はてなキーワード: ボールペンとは
もう40歳近くなるが、学生の頃に開けたピアスの穴が未だに塞がっていない
高校生の頃はクラスのカーストに入っているんだかいないんだか曖昧な目立たない存在だったが
音楽サークルで大学デビューに成功して、すぐに彼女ができたのだった
童貞だった僕は関係をさらに進める方法が分からず、半年近くキスまでの関係が続いた
どうすれば先に進めるのか…
音楽サークルのチャラい先輩を観察すると、耳にピアスが空いていることに気付く
僕は「これだ!」と思った
今思うと何の因果関係もないのだが
自分の耳に彼女が穴を開けることで、より特別な存在になれるような気がした
寒くなってきた12月のある日の夜、彼女と晩御飯の材料をスーパーで買った後
食事が済んだ後、僕は彼女に「耳に穴を開けてくれないか」と頼んだ
次に氷で十分に冷やす
冷えた後は表面を消毒を行い
ようやくピアッサーで穴を開けるのだ
彼女は怖がる素振りを見せながら、いつもより心なしかはしゃいでいたように見えた
自分がつけた印が一生僕に残るのが高揚を誘ったのだろうか
僕もキスする時以上に興奮していた
鏡など使いながら何度も入念に場所を確認した後で、彼女はピアッサーを握り込んだ
カツンッという音と軽い衝撃、麻痺している耳からは何も感じない
上がった吐息にいてもたってもいられず、僕たちはそのまま初めてのセックスをしたのだった
翌日反対側にも穴を開けて、彼女は帰っていった
その後1年ほどで彼女とは別れることとなるのだが
DHCの会長がいうことは理解できる、部落のない地域で育った人は被害にあってないので時代遅れとかいうのは仕方ない。
分けるけど、時代はジェンダーフリーだし、差別を排除する流れになってる。
なので、憎しといえど、日本人全てに通用する内容じゃないから控えるべきだよね。
自分に関しては、子供の頃から親に散々叩き込まれたのもあるが、
僕が小・中学校時代に部落地域の人間にされたことも経験としてあるから、尚更在日に対する意識は高い。
そして普段忘れるようにしているのだがチョン系の話題がでたらどうしても思い出してしまうのである。
①通行料金の徴収として毎日100円払わないと学校に登校できない
②みんなの前で教室のはじからはじまでビンタされた(目があっただけ、力の誇示をしたかった模様)
③文房具をしこたま盗まれた、それが表沙汰になった時親が「子供が文房具を大事にしない」とかって言って学校に文句を行ってくる始末、さすがである。
④万引きの犯罪につきあわされた(捕まりかけたが全力疾走で逃げた、もちろんこちらに取り分などない)
⑦小1の時、かぶと虫の幼虫をなくしたと因縁を付けられ裏山で夕方まで探させられた
⑧中1の時、欲しくもない洋服を1万で無理やり買わされた
⑨学内での盗み(高級ボールペン)を盗んだと濡れ衣を被された上、ホームルームで犯人扱いされる
真犯人を先生へ相談したら隠蔽(野球部の顧問が部員よりでかき消し)、結果クラス内では私が盗んだことにさせられた
⑩5人程度囲まれた状態で、無理やり好きな女の子に告白させられ笑い者にされた
全部、在日にやられた。
だから、DHCの社長の言ってることわかるし、就職氷河期でゴミくそベンチャーに入って低賃金でこき使われてる身だったのに
あいつらは、在日の特権職業でゴミ屋公務員で月40万の職業に就いてた。
ジェンダーフリー良いと思うが、在日の人間が信頼できないのはそういうバックグラウンドがあるからである。
地元に戻った時に見かけたら反吐が出そうになるが、大人な対応を心掛けている。
ちなみに、中学3年の時に、こいつらと縁を切りたいと思い、高校受験で死ぬほど頑張ってやつらが受けれない程度の高校に入学した。
週末なのに早朝から隣の部屋で人の出入りが激しいな、と思いながら寝床の中で物音を聞いていた。もうすぐ8時になるので、燃えるゴミを出さなくてはいけない。外の寒さを考えると出たくないが、今日を逃すと、次の回収日である水曜日まで生ゴミと同居するはめになる。
思い切って服を着て、ゴミ袋を持って外に出ると、隣の部屋のドアが大きく開け放たれており、作業服姿の男性3、4人がさかんに出入りしている。彼らは部屋から出てくるたびに大きく膨らんだゴミ袋を両手に持って、トラックの荷台に勢い良く放り上げる。荷台はもう半分以上ゴミ袋で埋まっている。トラックはもう1台待機している。
