はてなキーワード: ネクラとは
尾崎だの山田かまちだ、長渕の言ってるナルシシズムな青春より、ギークな方面しか興味がない奴らがその頃にもいた。
潜在的なギークたちは80年代のネアカ、ネクラという今で言う陰キャ陽キャに相当する用語のターゲットになるまいとして自らを隠し通さなければならなかった。
いまやギークな人々は口を揃えて洋画劇場のバルスを唱え、Twitterのサーバを落とす程になった。
どっちがいいかといえば表面的に倒錯的で内面は冷え切っているオタク、表面上クールぶっていて内面が倒錯だらけの尾崎ファンが入れ替わった程度だと勝手に思っている。どちらがいいとかそういうものでもない。
俺たちは夜の校舎の窓ガラスに興味がない。なぜなら家に帰ってアニメを見るからだ。
わかるわ。異様にレッテル貼りされてるよな。
維新なり吉本なり在阪メディアなり、大阪のお偉方が明るくてハキハキしてて人情深い(→声がデカくてガサツで過干渉な)ステレオタイプをこぞって演じまくってるせいもあるんじゃないかと思う。
大阪来て結構たつけど別にふつうだよ。ただ大阪ってだけで人格形成にそんな差なんて出るわけない。2,3年住んでそれなりに人と話せばわかるよ。
当たり前のようにネアカもネクラもいて、ひねくれたアホがいれば素直で賢いやつもいて、お笑い大好きマンがいれば興味ないやつもいる。貧乏もいれば成金もいればガチのセレブもいるよ。
他の地方よりは都市規模がでかいから外界(関西外)に疎い感じはするけど、東京みたく衛星都市にマウント取ったり標準語強制したりしないし。方言うつりやすいから逆に関西弁混じりで喋ってるけど、特にエセ呼ばわりされたこともない。あくまで個人の観測範囲だけど。外界に疎いのは東京さんもそうですしね。
確かにネクラでもコントみたいな会話する傾向はあるけど、自分の周りはズレたこと言ってもカラカラ笑って会話を転がしてくれるのでコミュ障としては助かってる。たまに、ダウンタウンでいう邦正役を押し付けていびるめんどくさいのはいるけど。そいつは多分出身地関係なくそういう性格なだけ。
こっち来て在阪メディアに慣れるどころか、あの歯の浮くナニワしぐさに偏見する側への媚びが混ざってるとわかってむしろ無理になってしまった。今やってる朝ドラもそう。大大阪時代の栄華にすがってる時点で寒いと思ってしまう。北陸生まれの田舎もんが言うのもあれだけど、さすがに虚勢張ってんなって思う。まず大大阪っていう言葉をこっち来て初めて知ったしな。
でも実際、ああいうノリや太古の栄華を自尊心の一部にしてる人もそれなりにいるんだろうなと思う。むしろそっちのが多いかもしれん。じゃなきゃ都構想もあんな割れないだろうし。
たぶん2次元に詳しくないせいでニュアンスが伝わっていないと思うんだが、2次元的ないい子感は、リアルの人間には存在しない。
リアルの人間的にあり得る範囲で現実にいい子はたくさんいるし、話したらほとんどの人がまじめでまともで良い人であることは当然ながら実体験込みで分かっているんだが、2次元的ないい子でないことをもってリアルを「悪い」と言っているわけでは一切ないんだよね。
2次元のいい子感というのは、ハイティーンの年齢でありながらも低学年の少女のように純真で人を疑わず、つとめてポジティブに受け入れようとするような、そういう感性のことだ。現実の人間は世慣れしてしまうから、どうしてもそのようにはならず、他人を警戒することを覚える。それはいいことだ。けれど多感ゆえにそれが行き過ぎて、人へ容易に悪意や偏見を向けるようになりやすい。ネットではよく可視化されている、攻撃的な言動などがそれにあたる。なんなら君もそういう傾向がある。
けれど、最近の若い子はアニメ文化に小さな内から親しんで、しかも昔より格段にそれでネクラだなどと言われにくい環境にある。そうすると、どうなるか。
一番いい例が、Vtuberだと思う。Vtuber的な振る舞いこそ、リアルな人間が2次元的ないい子感をもってロールプレイすることを良しとする世界の象徴そのものだ。
