はてなキーワード: 輻輳とは
心療内科に行くハードルをむやみに上げてることが原因なことが多い気がする。
最近立て続けにそういうのを読んで(消されてるのもあるのでトラバにはしない)、
身近でもそういう話を聞いて思ったんだけど、みんな精神的な病気を「穢れ」扱いし過ぎな気がする。
肉体的な病気は、そういう「穢れ」扱いって、差別だって言ってくれんじゃん。少なくとも表面上は。
日本のメンタル系の病気に対する扱い、エボラ出血熱を「精霊の祟り」とか言う人達と、同じになってない?
自分は、親戚に医者がいたこともあって、あんまりフィジカルな病院には抵抗が無かった。
だから、風邪とか腹壊したとか打ち身みたいなときに、探しといた「かかりつけ病院」にちょくちょく行ってた。
自分の中では、歯医者と同じ感覚。相性もあるしヤブもいるけど、歯石取りたいって言って品定めしとけば良いみたいな。
でも、仕事で追い詰められた時、(自分では追い詰められてる感覚なんて無かったんだけど)
普段の医者に見てもらっても、疲れからの風邪じゃね?という話しか出なくなった時期があった。
今から思えばオカシイと思う言動も、自分じゃ気が付かないんだよね。
で、やっぱり自分も心療内科に行くのは凄くハードルが高かった。
「プリントアウトして病院にいけ」とか「メンヘルは恐ろしい」とか言う人達の影響が大きかった。
拡大再生産して、輻輳して、どんどんそのイメージが広がってる。
メンヘルとかさ、病んでるとかさ、心の闇とかさ、フィジカルだとそうやって揶揄しないじゃん。
自分も、「心療内科に行くのは、そういう人間なんだ」と思い込んでたもの。
自分は大脳が壊れて、周りに迷惑をかけるのかもしれないとか認めるの。
これもしかしてオカシイですかってプリントアウトして持って行くとか、考えられない。
そういう考えがぐるぐるしだして、でもやっぱり有給を使うしかないみたいな状態が続いて、
ついに医者から「一回見てもらったら?紹介書いてあげるから」と言われて、心療内科に行った。
物凄く抵抗があった。
紹介文がなかったら自分も多分行かなかった。
でも、行ってみたらごくあっさりした感じで、薬を出された。
身の上話も、診断テストも、カウンセリングみたいな想像してた恐怖の「自己を晒す」という部分がなかった。
結局、薬が効かないみたいですとか、じゃあもちょっと強めの睡眠導入剤にしてみようかみたいなのがあって、
良く眠れるようになった。胃腸の具合も改善した。具合も元に戻った。
自分の場合は、ストレスから睡眠不足になってたのが原因みたいだった。
それを自覚すると、ストレスの原因を減らそうという気にもなった。
拍子抜けしたし、なんかこれなら合わなかったら調べて他の心療内科行ってみても良いかなと思えた。
当然、睡眠障害が専門の医者と、他の病気が専門の医者だと、対応も違ったんだと思う。
たまたま自分の場合は最初に紹介された心療内科医が合ってたみたいで改善したけど、これなら歯医者感覚で良いかなと思えた。
でも今ネットにあふれてるのは「インフルエンザ罹患は、社会の害悪、関わると死ぬ」とか言われてるのと同じなんだよね。
「熱でダルい」ってつぶやくと「体の壊れた欠陥品め、ゲロと鼻水をビニールに採取して病院にいけ」みたいな状態。
そりゃ、鼻水とかゲロを集めて病院に持っていけば、診断は楽かもしれないけど、行くハードルは上がる。
ハードル上がれば、面倒だし、鼻水集めるとか嫌だし、騙し騙し会社に通うことになる。
いつか倒れるまで。
でもさ、インフルエンザの「疑いがある」時点でさ、みんな病院に行くじゃん。
とりあえず保険証持って、別に鼻水採取しないし、そうなった理由とか話さないじゃん。
インフルの時は出社されたほうが迷惑だから有給使うべきだって社会になってきたじゃん。
「インフルは自己の責任。免疫の壊れたフィジヘル。恐ろしい恐ろしい」とか言わないじゃん。
同じようにさ、とりあえず何も持たずになんか調子悪いんだけど程度で心療内科に行けるようになるべきだと思うんだよね。
ブラックかもしれない、じゃあ会社を辞めろそれはお前がダンピングしてて社会の害悪だ、みたいなさ。
サービス残業に対するアドバイスが、会社を辞めるか組合を作るかしか無いって、やっぱ変だと思うんだよね。
まずは、体調は大丈夫なのか、金曜夜だけでも早く帰るようにならないか、理由をつけて残業をしない日を作れないか、
ステップ・バイ・ステップで、ほんの少しづつ出来る事からするのが、具体的だと思うんだよね。
