はてなキーワード: 太陽系とは
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/256321
以下の文を読みなさい。
上記の文に書かれたことが正しいとき、以下の文に書かれたことは正しいか。
ちなみに私もそう思った捻くれたますだーです。
それは「エルブルス山」についての情報が無いことが原因でしょう(ロシアの山ですって奥さん)。
例えば「エルブルス山」ではなくこんな特殊な山だったらどうでしょうか?
(a)『サガルマータはエベレストより低い。』→ 「サガルマータ」はネパールでのエベレストの呼び名。同じ山を指すわけですから「まちがっている」になります。
(b)『オリンポス山はエベレストより低い。』→ 「オリンポス山」はギリシャの山...ではなく火星にある太陽系最大の山。ですからこれも「まちがっている」になります。
「エルブルス山」についての情報を持ち合わせていないため、これらのような特殊な可能性を考えてしまうのです。
さて、こうした人でもすんなり答えられる問題にするには、どうしたら良いのでしょうか?
『エルブルス山はエベレストより低い。』→ 『ロシアのエルブルス山はエベレストより低い。』
エベレストの位置を把握しているのならこれだけで(a)の別名説も選択肢から外せますが、そうでない場合も考慮し最初の文も変更しましょう。
『エベレストは世界で最も高い山である。』→『中国とチベットにまたがるエベレストは世界で最も高い山である。』
これならば疑り深い人でも大丈夫ではないでしょうか?
以下の文を読みなさい。
上記の文に書かれたことが正しいとき、以下の文に書かれたことは正しいか。
たぶんそのような人はこんなに疑り深くないので大丈夫です!
あるサービスでフォトブックを作ってみたんだけど、注文後に送られてきたメールに記載されていたURLをログインしてないはずのスマホから見たはずなのに、名前や住所が表示されて、「え、これやばくね?」って思ったけど、詳しい人から見たらどうなのこれ?
URLを見る限り、ローマ字の大文字小文字16文字で注文確認ページURLを生成していて、ログイン関係なしに見られるからURLがわかれば誰でも名前と住所が見られる状態。
今時、総当たりでやったらそう難なく利用者の名前と住所を割り出せるもんじゃないの?
確かに桁数的には小さな宇宙くらいになるんだろうけど、ボイジャー2号は最近太陽系を脱出したし小さな宇宙くらい手の届く所じゃん。
って思った。
とりあえず、運営元に言っても大した対応しなさそうだし、「こいつこんな写真でフォトブック作ってんのかよ、お前の名前と住所なんて誰も興味ねーよ。」って思われるのは嫌なので聞いてみました。
ここ十年くらいで火星人の社会進出などで職場に火星人が増えたが、あいつらのきなみ「自分の都合」しか考えない
独身火星人、しかもアラ五光年以上になると、「この星を辞めると自分は生きていけない」という気持ちがあるのか甘えたことは言わないんだが、「嫌になったら辞めればいいや地球人の稼ぎがあるし」という
甘えがある既婚はマジでクソ
なんか口から卵出す段階になってから言うなよ。生殖できるって分かってたら来期の人員配置を考えることができるのにおせーんだよ
部署に一人増員することになって、増員される理由も説明して、てめえの仕事も説明したのに、一年もしないうちに「地球人と結婚するから辞めます。一緒に星、滅ぼすつもりでした」とか。しかも「もともと地球とかに興味なかったし」
だったら地球来たときに言えよ。だったら他のサイヤ人配属させたわ。
ほんとこんなんばっか!
