はてなキーワード: 看護婦とは
同室のオッサンがやたらと若い看護婦に色目使ったり、一緒に写真撮るのを強要したりしてドン引きしてたんだけど、彼は正解だったのか…
まあ、こっちは粉砕骨折なり、太い尿道カテーテルなりで激痛でそれどころではなかったですけどね…
オッサン、やたら俺には高圧的だったけど、ああいう異性にガッつくタイプの方が元気に生きてそうだよなぁ
そういえば、シャワーとか看護婦にしてもらったけど、流石に股間は自分で洗わさせられたけど、
同年代の看護婦だったことが一回あって、ちょっと勃起しそうだった
既婚者だったから、シャワーの間、ずっと旦那とか子供の話されてたんだけど、それを聞いてて萎えたり、逆に勃起しそうになったり…
その一回以外、あとは全部おばあちゃんの看護婦でした、わーい!😃
でも、自分は痛いのでそれどころではなかったけど…
同室のオッサンが若い看護婦に必死なのにドン引きしたり、俺ってなんだかんだペドだしなぁ、と入院中は思ってたけど、
そんなに交際することが多いのなら、惜しいことをしたのかもしれない
嫌でもまた人工関節を交換することがあるだろうし、また整形外科に入院することになったら俺も看護婦に必死になることにしよう
あと、若くても年とってても、意地悪な看護師っているんだよなぁ
俺も実家が太い。
母は看護婦で、父方の親戚は弁護士だの会計士だのがずらずら並ぶエリート一族である。
大体他の増田と同じで、卓球に器械体操、ピアノになんかよくわからん英語教室、公文式に塾とサッカークラブをローテで回すという幼少時代だった。
習い事に関しては大体全部つまんねーなって感じだったので、隙を見てサボりまくっていた。
小中学校は公立校だったのだが、学校のやつらはマジで貧乏で頭悪いなって思っていたので、学校でもなんか本ばっかり読んでいた記憶がある。
あと学校はトイレがキレイなところで、バカがあまりいないところ、
かつ俺があんま勉強しなくても上位の成績にいけて、エスカレーター式で就職も強いところ、
親にはレベルの低い高校受験を、「大学は別の学校を受験するから」ということで納得してもらった。もちろんそんなことする気などさらさらなかったが。
まあ、マーチの付属高くらい、推薦ならば特に勉強の必要などないのは皆さんご存じだと思う。
俺も無事入学し、頭の悪いゴミ共とぬるく、楽しい青春を送った。
文系は卒論すらなしで卒業できる。これも中学時代に調査した通りで、本当に365日ほぼ全て遊んでいた。
勿論、学費は全部親持ちである。ついでに一人暮らしがしたかったので、月額30万ほど仕送りをしてもらいつつ、
あと、なんかよくわからん奨学金?(多分返さなくていいやつ)を適当な書類をそろえて受け取り、全部株にぶちこんだ。
株は面倒だからあんま見てないけど、多分10倍か20倍くらいになってると思う。
大学4年間は楽、かつ他人に自慢できる職場を探すのがテーマだった。1年くらいで見つかって、中小だけど多くの人が知る会社に入った。
採用枠は5個で、倍率は200倍くらいだったが、まあそこは持って生まれた運だな。無事に受かった。
そして今も楽しくやりたいことだけやって生きている。
僕は現在無職です。ここ数ヶ月は彼女の家で引きこもっています。僕の彼女は看護士です。ナースなのです。
僕のここ数年は「就職する→やめて退職金を貰う→金が尽きるまで無職」の繰り返し、いわゆるだめ人間です。毎日は、だいたいパソコンするか音楽を聴くかの生活です。
ところで、よく友人に制服プレイをするのか聞かれますが、僕の場合、母が看護婦をしてるため、ナース姿では勃起できません。彼女は制服でしたいみたいですが、射精の瞬間に母の顔が浮かぶことほど気持悪いことはありません。
先日彼女がヤンマガを買ってくるのを忘れたため、僕が殴ったあざです。次の日の昼休みの合間に彼女が一旦帰宅してヤンマガを置いて笑顔でまた仕事に戻っていきました。
とても優しくてかわいい彼女です。
彼女の両親は気の弱い人ですが、彼女の兄が赤井ヒデカズみたいなやつで、話し合いの途中「彼女が中に出してって言ったんですよ?」と言ったら僕は突き飛ばされて馬のりでビンタされました。
きみが妊婦になったら気持が冷めると思う、と告げると彼女は子供をおろしました。
なんてタフな女なんだろうと思いました。
けれど、おろしてから一ヶ月は性行為禁止ということで僕はネットで知り合った女の子をチャットで一生懸命口説きました。けれど2回の待ち合わせには誰も来ませんでした。
