はてなキーワード: デイケアとは
引きこもりの友人がいる。
同居している母親の年金で細々と暮らしている。ということはまあそれなりの年齢だ。
仕事を辞めたばかりの頃は、「仕事探さないの?」と聞くと「母親が高齢だから」と答えた。
「お母さんをデイケアとか預けないの?」と聞くと、「頑固だから無理」。
それから10年、就活するわけでもなく外出と言えば近所のスーパーの行き来だけ。
「もともとのんびりした性格だから」「今はちょっとやる気がでないだけ」「そろそろ働こうかと思って仕事探しているんだ(働かない)」
といったほんわかした表現で取り繕う。
それでも無理やり連れ出したりメールでやりとりしたりしていると一回くらいは「あーなんか私もうダメかも」的な発言が飛び出してきて
驚いて「えっ、大丈夫?」と聞き返すと「え、ああ大丈夫大丈夫。私の言い方が悪かったせいで驚かせちゃってごめんねーてへぺろ。増田さん心配性だから〜」的な返事が返ってきて
正直こっちもストレスがたまっていった。
共通の友人と話して、「どうしよう、心療内科的なことに連れてった方がいいのかなあ」と相談したけど
友人は「本当に困った事態になったら絶対に行動するようになるから様子を見よう」と言い、そうなのかなあと思った。
そしたら本当に困った事態がやってきたんだよ。
ひきこもりの友人が10年近くずっと使っていたパソコンが壊れてしまった。
生まれてから一度もパソコンに触ったことのない高齢者ならともかく
正直、ちょっと興味があった。
本当にどうしようもない事態に陥った時、いつも自分で言ってたように「今はちょっとのんびりしているだけで、いざとなればちゃんと動ける」のか。
ダメだった。
パソコンを修理に出すまではできたんだけど、どうやらパソコンを買い替えるしかないと判明してからずーっと悩んでいる。
パソコンを買い換えなきゃ→でもMacは高い(今までMacを使っていた)→お金がない→中古のMacにしよう→でも中古だと買ってもすぐ壊れるのでは→Windowsなら新品で安く買える→Windows使ったことないし使いこなせないかも→やっぱりMacがいい→とりあえずお店にいって見ようか→でもコロナ怖いし→最初に戻る
をずーっと繰り返してるらしい。
Windwsも別に難しくないとか、中古品でも保証がつくお店もある、とかはとっくに伝えてある。
というか多分問題はそこじゃないんだろう。
パソコンが壊れてからもうすぐ1ヶ月になるけど結局まだ買い換えてない。
おまけにどう言うわけか、壊れてから3日に一度のペースで「報告です!」とメールが送られてくる。
報告といっても「修理屋でやっぱり無理って言われた、どうしようどうしよう」「やっぱりパソコン高いよね、どうしようどうしよう」
というどうしようメールがひたすらくるだけで何も解決していない。
報告メールって、壊れました、買いました、みたいなもんじゃないのか?
でもネットで「決断できない 病気」と検索すると真っ先にうつ病があがってきておそろしい。
もう一人の友達は反対するかもしれないけど、なんとかして一度心療内科に連れて行こうと思う。
家族でもない私がそんなことにまで口出ししたら、もう友人関係は終わってしまうのかもしれないけど
誰か知っている人がいるなら教えて欲しい。
旦那が〜とか保育所が〜とかいろんなことをそれぞれがぼやいているが、答えはひとつ、
国が本気で少子高齢化を憂いていているなら、金を与えればいいのである。
変な男性育休制度とか、女性が元のキャリアに戻れるだとか、そんなんはいいのである。
金をくれ。
妊娠が分かったら、スムーズな検診と、保険適用の医療費で受診させろ。
もちろん仕事を休んで行かなければいけないのだから、その給与分は必ず補填しろ。
出産の際は、もちろん保険適用だし、無痛分娩帝王切開すべて保険適用当たり前、
会社に申請→会社から補填、ではなく、国に一括して管理する機関が必要だ。
子育て中、必要最低限の消耗品に必要な金額を綿密な調査に基づいて計算し、毎月振り込め。
金で渡すのが嫌なら、任意のブランドの引き換え券とかでもいい。
もちろんAmazonなどではそういうのが使えないだろうから、国のネット通販を作るとか、関係各社にネット通販を開通してもらうなどしろ。
歩いて買いに行けると思うな。