中には露悪的な、ファンの前で悪態をつくような個性をもつVtuberもいることとは思うが、やはり「見られる」「楽しませる」をパーソナリティに組み込んで、フリでありながらも純真にポジティブなキャラクターを演じることを楽しんでいるのだ。そして現実と2次元の境界はシームレスだ。そういうことを端的に表現したのが最初の文なんだよ。
趣味って範囲が広すぎてさ。編み物、DIY、お絵かき、料理などの素材を買って創造する趣味だとか。
グルメ、旅行、酒飲み、キャバクラ、友達と遊ぶっていう体験価値を重視するもの。
ゲーム、パチンコ、競馬など、金か時間使ってダイナミックに興奮する趣味っていう分類があるんだわ。
「他人の趣味に口出しするな」ってのは本当にそうで。多分創造系の人は収集の人を見て「高い金出して収集するとか阿呆やな」って思ってる。
収集系は興奮系を見て「また残らんものに金使ってる」と思うだろうし、逆は「地味でおもんない趣味しとる」と思ってる。
「僕の心のヤバイやつ」面白いって言われてるから俺も読んでみたら絵かわいいし話も面白いと思ったんだけど俺は自分のこと陰キャだと思ってるから勝手に陰キャを消費するなよという気持ちになってしまって素直に読めなくなってしまったからこれからどうやって僕ヤバを読もうか考えている。
陰キャはネタっぽく使われることもあるけどマジの悪口で言うこともあるから昔のネクラとかオタクみたいなのと同じ種類の言葉だと思う。
オタクという言葉は今でも負のイメージがあるがダサいとか臭いという意味からアニメ好きみたいな意味になってきて昔よりはマシな言葉になったと思っている。
俺は20代なので昔のことは詳しく知らないけど。
ネタっぽいイメージで使われているが残酷性がまだまだ抜けてない思うので陰キャを弄ぶのはまだ早いのではないかと思う。
あの漫画好きなのってどういう層なんだろう。陰キャが「こういうのいいなー」と思いながら読むのか、
それとも陽キャが「陰キャってこんな感じなんだ〜面白れーまあ俺は山田とすぐ仲良くなれるけど」、って感じで読むのか、
それとも年取って陰キャだの陽キャだので悩まなくなったオジさんやオバさんが「あー高校生、若いっていいなー、青春だなー」とか言って親目線で見守る感じで読むのか。
俺は僕ヤバにどう向き合えばいいんだ
AronChupa & Little Sis Nora - I'm an Albatraoz
Clean Bandit - Dust Clears ft. Noonie Bao
Clean Bandit - Extraordinary ft. Sharna Bass
I Will Survive - Gloria Gaynor
Duffy - Mercy
椎名林檎- 浴室
Madonna - Hung Up
Lady Gaga - Poker Face
LSD - Thunderclouds
Billie Eilish - bad guy
GLIM SPANKY - 褒めろよ
小説の書き出しを愛でる、という趣向がある。例えば、フランソワーズ・サガン『悲しみよこんにちは』の書き出し、
「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。 」
であれば、楽曲の歌い出しを愛でる風潮があってもいいじゃないか。というわけで、いくつかいろいろな意味で気に入っている歌い出しを挙げていく。
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。飛躍も飛躍。猛スピードで爆走するバスが聴き手を置いてけぼりにしている。行間を読む力が試される。
さらに難解なのは、次段である。「でもさ」と逆説になっている。そこにいるのは「運命の人」である。運命に対して逆説で語るかね。ちょっとした諦めみたいなものさえ感じられる。果たしてこれはラブソングなのか?
