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はてなキーワード: 公共財とは

2011-12-30

わりとまじめにフジテレビを更正させたい(願望)

フジテレビ潰れろ!」「放送免許を取り消せ!」

ネットでこれらの主張が飛び交っていない日はないだろう。

フジテレビに対する嫌悪感はもはや一時的なものではなく、

ネットユーザ意識としてしっかりと根付いたと言っていい。



まあ無理もない話だ。

電波国民財産であり、その公共財排他的に占有して、

他国の王族侮辱したり、自社の利益のために自国を貶めるような

放送を流す私企業に対して「見なければいい」で済ますことはできない。



明らかに悪いことをしている個人や企業が罰せられない、

と言う状況は負の感情を生む。社会にとって負の遺産として積もり続ける。



その上、彼らは一方的に自分たちの正当性だけを述べる、

または報道しない自由とやらの自由で無視するのだから

ネットユーザに限らず、憎悪が蓄積されて当然であろう。



このやりどころのない怒り、不公平感、無力感は、

それを許している法や政治、ひいては社会に対する不信につながっていく。

そのどうにもならない『こんなの絶対おかしいだろ!?』という叫び

結果的に「フジテレビ潰れろ!」「放送免許を取り消せ!」という声になっている。



それを痛いほど理解した上で。

一歩引いて考えてみる。



免許剥奪」の選択は現実味がない(むしろ倒産の方がよっぽど現実味がある)。



冷静に考えてみて、免許剥奪になるほどの放送内容というのはなかなか想像が難しい。

結局のところ、放送免許の剥奪というのは大なた過ぎて誰もふるえないのだ。

なので、いつも「現状維持(罰せられない)」という事態に陥っているのではないか



もちろん、瞬間最大風速的には私自身もフジテレビに対して「滅びろ!」と思うし、

テレビ局NHK民放1局ぐらいで十分じゃないのか、とか思うこともある。



けれどテレビ局の数を減らしたところで、その少ないテレビ局

故意かどうかは別にして)いつか問題を起こすことはあるだろう。



絶対に壊れない人工物がないのと同じで、人も企業不祥事を必ず起こす。

大切なのは過ちに対して適切な懲罰を与え、当人に更正のチャンスを与えることだ。



では、どの程度の懲罰が適切なのだろうか。

私は「短期間のCM放送禁止」が良いように思う。



例えば、今回のブータン国王夫妻への侮辱問題であれば、

「1週間の間、番組自体は放送して良いが(収益源となる)CMの放送は禁止する」というような処置だ。



これであればニュース地震速報などの情報インフラとして公の放送としての役割を維持しつつ、

売り上げの減少という形でテレビ局に適切な教訓(レッスン)を与えることができる。

そして私たちは、テレビ局がきちんと律されていること、を自分たちの目で確認できる。



分かりやすいことは大切だ。

BPOが書面で注意や勧告をテレビ局に伝えたところで、多くの国民はそれを知ることはないし、

それがテレビ局にとって、同じ過ちを繰り返さないにしようという反省を促す力があるのか不明だからだ。



提供した料理食中毒が発生すれば、その店は短期間営業ができなくなるが、

余程のことでない限り、調理師免許資格を剥奪はされない。



利用客は店が営業していないことで食中毒事実を知り、

評判は下がるだろし、一部の常連客を失うかも知れない。

けれど更正するチャンスは与えられている。



番組スポンサーの商品への不買は結果的にはCM停止と近い効果があると思う。

けれど、私たちは苛立ちたいわけでもないし、デモ不買運動をしたいわけでもない。



同じ結果を生むなら、社会的ルールとしてスマートに解決されればいい。

衣食住どれをとってもルールがあり、完璧ではないにしてもそれなりに機能している。

放送事業者はどうしてこうも罰せられず更正の機会を与えられないのだろうか。

テレビ業界の人々は叱られずに育った温室栽培のお坊ちゃまのように、幼稚で頼りない。

それは国民にとってもちろん不幸だが、彼らにとっても良いことだとは思えない。



私たちはCMがないことで、テレビ局不祥事が罰せられていることを知り、

溜飲を下げ、少し穏やかな気持ちで、そのテレビ局の更正を見守る。



そんなテレビとの関係があったらよいと思った、年の瀬

2011-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20110808171720

電波公共財

はぁ?

公共財」って言葉意味分かって使ってんの?

誰もがその電波を利用できるって意味だよ。

視聴者である国民はうだうだ言う権利を持つ」と全く関係ねー

テレビラジオ局電波利用料12億円(21年度)しか支払っていない。

全く関係ねー

放送局を国が保護している以上、視聴者である国民はうだうだ言う権利を持つ。

保護ってなんだよw

一体誰から何を守ってんだw

意味不明なこと言ってんじゃねー

テレビ局を一般の民間企業とみなすのは間違い。

理由を書け。

http://anond.hatelabo.jp/20110808161948

視聴者にそれをうだうだ言われる筋合いはない。

  1. 電波公共財
  2. テレビラジオ局電波利用料12億円(21年度)しか支払っていない。
  3. デジタル化に際して、地方局が地上波にこだわったため、2兆円程度国民負担が増えた。