でも、「会社を辞めろ」「組合作れ」って言われたら「そうか。じゃあ我慢してサービス残業し続けるか。辞めても職もないし面倒だし」になって悪化するんだよね。
世の中そんなにデジタルにゼロかイチかじゃなくて、もっと曖昧でばっくりしたものだと思うんだよね。
この程度のことで、心療内科に行くといいと思う。
ほんとに「この程度」って時に、歯石を取るつもりで、心療内科にかかって良いと思う。
話したくないこととか、話しづらい事は、話さなくて良いんだよね。
人間って意外にイイカゲンで、薬で胃腸も眠気もコントロールできるし、それだけで回復したりする。
肺炎になってから入院するより、風邪のうちに診てもらう人のほうが多いわけじゃん。
ブコメもさ、「このコメントがベランダの手すりの上に立ってる人間に対する、最後のひと押しになるかも」と思って欲しい。
釣りじゃない増田の愚痴って、そういうレベルの人間を見かけると思うんだけど。
インフルで弱ってる人間に「フィジヘルは恐ろしい」とか言葉を投げつけるの、相当醜悪だと思う。
東京のJR渋谷駅を大きく造り直すための工事が17日夜から始まる。いまは分かれている山手線の内回りと外回りのホームを一つにまとめ、
まとめちゃだめだろ・・・。
渋谷は大規模駅。 内回りと外回りが同時にホームに着いたら 階段が輻輳する。
あれは、内回りと外回りが同時にホームに着いたときでも階段が輻輳しないように別々になってるほうが正しいんだよ。
大規模な駅と、そのへんのローカルな駅を同じに扱うなよ。階段で輻輳して人が降りられなくなる。
昔の建築技術のほうが正しいこともある。特に渋谷駅は昔のほうが圧倒的にただしい。
内回りから外回りに乗り換える奴なんて滅多にいない。つまり1つのホームになることのメリットはない。デメリットしか無いのになぜやる。
1次が万事、そうとうな改悪工事なんだろうな。動線ボロボロで使いにくそうなビルが出来そうだよ。今の出入口も動線ボロボロだが、ましてボロボロなんじゃね?
インテル、8ソケット15コアのXeon E7-8800 v2などを発表
8ソケット15コアって最大120コア・・・
それはいいけど、メモリーのバス待ちで100%で稼働し無さそうだな・・・
もうCPUが専有できるメインメモリーと、共有のメインメモリーを分けて管理しないとバス待ちだけで輻輳すんだろ。
アーキテクチャー的に、シングルなメインメモリーは無理だ。コア固有のメインメモリーと、コア共有なメインメモリーはハード的に分けて結線して
120コアの並列でアドレスが違うにしろバス待ちなんてしたくねぇ。
そのレベルの並列プログラムのボトルネックはまず間違いなくメインメモリ。メインメモリーのバス待ちが遅くてやってられないというレベルでしょ。
永遠の0の作者なあ……。いっそのこと、思想的には対極の位置にありながら築き上げた業績では足の爪にも及ばない宮﨑駿に対して反旗を翻したのち、著作よろしく華麗に玉砕などして存在感が永遠に0になったら超面白いと思いましたが、映画大ヒットの報を拝見するかぎりそれも難しい様相で、なんとも盛り上がりません。
http://biz-journal.jp/2013/09/post_2979.html
この記事によれば「風立ちぬ」をべた褒めしたところパヤオからこれ以上ないカウンターでフルボッコ、という状況です。それについてのリアクションは寡聞にして知らない。そもそもパヤオに対する反骨の相もあるのかないのか……あるいはガン無視でしょうか。このテの人材がこうもボロクソ言われたら自尊心が刺激されないわけが無いのだが……。
さて、俗にいう“特攻”、自国民の消耗にもとづいた戦法を肯定的にとらえようとしている時点でコイツの視座が現実から乖離して形而上的ステージへと突入しつつあるのは明快であります。特攻を美化し、賛美したものを書物にしたため、売り物にしてお金を儲けている。劇中でも「史実を知らない現代の若者」に蔑視のまなざしを向ける配慮も忘れないと聞きます。映画は大ヒットだそうですから、さぞおいしいものを毎日たくさん食べているのでしょう。戦没者300万人をおかずに供して日本人の感動を誘い、その涙とともにこぼれ落ちたお金の力を使って召し上がる食事の味とは、果たしていかばかりのものか……。“第二次大戦中における日本戦没者のおよそ5割は餓死”という話とあわせて考えると大層感慨深いものがあります。
