はてなキーワード: 馬の骨とは
正直結論から言ってしまうと別にどうともならないし普通に彼女たちの担当になる人も出てきて普通に受け入れられると思いますね
さて、考えうる限り最悪の方法で投入されたアイドルマスターシンデレラガールズの新アイドルの2人ですが、皆様様々な思いがあることでしょう
『大規模アイドルグループのセンターを決める中継で、何処の馬の骨ともしれない新人が「彼女たちが次のセンターだから」といって連れてこられた』
といった状況でしょうか。
これが現実であれば、やれ『枕営業』だの『社長の愛人』だのと言われかねない状況ですが、幸いアイドルマスターのアイドル達は架空の存在ですので彼女たち2人も暖かく迎え入れられる事でしょう、よかったね。
とは言え、そんな状況で生み出された訳ですから、当然順風満帆とは行かないでしょう、特に今までのアイドルのファンからしてみれば明確な敵とまでは行かずとも、理不尽な思いを抱いているとは思います。
しかしながら、よくよく考えて下さい。
このような形で新アイドルが投入された結果、貴方はデレマス/デレステを引退しますか?
勿論引退する人も居るでしょう、引退するきっかけになる人も居るでしょう。
ですが、むしろ『自分の担当をもっと前に出したい!』という思いを抱く人も少なくはないのではないでしょうか
それを思うと、デレステのこの新アイドルの投入方法はただただRとして追加するよりもずっとインパクトが有り、ずっとずっと話題になるとは思いませんか?
正直なところ、最近のデレステ運営は相当のアホか、よっぽど根性が悪いか、それとも先の先まで見据えた策略かかとは思っていましたが、はてさてどうなることでしょうか。
・・・まあぶっちゃけマーケティングとしては『否』寄りの賛否両論だとは思いますし、こんな手法をずっと続けてたらいつかコンテンツが死ぬとは思いますけど。
とはいえ、まだまだ初報が発表された段階ですので、蓋を開けてみればものすごい実力者で皆黙るかもしれませんし、大ベテランの人が声を当ててて受け入れざるを得ないかもしれません。
それはそれでどうなのよ?と思わない事はないですが、まあ皆さん運営の従順な犬ですし何があってもなんだかんだで受け入れるんじゃないですか?ねえ?
ちなみに今回新アイドルが全部で5人発表されたわけですが、これで韓国組の復活は日の目を見ることは無くなったわけですね
やっぱりこういうのはあれこれ言ってる時期が一番楽しいものですよ、ええ
さてさて、既に荒れに荒れているデレマス界隈ではありますが、果たして今後どうなっていくんでしょうね?
デレステ運営が無能なのか無能を装った有能なのかは定かではありませんが、こうやって定期的に燃やしていくのがデレステの運営スタイルであるというのであれば受け入れるしか無いですよね?
理由は、リスクを見極められないから。かつ、リスクが許容できないから。そして、ほしいのは商売人としての利益だから。
このあたりは金融屋として、市場がどれくらいで、いくら投資したら、いくら利益がでて、全体でいくら儲けられるか?という見込みを元に行う。
だけど、不確実性が高まれば高まるほど見込みを立てられない。つまり、儲けの算段ができず、投資不的確だと判断される。
および、「まだできていない物」だからできないリスクもある。「できてないものを出来ているように言うような」詐欺師の温床にもなる。
詐欺師の側も、これなら投資が取れるネタというのを日々研鑽しているもの。
詐欺師がベンチャーを名乗る件が非常に多い時点で不確実性がさらに高まる。
ベンチャーキャピタル、ベンチャーとの共同研究を設定するのは基本的に大組織。つまり、内部で数人がかりでこれはいけるだろうというのが断定できないとならない。
好むのは基礎要素が全て整っていて、もう少しは売り始められているようなもの、あるいは、よそがヒットしているようなもの。
だから、何もないところから突然ヒットした、というのが生まれると、こぞって突然ヒットしたものがらみについて投資をバンバンしだす。
新しいものが開拓されたのだから、その周辺で新しいビジネスが生まれる可能性もある。かつ、その先行企業の真似事でうまくいくこともある。けど、とれるリスクはその程度。
大企業側も自分の事業領域に近いところならリスクが取れる。また、自分自身が利益を出しているが、その利益が食いつぶされる程度であれば耐えられる。
