はてなキーワード: 写実的とは
…とだけ書いて終わるのは雑なので、個人的な偏見等を込みで色々思うところを書いていく。
おそらくここで語るものは陳腐で凡庸な面白みのないものであろう、しかしもし興味を持っていただけたら読んでもらえると幸いである。
オタクコンテンツはみなさんご存知の通り一般化した、街中にはアニメやVtuberなどとコラボした商品が散見され、街中でアニソンが流れていたりする。
アニメや漫画の話をしても嫌がられないし、むしろそのような話を積極的にしてくる人もいる。
オタクコンテンツは一般に広まったせいで過度に一般化してしまったと私は思っている(これはあくまで偏見である)
というのもまずは売れるかどうかという数値が前提にくるからである。
もちろんこれらは"商品"であるため、売れるのがいいというのは間違いがないし企業としては売れなければ価値がないというのは間違いないであろう。
そこで問題にしたいのはオタクコンテンツの精神性というふわっとしたものになる。
これらコンテンツは個人的な偏見等込みではあるが迫害の歴史であったと私は思っている。話をすればキモがられ、売っている場所は隔離されるそのようなものであった。
しかしそのような状態であってもコンテンツを作り続けた人たちがいた、彼らは自身の溢れ出るものを解放させコンテンツを作り続けた結果今のように市民権を得ることができた。
このようなコンテンツは最初はごく一部の人間が面白がり小さいコミュニティ、もしくは執着に近い発掘欲を持つ人間にのみ評価されていた。
また自身が面白いと思うコンテンツは他者に知らせたいものでさまざまな機会で、さまざまなツールで面白いと思う感情を広げていった。
問題はここからで私は一般層はものを評価する能力がない、もしくはあったとしてもそこまで高くないと思っている。
動物に悲劇があれば泣くし、子供が頑張れば感動する。弱者のサクセスストーリで涙し、悪徳企業に怒り、永遠の愛でしんみりする。
しかしわかりやすい感動にしか反応しない、もっと正確にいうならばわかりやすい感情の変化にしか反応しないのだ。
感動というものはさまざまなものがあるが大きくまとめれば感情の変化であろう。
感情の変化というものは各人のセンスや知識、経験に依存するものだ。感動するという行為にも才能と経験が必要になる。
例えばよくピカソの絵を見て誰でも描けるとかこれが芸術なんだとかいう人間がいる。しかしピカソが写実的な絵も描くことができ、キュビズムが本来なら同じ平面上に存在しないものを写実性を捨て記号化することにより同時に存在させるようにしようとした試みであることを知ればそれは難しいことがわかる。
コンテンツというのは歴史の流れがあり新しい評価基準や表現、感性を探求するという性質がある。
しかしそれらを評価するためには今までのコンテンツへの理解などが必要になる。
一般層の人間はこの知識や経験がない、そのため評価基準が他者に依存することになるかもしくはわかりやすいものしか評価できなくなる。
さてさまざまなコンテンツの多くは営利活動の結果生まれた産物である、営利活動の評価を行う際に基準となるものは収益であろう。
当然のことではあるが収益性のみを考えた場合、新しいコンテンツを評価するようなオタクやコミュニティ(ここではこのような人やコミュニティをまとめてオタクコミュニティと呼ぶことにする)と一般層、どちらの方が人口が多いであろうか。
考えるまでもなく後者だ、そして後者はわかりやすいものしか評価できない。
ではどうなるか
なので1手先しか考えていないようなわかりやすい一見深そうで薄いコンテンツが生産されていく。
間違いなくオタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイターは一般層に評価はされないだろう、わかりづらい作品を作るので歓迎されることはないだろう。
では誰がコンテンツを作るようになるか、これは間違いなく一般層のクリエイターになる。
というのも感情が近いので作りやすいのだ、またオタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイターと比較して、コンテンツ自体に執着が薄い(無いわけではないし一部の方はとても強いと理解しているが集合として見た時の話である)ので仕事と割り切れたりするという強みもある。
企業からすると一般層のクリエイターは収益も産みやすく優秀な金の卵であるが、オタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイターは収益を産まない腐った卵であろう。どちらが優遇されるかは明白である。
このようにしてクリエイターの層が更新されていく(新陳代謝といえばそうかも知れない)
クリエイターが変わっていくとコンテンツ自体オタクコミュニティー向けのものから一般層向けのものへと大部分がシフトしていき、そのうち入れ替わる。
そうしてオタク向けのコンテンツは一般向けのコンテンツへと狂気が希釈されていく。(私はこれを一般層の文化的侵略だと呼んでいる)