3番はソース失念。

デジタル放送衛星で配信した場合に比べて莫大な費用がかかり、

それが携帯電話の料金でまかなわれているという趣旨の記事だったはず。



放送局を国が保護している以上、視聴者である国民はうだうだ言う権利を持つ。

テレビ局を一般の民間企業とみなすのは間違い。

2011-07-31

フジテレビ韓流推しに反対しろ。あれは情報戦略だ。

 フジテレビ韓流推しがすごいことになっている。私的には、あれはとにかく否定した方が良いと感じる。「幼稚な批判カッコ悪い」「嫌なら見るな」という論では済まない。なぜならば「電波国民財産」であり、民間企業であろうと公共性を持たなければならない。



 「公共性とは何か?」。それは「共通の利益」「共有財産公共財)の維持管理」「共有する規範常識)の創出」「共通の関心事(ニュース)などの伝播」などが挙げられる。このことからフジテレビが行っているのは、明らかにサブリミナル的に韓流を押しつけるという「恣意」と「自己都合」によるものだ。我々国民全体が「共通」として韓流を全面に推したいというのであれば、話は別だ。しかし、そんな話は聞いたことがない。あればご一報お願いしたい。



 そして何が一番の問題かというと、それは今後起こりかねない「事実捏造」だ。サブリミナル的に韓流推しが成功した場合、その次はCMドラマで前面的に韓流を推すだろう。そしてCMの内容やドラマの内容は韓国が良しとする、日本とは異なった歴史や思想ということも十分に有り得る。



 内容や時代背景、文化日本そのものだが、核の部分は韓国の思想ということが有り得るのだ。ドラマアニメで流れた情報が、現実に起こった歴史勘違いする人もいる。実際はストーリーを盛り上げるための脚色であってもだ。しかし、その脚色が何度も流れると、そういう意識が植え付けられるだろう。そこまでいくには多くの時間が必要であろう。しかし、そうなるともう遅い。



 賢人がどんなに日本事実を叫んでも、その声というのは一部の人しか届かない。また、そんな声が一般に届いたとしても、韓流推しの御用賢人が一声で覆されることも大いに可能性としてある。



 私が書いたこの内容は、本当に日本国民がどうしようもないバカであったとき未来予想だ。韓流推しに勢いよく流された場合の話だ。この記事を書いたのは、愛国心のためではない。我々の苦労の末、いまの日本がある。君らの親、祖両親、その先の親族。そんな人たちの苦労の積み重ねで、いまの我々がいるのだ。そんな苦労をねじ曲げられたり、無かったことにされるのはバカげていると思わないか。積み重ねたものが全て良いものかというと、それは違うだろう。日本にも残念な歴史がある。しかし、それを顧みたから、いまの我々がいるのだ。



 韓国の偽剣道などが話題になった時期もあったが、あれは結局、我々の先人達が苦労して編み出した精神技術を踏みにじるものなのだ。他の分野でもそういうったことは許されないだろう。苦労の末に得た独自の富を「あっ、それ私達が先に見つけてたんだよね」と嘘をつかれ持って行かれるようなものだ。そうやって日本の富を削り取り、自分たちのものにしていく。



 今一度、テレビ局として、我々としての「公共性」を考えるべきではないだろうか。

2011-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20110729051917

電波公共財から

大勢の人の利益になっているという建前で、電波を他の企業よりも格安で貸してるわけだから

必要ないと思う人が増えればその独占的立場が揺らぐのは仕方ないよ。

役割を終えつつあるということだろう。

2011-02-28

Yosyanさまのブログ:「新小児科医のつぶやき」に対して

1 はじめに

teratterです

まず、この主張はまったく個人的なものであり、厚生労働省見解でもないし

仲間の医系技官のコンセンサスでもありません。このことをご了承いだけますと幸いです。

2 この日記を書いた理由

私は現在、臨床現場を離れ、医系技官をしております。臨床は4年ほどたずさわっておりました。つたない経験ですが、小児の診療にかかわる機会に多少恵まれたこと、また自分自身に娘がいることから、小児診療のあり方については興味を持っているところでした。そこで、ツィッターで小児の夜間休日診療について、意見交換をしていたところ、私のツィートをYosyanさまがブログにてまとめていただきました

 

 Yosyanさまのブログ:「新小児科医のつぶやき

 URLhttp://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20110225

 

このブログは昔から注目をしているブログしたので、御意見をいただき光栄でもあり、大変興味深く思っております。内容についても示唆に富むご指摘であり、私自身の理解も深めることができました。大変ありがとうごいました感謝しております。そこで、Yosyanさまの御意見も踏まえ、いろいろ考えてみましたので、そのことをこの日記にまとめたいと思います。

3 Yosyanさまの主張と私の意見の骨子

Yosyanさまの主張は2つに整理できると思います。それは次のとおりです

「一部の児の親の受療行動によって小児科医は疲労しており、制度として介入すべきである
「小児の緊急性の評価は不可能であるため、全てのタイミング小児科医が対応する必要がある。しかし、実際にそのようなリソースは無いので、夜間休日診療は制度として抑制すべきである

これらの論に対し私は次のように反論してみたいと思います。

「一部の児の親の受療行動によって小児科医は疲労していることには同意、共感しかし、介入の方法には検討が必要であり、制度的な介入よりも普及啓発を重視すべき。そのためには普及啓発を促進するためには緊急性の判断の基準を示す必要がある。」
「小児についても緊急性の評価は可能。緊急性の評価を小児科医師以外の人間にデリゲーションすることによって、夜間休日診療を適正化でき、小児科医の疲弊を防ぎたい

