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はてなキーワード: 歴史的とは

2019-10-20

アラフィフくらいの女性の振る舞いとして、天然ボケぶりっ子キャラって一定数いる気がする

話してみれば常識もあるし、責任感もあり、決しておバカ女の子のまま年をとってしまった人なわけではない

けどおバカっぽく若い女の子(当時)のようにかわいい話し方をするのだ

最近若い女の子天然ボケぶりっ子キャラとかあまりたことがない

今年入ってきた新人女性も落ち着いた声で常識的に話している

まり彼女のやってるおバカかわいい女の子、はそれ自体が既に歴史的行動様式になってしまっていると感じる

2019-10-14

anond:20191014015409

世界中日本みたいに低成長になったらこの世の地獄だわ。

大体歴史的不景気戦争はセットだからな。

経済成長止めたらまた20世紀に逆戻りよ。

2019-10-12

anond:20191012201048

結局、そこんところに大衆理解できるようなまともな答えを出したアート関係者はいいからな

アート最先端歴史的に見ても、常に大衆には理解が得られなかった

だが、時代が進んで今では立派なアートと認められている!

これは非常によく聞くアート擁護派の主張で、

まあアート界隈のポリティカルコレクトと言っても良いが、

そもそも、なんで最先端アートを公金で保護してあげないといけないの?

というと誰も答えられない

ついでに、確かにピカソとかゴッホとか発表当時は大衆理解されなかった芸術家はいっぱいいるけど、

その陰には、当時も今も箸にも棒にもかからないからない3流アーティストが山のようにいるわけだが、

そういう人にはお金出してあげなきゃならんのなんで?という問題にも答えられない

アート界隈は結局、いまだにクレメントグリーンバーグ爺さんとかに頼らなきゃ自己弁護もできないバカの集まりで、

大衆理解できないことを隠れ蓑に、公金せしめて遊んでる永遠モラトリアムのガキの集まりなんだよ

2019-10-11

anond:20191011173943

温暖化にともなって、海水温が上昇し、台風が大型で強力なものになりやすくなっているのかもしれない。

去年大阪に甚大な被害をもたらした台風は25年ぶりの規模だったというし、

今回の台風狩野川台風並みとかいうし、

歴史的記憶に残る台風が毎年くるようになったら、それなりに備えをしないとあかん気持ちにはなるだろう。

anond:20191011161449

これでも整理しまくってるんだけど、いわゆる「クラスタ」の常識みたいなのがあるのよ

例えば世界史系・近代史系のクラスタあたりが「歴史的事例と比較して茶化す」みたいなのとか

好きなもんやるための情報集めの為にそういうのにも遭遇しないといけないの本当に地獄

anond:20191011145058

歴史的にはそういう例は無いんだよな。精子奴隷みたいなの。

ジャンヌ・ダルクに対しての汁奴隷はいたらしいけど。

から逆に言うと「精子は割とどうでもいい」のかも。

どっちかってーとママンが大事。(愛子親王からは目をそむける)

2019-10-09

anond:20191009114528

歴史的に見れば、出産リスク負担を女が負うかわりに、男は縄張り争いや狩猟労働などを負担してリスクをお互いに持ってた。

女に押し付けるのが健全だってのはお前の希望であって、歴史的になんて大きな言葉を使うべきじゃない。

2019-10-01

anond:20191001220844

知識欲によって性欲が掻き立てられたりはしないの?よく分からないけど。女性歴史的成功してる研究者とか、誰かの愛人だったりすることが多いんだよ実際は。

anond:20191001065858

塩酸とか硫酸とか娯楽雑誌で初めて作り方を知ったよ

科学的にどうとかじゃなくて歴史的にそれが生み出された経緯ね

授業で習った記憶がない

2019-09-29

anond:20190929195856

こっちは別に日本が憎い」とは一言も言ってないぞ?

おめでたいどころか歴史的には不名誉まりない旗を堂々と掲げることに固執するって、なんか勘違いしてね?って指摘。

anond:20190929152332

残虐描写なんかも見てるのにね

あと完全自殺マニュアルとかな

歴史的には政治的規制の方が遥かに強かったわけだがそういう知識もないんだろう

2019-09-27

「男のくせに」はなくても「男らしさ」は求められる

男として生まれて育ち、社会の中で生きていく中で、男としての「性的役割」についての社会的期待を感じない男がいるだろうか? ようするに「男らしく」という呪い負担に思ったことがない人は、本当にいるだろうか?