大企業が信頼の出来る大学に共同研究を持ちかけるほうが詐欺にあってダメになるリスクも低い。
無論、大企業側から見ても詐欺のリスクはある。それから、やっぱり結果論として、投資したものが頑張ってもうまくいかなかったものは詐欺と等しい。
だから、どこぞの馬の骨ともわからないふけば飛ぶような起業になんて、金は出せない。大企業社長が思い入れがあるとか言っても、それなら自社内でやるだろってことで。
アカデミックならまだ経理と報告がしっかりしているから出せるかというところで。
となると、それよりリスクが高いものとなるとアカデミック側がリスクをとって研究するとなる。
ただし、競争的資金もある程度研究の基礎部分があって少し背伸びしたぐらいのものでないと通らない。つまり、これも基礎もきちんと整えられない物は作れない。
だが、成果として儲けることは条件にいれなくて良い、その代わり、論文と報告書として表に出さないとならない。
最も、最近の透明化とやらでその報告書や申請書やらの書類周りのウェイトが非常に高くなって研究時間の圧迫につながっている。
番外として金持ちが投資するというものもある。これは金持ち一人が判断したら出せるもの。
金持ちは何らかの自分の商売に専念して金持ちになったので、離れた分野の知見なんてまあ、まず無いと言って過言じゃないあろう。
ほとんどの金持ちは中小企業を構えているぐらいのものなので、組織的に詐欺に対処できない。
リスクは取れるが、いかんせん詐欺のリスクにかかるリスクのほうが高いので、よっぽど自分の商売に近い部分のリスクしか取れない。
企業宛の国、政府の助成金も詐欺の懸念があるため、極短期間か、1/2や1/3程度の自己負担が求められる。ついでに書類も多い。
ということは、もうそれだけの間に事業がうまくいく算段がついてないと応募したところで首を絞められる。
まとめると、とれるリスク順に次のようになる。
4.ベンチャーキャピタル
逆にこの下側から、まだ影も姿もない革新的イノベーションが生まれる可能性もあるということだ。だって影も姿もないのだからその上側のリスクがある金は取れないわけだから。
8なぞ、研究しているときは「何に役に立つのかわからない基礎研究」としてやっていたのだろうがね。
革新的イノベーションというのは今まで思いもつかなかったことから巨大なビジネスが生まれたことと言っても過言じゃないだろう。
そうなるには、基礎技術部分を全部抑えていて、大きな市場をつかめる必要がある。
しかし、そんな基礎技術を抑えきれるような開発は非常にハイリスクだ。長期の開発にはまず開発当事者の生活費をどうするかから考えないとならない。
政策としては、上記各フェーズを「それぞれ」充実させる必要がある。
ただし、新自由主義化でアカデミックポストの使い捨て化、運営費交付金削減、競争的資金化が進んだところ、論文執筆数の時点で減少している。
役所や政治家の仕事として、別に「夢を見せてやったふりをする」こともあるだろう。
まあ、叫ぶだけ叫んで、子供のお遊び起業を増やすのも一応仕事をした事にはなるだろう。最もそいつらは失敗するわけで、周りも起業はしてはならないと学ぶだけに終わると思う。
だから、大学の学生ベンチャーサークルが生まれては数年しては消え、そしてまた数年後に生まれる。どこの大学でもあるようなサイクルが生まれる。
「ゾーニングしろ?見たくない人もいる?それは単なるお前のお気持ちだろ!」
「そんな何処の馬の骨かも分からん奴のお気持ちへの配慮で我が国の表現の自由を侵害する気か!」って
えらく怒ってらっしゃいますけど、別に根絶やしにしろって言われてるわけじゃないじゃん。
「見たくない人もいるから住み分けしてちょ。」ってすげえ穏当なクレームだと思うんだけど。
例えば俺はデスメタルが好きだけど、「みんなのうた」や駅の発車メロディにデスメタルが採用されたら
さすがに場違いすぎるってのはすぐ分かるし、苦情が山ほど来るであろうことも全然頷けるんだよな。
98.85%ぐらいの人にとっては単なる雑音だって事も理解してる。それでも好きなんだから仕方ないわな。
コンビニや飯屋の有線でデスメタルが流れないのも当たり前だろう。これらは別に差別やら弾圧じゃなくないか?
