はてなキーワード: 教養とは
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教養や社会情勢も知っておいたほうが良いし、流行りの漫画やアニメを見ておいたほうが楽しめる
ミームも知っていた方が良い
日本の学校教育は一通り、良い面も悪い面も経験しておいたほうが良い
歴史も科学も武器の知識も笑いの理解も色恋や萌えも大体知っておいたほうが良い
その上でキャラクターの心情を、絵や言葉や表現から読み解くスキルが必要だ
っていうようなことを、読者に強く要求しないあたりが好きだ
お高くとまろうとしない、むしろお高く止まろうとすると好意的に受け取られないか、そもそもニッチになる
これまで多くの媒体がお高く止まろうとして、衰退していった
漫画もひょっとしたらいずれそうなるかもしれないが、今はまだそうなっていない
漫画やアニメ、ゲームのようなものは、「子供向けだから」で下に見られてきた時代があったが
「それは違う、難しいのは表現者の落ち度だ」と言ってやりたいんだ
アマプラとかネトフリのサービスが始まって、つい見てしまうような感じで映画をみはじめた。
ヒーロー映画は教養になっていて、元ネタを知らないと楽しめないとか分からない事が増えた。
名探偵ピカチュウがライアン・レイノルズに決まった時も
みんな「デップ―」と騒いでいたけどデップ―って何なのか分からなかった。今でもよくわかってない。
いざ見てみようと思ったのだけど、ヒーローもの映画多すぎてどれを見ていいのか分からない。
サンサ・スタークが出てる新しいX-MENが面白そうだから、X-MENか?
スパイダーマンか?
アイアンマンか?
アクアマンは仲間?
調べれば調べるほど見る物が多くて萎える。
河野 真太郎氏の私が一橋大学の教員を辞めた理由〜国立大に翻弄された苦しい日々
これが分断統治であるということの意味は、「教養対専門」の対立は、「大学改革」を押し進めるための人為的な対立だ、ということである
これは事実に反すると思う。「教養対専門」の対立は「大学改革」を押し進めるための人為的なものではなく、新制大学発足当初からある構造的なものである。そして、大学設置基準の大綱化を奇貨として大学側が旧教養部を解体したことで、むしろその対立が緩和されたと考えられる。
例えば、平成10年の大学審議会の議事録に以下の認識が残されている。
△ 教養部再編の時に各大学が積極的になったのは、教官グループ内の差別がなくなるということがインセンティブになったから。これから、大学院専任と学部専任という仕分けができてくるとすると、教養部の時に一度解決しているのに新たな差別を持ち込むこととなり、非常に強い抵抗があると思う。
また、旧教養部の成立から解体までを詳しく分析した第3章 教養部の形成と解体 一教員の配属の視点から 吉田文は、大綱化の背景を以下のように要約している。
P.61
一般教育に関わる規定が大学設置基準から消えた背後には、一般教育そのものに対する大学内外からの批判や不要論よりもむしろ、一般教育のみを担当する教員やその所属組織の存在に対する大学教員自身の卑下と格差解消の願望の歴史があったといってよいだろう。
もちろん河野氏も「とはいえ、大綱化によって、それまで存在しなかった教養対専門の分断・対立が生まれたという話ではない。その対立はずっとあった」と述べてはいるが、ではその対立とは一体どんなものだったのか。
P.65
民主化の旗手のようにいわれて新制大学に導入された一般教育であるが、専門教育しか行ってこなかったうえに、新制度下の組織編成も専門教育を行う学部が中心であった旧制度下の大学には、一般教育の根付く場がなかったのだといってよい。新制のもとでの教育がスタートしてわずか数年のうちに一般教育の座りごこちの悪さは、どのようなタイプの大学にとっても問題となって、それぞれの方式で解決策を見出そうとした。
で、一般教育の座りごこちの悪さはどのようなものだったかというと、
P.66
こうした(引用者注:教養部を法制化して学部と格差を埋める)要望が出されるに至った背景には、教養部が劣悪な教育・環境条件におかれていたことがある。名古屋大学の場合では「学部だと・・・文科系で教授三十二万五千円、助教授が十七万円。・・・理科系になると教授百二十三万円、」助教授でさえ七十五万円になる。それが、教養部となると、教授でも文科系が十三万五千円、理科系四十四万七千円。とても学部助教授諸君の足元にもよれない。」(名古屋大学、1989、p. 250)といった状況が記されている。こうした物質的な条件格差に加えて、「ごく最近のことだ。全学教授が顔をそろえた席上で『大学ではねぇー、こんな風にやっとるんだが、教養のはどうだね』と、・・・教養部の教授たちは、さぞくちびるをかみしめたことだろう」(名古屋大学、1989, p. 251)というような、条件格差を身分格差とみなすような日常が教員間には醸成されていたようだ。
