はてなキーワード: 「東京」とは
嫁の妹もそんな感じになりそうだなと思ってる。
あの子もただ、「東京」に憧れて、さしてしたいことがあるでも夢があるでもなく、東京へ行けばすべてが変わるみたいな気持ちで出て行ったっぽい。
元増田も、嫁の妹も、そういうのを見て思うのが、「目標も持たずに動くな」ということ。
わざわざ、大して学力も高くない大学に行くため、なぜ知らない土地に行く必要があるのか?
わざわざ、したくもない仕事をするために、なぜ知らない土地に行く必要があるのか?
憧れだけでは、その先何も生まれてこないのは当たり前のことでしょう。
もちろん「東京での華やかな生活」が人生の明確な目標だとすることは構わないし、それもひとつの考えだと思う。
「明確な強い目標」ならね。
ただ、東京で華やかな生活をするのには、田舎の何倍も収入がいる。
そしたら、その華やかな生活を営むための収入をどうするのか、その収入を得るためにどんな能力を身に着ける必要があるのか、
華やかな生活を営むための自由な時間はどうやって確保するのか、そういうことを全部考えて、考えて、その目的を叶えるために努力し続けるべきでしょう。
強い目標としてそれをもたず、なんとなく東京へ行けば全てが変わるんだ、なんて憧れているだけのやつはみじめな思いをするのが関の山。
目標を叶える努力もできないやつが憧れだけで動くと、憧れてたものとなんか違うな、ってなるのは当たり前だ。
嫁の妹見てると、歌手になりたいとか言いながらも、歌手になるためにすべてをささげる覚悟は持てない、と中途半端にボイトレ。
ちゃんとまっとうに就活もしようかな、と言いながら大学には行っているものの、歌手になりたいからそこまで真面目に勉学には取り組まず。
留学したいな、とかいいながら、どうせ無理だし、親がお金出さないだろうし、とかいろいろ言い訳を探して交換留学すらアプライせず、親にも相談せず。
そして、サークルが忙しい、合宿行くからお金がない、とか言ってバイト三昧の日々。
無理か、無理じゃないかとかはただの結果だからどうでもよくて、ただ自分の目的のためにできることは全てすべきなのに、結局何もしないで生きている。
中途半端な希望、期待しかないから全力で取り組めないんだろう。
自分にも目標はあるんだ! と思ってるやつはそれなりにいるにはいるんだろうけど、結局「どうせ無理だから」とか言ってるやつがほとんどなんだろう。
そういう「中途半端な希望、期待」を「人生で叶えるべき明確な目標」と混同してしまっているやつは救えなくなってくる。
どうせ中途半端に生きるのなら、近くに親親戚友達がいて、生活費が安い地域で暮らした方が、みじめな思いは薄れるだろう。
そして諦めもつくだろう。
どうせみじめな思いをして生きるんだから、ちょっとでもましな地域で暮らしたらどう?
そういわれて悔しいなら、目的持って頑張りなよ。
と思う。
これは明らかに不公平!!
教師や親は子供に対して、夢や希望には厳しい年齢制限があって歳を重ねるごとに選択肢が減っていくという事実をしっかり教えるべき!!
実際、メジャーマイナー人気不人気を問わず日本で就ける職業の殆どは、その職に自分が就きたいと思った頃には完全に手遅れになってるパターンばかり!