帰りに風俗へ行きました。
ヘルス嬢が「私ね、のど感染しちゃってるから、口じゃなくて本番しよう」と言ってきてのどの奥を見せてきました。のどちんこの辺りに虫の卵のような白いブツブツがたくさんあってテラテラ光っていて、僕はそこで朝食べた杏仁豆腐をリバースしてしまいました。
リバースした後、本番だけはして帰ってきたことを思い出しました。
近くの自動車修理店が朝からすごい音で車を修理していて、うるさくて寝れません。
ああ、うるせークソッ
ああ、うるせークソッ
ああ、うるせークソッ
ああ、うるせークソッ
今日は休みの彼女がシャワーをあびると言ってお風呂場へ行って、気付くと2時間以上が経っています。彼女はいつも風呂は長いんです。
バスルームのドアをノックし、ドアごしに「はらへったんだけどー」と言うとジャーっというシャワーの音がしました。
一瞬いらだちましたが、たまにはキレずに優しくしようと思い、そっとドアをあけると、彼女はしんでいました。
彼女は首の静脈だか動脈だかをカミソリで一気に切ってしにました。
そんな23歳です。
次はできれば看護婦じゃない人がいいです。
あらすじはこんな感じ。
夏休み。暇を持て余していた俺は、治験のバイトをすることにした。
投薬されるのは精子に関するもので、だから毎日精子を提出するのが義務だった。
次第に精子を擦り出すのが厳しくなりながらも、必死な思いで絞り出し、なんとか提出をしていた。
だが、それにも限界が来た。
すると彼女は「それだと困るんです!」と声を荒立たせ、「私も…お金がいるんです」と目を逸らしながら言った。
華奢な躰はそれでいて胸元が膨らみ、モデルのような顔立ちをしていた。
でも正直、提出するのが厳しいのは本当で……
そう言うと彼女は意を決したように俺の目を見つめ、「用意された本は見飽きたということですか?」と聞いてきた。
白衣のスカートは捲れ上がり、ほっそりとした太ももから下にかけて白いタイツが細い足を覆い、純白のパンティを押し付けるように俺へと見せつけながら「…どうですか?」と聞いてくる。
え……? 動揺しながら頭を上げると、彼女は顔を真っ赤にしていた。
「これで…できそうですか?」
それによって義務である精子の提供を無事に続けられたものの、慣れというものはいずれ訪れる。
ごめん、それだけだともう無理かも…。
俺は切羽詰まった表情をしながらそう告白し、彼女はハッとしたように口を開け、たくし上げたスカートから両手を離す。
ほろりと波を打ってスカートは元の位置に戻り、その刹那、静寂が俺たちを包み込んでいた。
「…じゃあ、これならどうですか」
まず胃カメラと同じ消泡剤や喉の麻酔はあるし、鼻の通りをよくするとか言う鼻うがいみたいな薬剤を両鼻入れられてプールの時みたいなツーンと感、そして念の為というよくわからん理由で両鼻とも麻酔液を入れられる
しかし検査までしばらく待ち時間ができてたまらない鼻汁を抑えるためにポケットティッシュが一袋消えた
そしていざ経鼻カテーテルの挿入
これは技師の技量によるかもしれないのであくまで自分が受けた健康診断特化のクリニックでの話になるが
インフルエンザの鼻奥ぐりぐりが全然平気だから余裕こいてたけど、その角度で入るわけないって!!!!!刺さるって!!!!!!という急カーブのカテーテルが鼻奥にずっと痛みを残し、喉の奥を通る時の嘔吐感が胃カメラの比じゃない
過去に受けた胃カメラもしんどかったけど、とても比べ物にならないほどつらい
胃カメラの時は喉奥通ったらあとは圧迫感との戦いだったが、鼻呼吸することに集中して!!!というベテランめいた看護婦の背中をさする手に集中していたらそこまで無理ではなかった
今回の経鼻中、少なくとも3回は胃液を戻したし顔中からいろんな汁が出てきている
あと、カメラの先端が食道や胃壁にぶつかるたびに穴が開くんじゃないのこれ???!!!!と言うくらい強い刺激というか痛みがある
事前に聞いてたいたけど、経鼻カメラは画質が悪いから胃カメラより時間かかるらしくていつまで経っても終わらない気がする(実際は30分もかかってないけど)
流れながらさらに胃液吐いた
そこから4時間くらい鼻汁が止まらず、鼻にティッシュ詰めてマスクしていたし、検診終わりに行こうと思ってた映画も諦めて帰宅して早々と寝た
胃カメラ後、ポカリを飲んだ以外丸一日食事してない計算になるけど不思議と腹が減らなかった
世の中の、鼻から胃カメラはつらくない!というのは絶対になんらかの陰謀に基づく嘘だと思う
みんな騙されるな!!