てめえはそれでいいかもしれないが、「なんでそういうことを半年前に言わないわけ?決まってたんだろ?」ってのマジ多過ぎ。
この星を滅亡させる可能性もあるかもしれないので、と事前に言ってくれる。自分の星なのに。
転勤の話が出る前に、「実は星の調子がXXなので転勤辞令出てもいけないかもしれないのでお伝えしておきます」等言ってくれる。
巻き添え食らって突然太陽系から外されたさせられた冥王星とかマジかわいそう。
承認欲求がちょっと強めに出たせいでなんだか怪しげなタイトルになったが、残念ながらそんなに波乱万丈な人生を送ってきたわけではない。これは特に何を訴えようというでもなく、しかし書きたい気持ちがあり、それに際して家族以外に自分の名前を出して伝えることについて自分の中で非常に大きな抵抗があるため、匿名で書くものである。ぼくはといえば、普通に公立の小中高校と通い、ふつうに私立文系学部に進学し、うっかり留年などするもののボンボンクラクラとしてのうのうと生き延びている。経済的な不自由もなかったし、就職活動で不利になることもなかった。
しかし家のリビングには立派に新興宗教のエライ人の格言が額に入れて飾ってあったことも確かだし、実家に帰省してみても父は毎週教会に通っている。具体的にどの程度信心しているのかはよくわからないが、おじいちゃんおばあちゃんばかりの信徒のなかで若手(もう還暦が近いが、若手である)として教団支部の運営にはそこそこ尽力しているようである。
これを書いてしまうとおそらくもうどの宗教かは特定できるが、父の実家の宗教は江戸時代末期にできた神道の一派であるらしく、新興といえどそこそこ歴史はある。宗教の名を冠した教育機関もいくつかあり、そういえばいつかの甲子園にもでていた気がする。
子供の頃はよく教会に連れて行かれた。僕と同じくらい年齢の子供が数人おり、両親やおじいちゃんおばあちゃんが先生のありがたいお説教を聴いている間、僕はゲームを買ってもらえない子供だったので他の子がゲームをしている様子をずっと眺めていた記憶がある。たまにお菓子をもらえたりもした。当然お説教は一言も聴いていないので現在に至るまで全く信心する気持ちはない。大変な親不孝者である。
「普通のこどもは教会に行かない」ということを知ったのは小学3年生のときだった。当時気の迷いで野球のスポーツ少年団に入っていた僕は、あんまり土日の練習が嫌になったので「明日は教会に行くので練習を休みます」とコーチに言った。周りの目が一気に怪訝そうになったのを覚えているし、言ってしまった直後自分自身も「どうやらこれは間違ったことを言ってしまったらしいぞ」ということをすぐ認識したので、それ以来人前で教会の話はひとこともしていない。おかげで土日に遊べない理由を適当に捏造するのがうまくなったものである。
地下鉄サリン事件というのが生まれる少し前にあったらしい、ということを知った時、どうやら自分は少し言動に気を遣わねばならないらしい、と思った。ネットで噂になっているエホバの証人や某学会の信者による迷惑行為が、日本における「新興宗教」のイメージであり、先述したように信仰心のほとんどない僕も「宗教」ときくとやっぱりちょっときな臭い言葉であるように思ってしまうところがある。ところが同時に僕は新興宗教の当事者であるとも言える立場なので、あんまり無邪気な感じにもなっていられないのだ。
ニューヨークに突っ込んだ飛行機の映像を見て宗教が歴史のいたるところで戦争を起こしてきたということを知った時にも、子供心に教会の中に入り込んでいってしまってはいけないのかも、と思った。科学の子であった僕は、やっぱり母の言う「天国で死んだおじいちゃんが見守っている」だとか、神様を信じれば助けてくれる、ということに「ウッソだぁ〜」という気持ちを持っていた。お空の星は核融合炉であり、太陽系があり、銀河があり、宇宙はインフレーションとビッグバンから生まれていた。神の祟りよりプレート・テクトニクスや隕石のほうが怖かった。
ところで、僕はカトリックの教会にも行ったことがある。祖母がカトリックだったので、クリスマスの礼拝に連れて行かれたのだ。洗礼は受けていないので、目の前で配られるパンとワインをただただ眺めるばかりであった。眼の前の人がワインを飲むなり激しく咳き込みトイレに走っていったのを覚えている。たいへん敬虔な信者であったのだろう。僕は激しい修行はおろか正座でありがたいお説教を聴いて足を痺れさせたことすらないので苦しみをもって神に尊敬の念を示すということを全くしたことはないが、もしかしたらそれが心の支えになって、拠り所になって、日々を生きることができている人もいるのかもしれないと思う。なお家には未だに聖書がある。
母は教育の人である。教育を学び仕事にするプロフェッショナルである。親は誰しも自分の子供には人生における様々の試練に負けず強く生きてほしいと願うものであると思うが、カトリックの祖母の影響でミッション系の学校に行っていたこともあるのだろう、心の何処かで神を信じるように幼少期の僕に教えてきたように思う。神は想像を絶する試練を課せられた人々の心をたびたび救ってきたからだ。新興宗教の教会のあんまりにもつまらないお説教のせいで全く僕に信仰心が芽生えることはなかったが、大学で宗教学の授業をとってみたりした今になって、「宗教ってこういう役割があったわけだね」という話をすることがある。流石に現代に生まれて中世のように「本当に」神を信じることはないが、しかし母は未だに「でもなんだか、どこかで信じている」というようなことを言う。
