はてなキーワード: 輻輳とは
DBにたいしてまずログインしろ、そしてDBから 1タイムアクセスコードをもらえ
その状態で情報を拾え どうやったら SQLインジェクションで 不正な情報を入手できるんだ? そもそも2名以上のクエリはかえさない
1セッションでもかえさない 1秒に返す件数もきまってる SQLでなんでもかんがえるな システム全体の保安機能がある だから いいかたをかえるとSQLでやらなくていいんだよ それがJAVA
やってないんじゃない べつなばしょでやっているから やらなくていい だから それをさがさなきゃ どうしてそうかんがえない?
なぜ 一番最初に あいてがばかで おれは 天才だから おまえがまちがっているけど という?
それは だめだとおもう おれも おまえを ばかにしているけど ごめん たぶん なにか 意図があるんだろう
おれには こうきこえちゃうんだ おまえは ばかだから おしえてやるけどよ システムレベルで SQL* って書いたら データ一覧でユーザ名一覧が引けちゃうから 1回のクエリで引ける最大数 1時間当たりに引けるユーザ数みたいな 制御はしていないだろうから おれがおしえてやるよ って聞こえちゃう
むしろ 輻輳の原因に異なるから そのSQLでいいよ 余計なことをしないでくれ セキュリティーはDBがわで監視しているから しかも 別なCに SQLだけおくって 確認しているから
フロントエンドのCでやらないでくれ
で、「元更別」という地名があるんだが、実は現在は「元更別」は更別村にはない。
開拓の昔、現在の中札内と更別は同じ幸震村(大正時代には大正村)という自治体に属していた。
大正村にあった市街地から次第に開拓が進んでいったわけだが、当時は中札内と更別には村の境界はもちろんなかった。
大正時代、第一次大戦の好景気に湧くころ、島根県からの移民団が更別村の語源になったサッチャルベツ川水系で開拓を始めた。
昭和4年にこの地域に鉄道ができると、現在の更別市街が発展し新市街が誕生した。
そして、もともと開拓団が入植して市街地があった旧市街が「元更別」と呼ばれ、次第に「元更別」市街は寂れていった。
昭和22年に大正村から中札内と更別が分村した時、「元更別」は中札内に所属するようになった。
こうした歴史的経緯をみるとき「元」という言葉は非常に輻輳するニュアンスを持つと感ずる。
増田がいうような「もともと何かだったもの」というニュアンスももちろんあるんだが、元ちとせの「元」を「はじめ」と読むことが示すように、物事の源をさし示すことがあるだろう。
おそらく「元」という言葉はニュアンスをシークバーみたいに切り替えることができる。
源に近いところから、変わってしまったその先を想像させうる。「元」は言語としてそんな守備範囲を持っているような気がする。
今は「元更別」の地名を訪ねる人は少なくなった。
現在では鉄道に近い形で高規格道路が走っており、自動車で十勝南部を通ろうとすると元更別は通過しない。
しかしかつては、中札内村上札内〜元更別〜大樹町尾田へ抜けるルートこそが主要交通路であった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/av.watch.impress.co.jp/docs/series/dal/1248155.html
>過去50年間の通信品質評価の研究成果・標準を全無視。通信品質には、音質の他に遅延・輻輳回避・パケ落ち回復など様々な要素が絡み、それらを考慮したPESQ値・R値・MOS値等で評価しなければいけない。
あれ?コメント直したのか?もっと攻撃的な感じだった筈だが…罵倒もしてた記憶が。誰か残していない?
たかぎひろみちゅ氏とかにも感じるんだが、自分の知識に対する圧倒的な自信と、それに反する相手への徹底的な攻撃性「ウソつくな!」「ば~か!」みたいな罵倒も躊躇しない感じ。「言っている事は正しいんだろうが、こっちに付きたくはない…」と思わせる排他性とエリート意識。それが私のはてブ感を感じるブコメ。
「遅くて使いものにならない」という光回線への声、定額制も限界か
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/watcher/14/334361/110800954/
ヤマダ電機で口車に乗せられ「Yahoo! BB 光 with フレッツ」を契約して数年。
引越先のマンションに行ったら速度が出なかったので改善策を模索した記録。
NTTのフレッツ網内にあるPPPoEの終端装置の輻輳が原因で、IPoE方式に切り替えすれば改善するらしい。
ソフトバンクでは光BBユニットをレンタルしていればIPoE方式に接続変更ができるらしい。
無線LAN利用のため光BBユニットのレンタルをしていたので、変更を申し込みしたら数日で変更完了の連絡が来た。
10Mbps→27Mbpsくらいだったかな?