では、次の章からYosyanさまの2つの主張に対してそれぞれ、検討をしてまいります

4 ①についての検討

(1)Yosyanさまの主張

Yosyanさまは夜間・休日診療を受ける児の親を以下のように分類しております

類型 説明
1群 救急の本当に必要な群
2群a 親が心配して救急にかかる群(前向き群)
2群b 親が心配して救急にかかる群(後ろき群)
3群a リピーター群(社会的背景あり)
3群b リピーター群(親の意識に問題あり

この中で3群(とくに3群a)の存在によって、物理的にも精神的も小児科医が疲弊をしているので、3群のリテラシー改善が必要である。そのためには時間外料金の値上げとか、救急車有料化などの制度的な仕組みが必要であると主張されています。

(2)私の主張
児の親御さんの類型化の再設定

まず、「Yosyanさまらの児の親の類型化」ですが、いわゆるMECEになっておらず、不思議な感じがします。1群か否かは医学的評価なのに、2群や3群やリテラシーや受療行動について類型化をしているかです。3群のリピーターの中にだって救急の本当に必要な群もいるはずです。そこで、「医療公共財であるかどうかの認識の有無」「緊急性の判断能力の有無」にしたがって、つぎのように類型化してみました

公共財認識あり 公共財認識なし
緊急性判断能力あり 1群 3群
緊急性判断能力なし 2群 3群

このように捉えれば、いわゆる「3群」に対処するには、「医療公共財であるという」という認識を持ってもらう方法を考えればいいことになります

介入方法の検討

つぎに、介入方法を検討しようと思います。3つの方法枠組みから考えてみました。それは次のとおりです

法律、罰則などを用いた強制的な方法
インセンティブ(+も-も)を使う方法
普及啓発、教育を用いる方法

この枠組みで考えるとYosyanさまは「時間外料金の値上げとか、救急車有料化(主体は国)をすべき」と主張されていますので、主にイの方法を用いるべきと主張されていることになります

普及啓発を重視・先行すべき

Yosyanさまの主張に対して、私は「ウの普及啓発を重視・先行すべき」だと考えます。理由としては次の4つの点を挙げます

・共有認識がができていない現在の状態では、アやイを導入すること自体が政治的に困難。
時間外料金の値上げは病院単位可能であり、それをしないことを病院自治体が選択している。病院自治体のが選択していることをを頭ごなしに国が否定するのはおかしい
・普及啓発ができていない状態では、値上げをすることによって、お金さえ払えばみだりに夜間休日受診してもよいという価値観を誘導する。
・普及啓発の余地があると思っていて、一番実効性があると思っている。

実はこの中で私がもっとも言いたいことは、最後の「普及啓発の余地があると思っていて、一番実効性があると思っている」というものです。特にこのことについて、つぎに補足します。

普及啓発を重視・先行すべき理由の補足 

まず、3群の中でも、緊急性の判断ができている者(マトリックスの右上の部分)は「確信犯」ということになります。たしかにそんな方はいて、現場先生方を脱力させているもの理解しています。しかし、3群の中では、緊急性の判断もできない者(マトリックスの右下の部分)がいて、この群は「ひたすらイノセント」な者です。実は、「確信犯」よりも「ひたすらイノセント」な方が多いのではと私は思っているのです。つまり先ほどの分類に従えば、夜間休日外来を訪れる親御さんは、実は右下の「イノセント」な群がいちばん多いのではと思っています。 

公共財認識あり 公共財認識なし
緊急性判断能力あり 「賢い人」 確信犯
緊急性判断能力なし 「遠慮深い人」 イノセントな人」

もし、「イノセントな人」の群が一番多いという私の仮説が正しければ、普及啓発をする余地がまだあるのだと思うのです

普及啓発の方法論の検討  

では、「イノセントな人」の群に対して、どのような普及啓発が有効かを考察します。普及啓発の方法は次の2通りがあると思います。それは次のとおりです

緊急性の評価のやりかたを伝える(上を目指す)
医療公共財であることを伝える(左を目指す)

私は、ア→イの順番で普及啓発するのが有効だと思います。これは完全な自分の体験ベースですが、「イノセント」な群に緊急性の判断の方法を理解してもらうと、そのまま上に行かずに、左上の「賢い人」になる印象があるからです。一方で、「イだけ」もしくは「イ→ア」と説明をしたらどうなるでしょうか。つぎのようになると思います。

イだけ説明した場合 公共財なのはなんとなくわかるけど、いつ病院につれていけばいいのかわからない。なんだかんだで、夜診てくれるなら連れて行きたい」となりそう。
イ→アの順番で説明した場合 医療公共財といってもそんなの提供側の問題。消費者としてはしったこっちゃないよ。とってつけたように病院に連れて行かなくてもいいパターンを教わっても、それって夜間休日診療を抑制するために方便じゃないのか」となりそう

ですから、ア→イと説明することによって次のようになってくれるとありがたいと思っています。

「なるほど、夜間休日にわざわざ連れて行く必要があるとき、連れて行かなくていいときがわかった。自分自身や子供の負担も少ないし、これで先生方にもご負担をおかけしなくてもよくなりますね。」
論点の整理