健康診断で胃カメラやるなら静脈麻酔で鎮静してくれる病院に行け!!!!絶対だ!!!!!!鎮静がオプションでつけられるならつけろ!!!二万でこの苦痛から逃れられるなら次回必ず払うぞ俺は!!!!!
・ピコスルファートの下剤では腹痛は無かった。翌朝の便がねっとりしてた。
・ニフレックは、甘しょっぱい味が苦痛で、直後にのむ水をお茶にして、お茶で口直ししてた。
・便の写真チェックは無し。
まだ、大腸検査の最後の辺りで、お尻からもぞもぞやってる感覚だけはあった。
なんか、鼻に酸素吸入?がついてる。
それで胃液のせいで、のど周りが荒れているのだとか。
検査結果は、腸内の病変なし、検査のきっかけになった便出血は痔核によるものとなった。
痔の症状がひどくなるようなら、手術で取るために肛門科を紹介すると言われた。
のどの腫れは、おもいっきり風邪の時と同じような感覚で、夜間に少し発熱した。
咳や鼻水などの症状は無くて、翌朝には熱も下がって元に戻った。
http://blog.livedoor.jp/nanka_youkai/archives/6835240.html
こちらだと
46年4月4日、大森の中村病院をアメリカ兵の一団が襲い、9人のアメリカ兵が大病室の妊婦・産婦らの布団をはぎ取って乗りかかり、二日前に生まれた子供が蹴落とされて死んだ。
抵抗しようとした軽症の男たちは拳銃を突きつけられて動けなかった。
アメリカ兵の数は定かではないが、トラック3台に乗れる人数、50人前後と考えられるが、二百人、三百人という説もある。
ともかく、重症者を除く、四十数人の患者が凌辱され、看護婦は17人全部が凌辱され、15人ないし20人の付添婦、雑役婦が凌辱された。”
”元外務省外局・終戦連絡委員会、横浜事務局の北林余志子作成の、米軍の横浜市内と県下の一部を含む、不法行動リスト
(1)T子 R子A子(何れも11歳・武蔵野市小学五年生)は、米兵の餌食に。
キャンプ・トコロザワ近くでスケッチ中に、次々と強姦される。スカートは切られ、気絶し、泣き叫ぶと顔を蹴り、ジープで去る。
(2)1946年4月、中村病院(後に廃業、跡地は後は道路に)は、
3台のトラックに分譲した米兵2~300人に1時間近く、病院中を荒らされる。
・婦人患者のうち重症者を除く40数人と看護婦17人、ほか付添婦・雑役婦20数名
などが陵辱された。
・彼らは大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちの布団を剥ぎ取り、その上にのし
かかった。
・2日前に生まれたばかりの赤ちゃんは、1人の兵隊に床に蹴落とされて死んだ。
・M子などは続けざまに7人の兵隊に犯され、気絶した。
・そして、裸で転がっている間を通って、進入してきた時と同様、彼らは表玄関と裏口か
ら引き上げていった。”
北林透馬(WIKIPEDIA)によると 北林余志子氏が元外務省外局・終戦連絡委員会、横浜事務局に所属していたことは確かなようである。
終戦連絡中央事務局は、終戦事務連絡委員会の後継的機関で(1945年8月26日~)横浜事務局は全国に14か所設けられた(京都、横浜、横須賀、札幌、仙台、佐世保、大阪、呉、鹿屋、福岡、松山、名古屋、館山、和歌山)地方事務局のうちの一つ。
何か最近「最初プログラマーは女性の仕事だった」という話題があったのでその辺りの背景を調べてみた
結論から言えば、初期に女性プログラマーが多かったのは、昔看護師が看護婦と言われていたのと似たような、フェミニストが言うところの偏見によるチョイスであり
それが男性に移ったのは、コンピューター業界が大きく躍進を始める1984年辺り頃に(他の分野では女性の割合が大きくなっているにもかかわらず)コンピューターサイエンスを専攻する女性の数が急に伸び悩み割合が減少したからである
伸び悩んだ明確な理由は明らかになっていないが、当時やっていたPCのCMに男性向けが多かったので「女性が勝手にPCは男性が使うものと思い込んだ」という説が有力。つまり、女性が勝手に身を引いただけの話
男性に移っていった経緯はGIGAZINEがうまくまとめている
女性プログラマーの数が少ないのはなぜなのか? - GIGAZINE https://gigazine.net/news/20141104-women-coder/