そのような状況であってもオタクコミュニティー向けのコンテンツを作る人は作るだろう、しかし評価はされづらくなる。
もしくはそのようなクリエイターが時代の変化などさまざまな要因で一般層向けのものを作ることもあるだろう、映画などにある細かいネタや裏設定はそのようなクリエイターの少しばかりの一般層への反乱ではないかと思えて仕方ない。
さてオタク向けのコンテンツがオタクコミュニティーから一般層向けのコンテンツへと変わっていくという話をした。
ここで一般層の評価基軸をもう一度説明すると他社が評価しているか、わかりやすい感動かという軸で評価している。
後者と比べ前者は容易にハックすることができる評価基準である。資本とマーケティングの勝負に落とせるからだ。
つまり一般層のコンテンツは、芽が出そうなものに対して資本という栄養剤を投与することで完成する、そして一般層に収穫され消費されるのだ。
私は最近のコンテンツが話題になる期間が短いのはこのような背景があるからではと思っている。短くしないと次のコンテンツを消費できなくなるからだ。
ここで一つ誤解を解く必要があるが、私はこのような企業の行為に対して悪だと断罪するつもりはないし、営利活動を行う団体として収益を上げるのは正しい行為だと考えている。
このようにしてオタクコンテンツは終わっていくし、すでにアニメや漫画などは終わっていると私は考えている。終わっていなかったとしても一般層にリーチしないのでそのようなコンテンツを知り得る人はごく僅かであろう。
これが悪いのかどうかと言われるとそうではなくただ集団の行動の結果であるとしかいえない。
しかし、間違いなく言えることは一般層がオタクコンテンツに入ってきた瞬間にそれは終わるということだ。
たしか、既に写実的に描かれた児童ポルノは違法と言う判断があるはず、と思って探したらあった。
https://digital.asahi.com/articles/ASN1Y6V2SN1YUTIL03X.html
コンピューターグラフィックス(CG)で描いた女児の裸の画像が児童ポルノに当たるかが争われた刑事裁判の上告審で、最高裁第一小法廷(深山卓也裁判長)は「実在する児童を描いたCGは児童ポルノに当たる」との初判断を示した。27日付の決定。
この決定で第一小法廷は、児童買春・児童ポルノ禁止法違反の罪に問われたグラフィックデザイナーの高橋証(あかし)被告(59)=岐阜市=の上告を棄却。実在する女児の裸の写真を元にしたCGを製造・販売した罪で罰金30万円とした二審・東京高裁判決が確定する。
実在の児童ポルノを集中的に学習させたAIモデルが「実在する児童のモデルを扱ったもの」と判断されるかどうか、と言うことになるんかな。
お金をかけていいスタッフ集めて宣伝も金掛けてるだけあっていい部分も全然あった。
最大の不満は実写とアニメの対立を激化させてぶち壊してしまったこと。
まずそもそも作品の良しあしではなくて、取り組み方そのものに問題があったと思う。
チェンソーマンの何が優れてるかって、漫画的でありながら実写的であること。
作者の藤本そのものが、影響を受けた作品としてアニメと漫画と映画をたくさん挙げてる。
ギャグアニメの様に唐突で記号的な表現をしつつエモーショナルな場面では写実的になり、戦闘シーンではまるで一枚絵のイラストのようだ。
それは藤本が持っている技術と知識を総動員した結果だし、それしかできなかったともいえる。
実際それが理由で実写を好む人も見そうないろんな雑誌でチェンソーマンが取り上げられたと思う。
そして同時にオタクにもうけた。これは藤本が2つの文化から影響され、それを優劣なく反映させたからだ。
ところがアニメでは(アニメであるにもかかわらず)アニメを否定した。藤本は涼宮ハルヒが大好きなのに。
そして実写的であることが大人の鑑賞に堪えうるものであると言ってしまった。
色んなインタビューでそういった実写に対するコンプレックスを暴露した(いや、むしろアニメに対するコンプレックスなのかもしれない)
そしてその思想は画面にもろに表れた。
わかるけど、そういうのを気にするのなら写実的でもセーフにはならんとおもうけどな
フマキラー公式サイトの「ゴキブリの名前を別の言葉へ置き換える機能」が先日バズってた
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2207/17/news056.html
ページのノリが全体的にふざけているあたり恐怖症の人へのまじめな配慮というよりも話題作りジョークの一種なのだろう
それで思ったがいつごろからか「ゴキブリはみんなが怖がっているものという空気」みたいなの作られすぎじゃねーか
殺虫剤のCMにリアルな虫CGを出すと苦情が届くとかいう話は昔から聞くけど一部のクレームに過ぎなかったそれと比べてもフェーズが進んでるわ
SNSへの投稿でも“G”とか“アレ”とかわざわざ置き換えて書くやつ多いよな
「あの4文字を書くだけでも耐えられない」ってほど重度の人がそんな大勢いるはずもないんだが
