はてなキーワード: アウトプットとは
何をいくら売っただのくだらないマウントをするだけの人生に身を置く羽目になったのは俺自身の自己責任であり不可逆の呪いなんだよな
しっかりと大学、いや高校の進路を決める前の勉強の段階から将来の人生、具体的ではないとしても「こうはなりたくない、ああはなりたくない」という目標を描けているかどうかが大事だということ
幼稚園で将来何になりたいかなどというクソくだらない発表会でガソリンスタンドのお兄さんになりたいなどというクソくだらない願望を抱いた俺を呪いたい
お前はガソリンスタンドのお兄さんにこそならなかったとはいえ、やってることはほとんど一緒だ
お前はたぶん低学歴だと思うけど、お前がバカなのは学歴のせいじゃなくて、
バカ以外は常に自分の語彙をチェックしてる。暇があれば自信ない言葉の意味を確かめてる。
「分類項目の意味がよくわかんないまま分類作業頑張りました!」ってもってこられてもそんなアウトプット捨てるしかないのと同じ。
お前は世界を分類するツールとか箱とかそう言うのが適当なまま作業を頑張ってるから何をどう思考しても自動的に全部ゴミなの。
このタイプのバカはあんまり学歴が高くない人を中心にしてかなりいる。
直さないと死ぬまでフィーリングと感情の話を精度ガバガバで論ずるしかなくなる。
心掛けで直せる。
これまじでそう
勉強とは結局覚えることだ。いわゆる暗記科目はもちろんのこと、数学や英語だって多くのパターンを覚えて一般化し、それを問題に適用しているだけに過ぎない。
だから、大事なのは覚えることに対する二つのアプローチである。「どうやって楽しく覚えるか」と「どうやって使える形で覚えるか」だ。
覚えることは、基本的に楽しくない。粉薬を大量に飲むようなものである。そこで、オブラートを使うとか、おくすりのめたねを使うとか、飲んだ後にちょっとしたおやつを用意するとかの対処が必要になってくる。
それが一般には面白い先生の授業だったり、自分の好きなものと絡めて覚えること(洋楽と英語とか、大河ドラマと日本史とか)だったりするわけだ。
万人に向いた方法はないので、最終的には自分が覚えやすくなる良い方法を自分で探すしかない。基本的には、好きなものと関連づけてやるのがいいと思う。
大事なのは、覚えるための努力は必要ということだ。面白いので自然と覚えていることもあるだろうが、それで覚えられることはせいぜい10%くらいだ。残りは努力で覚えるしかない。それを多少なりとも楽にしようというのが、一点目である。
使える形で覚えるというのには二つの要素がある。覚える段階で使える情報を覚えるということと、覚えた情報を使える形で引き出すということだ。
目標が試験に合格することなら、過去問をやる。それが最高の方法である。大学受験や資格試験なら普通は過去問が手に入るし、そうでなくとも問題のスタイルや問題数、そこから見える傾向くらいはあるはずだ。(完全に新規の試験は除く)
過去問ならば、使える形でインプットもアウトプットもできる。間違いがない。
テストなどではない漠然とした目標の場合、少し考える必要があるが、多くの場合は、目標の立て方が下手である。
英語ができるようになりたい、であれば、読みたいのか聞きたいのか話したいのか書きたいのか、あるいは全部か、それぞれの観点で整理して、かつどれくらいを目指すのかを検討する。
ビジネスメールを読み書きできるようになりたい、もまだブレークダウンできる。ビジネスメールで、はいかいいえくらいのやりとりなのか、本格的な交渉なのか、質問対応なのか等で何をすべきかは変わる。
基本的には、なすべきことがわかるまでブレークダウンを続けるべきだ。ブレークダウンの途中で詰まってしまったら、それは人に相談すべきタイミングである。
適切に目標をブレークダウンできたなら、もうやることは見えている。どういう情報をインプットし、どういう形でアウトプットできるようになるべきか、十分に理解したはずだ。
上記のことを意識すれば、勉強とは何か?でつまづいている人も、どうにかなるだろう。
勉強とは覚えることであり記憶することだ。車の運転だって、一つ一つの動作と交通ルール、安全な距離感のパターンを覚えて行っているに過ぎない。