以上、私の意見を述べましたが、

確信犯」よりも「イノセント」群の方が多く、普及啓発の余地がある
「緊急性の評価のやりかた」がそもそも存在しするし、小児科以外の人間も担うことができる

というのが、前提条件となっています。Yosyanさまはおそらく、アとイの両者とも、私との見解の相違がありそうです。アについては定量的な議論が必要ですが、おそらく水掛け論になりそうな気がします。イについては、ある程度、実のある議論ができるような気がしています。この部分については次の章で論じたいと思います。

5 ②についての検討

(1)Yosyanさまの主張

「児の親をどのように類型化しても結局どの群にも重症者が含まれているため、何かしら症状を持つ児の親は、緊急性があり小児科受診が必要である」というのが、Yosyanさまの主張だと理解しております。Yosyanさまはほかの部分でも次のように述べられています。

「それと表を良く見て欲しいですが、2群でも3群でも重症者は確実に含みます。正直なところ実際に診察してもこれを全員確実に見抜けるかと言えば、私如き の技量では自信はありません。「発熱性疾患」で「見た目上元気そう」の保護者判断で、「2日ぐらいは様子を見る」の対応全員適用できるなんて事は、経験を重ねた小児科医(小児科医でなくとも)まず口にしません。ましてや電話相談で安請け合いなどしようとも思いません。」

つまり、まとめると、

小児科医でも重症者を見抜くのは不可能。ましてや保護者判断なんか意味がない。電話相談意味が無い

ということです。それゆえ、

重症者を見逃さないためには、24時間365日、小児科医が根こそぎ診察するしかない」

ので、

「実際にそのようなリソースは無いので、夜間休日診療は制度として抑制すべき」

と、Yosyanさまは主張しているのだと理解しました

(2)私の主張

Yosyanさまの主張はロジック(論のつながり)としては矛盾が無いものであると思います。ただ、私の意見との最大の違いは、議論の前提となっている「小児の緊急性の評価は不可能である」の部分にあります。私は「小児の緊急性の評価は可能」だと思っているのです。この前提から私の論を展開しようと思います。私の論の骨子は、

小児についても緊急性の評価は可能
緊急性の評価は小児科医師以外の人間にデリゲーションすることができる
夜間休日診療を適正化し、小児科医の疲労を軽減することができる

というものです。では、詳細に論じてまいります

ア 小児についても緊急性の評価は可能

まず、医学的な見地からの緊急性を要するものは疾患と病態の2つの軸で整理することができると思います。

疾患の軸 :(例)敗血症髄膜炎重症肺炎など重症感染症、腸重責など急性腹症、、、、
病態の軸 :(例)脱水、呼吸不全意識障害、痙攣(単純な熱性痙攣を除く)、、、

この2軸を判断するためには結局、次のようなという3つのポイントを判断すればいいと思います。

緊急性の評価の3つのポイント
a 身体症状(水が飲めない、ぐったりしている、呼吸が速いなどのRED FLAGSの有無)
b お母さんからみてwell doingか否か
c 既往歴や年齢

なぜ、わたしがこのように理解するように至ったかというと私の初期研修医のとき経験からです。私は初期研修医を完全な北米ERシステム病院で過ごしました。この病院では、小児のwalkinも救急車も全ての救急受診をまずは初期研修医が対応し、必要に応じて小児科医にコンサルトする体制をとっています。初期研修医は2年間の間、小児科ローテート以外の期間もER勤務をしますので、2年間、常に小児の夜間休日診療に携わることができました。そのときに先輩から最初に教わったことが「救急外来でやることは帰宅させられるのか、小児科先生コンサルトすべきかを判断することであって、必要なのは正確な診断ではなく緊急性の判断だ」|というものでした

私はたった2年間の初期研修で小児診療ができるようになったなどとおこがましいことは全く思いません。しかし、小児の緊急性を判断する方法論については整理することができたし、小児科先生を深夜でも呼び出さないといけないときの判断はできるようになりました。この経験は3年目以降にも生きていて、しばしば小児診療をする機会にも、小児科先生を頼るかどうかを判断することができるので、多忙小児科先生に丸投げしなくて済んでいました

イ 緊急性の評価は小児科医師以外の人間にデリゲーションすることができる

私はさきほど、緊急性の評価はつぎの3つのポイントに集約することができると述べました。そして、これらの判断を小児科以外の人間にデリゲーション(権限の委任や委譲)することができると思っています。

・児の親御さん
電話相談対応者(看護師さんなど)
小児科以外の夜間・休日担当医(初期研修医など)

まず、児の親御さんについては、リテラシーを高めていただくのがいいと思います。緊急性の判断の方法論をあらゆるチャンネルから伝えるべきだと思っています。また、補助ツールも有効であり、次のようなサイトも有用だと思います。

 サイト:こどもの救急

 URLhttp://kodomo-qq.jp/

ちなみに、このサイトの発熱はボタンを押すと、チェックリストとして次の項目が現れます。これってまさに「緊急性の評価はつぎの3つのポイント」なのだと思います。

発熱時のチェック項目
・生後3ヶ月未満である
・元気はある
・無表情で活気がない
おしっこが出ている。オムツがいつものとおり濡れいている
・あやすと笑う
・1日中ウトウトしている