そのような彼の勢いはツイッターでもとどまるところを知らず、やたらと威勢のよい佞言を垂れ流してリツイートを稼いではえびす顔、というわけですからいよいよもって香ばしい。俺は当初、これほどの大ヒットを叩きだした小説家なのだから、賛否両論あるにせよ洞察に満ちた示唆をツイッターでも与えてくれるのだろうとおもっていたが、彼のツイートからプンプン漂ってくるのはネトウヨフレーバーの小物感でした。なに、これ。ただのクソウヨじゃないか……。彼の著作はゼロ戦モノなのに、申し合わせたように嫌韓嫌中というのも見逃せません。
これが、この人物こそが、本邦で話題沸騰中の小説家その人である。
この煉獄めいた事実には絶望と諦観を禁じ得ません。水嶋ヒロの話題で盛り上がるほうが5億倍マシだ……。
――敗戦濃厚な状況下にあって、それでも敵に立ち向かわねばならないという時に“お国のために命を捨てる”ということが美しいのか、あるいは愚かしいのか、そんなものは平和と飽食のなかに生まれ育った俺が一言に断じることは出来ません。が、国家という視点で眺めてみると、替えの効かない人間を100%使い捨てる「特攻」という手段が戦略的にはあきらかな悪手であり、絶対に死ぬという前提のもとで14,000名もの人的資源を消費してなお局面を打開することかなわず敗戦に至った、その現実を忘れてはなりません。
ところで、戦地に赴く兵員も守られるべき国民の一部です。まともな軍隊は無意味な命の消耗を決して行いません。生還が期待できない作戦に従事させるなどありえないと聞きます。なればこそ、最低限の技術すら充分に仕込まず、戦略的確信もロクにないまま、垂れ流すように人間を消費していった大日本帝國という組織が、もはやマトモに判断する頭を持っていなかったのは想像に難くない。というかそんなもん作戦でもなんでもなくて、呪術か狂信の域です。氾濫した川に人柱を捧げるとか、そういう次元の愚行。20世紀の話ですよ? そんなクソ『作戦』に殉じて死んでいった人間を「護国の英霊」だなんだと奉じてただただ祀り上げたり、「日本を護ってくれてありがとう」などと謝意を述べたりするのは、まず現実に即していないという意味において死者の耳に届くものではありません。
特攻では日本を守ることが叶いませんでした。われわれは、国を挙げた狂乱の最も哀れな犠牲者である彼らについて、ただただ哀悼の意を捧げるしかありません。まったくの非論理性に基づいて死んでいくことを強いられた彼らについて、国に身をささげて護ってくれた偉人だと位置づけるのは、どう取り繕ったところで美化だし、また身勝手にも程があります。
もし靖国神社におもむいたなら、特攻で死んでいった霊前に際して感じるべきは、決して感謝の意のたぐいであってはならない。ましてや参拝者自身のナショナリズム(笑)のズリネタとするなどもってのほかです。お前自身の事なんざどうだっていいわ。われわれは彼らに対して『あなたがたのような無意味な犠牲を今後二度と生み出すことのないよう、いついかなる時においても冷静な判断力を保持し続けるべく不断の努力をする』と誓わねばなりません。彼らの無意味な死に意味を与えたいのなら、彼らの教訓から悪い部分を点検・評価をし、処置・改善を施し、よりよいみちすじを計画し、そして実行する。そうやって戦後の我々がつねに賢く在ることで、彼らに報いねばなりません。それができなかったからこそ戦前の日本はあれほどの愚を犯したのだから。
――とは申せ、この国においては困難に取り組む姿勢や努力そのものが崇高であって結果は二の次三の次、という精神論が未だに根強いので、自爆攻撃が二度と繰り返すべきではない馬鹿げた愚行だと確信するにいたるのは少々先の話だとは思うのだけれども。とりあえず日本人が特攻隊員を美しく思っているうちは、いまなお旺盛なサービス残業はきっと無くならないでしょう、残念ながら。ていうかよくポツダム宣言なんて受諾できたもんだな日本……。
そんなウワサの永遠の0さんですが、述べたようにツイッターの閉じた輪っかの中で自らの考えを発信しては、同好の士(と書いてネトウヨと読む)のさんざ輻輳しきった肯定のレスポンスを受け取ってほっこりしているようであります。RTとfavの数字だけみたらまぁよくも次々と数百RTを連発するなあという感じですが、実際のところ汚泥が汚泥と混じりあって発酵していく毒の沼地のような醜悪さです。日夜この国のトラフィックを増大させてプロバイダの業務を1%くらい煩雑にしておりますが、その様子はナメクジ同士の交歓にも似た淫靡さで、読んでて正直恥ずかしい。とあるツイートなどでは『有事の際には9条論者を最前線に立たせ、彼らの物言いで戦争を止められるかどうか眺めればいい』などと超ドヤ顔で言いだす香ばしさ。うーん、これは上手いことを言ったつもりなのかな? たいへん粘着味あふれる皮肉センスで小生は惚れ惚れいたします。膨れ上がった自尊心が伺えます。かようなトラフィック上のクソですら、山ほどの(とはいえ3ケタ程度の)RTをされてしまう魔のフィードバックに取り囲まれた裸の王様こと氏は、お勤め時代ならいざしらず、今はもう自分の見たいものだけを見て生きているに相違ありますまい。実に幸せそうです。人間かくあるべきというお手本のような状況です。われわれ日本国民は、かの映画を見ることでこんなおもしろ人材を養っているのだという現実にそろそろ向き合う覚悟が必要でしょう。くわばらくわばら。