そして覚えるためには相応の努力が必要だということを忘れてはならない。
漠然としていて、かつブレークダウンもしにくい目標の前に立っている、という人がいるかもしれない。
その目標は完全に達成することが難しい(完全に達成できそうなら、もう一度目標のブレークダウンを見直すべきだ)
どれだけ覚えたところで完全にはならないという諦めと、それでも知らないと何もできないという渇望をもって進むしかない。
大事なのは、完璧は存在しないという謙虚な姿勢の一点のみだ。無知の知があれば、勉強を続けるべきという強迫観念が勝手に背中を押していくだろう。
がんばれ
最低限のNetwork知識 https://zenn.dev/hee/articles/ce9002ae525622 という記事がブックマーク400を超えていて、どうしてこのレベルの記事に400もブックマークが集まるのかと問いたい。
覚えたことをまとめてアウトプットするのは素晴らしいことだと思うしそれは否定しないんだけど、勉強したての見習いが書いた薄い内容とベテランがまとめた記事だったら、学ぶのに適しているのはどちらかという話である。
そんなわけでちゃんと勉強するならITMedia系でプロに金払って書いて貰っている記事を勧めたい。
ちょろっと探してみて初心者向けに纏まってる内容だったので、以下の連載が良いと思う。
https://techtarget.itmedia.co.jp/tt/news/1503/13/news04.html
それでもっと知りたいと思ったらMaster of IP Networkの記事を読み漁るといいかな。
https://atmarkit.itmedia.co.jp/fnetwork/index_index.html
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追記:
マスタリングTCP/IP が名著だしおすすめなのは間違いないけど、ネットワークを専門としないであろう人にまでおすすめするのは少しハードルが高い気がするよ。
創作と発表に飢えてるわけでもない
コンテンツを見てそれっぽく語ればいい
熱く語れば一目置かれたりもする
当人ですらそれに気付かず自身のアイデンティティをオタクに置くことがある点で
大抵こういう人は「年齢とともに楽しくなくなった」という
そりゃそうだ
楽しさの大部分はコミュニティにあったのに
年齢とともにそれがなくなっていくのだから
そして
だけど本人も思い込んでいると気付かずに思い悩んだり
昔なら青二才
今ならだれだろう?
曲がりなりにも文化批評をしてやろうとするサブカル勢に良くあるスカした接し方でもなく
自分の趣味として(当人は楽しんでる体で)接しているように見えるが
歳を経るごと回を重ねるごとに誤魔化しが利かなくなっていく
本人が気づいているなら邪悪ではあるが救いはあるが
今一度
自分がなんでそのコンテンツを見てるんだろうと考える時間を持つと良い
TLSの下校会話も定期的に楽しんでいるが
LoveRには手が出なかった
久々の更新ですね。
久々って毎回言ってる気がしてますが事実なので仕方ないですね。
何故唐突に更新したのかと言いますと、今年は頻度を上げようと思いまして。
出来るだけ多くの哲学的な思考或いは論理的なアイデアを残しておいた方が良いかなと。
インプットだけしてもアウトプットしなければ何も意味ねーぞ!(唐突な煽り)
と、前置きはこのくらいにしておいて。
無理矢理にでも1記事につき1つは思考プロセス残しておきましょう。
新年最初になるので、私が自分自身を含めた人間を観察する時の考え方を書いておきます。
基本的に、基本的にどころか全て「欲望」と「忌避」に焦点を置いてます。
以下に簡潔に書きます。
こんな感じです。
それ以外は無いって思ってもらっても良いくらいです。
例えば、私が今このブログを書いているのも、言葉を表現したいという欲望があるからです。
因みに細かく追求するなら、
私は言葉を発することが二酸化炭素を吐くような欲望になっていますが、
人によっては他人に見てもらう承認欲求に欲望を置く人も居れば、
ずっと書き続けているから書かなければならないという継続を途切れさせることへの忌避で書く人も居たり、欲望と忌避は様々な形を持って居ます。
