
あの後おばさんはプログラミングの仕事をすることになって、今はプログラミング完全に理解したを超えて、プログラミングなにもわからない未満くらいのおばさんになりました。
おばさんは今、PHPとRubyとJSを書いて暮らしています。
おばさんはプログラミングを仕事にできて、本当に良かったと思っています。
良かったこととして、やっぱりプロダクトとして動いてるシステムをいろいろみれたりとかの技術面の話もたくさんあるけど、そういうのは他の人のアウトプットにお任せして、おばさんの人生で良かったことについて話そうかなと思います。
おばさんの人生について軽く紹介した方がこの後の話が分かりやすくていいんだろうけど、いろいろあるので省略します。行間から察して。
おばさんはプログラマになれて、ようやく自分に自信がついたと思っています。
仕事ってやっぱり自分のアイデンティティに強く影響するんだと思います。少なくとも私は仕事以外だけを人生として楽しむことはできないタイプです。そんな人間だからこそ、仕事がうまくいかないことで自己評価が低かった。
でもプログラミングの仕事は、できるできないの評価が完全に他人任せにならないで、できたかできなかったかが自分でもある程度評価できるので、そういう意味で自分を支える自信を作りやすい仕事だなと思います。
それに今までの上司とかの評価もいいみたいなので、人からの評価という点においてもそれなりに自信になりつつあります。
おばさんの人生でよかったこと縛りで話すとこれだけしかネタがないけど、おばさんにとって大切なことなので書いておこうかなぁと。
【追記】
昔書いた記事ってのはこれです。
https://anond.hatelabo.jp/20190404034812
でも、おめでとうと言ってもらえて嬉しいです。ありがとうございます。
小学生にへたに議論をさせたところで「手持ちの洋服でいかにオシャレをするかを競うようなもの」にしかならず、つまらない大人化を進めるだけ? - Togetter
オトナでも、研修の中でやたらとディスカッションを挟みたがる講師、人事が多い。新人研修とか特に顕著だけど、「〇〇入門」とかで、今日初めてその領域を学んだ人が集まって議論したとして、なんか意味のあるアウトプットは出るかね?
ちゃんとした議論をするにはちゃんとした準備 (前提知識、経験) が必要だし、ただの息抜き、メンバーの交流が目的だったら、もっと無意味な「楽しいお話」にすればいい。
中途半端に「今日学んだことを踏まえて、実務で適用できるパターンを検討しましょう」とかやったところで、「〇〇という魔法の技術 (まだよく分かっていないから) を使えば業務が効率化できると思いまーす」みたいな、しょうもない発表にしかならないわけで。
この時間帯ならいっぱい意見もらえそうなんで、再度投稿した。すでに読んだ増田メンにはすまない。
いい年した大人の『何者かになりたい』という感覚は、けっこう厄介。
という記事とブコメを読んで、「おっさんになったみんなは『ワナビー何者欲』を諦められているのか!」と衝撃を受けた。50歳でも現在進行形で拗らせが悪化している俺は少数派だったのか。
『何者欲』は、アイデンティティの自己承認が満たされれば、つまり自己満足できれば満たされるのではないだろうか。
自己満足で自分を何者かとして認められるとすれば、自己満足するための何かが必要になる。子どもがいれば子育てがそうだろうし、創作やアウトプット、筋トレや身体機能の限界引き上げを行っうなど、積み上がった成果を思い起こしてニヤニヤするしかない。
いい年した大人の『何者かになりたい』という感覚は、けっこう厄介。
という記事とブコメを読んで、「おっさんになったみんなは『ワナビー何者欲』を諦められているのか!」と衝撃を受けた。50歳でも現在進行形で拗らせが悪化している俺は少数派だったのか。
『何者欲』は、アイデンティティの自己承認が満たされれば、つまり自己満足できれば満たされるのではないだろうか。
自己満足で自分を何者かとして認められるとすれば、自己満足するための何かが必要になる。子どもがいれば子育てがそうだろうし、創作やアウトプット、筋トレや身体機能の限界引き上げを行っうなど、積み上がった成果を思い起こしてニヤニヤするしかない。