久々に仕事を探している。
東京で仕事を探すというのは、いわゆる「レール」に乗っていない自分にとってはいつも、
ドヤ街の汚い裏路地に入り込んだ時の、ひやっとしたり胸がむかついたりするような感覚を終始味わわされるようなもので、
たくさんの無関心をわざわざおっかぶせられて、それでもまた表通りに戻れるかもわからないような心細さが続く苦行だ。
そういえば似たような感覚を少し前に感じたことがあったなと思ったら、
突拍子もない事故のような出来事のせいでろくに金も無く転居先を探して不動産屋をはしごしていた時のことを思い出した。
三件も回ればすぐわかるような嘘を散々聞かされた挙句、
わざとらしい二人芝居で東京の右側の物件の内見をゴリ押しされたある晩、
来てはみたもののもはや家を見る気など無かった自分は、出先で付き人役を押し付けられたその会社の新人との雑談を楽しんでいた。
春に東京に出てきたばかりの彼は、どこをどう聞いてもやっぱりこれから先会社に容赦無く使い潰されるか、
先輩方と同じような勢いだけの三流の詐欺テクを覚えて終わるしかないようだったが、
それでも彼自身は、いたって素直に今働いているということを楽しんでいた。
わざわざ実家を捨ててそんな境遇になってまで東京にいる彼の心を簡単には理解できない。
彼の目からすると東京というのは、彼の地元の先にあるものみたいだ。
それに、なんとなくで来てみた人が行きたい「どこか」にも繋がってはいない。
様々な重荷を背負って東京で学べることは、楽しく金を使うことぐらいだ。
電話に出た求人係の女が最低限の伝達事項を口早に言い立ててガチャっと電話を切る。
朝から晩まで電話を鳴らす有象無象の相手をさせられて心底うんざりしてるんだろう。
今、この女から自分に押し付けられたいらいらは、少し前に女に電話をかけた誰かが押し付けたいらいらだ。
どんどん胸に溜まっていって、こぼれたものからまた東京を巡っていくみんなの澱だ。
この澱を目一杯溜めて、自分の人生に良いことなんてもう起こらないと心から信じて、
澱の回し方だけ上手くなっていくような、そういう人間がきっと、東京の八割ぐらいを支えている。
逃げたくても、逃げるのにも金がかかるから、だから澱を引き受ける仕事をする。
勇気のある人間は電車に飛び込んで、自分の体ごと周りに澱をばら撒いて逝くけれど。
東京で本当に難しいのは、何者かになることではなく、
これは、本当に耐え難い、苦しみだ。
「東京」(http://anond.hatelabo.jp/20130516152930)を読んで。 「自分が何者」なのかって、他者に出会ってはじめて 生じるもののような気がする。 他者に出会わないかぎり、わたしには輪郭な...
まさか反応があるとは思わなかったので驚いた。 嬉しい。ありがとうございます。 皆さんの言うとおり、東京は特別な場所ではないし、 そうである限り、ここで味わう苦しみもまた...
もしや、もしや、ご本人降臨??! ゎお! わたし、Re:東京(http://anond.hatelabo.jp/20130517002350)を書いた増田です。 言及いただけてうれしい!! きっと、リアルの姿を外側からみると、 「東...