――以上は多少のオブラートに包んだ物言いでしたが、ただいまの気持ちに偽りなく申し上げるならば、先の大戦からこのようなスイーツ受けする感動話(笑)しか導きだせないこのようなボケナスは、有事の際においてまず靖国ならびに千鳥ヶ淵で1億回陳謝ののち速やかに最前線に赴き、一億火の玉の嚆矢と成り果てて欲しいと思った。氏の著書に感銘を受けたフォロアーが80人くらい同行するかもしれませんし。
映画の方ですが、あんな見え見えの地雷をだれが踏むかって感じなので5億円くれたら見たいです。ツイッターで感想をつぶやいた人々がおおむねスイーツ(笑)層とジャニオタ的人材である点には少しホッとしています。単純に「泣ける感動モノ」という文脈で受け止めているようです。とりあえず、根底をうごめくクソウヨ史観に運悪く感染してしまったインフェクテッドがそう多く見受けられないのは不幸中の幸いでしょう。人々はいまだ中庸なり。多分。
あまりに迷惑電話が多くて、ナンバーディスプレイにして、留守電にして、不要の電話は出ないようにしているのだが、ぶっちゃけ「電話機が鳴るのも嫌だ」。
電話機の着信拒否に登録しておけばいいんだけど、30件しか無い。それに比べ、電話番号の番号空間のなんと多い事か。たかが30件で対応出来るわけが無い。
NTTの「迷惑電話お断りサービス」も月額かかるわ、件数少ないわ、馬鹿にしているとしか思えない。なぜ「迷惑かけられる方が金を払う」のか理解に苦しむ。NTTからすれば、迷惑電話をかける方も重要なお得意様お客様だから、どうでもいいのだろう。むしろ迷惑電話も重要な儲けなんだろう。糞企業が。
電話機の着信履歴を見ると、「迷惑電話(含:自分にとってはどうでもいい営業電話)」しか残っていない。
したがって、今は「電話ケーブル」を抜いているのだが、ケーブルを抜いた電話機は、もはや電話機としての機能を果たしていない。
それと、何かの申し込みなどで記入する電話番号。極力最小限に留めているのだが(無駄に登録はしない)、必ずどこからか漏れるものだ。まぁ、それは仕方無い。携帯にかかってくるよりは、固定電話の方が対応しやすいので、そういう時に登録する電話番号は、固定電話にして、携帯の番号は絶対に書かない。「携帯の番号を」と言われてそれを拒否して、逆にごねるような会社や組織には、こちらから登録はお断りだ。
が、前述には書いていないが、実はそれ以外の着信履歴も少しだけ残っている。それは「東日本大震災の時の安否確認電話」だ。
携帯は、バッテリー、輻輳、通話規制、基地局の停電により、携帯よりも固定電話の方が連絡取りやすかったのが事実だ(少なくとも、自分の地域では)。停電していてもメタルケーブルからの給電で、通話は出来るし。
そういう事態を経験してしまうと、解約する事もちょっと思いとどまってしまうし、DMZとして働く固定電話の(自分的)意味が。
電話もオプトインにして欲しい。法律改正してくれないかな。消費者保護のために。悪徳不動産のためにどれだけの人が犠牲になっているというか。
http://www.youtube.com/watch?v=oOI8BVv8r88
http://www.youtube.com/watch?v=d9JhT9KzEpU
許可の無い営業電話は、多額の罰金を(1億くらいですかね。国庫に納めれば良いんじゃ無いですか?)。まぁ、マンション販売などは、その程度の罰金を払ったところで痛くもかゆくも無い程の利益を上げているようだから、意味が無いかもしれないが。
NTTには、かかってきた電話に対して、あるシグナルを送ると、その電話を拒否、またはその数が多ければ、強制的に契約解除とか。まぁ、NTTも営業団体だから、儲け話に逆らいはしないから、その方向は無理だな。それに、業者の方で契約を別に再度する、という事で繰り返し可能だし。
平成15年の柏崎刈羽原子力発電所の資料らしいんだけど、
ほんとなのかなぁ?