ゴミ置き場へ行く途中で隣の部屋を通り過ぎながら中を覗くと、うず高くさまざまなゴミが積もっており、床が見えない。これはだいぶかかりそうだな、という考えが浮かんだが、なにに時間がかかるのか、自分でもよくわかっていなかった。
ゴミを捨てて自室に戻ろうとすると、グレーのスウェットパンツをはいて青い褞袍(どてら)を着た男性が立っている。額の禿げ上がり方に見覚えがある。このアパートで隣の部屋のさらに隣りに住んでいる人だ。いちど挨拶したことがある。
褞袍の人は私の姿を認めると目礼してくるのでこちらも返す。いきおい、立ち止まって2人で作業中の部屋を眺めることになる。
「そういえば、見たことなかったですよ、隣の人」
「おれも見たことなかったけど、たまーに、部屋にいると隣から物音が聞こえてきたことはあったね。それも、いつ聞いたんだったか、思い出せないけど」
「まったく気づかなかったです。その、ええ」
いつどうやって発見されたのか、憶測をひとしきり話してから褞袍の人が部屋に引っ込んだので、私も自室に戻ることにした。途中でまた隣の部屋を覗くと、玄関に続く床が見え始めていた。なにか白いものがフローリングにこびりついて筋になっている。部屋の奥はまだゴミの壁だ。
自室のドアの下に紙切れが落ちている。さっきは落ちていなかった。運搬中のゴミ袋から落ちてこちらへ飛んできたものらしい。
拾い上げるとそれは破れたレポート用紙かなにかで、罫線を無視して一面に黒のボールペンで「バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット」と文字が書いてある。ひとつ大きく「バケット」と書いたところを「X」印で乱暴に消してある。
今日は休みなので、ゆっくりとコーヒーを淹れて、昨日のうちにベーカリーで買っておいたベーコン入りのパンを食べようと思う。が、まったく食欲がないことに気づく。
動揺しているのか、私は。隣で人が死んでいたことに。
そんなに繊細だったのか、私は。そもそも、隣の人がいつ亡くなったか知らないのに、隣室にずっと死体があったかもしれないのに、私は昨日までストロングゼロ500ml缶を飲みながらイカフライを齧り、「網走番外地」をアマプラで観ていたではないか。
死はいつもそこにあることに気づいたぐらいで、なんだというのか。私だって明日には引きこもり、明後日には孤独死しているかもしれないのに。
勤め先のホテルは目に見えて客が減っていた。去年まではさまざまな言葉を話すアジア系の団体客でロビーはいつも賑わっていた。不倫らしいデイユースの中高年カップルも高回転率で出入りしていた。春先にそれらはすべていなくなった。業績が厳しいと経営陣からの便りは来るが、数字は来ない。ほんの少しあったボーナスはなくなった。転職できる人はして辞めていった。
自分もいつか、ここではない、どこかへ行くんだと思いながら、それはどこか、いつかわからない。だから酒に逃げた。
せっかくの週末休みなのに、なぜこんなことを思い出さなくてはならないのか。隣で勝手に死んでいた人間のせいで、なぜ胃の奥に硬いものが居座って吐き気がしているのか。すべてが理不尽な気がしたが、それが誰のせいなのかわからなかったから、部屋を飛び出した。
冬の日差しに川は光っていた。コンクリートで固められた河床に水はほとんどなくて、黄土色の藻が底に揺れていた。通りを走る車の音を聞きながら川面を眺めているうちに少しずつ落ち着いてくる気がした。今日は目が覚めてから何も口にしていないことに気づいた。
川沿いに歩くと、古い木造家屋の蕎麦屋があった。色あせた藍色ののれんをくぐると、そばつゆの匂いがした。熱いたぬきそばでも食べようかと思っていたが、壁に貼ってある品書きに「じゃんぎ丼」があったので頼んだ。
他に客はおらず、丼はすぐに出てきた。湯気を立てる白い飯の上に、タレのかかった唐揚げが載っていた。飯を掻き込むと、思わず涙が出た。それは亡き人の境遇を思って出た涙なのか、自分への哀れみなのか、悔し涙なのか、生きていることそのものに流す涙なのか、わからなかった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.itmedia.co.jp/news/articles/2011/13/news140.html
このブコメで『メールって…せめてフォーム…』が人気の一位になってるけど、なんでこれに星が集まってるんだろう。シャープペンとボールペンを比較しているようなものだと思う。