僕はお寺や神社を見て回るのが結構好きで、今年の夏も(オタクの聖地巡礼を兼ねて)下鴨神社に行ったりしている。猛暑の京都盆地の中、糺の森の木々が直射日光を遮り、薄暗くなっている参道はアホほど暑かった。今年は割と苦労した就職活動がどうにかうまく行ったため、賽銭箱に五円玉を投げ「いいご縁がありました、神様ありがとうございます」とお礼を言ってきた。下鴨神社の神様も「縁結びってお前そういうことじゃねえよ馬鹿野郎」とお怒りのことと思う。
順序の起源
天動説での太陽系モデルでは、七曜は、地球から見た角速度が速いものほど地球に近く、月・水星・金星・太陽・火星・木星・土星の順に並んでいると考えた。しかし、曜日の順序は、この順番またはその逆というわけではなく、2つおき(3つめごと)に遡っている。
元来、七曜は、1曜が1日ではなく1時間ごとに地上を守護すると考えられた。これがプラネタリーアワーである。プラネタリーアワーの順序は、地球から最も遠い土星に始まり、内側へと進む。きっかり24時間後、すなわち翌日の第一時間目の守護星は、3つ前(あるいは4つ後)の太陽となる。
以下、順に土星、太陽、月、火星、水星、木星、金星、そしてまた土星が各日の第一時間目の守護星になる。第一時間目の守護星は、同時にその日一日の守護星ともされ、その日は守護星の名をもって呼ばれるようになった。こうして、現在の曜日の順が決まった。
パラレルワールドが無数に存在すればタイムトラベルして歴史改変したところでほとんど意味ないっていうか
はじまり
1,2
1,2,3,4
1,2,3,4,5,6…∞
1,2,3,4,5,6…∞
1,2,3,4,5,6…∞←NOW
1,2,3,4,5,6…∞
1,2
おわり
左と右の分かれ道で俺は右を選んだとする。
俺という意識は右と左の選択の選んだ後の方しか認識できないわけだ。
隣の世界では左を選んだ俺がいるのに、今は右を選んだ俺が俺なのだ。
左俺と右俺の違いは実感として右俺の意識は右俺としてしか自認できないってことだ。
左俺は左俺として意識をもって実感してるが、右俺は右俺としてしか意識を持てない。
結果として分割され続けた末の意識が一本筋になってるだけで
実際は認識できないが無限に自分の意識が複製されて割り当てられてるってことになる。
ということは俺は左と右を選択したように思えて、実際はどちらも選択してなかったことになる。
なぜなら分かれ道に差し掛かった時点で、既に左俺と右俺に分岐されるだけであり、
また、選ばなかったなら選ばない俺も複製され、
3人の俺に「俺は選択した」という結果と意識をトッピングしただけになる。
俺のたどる未来は不確かで自由意志に選択権があるという尊厳を取り戻せる。
しかし無限の平行宇宙があり、起きうる分岐すべてに対応した宇宙が存在し、
だから宇宙が成長し、太陽系ができて、地球ができて、生命ができて、人間ができて、俺がいるというおよそ0というしかない奇跡が起きている、
という話に納得感が出てくる。
無限回のサイコロを振っているのだから、どれだけ確率が低くても1回は当たるわけだ。
しかし、それだと起きうるあらゆる現象に対して世界が存在しているということは、
世界そのものに唯一性がなくなり、とりわけて素晴らしいものでもなく、
単に用意された無限のレールを走る無限のトロッコにのった無限の自分が「俺は実感として俺である」というマインドコントロールを受けているに過ぎない。
ヒロたちは、オトナの指示に従って叫竜と戦ってきたが、
そして、叫竜こそが地球の古代人で、その侵略者と戦うために姿を変えた生き物だった。
ヒロたちは叫竜と共に協力し、侵略者を退治するために宇宙へ出発した。
太陽系近辺に居た侵略者を全て倒すことができたが、侵略者の母星は遠い銀河の果てにある。
ヒロとゼロツーのフランクスだけが、ワープ航路でその母星に行けるので、
2人だけで母星に向かった。
ヒロとゼロツーは、最終的に侵略者の母星の破壊に成功するが、亡くなってしまう。
侵略者は精神生命体なので、母星が無くなったのちも、宇宙を漂流して生き延びたらしい。
その期間ってかアニメって基本的にエポックメイキング同士の間ってあまり語られんよ。ヤマトとガンダムの間とか、ガンダムと攻殻機動隊の間とか、攻殻機動隊とエヴァの間とか。で、エヴァの次にエポックを作ったのがハルヒだったってこと。
んで、エヴァ(95)とハルヒ(06)の間に何があったかっていうと色々あって、
とか。
個人的に思い入れが深いのが少女革命ウテナ、カウボーイビバップ、スクライド、カレイドスター。
少女革命ウテナは男装少女が奇妙な学園で戦う話なんだけど、人の心の暗いところをぐりぐりえぐる話。今でも熱狂的なファンがいる。
カウボーイビバップは太陽系を舞台にしたSF×マフィアもの。良質な洋画みたいで話も絵も超ハイクオリティ。
スクライドはなんていうか考えるより感じろ的な熱血アニメ。とにかく見てみろ。
カレイドスターは土曜日朝の女児向けアニメなんだけど、そのまっすぐさが眩しいスポ根話。
ハルヒ以前に何もなかったと思うってことは相当若いんだろうけど、エヴァ以前も相当面白いアニメが山盛りなので、ぜひ色々観てみてほしい。