どこかで誰かがやってるのを見てなんとなく真似してるんだろう
あと漫画やアニメでもゴキブリが登場するときはモザイクをかけられることが多くなった
これも本気で恐怖症の人を案じているわけではなく、怖がる空気があるのを踏まえた上で
「たかがゴキブリの絵におおげさにモザイクをかけること」がギャグとして成立するからやりだしたのだと思うが
今となっては面白くもないし作り手側がなんとなく前例踏襲してるだけなんじゃないか
こういうことを続けてるとたいして気にしてなかった人まで刷り込みで恐怖症になっていくと思うんだよな
言っとくけど俺だって別に愛好家じゃないし嫌いなのは間違いないし何より衛生害虫であることが分かってるからたまに遭遇したときは必死に駆除するけど
かといって名を伏せ姿を隠すほどの恐怖をすすんで生み出すのはどうかって話よ
シン・ウルトラマンを見た。
面白かったし、ゼットンが使徒のようになっていことにはNTRの喜びを隠すこともできなかった。それでも、どこかリアリティの欠如のような物足りなさも感じられた。
考えた。
おそらく、それは会社員の不在による物足りなさだ。会社に勤め、お給料をもらい、家族を養う人たちの雰囲気が見えない。ただ、会社員の不在は、実際のところシン・ゴジラでもシン・エヴァンゲリオンにも共通している。ただ、その二作とも会社がどうこうどころではない社会情勢で、政府かそれ同等組織の庇護力が何よりも重要なシチュエーションだ。会社員だった人たちは等しく被災地からの避難民で、日本で仕事をしながら暮らす自分にとってはフィクションの存在だ。
シン・ウルトラマンでは、現代日本と禍威獣が共存していた。禍威獣による被害は甚大そうだったし、それによって生活基盤を失った人たちがたくさんいるようにも見えるが、シン・エヴァンゲリオンのような極限的なコロニーが描かれるわけでもないし、シン・ゴジラのように廃墟に近づいた都市が描かれるわけでもない。禍威獣との共存関係で、会社員の生きる様が見えると、だいぶ違った満足感があったように思った。
ネットでは文系がよく馬鹿にされる。作者の気持ち考えてろよってやつだ。
「俺たち技術者が不幸なのは、文系の営業や経営者が悪いんだ」とを言いたいらしい
俺からすると「だったら起業すれば?」で終わるような不幸話だ。
そんなに無能が経営してる会社なんか、君のような素晴らしい技術()をもってたら余裕でぶち抜けるでしょう。
どうぞ遠慮せずにやってくださいなっていつも思う
でも実際は、かわいそうな僕を誰かを拾ってくださいって待ってるだけのやつらばかり。
経営者の文句はいっちょ前だけど、自分で経営はしない。いかにも日本の理系って感じだよな。
美少女が空から降ってこないかなって待ってるやつらばかりだからな
漫画業界でも漫画家至上主義で、ドラゴンボールで編集やってた鳥嶋さんみたいに、普段表に出ない職種の人が表に出ると、裏方がでしゃばるなってオタクが切れる。
日本人は編集者よりも漫画家を評価する。編集者をしらないんだよね。長野規ですらオタクは知らないし。仕組みを作る奴を全く評価しない。
アニメ業界で岡田斗司夫みたいな口がうまくて企業からカネを引っ張ってきた敏腕Pみたいなのはよく叩かれる
オタクイズデッドで岡田斗司夫が言ってた事だけど、今のオタクは仕組み作る奴がいないんだよね
知識が詳しい、ただ絵に詳しい、絵がうまい、プログラムがうまい
一人で完結することは得意だけど、チームまとめるのはだれかやってくれないかなぁチラッチラッ
そのくせまとめ役を口だけ野郎と叩く
このオタク的なやつらが、プロデューサー的立場を評価せず批判ばかりして、俺たちは不幸だと嘆く。
技術技術と連呼して精神勝利して、ビジネスモデルを軽視するので金儲けができず、結果的に技術者に給料を払えないスパイラルが起こっている。
難しいことしてるから給料は高くて当然だとかいう技術至上主義な連中はあほだなって思う。
アニメでも写実的なキャラがよく動く攻殻機動隊のほうが、その辺の動かない萌えアニメより偉いみたいな理屈をさんざん見て来た。
技術力と金儲けの関係は、あるといえばあるけど、無いといえば無い。その程度の薄い関係。
どこか原価厨みたいなところあるよなぁ、このてのクズは。
技術馬鹿が大好きな言葉が「いいもの作ったらいつかお客さんはわかってくれる」なんていうマーケティング軽視だからな
ブルースクリーン連発したwindows95がなぜ売れたのかわかっていない
文章作成技術では、ワードより一太郎の方が優れていたのに、みんなが使ってるからという理由でワードが売れた。
ビジネスモデルが金を生むんだという事実から目をそらして、結果安い給料で馬鹿みたいに働いている
今でこそMSは一流の技術者抱えているから技術力がすごいけど、金があるからいい技術者を雇えるようになったからだ。
技術が金を生むし、金が技術を生む。だから技術ばかりでビジネスモデルやマーケティングを軽視した技術者の嘆きはかなり危険なんだよな
そしていまだに技術力だの技術者だのの切り口で嘆きながら文系馬鹿にするネット見てると、そりゃ給料やすくてもしょうがないんじゃないか?って思うw