電話相談も有効だと思います。「緊急性の評価の3つのポイント」は問診が必要であって、詳細な身体診察や血液検査が必要ありません。ですからトレーニングを受けた看護師さんなどの医療者であれば、電話お話を伺いながら判断することができます電話相談など医療職による相談でも不安がとれない場合は、「お母さんからみてwell doingでない」ということですから、夜間でも休日でも受診をしていただくのがいいと思います。ただ、この際もできれば小児科先生最初から診察するのではなく、きちんとトレーニングを受けた救急担当研修医が診るようになればいいのにと思っています。

なお、初期研修ときにあまり小児の緊急性の評価についてのトレーニングを受けていない医師でも、3年目から小児科の医局に入局すれば1人で当直をしていると思います。私は、このような3年目の小児科先生比較すると、トレーニングを受けた初期研修医の方がより安全な医療を実践していると思っています。

ウ 夜間休日診療を適正化し、小児科医の疲労を軽減することができる

アとイで述べたように、緊急性の評価の方法を小児科医以外の人間に普及啓発し、緊急性の評価の主体者をにデリゲーションすることができれば、小児科先生は、夜間休日には本当に緊急性のある場合にのみ診察をすればいいことになると思っています。それが、私の思う「夜間休日診療を適正化でき、小児科医の疲弊を防ぎたい」ということなです

6 最後に(つれづれに小児医療への思いを書きます

私は文中に述べたように初期研修の2年の間に同年代と比べると比較的に、小児診療の経験に恵まれました。また、3年目以降も、院内にPICUが無いことから小児科先生と一緒に仕事をする機会にも恵まれました自分自身にも娘がいるし、PALSなどを学ぶ機会がありましたので、小児医療にはずっと興味を持っています。

つたないながらも3年目以降にはオカルトバクテレミアや劇症型の敗血症インフルエンザ脳症など経験しました。元気だった児が半日ぐらいの経過で一気に具合が悪くなり、24時間程度で亡くなるケースでしたですから、いくら緊急性の評価をきちんとしても、半日後の転帰を100%確実に予測する方法が無いことも理解はしているつもりです

ただ、だからこそ、受診した際には、医療者はきちんと緊急性の評価をし、説明し、カルテに記載することが大事だと思います。また親御さんに対しては次のようなというメッセージを伝えたいと思っています。

病院に頻回に受診さえすれば安全・安心というわけでなくて、どうやっても急性の経過をたどることがある。でも、いたずらに不安になるのではなく、知識を整理したうえで、自分自身の判断力を向上させてほしい自分自身で判断できなくても、電話相談を受けることもできるし、いざとなれば受診もできるようになっているから安心してほしい。なにより、実は緊急性の評価はお母さん自身のwell doingがどうかの判断が一番重要であって、それを見極められるようになってほしい。」

私は、小児医療はまだまだ行政寄与できる部分がたくさんあると思っています。たとえば、ワクチンですオカルトバクテレミアに対する最大の対策は頻回の受診でも検査でもなくてワクチンである認識しています。このワクチン子供を守るだけでなく、小児科先生方を訴訟リスクから守るものでもあると理解しています。そのほかにも、自分の居住県は人口が600万人いるのに、PICUが存在しません。そんなことにも問題意識を持っています。また、大学の同級生や研修時代の仲間や先輩方にも小児科医師がたくさんおります。みな真摯にとりくみながらも疲弊していることも理解しているつもりですですから医系技官という仕事を通じて、機会があれば、いつか小児医療の発展に寄与できればと思っています。

いろいろ述べましたが、ぜひ、建設的なご意見をいただけますことをお願いしまして、私の主張を終わりにします。(おわり)

2010-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20101107032124

いや、そもそも論として、公務員の公務中の記録だから、公共財だろ。

 どういう法に基づいて公開を禁止できるのか?というのを先に言わないとダメだろ。

守秘義務といわれても 公開しない方に国民利益の損失を指摘されているぐらいだからなぁ・・・

2010-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20100624000309

まず思うのは、市場原理主義はあまり好きじゃない。なぜなら、貨幣価値に置き換えるときに、本当に必要なことではなく

誰かに必要とされるか否か。つまり、必要とされることが”多いもの”=価値があるという図式になってしまうから。

妥当性はあるにせよ、市場で値段がつけられないものは軽視されがち。まぁ二酸化炭素なんれいい例ですね。

排出権を設定し、市場化してコスト計上しなければ無視されていたものということ。



あとは、国の支出についての経済学的な見方も本当にそうかな・・・と思うところはある。

ケインズ経済学や、古典派、近代経済学などあるように、国の支出がもたらすものについての見解は本当にあなたが

考えている通りなのかってところ。



あとは、公共財の性質に関する見解やね。上と関わるけれど、どういう性質を持つ財やサービスは公共的に提供するべきか。

と言う話。非競争性、非排他性とか有名なのはあるけれど……保育サービスは?というその辺をもうすこし煮詰めた結論を伺いたい。

2009-02-27

なかの人から見た大学大学院がクソな理由

http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733

を読んで、なかの人から見て考えたことをまとめてみます。

ちなみに私は地方国立大学の複合領域系(文系とも理系ともどちらとも言いにくい)の准教授です。今年は卒修論それぞれ数本ずつ指導しました。


学問という産業

退学届けを提出されたriywoさんお疲れ様。

一応の大学人としては退学なさったのは残念とも思いますが、むしろ他の学生と違う選択を積極的に行ったその勇気に敬意を表したいと思います。(余談ですが、お金払って来ているのに、教授会承認されないと退学できない仕組みってヘンですよね。893新興宗教じゃあるまいし。)

