パラレルワールドが無数に存在すればタイムトラベルして歴史改変したところでほとんど意味ないっていうか
はじまり
1,2
1,2,3,4
1,2,3,4,5,6…∞
1,2,3,4,5,6…∞
1,2,3,4,5,6…∞←NOW
1,2,3,4,5,6…∞
1,2
おわり
左と右の分かれ道で俺は右を選んだとする。
俺という意識は右と左の選択の選んだ後の方しか認識できないわけだ。
隣の世界では左を選んだ俺がいるのに、今は右を選んだ俺が俺なのだ。
左俺と右俺の違いは実感として右俺の意識は右俺としてしか自認できないってことだ。
左俺は左俺として意識をもって実感してるが、右俺は右俺としてしか意識を持てない。
結果として分割され続けた末の意識が一本筋になってるだけで
実際は認識できないが無限に自分の意識が複製されて割り当てられてるってことになる。
ということは俺は左と右を選択したように思えて、実際はどちらも選択してなかったことになる。
なぜなら分かれ道に差し掛かった時点で、既に左俺と右俺に分岐されるだけであり、
また、選ばなかったなら選ばない俺も複製され、
3人の俺に「俺は選択した」という結果と意識をトッピングしただけになる。
俺のたどる未来は不確かで自由意志に選択権があるという尊厳を取り戻せる。
しかし無限の平行宇宙があり、起きうる分岐すべてに対応した宇宙が存在し、
だから宇宙が成長し、太陽系ができて、地球ができて、生命ができて、人間ができて、俺がいるというおよそ0というしかない奇跡が起きている、
という話に納得感が出てくる。
無限回のサイコロを振っているのだから、どれだけ確率が低くても1回は当たるわけだ。
しかし、それだと起きうるあらゆる現象に対して世界が存在しているということは、
世界そのものに唯一性がなくなり、とりわけて素晴らしいものでもなく、
単に用意された無限のレールを走る無限のトロッコにのった無限の自分が「俺は実感として俺である」というマインドコントロールを受けているに過ぎない。
お前の書き方はクソみたいに 分かりにくいが、 無限にある並行宇宙の中で 認知できる唯一のものが、 今の我々がいる宇宙 という解釈は中々面白い デカルトの「我思う故に我あり」 に...
「認知できるものが唯一」っていうより 人工イクラに赤い色を注射器で差し込むだろ!? それが「自意識」! 分岐点に差し掛かるとイクラが複製されるけどそこに差し込む赤い色は、...
その理論だと、デカルトの 「我思う故に我あり」 の域を出ないな。 何故なら、並行宇宙の お前がそれぞれ 同じ意識を持っていたとしても 現在のお前の意識が どうしてこの世界線なの...
自身が生命体として、意識を自覚できるパターンが現在の世界線のみである 人間原理?
だからデカルトの言うことと多世界解釈は矛盾しないってことを俺は言いたかった! 量子力学の観測者と観測体の関係性は観測者自身も含んで考えていないことが多いからそれは違うん...
右折の次は常に左折、左折に次は常に右折する習性を持つダンゴムシは全ダンゴムシが常に同じ宇宙に到達する…? この世界はダンゴムシによって選択された世界だった…!?