男性を「男の分際で!」と貶める言葉は、存在しないのだ。

……

男性は「男のクセに」と言われたりセクハラを受けることで就業先が限定されたり業務に支障が出たりすることが、女性に比べてどの程度あるだろうか。

https://www.dailyshincho.jp/article/2019/09261100/?all=1&page=1



歴史的に、男性社会の中で有利なポジションを占め、男性向けに社会デザインしてきた結果として、この社会では男に対して「分際」という言葉が使われない。それは事実かもしれない。「○○の分際で」とか「○○のくせに」といった言葉は優位から劣位に対して投げかけられる言葉なので、そもそも用例として少ない、とは言えるかもしれない。

だがそれでも、「男らしさ」のような呪いが、個人に拭いがたい違和感を与える現象は常に存在するし、見過ごしてはならない、という視点を失ってはいけないと思う。

たとえば自分は、絵を描くのが好きだった。右手を奪われたら生きていけないだろう…と思っていた若い頃、それでも「男として生きていく中で、いわれ無き暴力に立ち向かうことが『男として』期待されることがあるだろう」という事実に直面して深く考え込まされたことがある。つまり右手の拳をふるうこと」が求められる(ふるわなければ「男なのに!」という批判さらされる)可能である。ちなみに、拳というのは、素人が強めにふるうとかなり痛めやすい。もし後遺症が残れば、柔らかく繊細な線を引いたりすることは大変難しくなるだろう。

年代女性の方々が「いわれ無き暴力への不安と恐怖」に曝されていただろうその同じときに、同じ若い年頃の男性である自分は「いわれ無き暴力に立ち向かうことを社会的に要請される」結果として、「命にも等しい右の拳を致命的に失う恐怖」に怯えていたのだ。男性であるというただそれだけの理由によって。

私は、前者の不安後者より軽いという見方にはもちろん与しない。同じ理由で、後者不安を前者より軽く見るという見方にも与したりはしない。少なくとも、それは私にとって、以後数十年にわたってひたすら拳を鍛え続けるという行動に繋がった程度には、人生の中で重い出来事だったのだから。私は社会が期待する「男性」像を認めつつ、自分の期待する自己像を失わないために、「殴り方」と「殴った程度では壊れない拳」を身に付けざるを得なかったわけだ。

ジェンダーが人を苦しめることがある〉という知見を、こうして私は得ることになった。(もちろん「絵を描くなんて男らしくない!」という批判にも日々さらされていたわけだが、そういう「他者から直接に投げかけられる言葉」というのには鈍感になれば済む話なので、大した問題ではなかった。)


これまで「男」に蹂躙されたくない、という思いで、この社会の下でひたすら自己物理的、社会的に鍛えあげた女性の方々に、私は深い同調共感と敬意を表する。同様に、私は、社会要請する「性的役割」を理解しつつ、それとは無関係な「自己」を保全するため、懸命に拳を鍛え続けるという行為に没頭した自分の思いに対しても、ある切なさと同情心と称賛を送りたいと思う。それは、社会要請する「男性像」から私自身」を守るために、どうしても必要だった。それを私は一応やりとげたと思っている。そして、可能なら、こんなくだらないことを、自分より年若い世代の人々が感じたり考えたりしなくなると社会は少しだけ住みよくなるだろうと思っている。私にとってフェミニズムというのは、そういうことだ。

もちろん、年を取れば、自分が「社会的に期待される性的役割」を演じることで得られる果実があることも知る。「男らしい」男性が「男らしさ」を発揮することで社会的によい立場評価を得る(そしてその逆もまた)、という風景は、誰もが一度ならず目にしていることだろう。それどころか、むしろ「正しいこと」と考える人だって世の中には多いだろう。意識してそうする人もいれば、単に経験的にそうする人もいる。だが、一度このこと、すなわち「ジェンダーは人を苦しめることがあり、それに苦しむ人がいる以上は、ジェンダー肯定して受益する人は〈搾取者〉である」ことに気付いてしまえば、残念ながら自分はもう「期待される性的役割」を果たして受益する側には回れない。フェミニズム同調するか否かというのは、ただ単に、このような〈気付き〉にあると個人的には思っている。