上記エントリに関連してコメントさせていただくと、大学人としては、大学が「学問」の府であるというのは絶対に譲りたくない主張です。しかし、その一方でほとんどの大学目標の1つに、高度な職業人を輩出することが上げられていることから、就職予備校という役割があることは社会的に見て当然のことではないかと思っています。

もっとも、常々私はこの議論の前提がおかしいのではないかと思っています。その前提とは、「学問」というのは崇高なもので、民間でのお金儲けとは違う。というものではないかというもの。教員をしていると常々思いますが、本当の意味社会から必要とされていない研究研究とは呼べません。その意味で全ての学術研究は何らかの社会的意義があり、社会的コスト負担を伴って推進されるべきものです。ただし、その性質上そのリターンの回収が困難なので税金を使って基礎研究をやる必要がある。つまり公共財的な性質を持っているというだけの話ではないかと最近思うようになりました。

その点では、大学教員も立派な普通職業であり、大学も1つの産業セクターであることは間違いないです。そのために、少なくとも自分価値あると思っている研究を推進するために、世の中の大学教員は(自分ポストも含めて)必要な資源(金、人、もの)をかき集めて成果を出すために必死になっているのです。公的な資金を使う事が多いというだけで、本質的構造ビジネスと変わってないのです。その意味では、博士課程は研究者のための職業予備校みたいなものです(余談1)。


そのように書くとまるで私が学問を貶めているかのように思うかもしれませんが、もちろん人類の利用できる知識、認識を増加させる学問という行為はかけがえのないもので、かつ人間にとって根源的な欲求であると思っています。そのおかげで貧困をはじめとした様々な社会的問題を解決してきたのが人間歴史だと思っています。

しかし、その一方で、何が何でも学問こそが唯一の価値であり、その他の様々な産業セクターより優れているという考え方は私は持ちません。小売業金融業もそれぞれ社会で固有の価値を持っています。それと同じようなレベル産業セクターだと思っています。もっとも、このような認識を一般の大学人は認めにくいでしょう。それはどの産業セクターも同じだと思いますが、自分たちのやっていることは他と比較して特別な価値があると考えているものです。

集中する権力

その点で、大学人が研究を神聖視するのは当然です。ただし、やっかいなことに大学というのは、優秀な能力と意欲を持った若者層を教育する機関でもあるのです。当然、教育課程を通じてその若者たちに学問のすばらしさを説きます。そして、場合によっては学問のすばらしさをわかってない学生にも研究上必要な作業の協力を得たりすることも多いのですね。その背景には大学で優秀な研究者大学以外の民間企業環境を知らない事も遠因になっています。(余談ですが、就活指導をする教員が通常の就活をしたことがないような事例はいくらでもあります。)

それがしばしばいわゆるソルジャー問題として噴出したりします。もっとやっかいなのは多くの(特に理系の)研究室で、学生に対して教員の持つ権限が専制的だということです。教員の取り替え(研究室変更)もなかなかできない。人間同士なのだから、相性の悪いことも一定の割合で発生するとは思うんですが。そこで、様々な問題が発生する原因にもなります。特に、先生の指導に根本的に問題がある場合は、若者の有為な数年間が残念な期間に成り下がるリスクがあります。なので、特に大学院研究室といった方が適切か)の選択は慎重に行って欲しいものです。

反面、学部から大学院への進学は極めて容易になってきています。成績がそこそこあれば、無試験で進学できる制度採用している大学が多い。特に学生研究に対する意識や、自分人生についてのしっかりした考えを持てないまま、3年冬の就職か?進学か?という選択を迫られたときに、もう2年のモラトリアムを延長するつもりで進学する学生が後を絶ちません。これは不幸の始まりです。

しかし反面で教員にとって、進学してくれる学生は一緒に研究をすすめていく上で重要パートナーです。場合によっては箱入り娘よろしく、専門分野以外の世間をあまり見せないようにする、一方で研究のすばらしさのみを説き続け、研究活動に全ての資源を投入するように誘導している教員も散見されます。特に理系では伝統的に就職活動時間を取られないよう、大学教授)推薦による就活を主体にしているところも多いのではないでしょうか?もちろん推薦にも一定のメリットはあるのですが、推薦先を決定する権限を持っている教員に(研究指導も含めて)過度に権力が集中しているのでは?という疑念を抱かずにはいられません。

学生モラトリアム画一的教育

個人的には、そのような権力教員サイドに集中する環境にいる、(いわば「学問」という名の宗教的な組織にいる)学生が、もっと自発的に自分たちの人生や将来をよく考えた上で、大学のあり方について自ら対抗して欲しいような気持ちもあります。ですが、現状の学生の問題意識や行動様式を見るにそれは難しいことのような気もします。

それどころか、就活までの時間的猶予がある時期に、進路についてよく考えなさいと指導をしても、全く考えようとしない学生が多いのには困ります。(もちろん私個人の指導力不足も原因。)一例として、大学勉強したこととその社会的な評価によって、生涯賃金ベースで数千万円は平気で変わってくると説明しているのですが、うまく伝わらないという問題を抱えています。結局のところ、適当卒業すれば自分人生何とかなると考えている節が見受けられるのですが。

