尾崎だの山田かまちだ、長渕の言ってるナルシシズムな青春より、ギークな方面しか興味がない奴らがその頃にもいた。
潜在的なギークたちは80年代のネアカ、ネクラという今で言う陰キャ陽キャに相当する用語のターゲットになるまいとして自らを隠し通さなければならなかった。
いまやギークな人々は口を揃えて洋画劇場のバルスを唱え、Twitterのサーバを落とす程になった。
どっちがいいかといえば表面的に倒錯的で内面は冷え切っているオタク、表面上クールぶっていて内面が倒錯だらけの尾崎ファンが入れ替わった程度だと勝手に思っている。どちらがいいとかそういうものでもない。
俺たちは夜の校舎の窓ガラスに興味がない。なぜなら家に帰ってアニメを見るからだ。
僕は新成人になった。成人になると、成人式や新聞の社説、その他諸々の機会に、エライ大人たちがありがたい言葉をかけてくれる。 そういえば昔、朝日新聞の社説で尾崎豊の話が出て...
そりゃ大オタク時代なので。 尾崎だの山田かまちだ、長渕の言ってるナルシシズムな青春より、ギークな方面しか興味がない奴らがその頃にもいた。 潜在的なギークたちは80年代のネア...
80年代はギークなんてないのに なぜ複数形の主語
じゆーていったいなんだーいッ?! どーすりゃじゆーになるかーいッ?!♪
Scrap alley とかまじいいよな。
ほんとうにね
「不良少女」とか「スクールウォーズ」とか「ビーバップ」とか、そんなので埋めつくされてたあの頃の中高生を取り巻く雰囲気と偏見が凄く息苦しくて馴染めなくて、ヤツの歌も理解...
「鈴木先生」のエンディングテーマで懐かしのナンバーを聞いたときはいい選曲だなって思った。素直にそう思った。 思春期の子供たちかれ見れば大人側であり体制側である年になり、...