デイケアが発達してんだから、乳児とその母親向けデイケアも作れ、絶対に需要はある。
デイケアは少しは金を取ったっていい。
例えば実家にまだまだ動ける祖父母がいるとか、兄弟がいるだとか、そういう人は手伝ってもらえるだろう。
もちろん手伝ってもらえないかもしれないし、そういう時に使いたい人が使えるようなサービスが望ましい。
たた、まだ手のかかる小さい子が何人もいます、家には旦那と嫁だけです、そんなときは割引をきかせろ。常識だろ。
仕事に復帰したい希望があれば保育園を使え。国はもっと給与を保育士に払え。
元のキャリアに戻れるかどうかは、ブランクの長さやプロジェクトの進行具合によっても変わるから難しいかもしれない。
でも雇用形態が変わったり、能力が低下したとみなされるような部署移動はいただけない。
学費のみならず給食費も無料にしろ。学校で使う消耗品も一定額は無料にしろ。義務教育までは、どんな家庭でもどんな子供でも、必ずしも問題なく終えることができるようにしろ。
見るからに癇癪とか起こして、疑いが大きいのに診察に行かないの本当にひやひやしてる
自分も発達障がいだし発達障がい児見てきたけど、本当に小さい頃からデイケアとかサービス行ったほうが社会適応してる
今のほうが体制も理解もあるのに、環境は整ってるのにって歯がゆく思う
でも親の気持ちもわかるんだよね 発達障がいへのイメージ良くないし、『ふつう』出ない事に行くのはほんとに怖いと思う ママ友とか色々あるし
だからってそれは親の保身なのでは?と感じる 親も人だし、産んだからって完璧な親になれないのは、怖いのはわかってるつもりだけど、それでもほんとに子ども時代って一生を左右するんだよ
小さい頃言われたことがまだ心に残ってるってあるから、ずっと行動を縛ることってあるからさぁ〜〜
ほんとにさ、『なんでこんなふつうのことが出来ないの!』とか『なんであなたは』とか『ほかの子はできてる』とか、ふつうを押し付けたら悪化する ちょっとほんと調べてみてほしい 悪化しますから お願い
もう本当に心配だわ 他人の子育てによく口出さないししんどいのもわかるけど、子どもが心配 わたしは子どもばっかみて親の気持ちを見てないからいけないのかもしんない どうしたらいいんだろ 癇癪がだんだん酷くなってきてて、泣いてるところを叩かれたりしてんの見てて滅茶苦茶しんどい そのひとつひとつが子どもの人生を壊していくのに どうすればいいんだろ 一瞬一場面が人生を左右するって もうほんとにどうしよう
解体業をやっていていちばんきついのは夏の現場で、建物を解体してるわけだから、その建物は使ってなくて、あたりまえだが電気が通ってないわけだ。で、クソ暑い中冷房とか一切なしでひたすら朝から夕方まで家とかビルとかをぶっ壊す。
(気温が35度を超えてても、半袖半ズボンで作業するわけにはいかないわけだ、釘とかが出てたら腕を傷つけて次の現場に支障があるから。で、クソ暑い中でも長袖長ズボンでずっと作業してる。夕方、なんかやたらと汚れた服で季節外れの長袖長ズボンの奴が電車に乗ってきたら、やばいと思うだろ。こっちもちょっとはすまないとは思ってるんだわ。でも他にどうしようがあるよ。家に帰ってきて服を脱ぎ捨てといて、次の日になったらさ、夏はカーゴパンツの腰のあたりに大抵白い粉が吹いてる。一日でカビるのかよと思ったら、よく見たら、汗が乾いた後の塩なんだよな)
昨日の現場は住宅街の平屋で、外はカンカン照りだったが、家の前にトラックを止めて、屋根の上に登って、上から屋根の材料を一枚ずつ剥がして、トラックの荷台に放り込んでいったんだわ。瓦じゃなくて、石のスレートでもなくて、それを真似した、屋根の材に直接貼り付けてあるやつ。手づかみでベリベリっと剥がして、捨てるまでにけっこう力を使うから、一枚剥がすだけで、直射日光が当たるような晴れの日はもう汗だく。