このように、大綱化のはるか前から深刻な「教養対専門」の格差と対立が存在したのである。上記の名古屋大のエピソードは1950年代後半から60年代初頭の間のものと思われるが、そのエピソードをわざわざ1989年発行の大学史に載せるぐらいだから、大綱化直前の大学内の空気を推して知るべきだろう。そして、大綱化によってカリキュラム編成の裁量拡大が大学側に与えられ、このような格差を是正するために旧教養部を解体することを大学教員側が決断したのである。
ツイッター上には大学設置基準の大綱化によって旧文部省が大学の教養教育を破壊した、という言説が蔓延っている。しかし、教養教育を破壊したのは1990年代の当の大学教員側である。「教養対専門」対立に関する河野氏の主張も含めて、これらは大綱化を巡る歴史修正主義ではないか。
いや、マジレスしておくと、そういう言葉は読書しない一般の人はあまり知らなかったりして通じないし、知ってる人からすればあまりにも陳腐なテンプレ表現なのでわざわざ使うのはセンスがないなあという感じなのよ。だから単純に親切心からアドバイスしたんだけど……
オタクは文章の硬さとか周りの語彙とのバランスとか気にしないで知ってる言葉を軽く使うんだけど、そういうのは教養がない人間のすることなんだよ。雑学としての知識はあるのかもしれないけど。もっと総合的な知性を養いましょうってこと。
きみはラノベとかでその軽い文体には全然適切ではない難読語や難しい熟語や古い言葉がいきなり出てきたとしても批判しないで読んじゃうタイプなんだろうね。普通は「バカじゃねえの」って思うところなんだけど。そういうのは作家のレベルの低さを物語ってしまうんだよ。こういったことはわかる人にはわかってる。あまりにも程度の低い話なのでまともな人は表立ってわざわざ批判しないけど。
育休とかやる余力がある会社がやってるだけだよな。
結局、裕福な家庭で育った健康で能力もあるやつが恩恵を受けてるだけ。
貧乏な家庭のやつは中小の余力のない昭和体質の企業で違法残業とパワハラ、セクハラのまま惨めに働くしかない。
労基に言うにもそういう考えを持ってねえんだもん。富裕層のホワイト企業勤務者なんて知らねえもんな。知っててもお上の話くらいにしか思えないんだろう。
それから迷惑なおじさんとかうるさいおばさんとかも、格差の系譜。家が教養がないからな。そういう考えがない。
結局お前らが叩いて気持ちよくなってるのは、貧しい生活をずっと続けてる貧困層を叩いて気持ちよくなってるだけ。
不思議な事にそういう叩きを行う。奴は貧乏とか関係ない。まぁそいつらにとっては自分は正義漢だからな。
僕は恵まれた環境で育ってきたと思う。幼稚園に始まり在学中の大学に至るまで、海外暮らしをしていた時期でも全て私立で過ごしてきた。
いわば無菌室のような環境で育ってきたが、小→中、中→高と上がると当然自分より貧しい出自の友人ができる。しかし中高は月に1万くらいしか渡されないし、金銭感覚は露骨には出てこない。しかしこれが大学に上がると話は別だ。実家暮らしで親からある程度小遣いとして支給を受け、さらにバイトも人並みにはしているのもあって他人より使えるお金の量は多いと思う。だがしかし、大学で上京してきた連中、勉強しかしてこなかった教養などの方面で貧しい人間の金の使い方の「質」はとことん自分とは合わない。
例えば、美味しい料理・酒を楽しむための5000円よりも安酒と不味い冷凍食品のような料理の飲み会2回で5000円を使うのを良しとする。はっきりいって何がいいのかわからない。酒をただの酔うための道具としか見ていないのではないだろうか?そんな連中が女をステータスとして見ることを批判すると笑えてくる。女をステータスとして見るゴミと酒を酔うために飲んでゲロってるアホ、何が違うのか?
それはさておいても、彼らには教養やマナーというものがないと思う。教養がないのは都内で育った自分と、まともな美術館やコンサートホールなどがない田舎で育ったガリ勉じゃ仕方ないのかもしれないが…そういえば以前どこかのブログだかで都内と田舎の文化面での格差について詳しく論述されていた気がする。まあ教養は仕方ないにしろ、食事マナーすらろくにできないのは人としてどうなのか?片膝立てたり肘をついたり犬食い、フォークとナイフがまともに使えない。私立トップ大学に入ってこんなやばい奴らに囲まれると思わなかったよ。本当に人としてどうなの?彼女がいるやつらは食べ方の汚さで彼女に振られてほしいし、いないやつは一生モテなくても構わないと思う。
はっきり言って自分はそのような育ちが悪そうな人間と関わりたくもないが、社会に出るとさらにやばいカスが山ほどいると考えると鬱だ。