はてなキーワード: 教養とは
相当昔なんだが、付き合っていた女がいたわけで、別に嫌いではなかったし気遣いもする女だから悪い気はしていなかった。
でも、「どうもこの女と結婚する気にはなれない」というモヤモヤとした想いを払拭できずにいたのだが、次第にそれが明瞭に言語化できたので、足掛け2年かけて逃げることに成功した。
どうして結婚する気が起きなかったのかといえば、「貧乏育ちで下品で無教養」ということ。
具体的な例として
(1)ボーナス日にケーキを買ってこの女の部屋に行ったらケーキには目もくれず【ボーナスーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!】と絶叫してあれこれの金品を要求してきたこと
(2)残業続きでヘトヘトの週末にデートで合ったらなにやら不機嫌。理由を糺すと「疲れたサラリーマンの顔しているのがイヤ」とのこと
(3)何かのときに別の金品を要求されて「今は給料日前でキツいから」と断ったら「オ○ンコ提供したじゃないか!」とのこと
ある日意を決して逃げる準備を始めた。まず、長期出張でしばらく地元にいないからといって雲隠れ。そのうち異動で市内の別の出先に勤務することになったが、事情は知らせず。電話は解約して新規で契約し直し。
そのうち、探偵でも雇ったのか、勤め先に偽名で書信があって、開封してみたら「私の一体どこが嫌いなのか」ということだったので、公衆電話から電話して「お前は貧乏育ちで下品で無教養なうえにカネがかかりすぎるので嫁にはできない。そういうわけで悪いけどこれで終わりにしてくれ」と言って切った。
手切れ金でも請求されるかと思ったらそれは無かったようで、晴れて今の妻と結婚して幸せに暮らしている。
それでも未だに夢でうなされるのだから恐ろしい。草食男子という言葉は当時はなかったが結婚を焦る女は修羅のような存在だという確信を得た次第。
いまだに「草食男子の増殖」を懸念する記事や「草食男子攻略法」などという本が出ているのは、男が恋愛ゴトに興味がなくなってマーケティングに窮しているだけではなく、単にアラサー婚活女が困っているという話なんだろう。怖い怖い。
教養の部分について言うと、フランス革命以後は「良き市民像」みたいな規範が最上とされ、教養を持つ裕福な階層の人々がかつての貴族のポジションに収まったと。そこまでは世界史的な知識だが、面白い事にその良き市民達はエッチなものをけしからんとブチきれ出した。貴族は堕落しまくっていたからね。そこで紳士とはこうあれ、淑女とはこうあれという社会規範が芸術の域を取り巻くようになってきた。クラシックだのオペラだのが高尚でご大層な芸術様扱いになったのはそのせい、という指摘をいくつも証拠並べながらするような話ね。ざっくり言うと。まぁこの本の見所はそれだけじゃないんだが。
以前、フランス革命で貴族が没落した後に台頭したのは教養を持った市民階級で、いわゆるハイカルチャーは馬鹿で下衆な側面を持っていたのに、その前後で本格的にお上品で高尚なものへと転換していったという話と何か関係がありそう。
出羽守要素。
他人が好きであろう国を後進国と罵ってはばからない思いやりの無さ。
自分の教養の無さについて疑問を持とうともしない謙虚さの欠如。
実際の"人権先進国"の現実について学ぼうとしない学ぶ姿勢の無さ。
"先進国"がなぜそうなっていて"後進国"がなぜそうなってないのかを、国民の善意の有無に求めてしまう、歴史に対する圧倒的なセンスの欠如。
実際の行動はどうすべきという事に思いを至らせる事のない現実感の無さ。
極め付けに、これら全ての悪印象をどうとも思わずに、人権後進国とかいう言葉を選んでしまう。
もしもそのとき問題になっている人権侵害が問題だったとしても、人権後進国とかいう単語を使うやつらはバカ確定。
むしろ人権の普及を阻害すらするので、速やかに黙った方がいい。
ツイッターとかなら、お前らの知らない所でもうとっくにブロックされてるだろうけどな。ブロックができない環境もあるんだからな。
ある人は、結婚しない人は人と合わせられないからだめ、みたいなことを言った。
自分よりもひと世代くらい上の年齢の人の発言だし、そういう価値観もあるよな、と納得するふりをして、とその場はなんとか平静を装って話を合わせた。
内心は、世間の少なからぬ人からそういう風に目されることが今後は増えていくんだろうな、と空恐ろしかった。
結婚に憧れはあるけれど、自分に起こりうることとして考えることができない。
教養もユーモアもなく優しくもなくネガティブ、歳だけとって、どんどん自信がなくなってきた。
価値観や趣味、嗜好、生活水準など、条件的に合う相手を見つけて結婚する?