少し話しがそれたが、「フェミニスト」を自称する人が、最初記事のように、男性自己性的役割に苦しまされることなど「どの程度あるだろうか」(いや、ないだろう)といった反語的な言い回しで、その被害を「大したことねえだろう」というような片付け方をするのは、大変に筋が悪いことだと思う。性的役割に苦しまされることに、性差などない。個人の苦しみを簡単に計量することなどできない。そういう視点を見失っては、フェミニズムを唱える大義自体が失われてしまう。

フェミニズム自称する女性中心主義的主張をツイッターなどで見かけるのは、もはや日常になった。それどころか、私の思う「まともなフェミニスト」を見かけることの方が大変少なくなった、という方が適切かもしれない。ただ、確実に言えるのは、そういう「ジイ」的主張は、物事解決に導くことがないということだ。それは「示威」であり「自慰」的である。見たところ威勢がよくて気持ちいかもしれないが、仲間内にだけ通じる耳障りのいい言葉であり、自分と異なる他者との対話から未来を開こうとする言葉ではない。もちろん、「お前のこの書き込みだってカウンターに利用されれば、充分分断的に働くぞ」というご批判もあろう(それはなるほど事実かもしれない)。だが、少なくとも私のこの言葉は、最初記事を書いたライター、それに同調する方々に向けて書いた言葉である。私はここまで、あなた方を無駄に傷付けるための言葉は使わなかったと思っている。そうでなく、あなた方が何かを考える際のとっかかりになれば幸いだと思っている。私の言葉は、あなた方に向けて開かれている。

まり、「あなた、私のような男性フェミニストに対しても、その主張をするの?」ってことだ。一度考えてもらいたい。

たとえ、この社会で生きていくために一見無意味な(たとえば自分の拳を痛めつけるような)作業必要だ、としても、少なくとも「私は社会に傷付けられたが、私は誰かを傷付けるようなやり方で自分を守ることはしなかった」と、自分死ぬ時に自分に言うことができるというのは、割と大切なことだと思っている。あなたに同じことを強制するつもりはないが、あなたがどう考えるのかは聞いてみたいと思う。

2019-09-25

anond:20190925194952

虐殺はともかくそれ以外は歴史的には一定定義で語られてて、歴史修正主義者が微妙にズラしてそのズラした部分を否定にかかるというのが事実だと思います

藁人形論法ですね。

2019-09-24

いつになったら実装されるんだ?

艦これは、あらゆる海戦における日本海軍の戦没艦をほぼほぼ実装しているのだが、ご存知信濃の他にも、何故か実装されない艦がある。

それはセント・ジョージ岬沖海戦の戦没艦である、大波・巻波・夕霧である

この海戦は、当時最新技術だったレーダーを用いた米艦隊の新戦術により、日本艦隊一方的に沈められた海戦の1つで、その意味では本作のテーマである「悲しく沈んでいった艦の慰霊・鎮魂」にふさわしい艦として、本来なら最優先で実装してもおかしくない話である

実際、類似海戦だったビラ・スタンモーア夜戦組(村雨・峯雲)とベラ湾夜戦組(嵐・萩風・江風)は、とっくの昔に実装済みだったりする。


さらに、これら一連の海戦は、日本海軍お家芸だった夜戦において、実際第一次ソロモン海戦ルンガ沖夜戦クラ湾夜戦コロンバンガラ島沖海戦と、さんざん苦汁を嘗め続けてきた米海軍が、ようやくそのハンデを克服したという意味でも、極めて重要歴史的意義があると言っていい。

これは本作が重視する史実という観点からも、絶対無視できないと思うのだ。


でも、そんなことを全く知らないかのように、海防艦海外艦ばかり実装する昨今の艦これには、大いに違和感を感じる。

2019-09-23

ラグビー選手審判に黙って従うのか?など

https://note.mu/satonao310/n/nd7256bae4a27

ラグビーが好きだからってサッカーを貶めて良いという話ではないというのは一旦おいておいて、このさとなおという人にはそもそもラグビーについての理解に不備がある。ブクマでもその手の指摘はすくないし、ちょっといい機会なので書く。

まず前提として、十数年前より以前のラグビーには「審判を欺ければ反則をしても良い」みたいな空気が確かにあった。古い試合を見れば、ラックができたとき審判から見にくい位置で敵選手を思いっきり踏みつけるハーフや、タックル後などで寝た状態から走り出す敵選手にこっそり足払いをかける選手審判の見えない位置アメフトかのようにボールを持たない選手妨害する選手 etc... ダーティプレイはいくらでも見れる。(ちなみに、めったに無いけどサッカーシミュレーションみたいな"痛くないの痛がって見せる選手"は今でもいる(たいてい後で批判される)。)