以下年齢制限別に見ていくと↓ (*一部の例外など、個々の特殊な事例を除く)
警察官 ― 25くらいまでには警察学校に入らないと現実的にまず無理
医師 ― 25くらいまでには医学部に入学してないと開業医の子息でも無い限り現実的に無理
獣医 ― 25くらいまでには獣医学部に入学しておかないと現実的に無理
薬剤師 ― 25くらいまでには薬学部に入学しておかないと現実的に無理
看護師 ― 25くらいまでには看護系学校に入学しておかないと介護系以外の求人激減
保育士 ― 25くらいまでには保育系学校で学んでおかないと求人激減
美容師 ― 25くらいまでには美容系学校で学んでおかないと求人激減
弁護士 ― 25くらいまでにはロー進学を決めておかないと合格してもタダのゴミ
作家 ― 専業で食べていくには現実的にこのくらいの年齢で入賞でもしていないと無理
有名企業正社員 ― 新卒を逃せば新卒プロパー至上主義の有名優良企業への就職&出世は絶望的
公認会計士 ― 大学卒業までには専門学校で学び始めていないと合格しても実務経験積めずに終了
声優 ― これくらいの年齢までに育成機関に通わなければ専業で食べていくのはほぼ絶望的
お笑い芸人 ― この年齢までにコミュ力を磨かなければ大勢の人前に立って笑わせることなど不可能
俳優・女優・役者 ― 遅くとも成人までには劇団・舞台なんかに立っていないとテレビのレギュラーなど夢のまた夢
芸能人・タレント ― この年齢までに一芸を磨いて「東京」にいることが絶対条件
ダンサー ― プロダンサーとして食べていくにはこの年齢までになんらかのダンスを始めることが必須
傭兵 ― 20までに体をつくっておかなければいくら頑張っても体力的に無理
パティシエ ― この年齢までに菓子作りの基礎を学ばなければどうあがいてもチェーン店の電子レンジ職人止まり
ホスト・ホステス ― 業界でやっていくには成人と同時にこの世界に飛び込まなければ後は商品価値が下がる一方
大道芸人 ― ハタチを超えてまったく一から大道芸人を目指して成功した奴など皆無
官僚 ― ほぼ現役での東京大学もしくは旧帝国大学or有名私大に入らなければまず無理
検事・裁判官 ― ほぼ現役での東京大学もしくは旧帝国大学or有名私大に入らなければまず無理
テレビ業界・テレビ局勤務 ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件
アナウンサー ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学と「顔」が必須条件
ゲームクリエイター ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件
宇宙飛行士 ― ほぼ現役での高偏差値「理系」学部への進学が必須条件
小学校教師 ― ほぼ現役での大学への進学(教員課程)が必須条件
中学校・高校教師 ― ほぼ現役での大学への進学(教員課程)が必須条件
動物園の飼育係 ― ほぼ現役での大学への進学(学芸員課程)が必須条件
水族館の飼育係 ― ほぼ現役での大学への進学(学芸員課程)が必須条件
アニメーター ― この年齢までに絵の素養を磨いていなければまず無理
イラストレーター ― この年齢までに絵の素養を磨いていなければまず無理
ファッションデザイナー ― この年齢までに一般的なオシャレというものに興味を抱いていないような奴にはまず無理
歌手・ミュージシャン ― この年齢までになんらかの音楽活動を始めなければ自称ミュージシャン志望が確定
競馬騎手 ― 15歳までには騎手になるぞという意志を固めていなければ現実的に競馬学校への合格は無理
バイオリン職人 ― 15歳までには楽器職人になるぞという意志を固めていなければ専業で食べていくなど夢のまた夢
ファッションモデル ― この年齢でほぼ容姿背恰好は固まるので低顔面偏差値低身長にはどう抗っても無理
漫画家 ― 15歳くらいまでには絵を描き始めなければ実質的に時間切れ
プロサッカー選手 ― 12歳までにはサッカーを始めなければまず無理
プロスポーツ選手 ― 12歳までになんらかのスポーツを始めていなければまず無理
ピアニスト ― これくらいの年齢からピアノのレッスンを受けなければまず不可能
指揮者 ― これくらいの年齢からピアノ他のレッスンを受けなければまず不可能
プロオーケストラ楽団員 ― これくらいの年齢から楽器のレッスンを受けなければまず不可能
サーカス団員 ― 6歳くらいまでにはバレエ等のレッスンを受けなければまず不可能
将棋棋士・囲碁棋士 ― 小学生のうちに打ち始めなければまず不可能
伝統芸能演者 ― 親・親戚が伝統芸能に携わっていないと最初から可能性ほぼゼロ
茶華道家元 ― 親・親戚が茶華道家元でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
政治家 ― 親・親戚が政治家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
外交官 ― 親・親戚が外交官でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
農家 ― 親・親戚が農家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
漁師 ― 親・親戚が漁師でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
冒険家・探検家 ― 親・親戚が冒険家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ
そもそも有名人気職業を除いて、棋士や楽器職人なんて子供の頃は存在すら知らなかったし!
ピアニストや騎手だって身近にそういう親戚でもいない限り自分の未来の職業として、リアルに考えてみるという行為それそのものすらしたことがないのが普通だろ!!
文化資本の低い家庭出身の俺は家族親戚一同高卒ばかりで大学進学すらテレビや物語の中の世界だったわけだが!!!
国は小学校入学と同時に13歳のハローワークを全児童に配布・熟読させて、道徳の時間の変わりにキャリアプランの時間を小学校教育に組み込むべき!!
一刻も早く!!
ジャジャン!!
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/09/08/182813
読んだ。
私も分からない。
どうして「東京」で開催することを喜ぶんだろう。
日本人のほとんどは、実際会場に行って競技観るわけじゃないでしょ?
せいぜいバーや街頭ビジョンに集まって、みんなでワイワイやる程度。
大阪万博じゃあるまいし、大多数の日本人は自宅観戦。長野・札幌五輪に行った人ってどれだけいるんだろうか。
ヘタすると娯楽もメディアも多様化してるから、自宅でも観ないかもしれない。
これが地方開催で、土建屋が「うっしゃぁあああ!!」って喜ぶなら分かる。
おそロシアの風刺人形劇みたいに、どっかの芸人がネタにしてくれたら嬉しい。観る。
もしや、もしや、ご本人降臨??!