価値観に関しては、頭のてっぺんからつま先まで合う相手が見つかるはずはない。
その価値観のズレを軌道修正しながら、相手と、相手の家族を含め、うまくやっていくことはできる?
結局お互いが不幸になるだけなのではないか。
そう考えると怖い。
結局相手の人生にそこまで責任を負いたくないというだけのことかもしれない。
だからといって、自分には無理だと結婚に消極的な態度をとって、変人認定されたり、まだ諦めるなよ大丈夫だからとか何の薬にもならない慰めの言葉をかけられるのはとても面倒くさいしいたたまれなくなる。
アメリカ、たとえばバラク・オバマ、あるいはビル・ゲイツの読書歴はふふん、なるほどと教養を感じさせることが多いが、日本の政治家とかだと「アチャー」というのが多いのはなぜなのか?まあ日本が知性を軽視する傾向があるからかもだけど
ヒルビリー・エレジー~アメリカの繁栄から取り残された白人たち~
アメリカにおける共同体の衰退を論じた Bowling Alone. は大きな反響を巻き起こした。ソーシャル・キャピタルの概念の提唱者でもある。
「日本の売上高トップ50社に主要銀行と商社を加えた75社の取締役の血縁を調べると、その7割以上が親戚・姻戚関係にあり、更にその周りに無数の系列企業が連なって壮大な閥族支配の網を形成し…」
ttps://twitter.com/akaikebasutei/status/1435087315957784577
ttps://www.amazon.co.jp/dp/4334971539
ttps://takapapa.hatenablog.com/entry/19980121/p1
私にブルデューを教えてくれた女性は「大衆は愚かで無力」と語った - はてな村定点観測所
その投稿に対して、「両親の年収よりも両親の学歴や教養の方が子供の学歴を決定する影響が大きいですよ」というレスを書いてきた人がいた。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry?url=http%3A%2F%2Fcyberglass.hatenablog.com%2Fentry%2F2015%2F11%2F13%2F042324
箸の持ち方で人を避けても良いけど
そうなると自分みたいな見た目も悪い、コミュ障、教養もないような人間はその論理で大体の人から避けられる
別にそうする気持ちもわかる。自分みたいなのが話しかけてきたら自分だって嫌だから
だけどそうなるとドンドン人が離れてく、人と関わらないと情報が手に入らない、自分の知ってることしか知ることができない
今思えば就活とかでもそこそこ苦労した。他の人は上手く先輩とか教授とかからやり方や情報を得てたみたいだけど
自分みたいな「橋の使い方が汚い」ような人間には誰も積極的に関わってくれないから自分でやるしかなかった。
まぁそんなのはまだマシで会社に入るとその人格とやらで判断されるみたいだ。
定時で帰ったり、ビールを注がなかったりしたらもうダメ。ダメな奴認定。昇給とはおさらば、クビ候補
(もちろん箸を綺麗に使えないなんて論外だ。「あいつは箸の持ち方がおかしい!問題があるに違いないから出来るだけハブるようにしよう」)
別に自分は彼女とか欲しいとは思わないけど、お金はそこそこほしい。でもそのためには「異性と付き合ったことがない!?問題がある奴だ(ry」とならないようにする必要があるし
箸の持ち方で人を避けても良いけど
そうなると自分みたいな見た目も悪い、コミュ障、教養もないような人間はその論理で大体の人から避けられる
別にそうする気持ちもわかる。自分みたいなのが話しかけてきたら自分だって嫌だから
だけどそうなるとドンドン人が離れてく、人と関わらないと情報が手に入らない、自分の知ってることしか知ることができない