まさにその「様々な形」というものを、他人の言動から解析して判断評価していくことが好きなわけです。
嫌な性格ですね。
勿論、自分自身においてもこの解析と判断評価は掛けていますが、自分自身の場合は言動ではなく、言動で表す前の意志段階で行っています。
つまり私が言動で表現している時には基本的にはどんな欲望や忌避が潜んでいるかわかった上で行動に移していると考えてもらって良いです。
割とタチ悪いですね。
上手く分析出来ると、会話の中から「この人はこの欲望で人付き合い偏ってるな」とか、「この人はこれを避けようと行動しているな」とか、タチの悪い分析が出来るようになります。
なので、人を見て判断するのではなく、本当に欲望と忌避に焦点を当てた人付き合いが出来ないと色々しんどそう。(急激な他人事)
書くの疲れてきたので今日はこの辺で良いでしょう。
気が向けば今回の続きですが気が向かなければ全く違う内容になってます。
いや、前者が管理できないわけじゃない。
仕事与えてほっとくだけで優れたアウトプットが出るんだから、コンスタントに稼ぐ役目と割り切って、使えるだけ使うまでの話。
問題は、使われる方が「俺は不遇」とか言い出し始めた時。
詳細は省くが、Twitterで軽んじられている気がする。
もちろんこれはほとんど被害妄想でしか無いのだが、実際に扱いの格差を感じた瞬間、自分のアカウントがあまりにも無価値であることに絶望して書いた自分用の日記の一部である。
軽んじられていることを感じて、私はひどく動揺し、怒りすら覚えた。私は軽んじられるのが嫌いだ。好きな人は少ないだろう。
しかし、軽んじられている理由を考えてみれば、純粋に私に魅力や利用価値が無いからとしか思えず。軽んじられたこともそうだが、自分に価値が無いことを改めて思い知ったのがより心に傷を付けた。
思い返せばコンテンツに対する感想を吐けなくなってからというもの、Twitter上に私の居場所は無かった。ただなんとなく知り合いの絵師に擦り寄ってるだけのキモいアカウントと化していた。それは疑いようのない事実で、そこから目を逸らしてしまっていた。
アウトプットもインプットもせず、無為な日々を過ごすだけのアカウントに価値など無い。私はどうしようもなく悔しくなった。
かといって私は創作ができるわけでもなければ感想を吐けるわけでもなく、軽んじられながらただTwitterをするだけの日々に耐えられないのなら、Twitterを辞めるしか無いのもわかった。
私は、常々創作をしたいと考えていた。ネタはある、が、誰もが頭の中だけなら名作を書ける小説家だ。私はいつもできないできないと諦めてばかりで、今回の書きたいネタだけでも2ヶ月。全体的な執筆活動としてはもう5年近く『できない』と思い込み、更にありとあらゆることへの挑戦という意味で言えば23年間、人生のほぼすべての期間を『できない』の中に閉じこもってしまっていた。
どうすれば『できない』が『できる』になるのか全くわからない。「考えるよりまず書け」「やる気が出るより先に書け」なんて言うけれど、私の頭は昔のように物語へ没入することができなくなり、物語に向き合う姿勢すら作れなくなっていた。
いわゆるオタク活動を昔のようにエンジョイできない苛立ちも手伝い、常に余裕の無い生活がもう2年近く続いている。いい加減ここから抜け出したい。と考えてばかりで先は進まない日々ももう半年。
だから少し前から日記を書き始めていた。今日まで1週間近くサボっていたけれど。ゴチャゴチャして読みづらく、全く支離滅裂な文章かもしれないけれど。
誰か私の苦しみを和らげてくれと助けを求めて吐き出したこの文章が、いつか自分の作りたいものにつながっていると信じて、書く練習としてまず今日の日記を書いた。
明日には恥ずかしさのあまり消えてしまいそうになったり、反応が無いことに絶望することがわかっていても、ここに書くしか無いのだ。
高すぎ
この状態で時給6000円は俺に信用がないのか
勉強しつつってのもわかるけど定時できっちり上がるしスケジュールも無視でもう3ヶ月もアウトプットがない
100万損した
個人的には、破綻した人格や行いは考慮しない。アウトプットのみを考慮する。世の中からはみ出した領域に、美が存在すると思っているから。