もう一人ウェイっていう中国人が屋根に上がって作業してて、朝のうちは喋りながら作業してたんだが、日が高くなってくると、お互いにもうフラフラになっちゃって、あとはもう無言。このウェイっていう奴は、じーりん省?の出身らしい。基本的に人なつっこくていいやつなんだけど、切れやすくて、切れると誰にでもやたらとでかい声で怒鳴りつけるから困る時もある(前の現場で、解体が終わった後の土地に、ウェイがホースで水を撒いてたんだわ。したら、目の前の道路をデイケアサービスセンターのボックスワゴンみたいなデカめの車が通りかかって、水のホースをたまたま踏んだのね。タイヤの下敷きになったホースがパーンて飛んで、そこらじゅうが水浸しになって、ウェイが車に向かって行って、ものっすごい剣幕でドライバーを怒鳴りつけてたのは、さすがにちょっと引いた)
昼になったら口の中がカラカラで、トラックの席に置いといた爽健美茶のペットボトルを口に入れたら、もうお湯みたいになって飲めないので。で、さすがに今日はやばいから、エアコンの効いたところに行って、冷たい水でも飲みながら飯を食おうぜってなった。たまたま近所に中華があったからウェイと入って、メニュー見てたら、こまっさん、じゃんぎ丼あるよ、とウェイがいうからなんだそれって聞いたら、美味しいよとしか言わない。奴は自分で頼むからこっちも同じものを頼んで、カウンター越しに店主が料理するのを、冷たい水をごくごく飲みながらなとなく眺めてたのね。なんのことはない、鳥のから揚げ丼か。て思って見てたら、揚げた唐揚げを中華鍋に入れて、今度は野菜と炒めるの。で、なぜかコーラをペットボトルからどぼどぼ途中で鍋に注いで、大丈夫かよこれって思ったんだけど、そのまま仕上げてこっちにはい、じゃんぎ丼、て出してくるわけ。まじで大丈夫かこれって、思って一口食べたら、味が濃くてけっこういけるの。
朝の通勤時間帯はデイケアサービス等の送迎時間と重なることが多い。
住宅街の道を車や自転車で通り抜けようとする時、毎朝大型のバンが道路の横幅いっぱいに拡がって徐行しているか停まったまま動かない。車の横を通り抜けることはできないので、動き出すのを待つしかない。
車の後部についているロゴを見ると、〇〇センターと書いてあり、高齢者向け介護サービスを提供する施設の車だとわかる。
これは不幸なことだと思うのだけど、福祉車両はメーカーがユーザーのために内部のスペースをゆったりと取って横幅のとても広い車を作り、結果的に周囲からは邪魔になってしまっている。
こうした車両は地方都市の国道沿いで一時停止するぶんにはなんの支障もないのだが、道幅が狭い都市部の住宅街(そして主にこういうところに高齢者が多い)で止まったり徐行したりすると、完全に道路をふさいでしまい、居合わせた通行者はただ待つか、自分の車をバックさせるしかない。福祉車両は基本的に安全運転でゆっくり走るので、道路をふさいでいる時間がとても長く感じられる。そしてこういう事態が毎朝起こる。
誰しもいつかは自分や家族がこうした車のお世話になるかもしれないのだから、面と向かって声をあげにくいデリケートな問題だと思う。だが福祉車両を運営する側や利用する側が自分たちの車が周囲に与える影響に気付いていないか、気付いていても黙っているという点で、これはやはり問題なのだと思う。
東京の中でもなぜ北側はコロナウイルスの感染者が少ないのか話題になってたが、行ってみたらそれはあたりまえのことだとわかる。わりと店が多い田端新町の大通りを夜に歩くと、週末でも人がほとんどいない。隅田川を挟んで足立区との境にある尾久(おく)まで行くと、さらに静かで薄気味が悪いくらいだ。
西尾久にいる女の所へ通っていた頃、なんでわざわざここに住んでるんだと聞いたことがある。
突き放したようなものの言い方をする女だった。こちらから迫っていくと拒むことはなかったが、いつもどこか醒めている感じがした。身体を繋いだ後にも余韻というものがなくて、すぐにテレビをつけたり、ベッドを降りて煙草を吸ったりした。そのわりには定期的に連絡をしてきてこちらの予定を尋ねるのは向こうの方からだった。
そういうこともあるんだろう、と思って漫然と関係を続けるくらいには自分は打算的だったし、未熟でもあったわけだ。
私たちはよく歩いた。夜、西日暮里で降りて東北本線沿いに尾久まで歩くこともあった。石垣のような高架沿いにぽつぽつと話をしながら進むと、幾重にも重なった線路と電車しか見えない、ひらけた場所に出る。
歩き続けて、身体がランナーズハイみたいな軽さを感じはじめた頃に彼女の部屋に着く。部屋に入ると電気をつけ、テレビをつけ、どちらからともなく先にシャワーを浴びてから寝た。