前の記録を取り忘れていたけど、体感的には早くなった気がした。
次に転用も申し込んでみた。
E-WMTA2.2と2.3があり、2.3が新しい機種で5GHzの無線LANも利用できるようになる。
交換手数料やレンタル料金も変わらなかったので早速交換を申込、5GHzで接続してみる。
27Mbps→75Mbps!
LINEが10分無料にしますといって批判されてたらしいけど、
NTT西日本によると、熊本県内は地震発生直後はつながりにくい状態だったが、1時間半後には「通話状況は落ち着いた状態」(広報担当者)になったという。
というのが現実なんだよね。
でも輻輳が起きた原因の99.9%はLine out無料じゃなかったのに
要するにもともとダメだったところに新参者が来て、古株がお前のせい
こうなった。大問題!ってふんぞり返ってるだけでしょ。
そやろか。
要するにLineに限らず皆が伝言ダイヤル使えば輻輳はおきない。
電話回線の輻輳の原因があたかもLine outの無料利用にあるかのような記事に
そもそも糞と言いたかっただけ。
影響あっても微々たるもんだろ。
http://toyokeizai.net/articles/-/113928
何だこの糞記事は
LINE通話はデータ通信帯域が確保されていれば、LINE社が設けているゲートウェイを通じて音声交換網へと接続される。すなわち、
LINE Outを無料化して利用を促すということは、限りある資源である回線交換容量を消費することに他ならない。とりわけ、熊本県
内の携帯電話回線へのLINE Outを使った発信は、輻輳(アクセスが集中することにより電話がつながりにくくなること)をさらに助長
するため控えねばならない。
輻輳が起きるのは事実かもしれんが、みんな音声通話したいんだよ。
矛先が違うだろ。馬鹿
まぁ楽しめた。全26話の内、8話までで戦国編が終わったのが評価できた。これをかたらないとなぜハルが魔法少女になったか充分に語り得ず、かといって原作があれだけの分量を費やした戦国編である。バランスをどう取るか気がかりだったが、ここは制作指揮を執った田町ボラギノール監督の『ぱらりんぴっく!』以来の豊富な経験が十二分に活かされた結果と言えるだろう。ただし、平塚為広と大谷刑部との絡みは安直に過ぎると思う。田町ボラギノール監督がかつて制作した『都立尾久の原公園のたたかい!』のキャラ「パシフィック種村」と「パラリンピック吉岡」との情愛の構造のトレースであり、なんらの新規性がないにも拘わらず、人気を得るための安直な策と思しい。この構造は為広と刑部との間に何らの検討も経ずトレースされた。これらはもう受け手が嘗められているとしか思えない。「お前らはこれで楽しいんだろ? え? ほれほれ」という馬立コーラック監督の意図がすけすけである。ここは助監督の木村氏にも頑張ってほしかったが、最近は岐阜県揖斐川郡にある自分の農場の管理が忙しいらしい。
9話から最終話にかけてが原作の通称「大正SF編」に該当する。アニメ第1期で語られた明治41年の初デート。これがハルを魔法少女として目覚めさせる直接の経験になったわけだが、そもそも成美女子英語学校時代の勉学や課外授業と言った、争乱に巻き込まれる以前の牧歌的な部分こそがアニメ第一期の醍醐味かつ要旨であった。「大正SF編」では田町監督が好むスチームパンクの要領を原作に累加し、ハルの激動たる活動を描いた。これが本作。もうおわかりかと思うが私は「第1部のノリが良かった! なにこのノリ! 付いていけないよ!」という意見に真っ向から反対したい。第1期が文学への淡い目覚めであり、その後当然闘争への情熱が生まれてくるのは原作を読んでいれば自明なわけで、1期のノリが変わるのは当然だ。作品とハルの生涯を見渡せばこれは当然のはず。昨今のアニメのノリにたまたま第1期がたまたま、たまたまである。合致したに過ぎない。最近のアニメに絆されてるんじゃねえよ。ばーか。