もちろん当時からクリーン選手もいただろうが、当時は「ダーティプレイラグビーにおける駆け引き」という主張も当たり前に言われていた。さとなおという人の言う「フェアプレイしないと危険から」というのは正しい側面もちょっとはあると思うが、今のラグビークリーンさは、危険度のようなラグビーというスポーツ本質からまれものではない(もしそうなら自然発生的なものなので、30年前だろうが40年前だろうが、大なり小なりクリーンだったはずだ)。今のラグビークリーンなのはコミッション側が「クリーンでフェアで安全ラグビー」を目指して、ルールを変え、レフェリー役割を変え、選手意識を変え、と努力を続けてきた結果だ。そのためにTMOビデオ判定)が導入され、主審が後ろで起きる不正監視できるようにすべての審判TMO含む)がTMO審議を要求できるようにし、危険プレイはより厳しく判定され、罰せられるようにルールが変更されていった。その際には「流れが悪くなる」とか「駆け引き要素が減る」とか「ペナルティが増えてゲームが荒れる」など批判もあり、実際に批判通りな部分もあるが、コミッション側はそれらよりもフェアネス安全性を優先してその方針を曲げなかった。(例えば、相手の足を持ち上げて上半身から地面に落とす俗に言う"スピアタックル"は過去には見た目も派手だし"素晴らしいタックル"としてある意味もてはやされていたが、場合によっては頭から地面に落ちて危険なため十数年前に明確に反則になった。これなんかは見栄えよりも安全性を撮った例としてわかりやすい)。その結果として、ラグビーアンフェアプレイが見逃されないスポーツになり、反則を取られたくない選手たちはクリーンプレイをするようになった。というのが歴史的な経緯だ。(私見だが、このような流れはここ20年ほどのもので、2000年代はまだダーティプレーTMOに指摘されてカードを貰う選手がそこそこいたように思う)

で、表題の件だが、結論から言うと、ラグビー選手レフェリーに"黙って"従わない(高校ラグビーとかは別として)。今やってるワールドカップ試合をよく見てもらうとわかるが、選手日本だとキャプテンリーチとか)が、直近の判定などについてレフェリー声をかけて、レフェリーがそれに対して説明するような状況がしばしばある。具体的には「さっきから敵がスクラム故意に壊してないか?」とか「さっきのは誰のどういう反則なんだ」というよう感じでレフェリー説明要求するシチュエーションだ。これは、ラグビールールに「ボールラックモールで"長く"停滞する」とか、「故意スクラムモールを崩す」などの審判時間感覚主観で判定が変わる要素があって、個人個人レフェリーにばらつきがあるためだ。ここの判定基準ブラックボックスになると選手側のフラストレーションはめちゃくちゃ大きくなる上にアンフェアにもなりかねないため、選手が納得がいかないときには説明要求できるというシステムがあることで、「なるほどこのレフェリーはそういう基準なのか」と理解し、その枠の中でプレイすることで「クリーンラグビー」ができるようになるわけだ(なので、よくキャプテンなどがこの手の説明を受けると、後でその選手はチームとその返答を共有する。試合でそのへんも気をつけて見たら面白いかもしれない)。ラグビーにおいてはレフェリー権限が大きいからこそ、レフェリー選手コミュニケーション重要であり、レフェリー選手の間の上下関係絶対的ものになりすぎてはいけないというのが現在ラグビーの考え方になっているんだと思う。

個人的な気持ちとして、現在ラグビークリーンであるという状況が、コミッション側とそれを受け入れた選手側の努力によって作り上げられたものであることはとても尊いことだと思う。

(誤解を避けたいの点をいくつか最後に言っておくと、曖昧な判定を避けるためにルールを変えたりして基準を明確にしたりもしているので、レフェリー裁量はそこまで極端に大きいわけじゃなくて、大部分のプレーレフェリー確認するまでもない。また、抗議は良くてもプレー中のセルフジャッジレフェリーへの暴言、しつこすぎる抗議は罰せられる)

2019-09-22

anond:20190922114100

なるほどね。

歴史的に誤った事もあるかもしれない。

参考にさせてもらうよ。

性奴隷」(≠慰安婦なのかもしれないけど)と言う言葉自国民が結びつくだけで、相手国への負の感情が振り切れる(人もいる。自分のように。)