ゎお! わたし、Re:東京(http://anond.hatelabo.jp/20130517002350)を書いた増田です。
言及いただけてうれしい!!
「東京」を書かれた増田さんは、(社交的な)人好きのするタイプ
になんだろうな。(違ったらごめんなさい。)
んで、「Re:東京」を書いたわたしは、人付き合い放棄タイプ。
それだけの違いなのかな?
現にわたしにも、帰る場所なんかどこにも無い。
ふたりだろうとひとりだろうと、
そう思ってる。わたしは。
「誰と一緒に走るか」が、わたしにとっては最重要。
わたしにとって、どこを走るのかなんてたいした問題じゃない。
それは東京じゃなくても、どこでもいい。
「東京」(http://anond.hatelabo.jp/20130516152930)を読んで。
生じるもののような気がする。
だから、ってわけじゃないけど、
わたしにとっての「居場所」って、まぎれもなく「ひと(他者)」。
「元々何者でもない人間に居場所はない。」って言い切る元増田さんに、
近いようで遠いようで…やっぱり近いのかも……(どっちなんだわたしw)
たぶん、たぶんなんだけど、
鍵が カツン と開くような瞬間じゃないかなって思うんだよね。
自分が何者なのか、自分はどこにいるべきなのか、わかる瞬間て。
東京には、無数の「鍵穴」がある気がする。
可能性という母数が、わたしの生まれた街に比べて
桁違いに、多い気がする。
だから好き。
機会の数さえ確保できれば、希望を捨てずにすむ。
「予感」のする鍵穴を、飢えた動物の目で探しながら、
心底、惨めで、不安で、ブザマで、
それこそ、「本当に耐え難い、苦しみ」。
その”瞬間”にはめぐりつけない気がする。
「なぜ反原発と叫ぶのか」の僕なりの分析:堀義人氏
に対して、一原発者として反論してみる。
原発推進にいろいろな理由があるように、
反原発にもいろいろな理由があって、
僕以外の立場もたくさんあるとは思うけど。
①電力が経済に不可欠なことを理解できない。
電力が経済に不可欠なことを理解し、経済の重要性を認めた上で、
今受けている恩恵を捨て去ってでも、原発はなくさなければならないと考える人もいる。
もっと分かりやすく極端に言えば、今の職を辞めて、自給自足の生活をしなければならなくなってでも、
原発はなくさなければならないということだ。
自分の都合で原発を推進する人には、考えもつかない発想かもしれないが。
原発の場合、事故が起こった時に、その地域に人が住めなくなる、
単に死者だけの問題ではない。
⑤この機会に人気を上げたい
これは半分そうで、半分当たらない。
数十年単位で考えれば、科学技術が発展してこの問題は解決するだろう。単なる時間の問題。
今はまだ非現実的だろう。
しかし、原発にかけてきたお金と時間が、太陽光発電や蓄電の開発にそそがれてきたならば、
今、どれだけ変わっているだろうかと思わずにおれない。
⑧放射線に関するデマを信じている人(奇形が生まれる、東京が放射線で汚染されている等。事実は、東京の放射線量は、香港よりも低い)。
なぜここで「東京」が出て来るのだろうか?