「大正SF」編では後述するが声優の田端エリザベスの演技が相俟って、独特のケミカルさを醸成していた。一般に「大正ロマン」+「スチームパンク」はかなり親和性がありSF界でも常套手段とも言える組み合わせである。ここに長い歴史を持つ魔法少女モノを組み込もうとしたとき田町ボラギノール氏にとっては、師匠である大谷江戸仕草氏の影響を受けたことが役に立ったと私はにらんでいる。60年代の草創期に活躍した大谷江戸仕草氏の功績は今更贅言する必要性も(とくにこの増田界隈では)なかろうが、特に「ハル」の一連の成果には、氏のアニメにおける第三作目「モリソン号じけん!」がかなり直接に関係しているように思える。あまり界隈でもこの指摘はなされていないと思うので、まあ皆さんには自明と思いますが一応・・・。
さっきも書いたけど上中里マリアンヌの演技最高ー! もう大好き。主人公のハルの魅力を充分に発揮しているうえに、かわいい陰獣の「ウンゲツィーファー」も彼女がやってるんだぜ。もうたまらんうー。せーの! 「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」
恋人役「燕尾服仮面」こと奥村の声優西荻窪松庵の演技もまた良かった。松庵の思想上の師である都立家政ドトールの1932年ベルリンでの演技を彷彿とさせるシーンがあった。おわかりかと思うけど19話の例のシーンね。
友人の市川房枝役の声優保谷ビアンキも妖艶な演技が光った。市川房枝って公式でも眼鏡がずれているんだけれど(wikipediaでも見てほしい)、それをアニメでも反映させていて、保谷はその眼鏡がずれているという演技をしているところが印象に残りました。最近揖斐川郡でハウス栽培やっているそうです。岐阜の。っていうか俺あんま声優詳しくねーや。
正直残念だったのが魔法詠唱シーンの作画だ。ハルが本を開いて中空に浮かせて詠唱するというお決まりのシーン。ここに全く気合いが入っていない。ハルが水晶槍の呪文をパージしてマテリアルタスク化するロマネスク技を出したシーンあっただろ。12話だったか? あそこで監督や、あるいは原作者の十返舎一九も多分想定していたことだと思うが、あそこのモチーフは一般にイメージされるフェミニズムの観点からだけでは捉えられない。このアニメを見る際には岩波の『日本のフェミニズム』全編を通読してからにしたほうが望ましいと半分冗談でwikiに書かれているけれど、これは実際マジだとおもう。あのシーンではむしろ参政権の獲得と戦争との関係がクローズアップされているのであって、フェミニズムへの外的要因(ここでは太平洋戦争・・・というか総力戦体制というべきか。この辺りは突っ込むと難しいからこれ以上は無理だー誰か解説してくれ。)が問題なわけだ。で、あの作画である。作画誰かは知らないけれどそういう文脈が必ずしも現場に伝わらなかったのではないか。25話のハルが友人の奥むめおの101才の誕生日をタイムワープして祝うシーン。これも輻輳するフェミニズムのイメージに作画が全くついて行っていない印象を受ける。ここも、参政権から出発し、翼賛体制との関わりから、さらに高度経済成長を経てバブルという消費社会を経験しかつ男女雇用機会均等法が出たあと、というハルの至らなかった(生きられなかった時代の)地平を魔法で見に行く、というのが大魔法の骨子になっていたと思う。これにたいしてあの70年代初期を思わせる「リブ」で作画されちゃあ適わねえ。ハルまだいきてんじゃねーか。
結局ハルは原作では婚約者からもらった指輪をマレーシアのビナツボ火山に捨てに行ったわけだ。いわゆる夫婦別姓という現代的問題を魔法でどう解決するのかが楽しみです。文句も沢山書きましたが、基本的にこのシリーズには期待しています。制作会社の「オベリスク護国寺」の益々のご発展を祈っています。