メールとフォームって完全に別物で、さらに言えばメールは全く悪くないというか、用途によっては最適だと思うんだけどな。
例えば連絡先の実在確認(捨てアドや、表面的な偽装の可能性もあるけど)や、フォーマットをテキストに限定して且つ添付を不可にすれば、かなりセキュリティは堅固なものになるし。
夜、コメダに行った
所用のために外に出て、その帰りの道すがらに寄ったので店内に入ったのは21:00頃になる
年末調整の提出書類や今年も駆け込んだふるさと納税の申請書、生命保険の契約内容確認や積読本などが溜まっていたのでそろそろどこかで片付けたいと思ったからだ。
正直ここのコーヒーは美味しいと思わない。
この時間にあのハイカロリーな食事も摂ろうとはいささか思えない。
ただ自宅では捗らないのは自明であるためどこか作業場所が欲しかった。
ここは地方都市だ、夜遅くまで営業している店の多くは居酒屋かチェーン店になる。
ファミレスはもとより検討外だった、田舎にとってファミレスはその名の通り『ファミリー向けのレストラン』であって、一人で訪れる場所ではない。この時間でも家族連れの顔見知りに会う可能性は充分にある。
だからコメダを選んだ、コメダはこの近辺に何店舗かあるのだけれど、車社会のこの土地で立地と駐車場にやや不便さを感じるこの店は恐らく知り合いと遭遇する可能性は低いと踏んだからだ、とても消極的選択だった。
それでもまだ21時台なので、きっと店内は賑やかなのだろうなと想像していたのだけれど入り口をくぐると店の中は驚くほど静かだった。
店内に客はいるのだけど、タブレットで読書をするサラリーマン、参考書を広げる女子学生、会話もそこそこに眠たそうに寛ぐ部屋着の男女、みな静かに自分の時間を過ごしているようだった。
店の一番奥の2人がけの席に座った、壁を隔てた向こう側ではイヤホンをした女性が何やら書き物をしている。しばらくすると穏やかなそうな女性の店員がお冷を運んで来てくれた。
メニューを開く、前言撤回をして珈琲を飲みたかったのだけど、この時間にそれを飲めばカフェインに弱い私は確実に眠れなくなるのでホットミルクを頼んだ。
以前東京を訪れた際、夜遅くまで営業しているカフェに入ったことがある。薄暗い店内に間接照明、洒落た内装、店内中央に置かれた一枚板のカウンター、ハンドドリップで淹れる珈琲。
ひとり観劇の余韻に浸るには整いすぎた空間だった。珈琲一杯の値段にとても驚いたのだけど、この空間を買ったと思えば決して高くはない。嘘だ、ちょっと格好つけた。伝票の値段を見た時、田舎者の来る場所ではなかったのだと思った。入り口でこの値段を見ていたらきっと私は気後れしてこの店には入れなかっただろう。
とはいえ、こんな場所が地元にもあれば良いのにと都会の街をとても羨ましく思ったのだ。
木の温もりがある内装、程よい固さのソファー、音量を最小限に絞ったBGM、穏やかな店員、手元の良く見える明るい店内、他人に興味を示さず思い思いの時間を楽しむ見知らぬ人々、何もかも完璧だった。ここのドリンクも決して安くはないけれど、あの三茶のカフェに比べれば破格だ。あそこでは深煎りコーヒーを頼んだのだけど、正直味は覚えていない。
しばらくすると注文したドリンクと一緒に小さな袋が小皿に乗って運ばれてきた。セットの豆だと店員は言う。そうだ、コメダは久しぶりで忘れていた。
マグカップの横に置かれたちいさなホスピタリティに少し目頭が熱くなった。思えば最近は仕事に忙殺され一人暮らしの私の生活は荒れていた。こんな心遣いを受けるのは久々だ。この値段でこれ程素晴らしいおもてなしを受けられることに感動した。
豆をつまみながら飲むホットミルクは格別に美味しかった。暖かさを保ったままのマグカップを両手で持ち背もたれに寄りかかる。今私はこの時間を買っているのだと思った。
夜コメダは最高だ、この静かな感動を書き留めたくて机の脇に置かれた紙ナプキンを一枚取り出しボールペンで文字を綴った。こんなことするのは学生以来かもしれない。紙のスペースが足りなくなったので、こんどはここに文章を打った。おかげで雑務は全く捗らなかった。
このまま朝までここにいたいのだけど閉店時間が近づいてきたので会計を済ませ店を後にした。
店の外にでると冷たい風が肌を撫でた
大きく息を吸った。静かだ、完璧すぎる夜だ。
暗闇の中で少し寂しそうな車が私を待っていた。
どこに停めたかすっかり忘れていた、私は真逆の方向に向かおうとしていたらしい。
なんてことを考えながら車の待つ方へ私は踵を返すのだった。