今思えば就活とかでもそこそこ苦労した。他の人は上手く先輩とか教授とかからやり方や情報を得てたみたいだけど
自分みたいな「ドローンの使い方が汚い」ような人間には誰も積極的に関わってくれないから自分でやるしかなかった。
まぁそんなのはまだマシで会社に入るとその人格とやらで判断されるみたいだ。
定時で帰ったり、ミサイルを撃たなかったりしたらもうダメ。ダメな奴認定。昇給とはおさらば、クビ候補
(もちろん箸を綺麗に使えないなんて論外だ。「あいつは箸の持ち方がおかしい!問題があるに違いないから出来るだけハブるようにしよう」)
別に自分は彼女とか欲しいとは思わないけど、お金はそこそこほしい。でもそのためには「異性と付き合ったことがない!?問題がある異教徒だ(ry」とならないようにする必要があるし
箸の持ち方で人を避けても良いけど
そうなると自分みたいな見た目も悪い、コミュ障、教養もないような人間はその論理で大体の人から避けられる
別にそうする気持ちもわかる。自分みたいなのが話しかけてきたら自分だって嫌だから
だけどそうなるとドンドン人が離れてく、人と関わらないと情報が手に入らない、自分の知ってることしか知ることができない
今思えば就活とかでもそこそこ苦労した。他の人は上手く先輩とか教授とかからやり方や情報を得てたみたいだけど
自分みたいな「橋の使い方が汚い」ような人間には誰も積極的に関わってくれないから自分でやるしかなかった。
まぁそんなのはまだマシで会社に入るとその人格とやらで判断されるみたいだ。
定時で帰ったり、ビールを注がなかったりしたらもうダメ。ダメな奴認定。昇給とはおさらば、クビ候補
(もちろん箸を綺麗に使えないなんて論外だ。「あいつは箸の持ち方がおかしい!問題があるに違いないから出来るだけハブるようにしよう」)
別に自分は彼女とか欲しいとは思わないけど、お金はそこそこほしい。でもそのためには「異性と付き合ったことがない!?問題がある奴だ(ry」とならないようにする必要があるし
箸の持ち方で人を避けても良いけど
そうなると自分みたいな見た目も悪い、コミュ障、教養もないような人間はその論理で大体の人から避けられる
別にそうする気持ちもわかる。自分みたいなのが話しかけてきたら自分だって嫌だから
だけどそうなるとドンドン人が離れてく、人と関わらないと情報が手に入らない、自分の知ってることしか知ることができない
今思えば就活とかでもそこそこ苦労した。他の人は上手く先輩とか教授とかからやり方や情報を得てたみたいだけど
自分みたいな「橋の使い方が汚い」ような人間には誰も積極的に関わってくれないから自分でやるしかなかった。
まぁそんなのはまだマシで会社に入るとその人格とやらで判断されるみたいだ。
定時で帰ったり、ビールを注がなかったりしたらもうダメ。ダメな奴認定。昇給とはおさらば、クビ候補
(もちろん箸を綺麗に使えないなんて論外だ。「あいつは箸の持ち方がおかしい!問題があるに違いないから出来るだけハブるようにしよう」)
別に自分は彼女とか欲しいとは思わないけど、お金はそこそこほしい。でもそのためには「異性と付き合ったことがない!?問題がある奴だ(ry」とならないようにする必要があるし
「教育実習」
教職課程を取っている人なら誰しもが行くであろう最後の難関とも言える4週間ほどの実習。勿論本気で教員を目指している人も、そうでない人もいるが、とりあえず皆単位認定と免許取得のためにこの実習を行う。
僕もその1人で、特に教員になるつもりはなく、就活をしていたが3年間の自分の努力を水の泡にするのも癪だったのでとりあえず免許だけは...と思い、母校へ実習に。勿論、こんな半端な思いではいけないと分かっていたので、せめて実習期間だけは本気で教員を目指している人を演じようとした。自分は教職課程で嫌という程困難な単位も取得してきた経験から、大抵の事はそれなりに出来るだろうと踏んでいた。