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http://www.tiikinokai.jp/meeting/PDF/7data_02.pdf
サプレッションプールへの異物の混入について
(回収結果)
今回調査した結果、布切れやテープ、針金といった消耗品の類が、数多く回収されました。サプレッション
プールは、4~5年に一度点検・清掃を行っていますが、過去にもこうした消耗品類が回収されています。
今回2、3、5、7号機ではシートやテープ等の消耗品が回収されました。
さらに1号機で、こうしたものに加えて「グラインダー(研磨機)」「プライヤー(ペンチ)」「懐中電灯」等の工
具や機材類が見つかりました。1号機は、他号機に比べて格納容器内が狭く、今回は再循環配管の補修箇
ケインズ学派から「構造改革」派が議論を横取り? 不況政局に利用
それが政府紙幣発行をめぐる賛否両論、とくに自民党内に議員研究会が設立されると、こんどは旧小泉スクールにも飛び火し、竹中ブレーンの一人と言われた高橋洋一(東洋大学教授)が、突如、政府紙幣発行の旗振り役を演じだした。
もともと丹羽理論を応用するかのようにノーベル経済学賞の二人が新政府発行論を揚言した。スティグリッツとクルーグマンだ。とくに後者は政局の変動にカメレオンのごとく説を曲げる、変える、豹変する。ところがクルーグマン信者が日本のエコノミストに多いから始末に負えないのだ。
日銀の08年末の資金供給量は101兆2610億円。3年ぶりに100兆円の大台を超えている。これは金融機関などの資金繰りを支える目的で、とくに年末資金を供給した。量的緩和政策である。
具体的には金融機関の日銀当座預金の残高と、紙幣や貨幣の残高の合計が通貨供給量。 日銀は2008年11月から当座預金の一部に0.1%の金利を付けている。当座預金に金利がつくというのは異常事態である。(或る意味で、この措置は政府紙幣発行が別のかたちの国債発行であるとすれば、同様な効果がある)
そもそもの政府紙幣発行とは、太政官札による幕末維新の藩札の統一が近代日本では嚆矢であり、江戸の金銀小判の流通がやんで、紙幣経済が日本に落ち着いた。日銀はまだ無かった。
丹羽説は総需要喚起、あまっている生産体制を稼働させ、実効需要を増やせとするケインズ理論の延長にあり、純粋に学問的仮説なのである。
ところが、これまで顧みられなかったこの議論、クルーグマンのインフレ目標値などの珍説とともに米国内の議論をみて、あわてて飛びついてきた経済学者、エコノミスト、ジャーナリストらの大合唱が巻き起こり、状況が激変したのだ。
政府紙幣発行議論は自民党内で白熱し、細田博之幹事長は記者会見で「そんなことができるなら毎年30兆円ずつ発行し、(国・地方の)800兆円の借金を全額返したらどうか。空理空論で意味がない」と否定的態度を表す(2月2日)。
一方、前向きなのは菅義偉・選挙対策副委員長ら。「これだけの危機の中、政治主導でいろんなことがあってもいい」と含みを持たせた。
こうした政府紙幣発行議論に対して日銀の白川方明総裁は否定的。
「通貨に対する信認が害される恐れがある」と強調したうえ、「政府の債務返済能力への疑念から「長期金利の上昇を招く」とむしろ副作用の危険性を指摘した。
▲日銀は当惑どころか明らかに反対
白川総裁は政府紙幣が市中で流通した後、日銀に戻ってきた紙幣を(1)政府が回収する場合、(2)そのまま日銀が引き受ける場合があり、それぞれ問題があるとした。
現在、10円、50円、100円、500円などの硬貨はまぎれもなく「政府紙幣」であり、日銀に還流してきた硬貨の一部は政府が日銀から回収している。
政府が日銀に回収分と同額の財源を渡しているが、政府紙幣も同じ仕組みになると、「(発行額に見合った)資金調達が必要になるという意味で国債の発行と実体的に変わらない」(白川総裁)