社会人になって数年。最近痛感するのが教養の有無と人生の充実の相関だ。
「年収が高く役職持ちな人はみな教養持ちだ」、といった次元が低いことが言いたいのではない。
教養のある人物はなんというか、充実感に満ちており有意義に生きていて感性も見た目も若い気がする。
趣味も多いし、フットワークも軽い。何歳になっても好奇心や知的探求心が衰えないのだろう。
少しでも気になった事があればその日の帰り道で専門書を買って熟読、海外だろうが平気で現地に赴いたりする。
常に勉強を欠かさないし、当人は「勉強」を苦を伴うものと思っておらず、むしろ楽しんでいるのだ。
類は友を呼ぶのか、周囲の家族や友人も相応に知的な人が多く、頽廃的だったり怠惰な人間はあまり見受けられない。
当然、教養のある人はそれ相応の社会的地位についていることも多い。
社会的地位を獲得した後に付け焼き刃で教養を身に付けたのだろうか?いや違う、幼少期からの習慣の積み重ねだろう。
こういった知的な態度を有する人たちに接すると、無教養・無学な自分はコンプレックスを非常に刺激される。
教養のある人達の会話はありきたりな雑談の途中で話題が予想しない箇所に飛ぶのだ。
姫路城改修から池田輝政の功績に飛んだり、クリミア半島からソルジェニーツィンの著作に飛んだり。
ベラスケスやらサルトル、後期コルトレーンの話が出たこともあったが、無学な自分ではちんぷんかんぷんだ。
こちらが話題に参加できないでいると「あ、興味ないよね〜。うんちく晒してごめんごめん。」とすぐに平謝りし、
それ以降はグッと敷居を下げた会話(ワールドカップやらジブリアニメ、近所の旨いラーメン屋の話など)を展開してくれる。
こういう出来事が何度かあると、彼らはそのことを覚えているようで配慮からかハードル高めな話をあまりしてこなくなる。
その「優しい配慮」が、かえって悲しいような悔しいような不思議な感覚を自分の中に呼び起こさせた。
上記の行動は、彼らの衒学趣味由来の嫌味や当てこすりだろうか?私にはあまりそう思えない。(ゼロではないだろうが。)
第一、こんな何処の馬の骨か分からん小僧にマウンティングしたところでなんの得もない。
なんというか彼らの「知」に対する基本的なスタンスは、自分のそれと一から十まで
まるで異なっていて、そのほころびに自分が勝手につまづいて痛がっているだけなのだろう。
痛がっている自分を見て彼らは「まずい!」と察し、ほころびを取り除くために
平易な話題にシフトしてくれいているのだ。その気遣いが余計に胸に刺さった。
加えて彼らの凄いところはジャンルの垣根を設けずに、気になったら徹底的に探究する姿勢だ。
自分は子供の頃から怪獣映画が好きなので彼らとの酒の席でシンゴジラの話題が出た際に、
第五福竜丸被爆事件からゴジラは誕生した、田子の浦港ヘドロ公害からヘドラが生まれ、
バイオテクノロジーの隆盛からビオランテが生まれた、シンゴジラは言うまでもなく津波と原発である、
といったような感じで社会問題とゴジラ怪獣の密接な繋がりを時系列で簡単に話した。
すると彼らは決してバカにする事などなく、「それでそれで」と少年のように目を輝かせて聞いてくれる。
「ありがとう。勉強になった。もう少し調べる。」とその場でアマゾンを使い、DVDと解説本の購入を済ませていた。
うーむ、この人たちには逆立ちしても敵わないなぁ、と帰りのタクシーで溜め息が漏れた。
(次に会った時には彼は初代ゴジラはもちろん、宇宙大戦争やらサンダ対ガイラまで鑑賞済だった。これには舌を巻いた。)
彼らは目の回る忙しさの合間を塗って絶えず教養を身に付けているのだ。多忙な彼らの何倍も時間を有している自分には教養がない。
自分も彼らのような「知」に対して極めて能動的な人間になりたいが、どうやったら彼らに少しでも追い付けるのだろう。
なんにでも興味を持つ知的探究心。古典から新書まで常に読書を怠らない継続力。そして読書で得た知見をすぐに実行してしまう行動力。
就活関連のニュースを見ていると、新卒採用ってよほど余裕のある会社じゃないとできないよねってようやく気がついた。
学士号も持っておらずまともな職歴もない、おまけに重宝されそうな特殊技能も殆どの者が持っておらず何らかの専門知識もない。そんな状態で既に成人。学生ってだいたいこんな感じ。
何も知らない有り余る体力だけが取り柄のモブキャラに、ペラペラなエントリーシートの情報と数回あっただけの印象で、社会的地位と食い扶持を手配してやろうというのだ。太っ腹もいいとこだ。
在学時は学生ノリが心底嫌だった私。就活もまともにやらず卒業してからはちょっと苦労した。
しかし最近になって学生やその相手をする大人を見ると、「どこの馬の骨かもわからねえ奴なんか相手にするか。卒業してから出直してこい、もしくは今すぐ退学して丁稚奉公なりなんなりしろ」という具合に、学生の就活なんて全く度外視した社会の方がすっぱりしていて健全な気さえしてくる。