ずっとこういう生活をルーチンワークのように繰り返していて飽きないのかと思って、もう少しデートらしい外出を持ちかけてみたこともある。浅草の三社祭を見たことがないというから、今度行ってみようかときいてみた。
「そういうのはいいよ」
「どうして」
何がいけないのか。こうやって、部屋でビールを飲んでることだって、あとで思い出したらそれは思い出じゃないのか、と私は詰めてしまった。自分は一緒に思い出を作るに値しない人間だと暗に言われているような気もして、少しカチンときたからだ。
彼女は黙ってから、「思い出なんて、贅沢だよ」と小声でいった。
「ごめん、今日は帰ってくれる」
部屋を追い出されて尾久の駅まで歩く間、通り過ぎる店はことごとくシャッターを下ろしていた。酒屋の前には白い猫が座っていて、すれ違いざまに首をかく音が聞こえた。
それから間もなく、柏のデイケアセンターに介護の仕事を見つけたとかで、女は千葉に引越していった。互いの近況を知らせる連絡も、どちらからともなく途絶えた。尾久に行くこともなくなってしまったけど、夜の静けさと暗さ、しらじらと蛍光灯が灯っていた彼女の部屋をいまだに思い出すことがある。
ただの愚痴です。
祖母は数年前に亡くなりました。
祖母が亡くなってから、題のとおり祖父が叫ぶようになりました。
「馬鹿」「馬鹿野郎」「だから〜〜なんだ馬鹿」といった相手を罵倒する言葉で、よく聞き取れない言葉もしばしばあります。
かなり大きな声なので、外にまで聞こえてるようです。
祖母が亡くなってからなので、寂しさからかと思ったのですが、祖母が亡くなる前に数年入院していた時期はこのように叫ぶことは一切ありませんでした。
認知症が始まっているのだろう、と母と私で話し合い、祖父本人にデイケア等勧めました。
しかし亡くなった祖母が、重度の認知症になってからデイケアに通っていたため、祖父の中では「デイケア=認知症の重い人が行くところ」という考えらしく、そんなところへは行かないの一点張りでした。
ちなみに父は知らんぷりしています。
誰かと一緒に過ごしている時は叫ぶことはありませんし、直接的に誰かへ弊害があるわけではありません。
家を出れる状況になったらそうしたいとも思いますが、母が可哀想でできません。
冒頭に書いたようにただの愚痴ではあるのですが、もし似たような境遇の方いらっしゃれば、対応方法などのコメントあると嬉しいです。
失業というか、その業種そのものがオワコンだったからそりゃあキツいよね。
最初は少しは就活してたみたいだけど、半年過ぎたあたりからそんな話しも聞かなくなった。
最初はやってみたい職種があるけど雇ってくれるところが無いと言ってたけど、次第に母親が心配だからというのが就職しない理由になっていった。
と言っても友人の母親は別に持病や痴呆があるわけではない。ただちょっと足が悪いらしい。友人が時折ドライブに連れ出しているそうだ。
8年が過ぎて、友人は無職のままだ。
会うたびに言うことは同じ。歳をとってますます気難しくなっていく母親との生活で息が詰まりそうだ、貯金も底をつきそうだし仕事をしたいけど母親が心配でそれも出来ない。
デイケアに預けてみたらと言うと、頑固で絶対に嫌だと言うと、答えが返ってくる。
この前久々に会ったらテレビが壊れたけど買い替える余裕が無いと言う。
一度地域包括センターに相談して、お母さんををデイケアに入るよう説得してもらったらと言うと、母親はセンターにだって絶対に行かないし無理、というので、母親を連れて行かなくても大丈夫だよ、友人だけが相談に行って、家に相談員に来てもらったら、と言った。
でもそれも無理だと。母親に内緒で相談に行ったとわかると母親が怒るだろうから。
これからの生活がどうなるかと言う時に、怒られることを怖がっていてどうするんだと思うんだけど。
お兄さんがテレビを買うお金を出してくたらなあと言ってたけど、お兄さんの奥さんが怒っているらしい。
奥さんの気持ちもわかるよ。もしこれからずっと金の無心が続いたらどうしようと心配してるんだろう。
お姉さんが紹介してくれたバイトの話しも断ったと以前に聞いたこともあるし。
理由はもう忘れた。
こういうの何て言うか知ってるよ。お節介って言うんだろ。他人の家庭のことになんか口出さない方がいい。