今回の事故は、数県にだけ大きな影響を与え、それ以外の県では今のところ大きな影響にはなっていないように思える。
数十年後にどういう影響があるか分からない。
レベル8とか9とか、新たに作成する必要があるような事故も考えられるのだから。
⑨CO2を過少評価している人
CO2はたしかに大きな問題で、
反原発と同じぐらい強い思いで、CO2を減らさなければならないと思っている。
ただ、CO2を減らすために原発をと考えるべきではない。
別の道が今ないのであれば、それを作ることに全力を挙げるべきである。
当然だが、原発をなくすべきという僕の主張は、多くの主張の一つにすぎない。
CO2やゴミの問題、社会保障や政治、経済活動に対する見方など、たくさん主張があって、
そのうちの一つにすぎない。
いい機会なので、原発についてネットでもテレビでも、本音で討論したらいいと思う。
怖かったけど、直接的被害も受けずに済んだ。
「こんな有事だし、自分たちの出来ることをする!」といろいろ準備したけど、
ごめん、原発の電気が東京だけで使われてること、本当に知らなかった。
そして、停電に参加しないことへの罪悪感で一杯になった。
そして買占めのこともあった。
私の家の近くのスーパーでも、紙や水、オムツなどがいっせいに消えた。
あのスーパーにモノがまったく無くなる感じは異様で、
買占めというか、主婦たちが集団ヒステリーのような状態になる気持ちも正直わかった。
でも浅ましい姿だったよ。
都の代表は天罰発言だし、
もう自分の力の及ばないところで「東京」がどんどん酷いものになって、住んでいる自分が嫌になった。
でも、停電に参加したからって何が許されるわけじゃないのにね。
募金でも、停電でも、具体的何かをすることによって、罪悪感から逃げたいだけなのかもな。
地方から結婚するために出てきて、数年が経って、東京が好きになりかけてたのに。
自分も今地方に住んでいたら、東京酷いって思って嫌悪感持っただろうな。
子供もいるし、水のことも、食料のことも、放射性物質のことも、不安が多い。
でもそんなこといえる立場に無いよね、と飲み込んでいる。
自分に出来る、本当のことってなんだろうか。いつも考えている。
僕はヒキニート。自分の部屋に開いた小さな窓から外の世界を眺めている。
一応、第一次氷河期にブラック企業とは気がつかずにかろうじて就職して、ココロの病気扱いになって、退職。今は親の蓄えで何とか生きている。
前向きの可能性が縮小し続ける中、僕のエンディングに向けて、静かな日々を送っていた。
西暦2011年3月11日、揺れた。僕の2階の部屋も揺れた。「3.11」この日付は忘れないでおこう。
たくさんの人が亡くなった。
この先、さらにたくさんの人が亡くなりそうな勢いだ。
僕はロクな死に方をしないだろうなと思っていたけど、まだ、生きている。
突然の死の宣告は無情だ。人を選ばない。
同じ世界の空の下にいるはずの大学の同期のやつらのことを思い出した。
結婚式やマンションを買うとか僕とは違う次元のイベントを経験していた彼らの状況はどうなんだろう。
僕は、淡々と両親の介護し、その死を受け入れて、最後に静かに自分の自然死を受け入れるだけの存在だ。
これといって失うものはない。
嫁と子供と家と失いたくないものを全部持ってしまった人は今どんな気持ちなんだろう。
失いたくないよね。きっと。
原発はまた使えるように止めようして、取り返しがつかなくなった。
辛うじて街は生きているけど、ピーク時に電力が3割足りなくなる予想が出ている。
足りない分を集めて何とかしようと動いているけれども、電力が足りない分だけ取り返しがつかないことになるかもしれない。
東京という繁栄を失いたくない人が多いことは間違いがない。
集積による繁栄を是としてきた建前、分散化や冗長化、少しでも繁栄を手放す議論は許されないだろう。
たとえば、畑にまく水が必要量の7割しかないのなら、すべてに水をまくのをあきらめて、7割を生かすようにするだろう。
それが予想できるならば、3割は別の畑で育てるように作物を移す選択肢が現れる。
ここまで、電力の流れで「東京」って言葉で説明してきたけど、それを「日本」に置き換えることもできる。
縮小均衡への道は、すでに既定事実だったけれども、魔法の燃料棒が繁栄の源でそれを覆い隠していた。
魔法の燃料棒に頼ることはこの先あまりできないかもしれないし、封印されるかもしれない。
急に明日から死んでくださいと言われるのならば、6ヶ月後に死にそうなので別の選択肢を考えていただけませんかと言われたほうが余程ましだ。
理由は簡単だよ。その大阪の女子大生達は東京の大学生か東京の人にdisられたんだよ。
ここからわかる書き手の精神の特徴
・発想の土台として強い地方対立根性がある
仮にその子達が東京在住の誰かにDisられたとして(これ自体全く根拠のない妄想だが)、
それがなんで「東京の人」という属性に帰せられるのかさっぱりだ。
更には全く無関係な別人である元増田に「東京の人」だから復讐してよいのだ、という理路。
この発想自体が地方コンプレックスにまみれた書き手の人格を丸裸にしてるけれど
それ故に当人はそうと気付けない。
別に「街」に対して「町」を推したいわけじゃなかったんだ。
「市街地」とか「都市部」とか「地域」「区域」にすぎないことを「街」というときそれは明らかにベタダサかっこつけだと思う。
「東京、、、この街にはチャンスがあふれていると思った。」みたいなバカさ加減ていうか。洗練されていないセンスの問題っていうか。
そういう辞書に載らない部分っていうかさ。
その意味では例文に挙げた「東京」も同義語。単に地域の名称に過ぎないものがかっこつけの対象にされているっていう。
「上京」とかも。千葉や埼玉にはそいうニュアンスはない。だから地方から出稼ぎにきてる奴って千葉埼玉に住んでおきながら「東京に住んでる」とか「上京して働いている」とか言うし。本人のメンタリティ(無自覚なベタダサかっこつけ)の中ではそういう風に出来上がっちゃってるんだろうけどさ。