しかし、大きな誤算があった。
友達は少ない方で、あまり口数も多くない。少人数を好み、内気で外に出ていくような性格ではない。こんなやつが教育実習を行おうとしていたなんて今思うと笑い話である。
僕の他にも何人か教育実習生はいた。実習期間中は控え室で他の実習生と過ごす時間が多くなるのは当たり前のことだが、僕はそれがとても苦痛だった。
先にも言った通り、内向的で人見知りな性格なので「知らない人」がいる空間というのはいささか居心地が悪いのだ。しかも、4週間は同じ人と顔を合わせないといけないし、嫌でも一緒にいなければならない。
この性格で馴染むことはできず、実習生とは距離を置いて生活していた。
大人なんだから、それくらいどうにかしろよ!とも思われるかもしれないが、性格面の問題は自分が苦痛を受けて皆と平穏に過ごすか、自分がストレスフリーで皆と距離を置くかの2択しか無かった。僕は勿論後者を選んでしまった。
教育実習生活は想像を遥かに凌駕する程の過酷なものであった。定時に退社するという概念はなく、朝がとても早いのに夜は遅くまで残って指導案を書いたり、教材研究をしたり、雑務をこなしたり...とにかく今までぬるま湯生活を送ってきた僕には宛ら監獄生活のように思えた。
やっと来た休日でさえも疲れて動けない。どこかに行こうという気力も、何かをしようという意欲も湧いてこなかった。
そんな中で唯一の救いだったのは指導教員の緩さだった。他の実習生を見ると、指導教員に怒られ、やる気はあるのか?と捲し立てられる人もいたくらいだから僕はとても恵まれていた方だと思っていた。
しかし、それは違った。
指導教員が緩かったのは、ただ単に僕に無関心だったからだ。好意も悪意もない、何の感情もない。指導案も授業計画も全て何の意見もせずに一言「良いんじゃない、それでお願いします」とだけ。
無関心な事を後押しするエピソードとして、初日に僕が実習生として指導教員のクラスに着くことを生徒に言い忘れ、最終日も今日で実習生は終わりということを生徒に告げてはいなかった。
他にやることがたくさんあるのは承知していたし、自分の仕事にプラスして実習生を請け負う(負担を増やす)という事も分かっていたけれど、他の実習生は怒られてでも関心を持たれて指導をされていたのが羨ましいと思った。
そして何故か教壇実習(授業を行うこと)は、意外と何の問題もなくこなせた。
人見知りなので人前に出る事が苦痛だったし、30人もの生徒を前に緊張で何も喋れなかったらどうしよう...等と考えていた自分がアホらしく思えたくらいには堂々とした態度で臨むことができた。
指導教員以外の先生方のご指導を頂いて、大変実になる経験であったと感じたし、自分の潜在能力にも驚かされた。ひとつ言えるのは、性格面に問題があろうと、担当科目に対する幅広い知識や教養を身につけていればそれを口頭説明する感じで乗り越えられるという事だ。
どうかこれを見たor見ている人見知りで内向的な教育実習を控えた人に少しでも勇気を与えたいと思って僕はこの記事を書いている。なので、似たような境遇の人がどんな目に遭ったのか最後まで見ていてもらえると嬉しいです。
授業を重ねていくうちに、必然的にクラスの生徒とも喋るようになった。人見知りだが、相手から話されればある程度は話せるし、どちらかと言うと自分で話を振るのは苦手なのでどんどん話すタイプの人とは相性がいい。聞き手に回るのは得意だったので、生徒の色々な話を聞いたりしてとても懐かしい気持ちになったり、楽しくなった。
危惧していたクラスの生徒との関係性もまあまあ良好、と言ったところであった。
そして早く終わってくれ、と思った教育実習もあっという間に1ヶ月が経ち、最終日を迎えた。