そして、適当卒業させてしまう大学もよくありません。

http://d.hatena.ne.jp/next49/20090222/p2

先日上記のnext49さんのエントリに大量のブクマがつきました。

同業者として、next49さんぐらい学生のことを考えてくれる教員に指導される学生はいいな等と、興味深く眺めていたのですが、私の疑問はなぜ自分で考える事ができない学生を無理矢理にでも卒業させてやらなければならなかったのか、またそうさせてしまう深刻な大学の持つ雰囲気です。

自分自身そのような環境にいますから、卒業論文以外の単位内定先をそろえた学生卒論で不可をつけることがかなり難しいことは百も承知なのですが。自分で考える習慣を身につけられなかった学生にもっと考える時間を与えることが望ましいと思うのですが、今の日本大学のもつ雰囲気としては、無理矢理にでも卒業させようというところが多いです。自分大学ですとそうなった場合指導教員内定先にお詫びの連絡を入れる風習があるそうです。なぜ教員がお詫び?というのは不思議で可笑しいです。(自分はまだやったことがないですが。)

この問題はかなり根が深くて、大学の最短修業年限にこだわる学生と「(留学などの特別な事情がないのに)留年する学生は要領が悪い?」と社会が見なしていることが問題のように感じています。ホントかどうかわかりませんが、留年生が増えると文科省の評価が下がるということを同僚から聞いたことがあります。学生の学ぶペースはそれぞれで、遅ければ遅いなりにしっかり本質を獲得する可能性もあるのに、とにかく画一的な年限で卒業させようとする雰囲気が強いのは困ります。

優秀な学生も、学習内容の獲得に時間がかかる学生も、外部から見たら区別がつかないのが今の大学の現状ではないでしょうか。(もちろん社会大学で学ぶことにそもそも期待していない(と考えている)風習も遠因でしょう。でも本当にそうなら、卒論が未了で卒業できない学生でも企業採用して欲しいものです。)その点では、それに限らず、様々なところで大学教育の画一性が現場で深刻な混乱を招いています。文科省大学設置基準をはじめとした時代にそぐわない規制が未だに現場を支配しているのが現状です。もっとも、文科省責任になすりつけるのは不本意で、大学のなかの人のマネジメントが成功しているとは言いにくいという点も付記しておかないと不公平でしょう。

なんだか天に唾するエントリになってしまいましたorz

余談1)について

ちなみに、博士課程進学者就職難が問題になっていますが、個人的には研究者というのはリスクの高い商売で、小説家に近いような印象を持っています。小説家作品セールスに失敗しても誰も同情してくれませんが、博士課程に進学したのに満足に仕事もないと文句を言う人が多いのは、博士課程という高学歴社会的成功と線形の関係を持つと考えている人が多いのでしょう。実際には研究テーマも自由に決められるのだし、そんな単純なものではないと思います。もっとも、一度終の棲家に就職してしまえばサラリーマンですが。

2009-01-01

[][]権利の配分の効率化

所有という幻想 - 池田信夫 blog

契約理論が教えるように、所有権は将来どのように資源を使うか予想できないとき、その残余コントロール権を特定の人が独占することによって権利の配分を効率化する次善のしくみだ。しかし情報のように共有可能な公共財では、このような所有権意味がない。

弾言」 P. 173

根源的にモノを所有することはできないのです。なぜかと言えば、人間には寿命があるから。どんなモノでも、せいぜい80年レンタルにしかならないんですよ。

80年レンタルで実質的に充分所有だと思うが

2008-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20081203234734

個人にばらまくこともひっくるめて官による投資だろ。考えるべきことは、奴隷根性かどうかなん関係なくて効率的かどうか。

奴隷根性だと言うのは勝手なんだけど、そいつは経済学的にどう評価されるんだ。経済学的に意味のないものなら、理由に挙げることのほうが馬鹿げているし、そういうつまらないレッテルをはる馬鹿はさっさと失せろ。

経済学的に言えといいつつ、現金バラまきも投資というのはこれまた違和感ある。

経済学的には減税とか現金ばら撒きと公共投資は別扱い。後者GDP投資としてカウントされる。前者は使わないならカウントされない。使った分がGDPに消費としてカウントされる。効率性というのもどう定義するかによるが、より少ない労力でより多くほしいものを手に入れるかということなら、自分自身がほしいものを理解できてない人ばかりとか公共財以外ほしいものはないという現実離れした仮定でもしない限り個々人に判断させるのが良いって事になると思うが。

2007-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20071028165112

どうだろう?公共財である電波を時間帯ごとに競争入札制度にしてみたら?

さらに、公共財である電波に流したものに関しては「オープンソース」のライセンスのようなものを適応し、

制作会社を明示すれば、再利用可能という制約をつける。


これをいきなりやるのは無理だろうから、新しく放送局をつくってそこでやってみたら?

デジタル放送ならチャンネルは増えるので参入する余地もあるのでは?