だいたいにして、歌詞の序盤で唐突に出てくる「運命の人」という重要且つ雑なフレーズについて、以降の歌詞で全く説明されない。繊細な歌詞を書くスピッツのことだから、これは意図的にやっているとしか思えないのだけれど、だとすればますます謎は深まるばかりだ。
スピッツ屈指のポップな名曲だが、歌い出しからしてわけがわからない。それを含めて名曲たる所以なのかもしれない。
「あたしの髪が伸びて驚くほど久しぶりになってしまわぬ様に
昨日より少しだけ多めにあたしのことを考えてほしい」
aikoは曲も素晴らしいが、歌詞も素晴らしい。一番好きなのがこの曲である。
歌い出しの部分、要するに「ずっと好きでいて」ということを言っている。西野カナならそのまま「ずっと好きでいて」と歌うか会いたくて震えるだろう。だが、aikoはたったそれだけのことを、これだけの文量で詩的に語っている。胸に迫る。
その続き、
「初めて逢った日にもう一度逢いに行って そしてまた同じ様に
ぎこちなく合った目の奥にいるあたしを愛して欲しい」
これは要するに「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」ということを言っている。実際に西野カナは「トリセツ」で「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」と歌っている。しかしaikoはたったそれだけのことについて、何でこんな奥行きのある言葉が思いつくのだろう。
ちなみに、私は西野カナのことが嫌いなわけではない。西野カナはメロディーにいい感じの歌詞を乗せる技術に関しては天才的だ。BGMとして心地よく聴ける。
「酒、飲ます」
アルバム『GO』の一曲目の歌い出しでいきなりこれである。聴きながら「おや、歌い出しが『酒、飲ます』って聞こえるな」と空耳かと思って歌詞カードを確認したところ、紛れもなく「酒、飲ます」であった。助走もなくいきなり飲んでる。
ついでに言えば歌詞の続きは「学校は最近どう?」であり、誰に酒を飲ませているんだ。
もう食べられるところはないんだ」
最近一番インパクトがあったのはこれである。爆笑した。巨大生物って何だね。メロウでバラードと言ってもいいほどの楽曲で、タイトルに「Confession」とか仰々しく付けられているにも関わらず、歌い出しでこれ。
ももすももすという人は、メランコリック写楽というバンドの元ボーカルももすのソロ名義である。メランコリック写楽時代を含めてほぼ全ての楽曲で作詞作曲編曲をこなしている。それにしたってメランコリック写楽とは何だ。ももすももすってなんだ。ロンゴロンゴかよ。
余談だが、相対性理論以降、ポップな楽曲にかわいい系のボーカルが意味不明な歌詞を乗せることを特徴とするアーティストが散見される。最近だとネクライトーキーとか。もしや遡れば椎名林檎「丸の内サディスティック」に行き着くのかもしれない。何だ歌い出しの「報酬は入社後」って。
こういうジャンルにそろそろ名前が欲しいと思うものの、名前をつけてしまったら陳腐だなとも思う。
You say stop and I say go go go.」
ポール・マッカートニーの作品である。甘くポップな曲調に、上記のような特に意味のないような平易な歌詞が乗せられる。
この曲に対してジョン・レノンが「君の曲には主義主張ってものがないからだめなんだ」みたいなことを言ったらしいけれど、個人的に、音楽は主義主張を抜きにしてポップであればあるほど好ましいと思っているので、この曲は私の中でポップ賛歌みたいな位置づけとなっている。
歌詞も気が抜けていていいじゃないか。ゴーゴーゴー。何も考えずに聴けて幸せになれる珠玉の一曲である。
※
この歌い出しが好き、意味わかんない、笑える、などあれば教えてほしいです。
オタクが差別されるようになったきっかけだが、やっぱりTVと週刊誌なのだよな。
「ここに10万人の宮崎勤がいます」というのはデマだったというのはご存じの通り。
でも「オタク」という像を「ネクラでキモくて社交性がない上に過激思想で、テロとかやっちゃいそう」というステレオタイプが発生し強化したのは実はテレビと週刊誌なんだよなあ。
「キモくて、モテそうにない、挙動不審で、ファッションセンスがなくて、言うことがやばくて、過激で、復讐とか常に考えてそうなオタク“男性”」という像。
その証拠に「TVや週刊誌が想定するのは必ず“オタク男性”」だよね。
この80年代~90年代にかけての報道がどうやって差別を強化したかというのは、非常に面白いのだが、なかなか資料が見当たらない。一番資料を持ってるテレビ局は、絶対に調査に協力してくれないだろうが。