冷静さを失わせる事だから、都合の良いように誘導させるのも簡単なんだろうね。

2019-09-20

anond:20190920175711

哀れなり無識チョッパリ日本人野郎

女々しいが歴史的差別用語であることは明らか

その証拠に4世紀中頃に作られた高句麗古墳壁画手搏図(しゅはくず)」には女々しい差別を行うチョッパリの姿が描かれている

anond:20190920175711

歴史的背景...アホやろ、お前。

「女々しい」って言葉「女とはこういうもの」というステレオタイプがないと発生しない言葉なわけで、

その成り立ち自体がすでに(原題価値観では)差別なんですわ。

歴史的背景がないなんて、おバカ休み休み言い給え。

anond:20190920175608

女々しいが差別用語だと思ってるのはお前のお気持ちだぞ。歴史的背景がない。

anond:20190920130522

増田で誰かに負けた覚えは一切ないが。

それこそ「最後まで残ってたもの勝ち」理論ですか?って感じだわ。


誰に対しても使わなくても、見るだけで不快なんだよね〜。

不快」は差別構成要件ではないが。

「俺はダメ黒人のことを「ニガー」って呼んでるだけなんだ」って言ってもさ、許されないよね〜。

前段の「ニガー」は歴史的背景のもとに成立した差別用語。

一方、「女性様は差別用語」ってのは都合の悪いことを指摘された女性様が逃げ打つために言い出してるだけで、

そこにはなんの歴史的背景も根拠もない。また、当方はきちんと適用範囲理由提示している。

痴漢者全体に返すべき差別を、男性全体に返す」ってのを君がちょーど「女性、様」でやってるわけねえ。

やってないねぇ。

ちゃん適用範囲理由提示して、元増田とその同調にのみ向けてるからねぇ。

まり俺は「痴漢に対して痴漢と指摘した」というだけのこと。

ジャプオスって呼ばれたときだけ「はい女性様!」ってやるんだよ〜。いい?わかった?差別差別で対抗っていうのはそういうことよ〜。

差別差別に抗って」ないよ?詳細は上記

anond:20190920012039

オリンピック金メダル日本人が取った とか話題でもこういう意見よく見かけるんだけども

日本とか日本人っていうもの歴史的ものを全部取っ払った個人なんてもの存在するのだろうか?

2019-09-17

anond:20190917101933

まあなんつーか歴史的な背景が意図的に薄くしてあるからやろな。

アムロMAXも出てこないんじゃあ。

2019-09-14

法治国家って、いる?

から何?って程度の話なんだけど、地球上で大半の国、法治国家じゃん。

歴史的に、力があった国々が「法」ってもの発明たからなんだろうけど。

まあ、法治国家で暮らす上で文句はないんだけどね。

でも、法治国家以外の国家が、(法治じゃなかったら国家と言わないかな?部族か?)が科学技術を発展させることは可能だったんだろうか?

概ね幸せだが、法という制度が万能じゃない、というか設計コンセプトとして間違ってるような気もする。

例えば、僕が誰かを傷つけたとする。

なんかの不注意で追突でもしたとしよう。

法で、僕が賠償責任があると言われても、払うかどうかは、それ以前に結局僕に賠償額を払える能力があるかどうかによる。

払わなかったら、僕が刑務所、となったところで、被害者はなんの得もない。

法が規定する責任があるから払うとか、そういう問題じゃないと思う。法の役割が、人をむやみに傷つけないようにしましょうっていう啓蒙程度の役割なら、儒家がいうような徳治だって十分だ。

被害者救済のための高度なシステム事故被害者のための基金を作って、その原資の調達のために徴税して、ということをするためには法律という仕組みが都合がよいけれど、加害者を叩いてもなんの意味がない。

被害者救済のコストならとにかく、刑務所コスト市民が分担するってどうなんだろう?

弱者救済の仕組みというのは、最大のものはいわゆる社会保険なんだろうけど、これはホント資本主義経済との相性が悪い。

払った額より貰う額が少ない年金10負担で窓口で払う医療費より月々の健康保険料が高い、となると、払わない方が徳じゃね?

となるわけで。

その辺のガス抜きのために、本当の弱者のためだけに、みたいなことを言い出すと、余分なコストをかけて6300ページのpdfが作られるわけで。

話を戻して、ぶっちゃけ自由とか平等とか、そんなきになるんですかね?

技術屋の僕は宇宙とか深海かのことだけ考えて生きたいんですよ。

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