それとも既存の放送局を買収するとか。

そういう点ではライブドアフジテレビを乗っ取ろうとしたり、楽天TBSを手に入れようとしているのもそれなりに意味があるのか。

不祥事を起こした会社が、他社に買収されることで存続をはかることはよくあるから、放送局についても同じようなことをやれば案外簡単に手に入れられるかも。

2007-10-28

著作権テレビ局電波利権

あまり、テレビの構造について詳しくないので調べていたんだけど

なかなかおかしいなと思うところがたくさんある。


まず、総務省電波という公共物をテレビ局に提供する際に

免許が必要であり、電波利用料を支払う必要がある。


ところが、テレビ局電波利用料は微々たる物である。

なぜなら、基地局単位で支払うような仕組みだからである。


結果的に携帯電話事業者が電波利用料の実に90%以上を支払っており

放送に関しては1%に過ぎない。


このようなおかしな状況では、

テレビ局にとって電波はただでもらった便利なものに対して

制作会社からのマージンをとりつつ、放送を流せば

自動的にスポンサーからお金が入ってくる。


もっとおかしいのは、このテレビ放送のスポンサー料を支払う窓口は

電通オンリーであるから、スポンサー料の大半は電通なだれ込む。


最終的に、スポンサーが支払った料金の10%以下しか、制作会社に入ることは

なくマージンをとる企業利益となる。


これでは面白い番組はできないし、どうしようもない。


そこで、少し面白い方式を考えてみた。


どうだろう?公共財である電波を時間帯ごとに競争入札制度にしてみたら?

さらに、公共財である電波に流したものに関しては「オープンソース」のライセンスのようなものを適応し、

制作会社を明示すれば、再利用可能という制約をつける。


これをもってしても制作会社が1次請けになれば、十分にペイできる構造に

することができる。


この入札で得た金を現在テレビ局などの放送装置を持っている会社

支払い、ファイナンシャルリースの形で最終的に総務省の管轄にする。


この仕組みを導入したとしても、

現在テレビ局がもつ制作会社が当初はほとんど時間帯を入札で手に入れる

だろうし、電通スポンサーの窓口として機能するだろう。


しかし、十分な規制緩和によって

次第にこの構造は崩れるようになる。


インターネット上で制作会社の一次請けを募集できるサイトスポンサー

開かれるようになり、直接制作会社スポンサーが結びつく。


スポンサーを採ることのできないテレビ局は次第に廃れるが

放送自体がすべてとまることはない。


さらにBPOを正式な第三者機関と各自治体のもつ免許失効および停波などの

権力を持たせれば、公共物である電波は一時的に特定財源になり、

次に一般財源とすることができる。


現在のように少ないチャンネル数で電波をただで垂れ流すような

殿様商売が終わり、ガチンコスポンサー獲得をしなければならなくなる。


また、放送したもののライセンスは公共物になるため

動画サイトで見逃した番組を見ることが合法になる。


なぜ、一度公共物を通じて提供されたものを再び見ることが

違法にならないといけないのか。


なぜ、垂れ流されるという苦痛を支払う国民

一切の還元がないのか。

2007-04-14

横浜ベイスターズの契約金問題についての考察

週刊文春が元球団関係者から情報を得てスクープしたことを皮切りに、各新聞でも大きく取り上げられている。

事件発覚後の会見で見せた球団社長態度や、球界倫理基準改訂後も裏金が渡されていた事も重なって、

文春の予想よりも大きな問題となってしまったように思える。

しかしながら、今回の件が例の楽天一場靖弘投手がプロ入り前に金銭を受領した問題と同様に扱われている事が疑問に感じた。

「優秀な大学生プログラマーを見つけたから5億円で契約した」「類い稀な才能をもった大学生トレーダーを見つけたから5億円で契約した」

才能あふれる大学生バスケットプレーヤー発見したから

5億円のスポンサー契約をした」

こういうニュースがあったらポジティブニュースだろ。

才能ある人材を獲得するために金を使うのは当たり前なんだよ。

那須野の場合は「大学野球に和製ランディジョンソンを見つけたから5億で契約した」だけ。

これ自体はなんら問題はないんだよ。

問題になってるのは契約金の上限を超えていたことだけだが、このルールだってよくよく考えてみれば

札束合戦で選手を奪い合うのは不毛だからやめましょう」という申し合わせで決められたものであって

直接的に倫理とか道徳という見方につながる線引きとはちょっと違う。

端的に言うと、このルールを破ったことは他球団に対しての裏切り行為に過ぎないから

謝るとしたら他の球団に「約束やぶっちゃいました、サーセン」って謝ってくれればいい。

(ただ野球チームには公共財としての側面もあるから一応社会に対しても説明する必要はある)

一人のファンとしては、むしろ5億を積んでも大学生ナンバー1(と言われた)左腕を

とろうとした球団の本気度がわかって嬉しいくらいだ。

はっきり言って、選手獲得競争(これを世間では自由枠と呼ぶ)に金銭と言う名の武器を使っていないのは、広島楽天の2球団のみだと思われる。

巨人の某外野手は父親の会社の肩代わりと称して60億、同じく某内野手は10億が使われていると現楽天監督が数年前に講演で話していた。

なぜ那須野投手ただ一人が大きく報道されたのか、なぜ情報がリークされたのか、なぜ「昔の事を調べだすのは無力であり、労力の無駄である。まずは基準を整備して、こうした事件が二度と起きないようにしよう」という論調が球界に蔓延しているのか。

西武は現選手の中にも金銭を渡した経験がある事を認めながら、その選手名は依然として明かしていない。赤い靴下を履いた選手がその中にいなければいいのだが。

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