財務省の杉本和行次官は「政府紙幣は財政規律との関係から慎重な検討が必要。発行には法改正もいる」と官僚らしく面倒臭そう。また財政法に抵触する可能性があり、貨幣法の改正が必要だろうと手続きが輻輳する可能性にも言及した。
私見を述べれば、アカデミックな議論が、突如、政局に利用されている感じが否めない。もともと丹羽春樹教授の「政府貨幣発行による打ち出の小槌」は、学説であり、政治のレベルに降りるときは必ずしも学説通りに実行されない。与野党の妥協の結果、かえって中途半端な実行がなされると(まさに高橋洋一説は丹羽説の歪曲)、景気回復に繋がらない可能性も出る。
丹羽春喜教授の仮説は、そのまま実施される可能性がないゆえに、かえって危ない。
ちょうどドル円固定相場の復活論に似ている。つまり固定相場制というのは、理論的に正しく、しかし運用されると猛烈な投機がおこる。人民元相場がまさしく、その犠牲であり、固定の枠内で投機筋は通貨を商品と変える“商機”をそこに見いだすからである。
結局昔みんなが盛り上がって、だけど誰も金を払わなかったVODだ。そのときに開発された技術をそのまま使えばいい。使えればの話だけど。
現実性に応じて
下の二つは予約だな。なぜこれが必要かと言うと、仮に各NTT局にキャッシュサーバーを置いたとしても、リアルタイムに応じると人気作品のリクエストが来たときにHDDがスラッシングを起こすからだ。ということで、DKがリアルタイムで見れると思っているなら、彼は最低15分待たされる。
次に、市場の大きさがある。まだ光接続の客は少数だ。そいつらの相当数が集まるまで、大規模な配信は行われない。したがって、DKがいくら待望してもDKよりずっとずっと資産の少ない奴が手を出すまで、大規模サービスは行われない。
そして帯域の問題がある。DKが40Mbpsでハッピーなのは、あんまりユーザーがいないからだ。みんなが使い出すと、輻輳が起きる。したがって、DKが期待するような配信が始まるころには、結局、一部の直結ユーザーを除いてブロードキャストか昼間ダウンロードを使うしかない。
ところでだ、DKが高級マンションに住んでいるとする。マンションは光直結だが帯域は住民と奪い合いだな…。あ、奴は昼間映画を見る事のできる階級か。じゃぁ、その点はクリアできるかな。マンションで唯一の金持ちなら。
デジタルホン時代は「トランシーバ」とか言われたけど、あれはあれでよかったんだ。
あれはきっかけだったんだ。
確かに・・
J-PHONE時代が全盛期だったような気がする。
SkyWebをすぐに導入し(パケット通信じゃなくて回線交換方式だったけど)、写メールを開発、SH03もすごかったし、SH04のカメラは30万画素、それでも出た当初はすごかった。画期的だった。ロングメールで3000文字(全角)送信できるって便利だったよ。
SH51のSDカードにMP3をSD-JUKEBOXを使って入れて、携帯プレーヤーとして使うなんて考えもよらなかった。
PE-02やDNシリーズ、KENWOODなんかも画期的な機種ばかりだったな、考えてみれば時代が早かったのかも知れない。
Webページ言語はMML(今はメインはXHTMLになってしまったが)で小さな携帯電話でも少量のデータでページが表示できる言語を採用してたし、Javaアプリの登場も早かったような気がする。
藤原紀香をCMタレントに起用、今でのタランティーノや南野陽子じゃなく新しい感じがした。
(フェイ・ウォンは失敗したけどね)
ああ、サーバは弱かったね。というか、爆発的にユーザが増加したからついていけなかったんだな。あの頃は。
特に夜間輻輳が激しくメールは送れない、通話はできない。基地局レベルで交換機がダウンしまくってたよ、毎日障害速報が出てたような気がする。