僕は教育実習生とはあまり仲良くは出来なかったが、そこそこな関係は築けたのではないかと思った。しかし、特にこれといって仲良くはないので教育実習後のお疲れ会と称した飲み会には不参加でお願いした。面白いのが実習生で断ったのは僕ただ1人という事だ。皆この1ヶ月でとても仲良くなっていて驚いた。
そして最終日の最後のホームルームを迎え、僕はいつも通りにホームルームをした。しかし、クラスのみんなにプレゼントがあったので、ホームルームを早めに引き上げ、お菓子を配った。その中に手紙も入れた。自分なりに話した生徒の特徴を書いて、30人それぞれに違うメッセージを送った。生徒たちが喜んでいる姿を見て自分も嬉しくなった。
しかし、最終日に「今日で最後」という認識は生徒になく、皆驚いた顔でこちらを見ていた。
ホームルームが終わったあとで何人かの生徒は駆け寄ってきてこう言った。
どの言葉も嬉しかった。自分にとってはそれだけで満足であった。30人いる中でたった一人でも、少人数であろうと、自分のことをそういう風に思ってくれる生徒の存在というのは何よりも大きかった。
しかし、控え室に戻ると他の実習生は大号泣。花束を抱え、もう一方の手には色紙を持っていた。自分はまたそれを見て羨ましく思った。
色紙や花束を貰いに実習をしに行った訳では無い。勿論それらは気持ちであるし、指導教員の計らいでもある。
という事を考えると、指導教員はやはり自分に無関心で何の感情もなく、自分を惨めな思いにさせたと感じて一気に敬いの気持ちが消えた。自分勝手な考えなのは百も承知だが、普通に最終日の予告もなし、何も用意せずただ「実習お疲れ様でした」の一言だけはさすがに1ヶ月耐えた自分には辛いものがあった。しかも指導教員に菓子折り(渡すべきものと大学側から言われていた)を渡すと「これあんまり好きじゃないんだよなー、まあ、誰かにあげますわ(笑)」と冗談ぽく笑っていたが、自分の心はこの態度に酷く傷つけられた。
唯一の救いは何人かの生徒はノートの端切れに「ありがとう」や「楽しかった」などのコメントを書いてくれたものを渡してきてくれたことだ。最後と知らなかったので、ほんの気持ちでしかない贈り物だったが、自分には一生の宝物となった。
と同時に一生こんな人にはなるまい、と指導教員を反面教師として生きていこうとも思った。
実は書類の不備で実習を終えた母校にもう一度足を運ばなければならないのだが、その際にまたあの指導教員と合うと思うと憂鬱で仕方ない。
実習を終えることはできても、かなり自分の心身を酷使したイベントであった。
どうかこれから実習に行く人は気負わずに気楽に行って欲しい。指導教員との相性が悪くとも、性格に難アリで厳しそうでも、始まってしまえば終わりが来る。
人間的な深みや教養を身に着けた結果、匿名で自分には全く関係の無い他人の趣味をdisるような人間になるくらいなら、自分の好きなことだけ享受して、他人の趣味に無関心なアニオタの方がマシ。
オタク趣味は一般的になったんじゃなくて、誰からもその弊害を忠告してもらえなくなったんだと思う。読書、バーベキュー、楽器、フットサル、語学、その他習い事のほうが人生を豊かにすると教えてくれる人がいなくなったのよ。オタクは大企業にとって一番騙しやすいカモだから。— Moritsugu Keiko 森次慶子 (@W_Fei_hung) 2019年6月15日
そうそう!
これなんだよなぁ。久々に膝を打った。アニオタってぜーんぶ受動的なのよ。
食い終われば「次のアニメまだですかー?」ってな具合。
お口をあんぐり開けてパクパクする小鳥のようだ。みっともないったらない。
こんなことの繰り返しで五年・十年経っても人間的な深みや教養なんて育まれるわけがないだろう。
類は友を呼ぶで周囲も白痴みたいな奴が増えていくんだけど、その異常さに気付く社会性が身に付かない。
で、これに対する反論で間違いなく来るのは「同人活動は能動的だろ!」というやつね。
題材になるアニメが違うだけで毎回同じことやってるだけでしょう。
以上。