はてなキーワード: おネエとは
俺は貧民なので貧民スーパーでよく買い物をするんだけど、そこの店内BGMが、「最近流行りの邦楽」みたいな感じなんですよ
流行りっつうか、時々15年前くらいの曲が流れてたりもするんで、もしかすると「かつての流行り」なのかもしれないんだけどね
そうすっと、結構な頻度で、歌がうめえおネエちゃんが、「若い2人の、自堕落でキラキラしてはいない、しかし美しい恋の思い出」みたいなテーマの、失恋ソングを歌っていらっしゃる
そんで、なんかよ、「夜中にコンビニに出かけて、安いアイスを買って2人で食べる」的な、安いエピソードが歌われるわけ
なんていうんですかね、エピソードがね、露骨っつうのかな、そのまますぎるんですよね
分かりますよ、そういうね、等身大の、共感できるような、あー……っていうね、気持ちを呼び起こそうっていうことでしょう
でもよ、そうするとさ、被るんだよ他の歌とかマンガとかそういうのと
「あー、そういうのあったなあ」より、「聞いたことあるぞ、そのエピソード!」が先に来るんだよ
感傷に浸るより先に、手垢付いてんなあ、クソエピソードがよ!って気持ちになってしまうわけ
2人で夜中にコンビニに行ってアイスを買うっていう行為ですが、現代の若いカップルは、文字通り全員やっているからよ
もうちょっと詩情のあるエピソードを捻り出して欲しいと感じるんだよ
俺のやや好きな歌で、付き合ってた頃の思い出を羅列するのがあるんだけど、
「溢れた川を見に行ったこと」
とか、いかにもいい感じじゃないスか?
溢れた川、見に行くじゃん
なんだったら
こういうあたりまでカバーできる
かなり共感性が高く、かつ、そんなに歌われてないし、描かれてない感じじゃないですか
このくらいを狙って欲しいんだよな
Xとかでこういう凡俗・カスエピソードを披露して悦に入るのは全然OKだと思う
歌にしちゃダメだ
歌にするからにはもう少し捻ってほしい
あるだろ、もっとこう、何か
・部屋着のまま出かける
元増田の疑問に答えるには少々話が長くなる。と言うのもテレビの近代史に割と深く関わってるからだ。
実はコロッケ達の前に「先代の」ものまね四天王がいたんだ。所がそのうちの一人が愛人に刺されて命を落とした事で一気に黒歴史化した事で急遽コロッケ、清水アキラ、栗田貫一、そしてビジーフォーを新たな四天王に添えた。んでこいつらがそれぞれものまねに革命を起こす発明をしたんだ。例えば清水は鼻にセロテープ、クリカンはもしもシリーズ、ビジーフォーは人形を棒で操作するアレ(名前なんて言うの?)、そしてコロッケは背後から本人が登場、である。
美川憲一の「さそり座の女」を例によって大袈裟に歌っていると背後から本物が不機嫌な顔でやってきてコロッケが挙動不審になる姿が当時バズった訳だ。クスリで捕まって芸能界から消える前は男の娘、というか中性的な色気の美青年(かの三島由紀夫も惚れ込んだとか)だったが以降は「おネエのおっさん」と言うネタキャラとして再ブレイクを果たすことになる。
話をコロッケに戻そう。以降「デフォルメしまくり調子に乗る」姿と「怒られてキョドる」姿の落差が大きければ大きいほどウケる事に味をしめたコロッケのデフォルメがより大袈裟に、より不躾になるのは必然だった。これは俺の思い出話だが当時人気ドラマだった「教師びんびん物語」で田原俊彦の真似を披露した翌日の学校で女子全員が本気でキレてた程だ。
かくしてデフォルメものまねの第一人者となったコロッケだがここで誤算が生じる。「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」が放送開始されたのである。初回こそ手探り状態だったが第二回、次長課長の河本による「オメエに食わせるタンメンは無ェ!」で方向性が定まると以降「ディテールとリアリティーに拘る」コロッケとは真逆の芸風が主流になり若い人達もそれを観て育ってきたであろうからまあ要はコロッケが時代に取り残されたのである。
https://this.kiji.is/377407732560479329
島根県川本町で9日に予定されていた性的少数者(LGBT)のコントラバス奏者による演奏会が、案内ポスターに書かれた「おネエ系」などの言葉が不快だと指摘されたのをきっかけに中止になっていたことが7日、分かった。
川本町教育委員会によると、演奏会は町の地域おこし協力隊員が主催し、町教委などが後援。京都市交響楽団のコントラバス奏者ジュビレーヌ・イデアラ(本名出原修司)さんと同僚1人が出演予定だった。
当事者による表現が、その当事者を守るために批判されて、最終的に活動範囲が狭まってしまう現象。
すごく興味深い。
また聞きだけど、女性の仕事を奪って遊ぼうと考えた欧州のネット民が、フェミニズム理論から提示された「女性差別」言説を活用している事例もあるらしい。
もうこれしきのことで勝ったの負けたのと大騒ぎをするな、と。
https://togetter.com/li/1145999
そんなことより、ここには重要なヒントが隠されているじゃないか。ポリコレ気味女子の急増する現代においては、CMなどにおける性表現に関してどんどん厳しい社会に一見なっているように見える。だがそうではないのである。そりゃあ例え地方局の深夜帯であろうと、外人のネエちゃんが何故かおっぱい丸出しで海辺をこっちに歩いてくるようなレコード屋のCMを見るようなことはもうないだろう。しかし、ちょっと頭の悪そうなおネエちゃんたちが出張にきてる行きずりの男とビールを飲んでアヘ顔するぐらいのCMならこの先いくらでも見ることができる。ただできるのみならず、胸を張って見ることができる。そのための方法論がここにはある、という寸法だ。
いまどき大概のCMなんてどうせ2パターンぐらいつくるだろう。
その1パターン目を男でつくっておいて、まずはポリコレ気味女子にさんざん大絶賛させるわけだ。ポリコレ気味女子に大絶賛されるためには、当然CMの中の男は性的に描かれなければいけないし、ちょっとバカっぽく見えるぐらいがいい。何か間違ってるような気がするかもしれないが、ここはこれでいいのだ。食い付きをよくするためだ。そのようなポリコレ気味女子の大絶賛に対して「そういう発言はポリコレ的にどうか」ぐらいの軽い突っつきは、戦略としてあってもいいだろう。そうすっとポコ味女子(略した)としては、このCMがいかに素晴らしいか、それが今まで自分たちの批判してきたものと180°正反対であるか、盛んに発言せずにはいられないわけだ。もうそれはどうしてもそうしなくてはいられないわけだ。ポコポコ女子としては。
そこに到ってはじめて、かねてより用意してあった全く同じプロットの女版を出す。じつはこれが本命。男版は囮だ。ハニートラップってやつだ。このちょいエロ女CMを目の当たりにしてポコ女子たちは言葉を失うが、時既に遅し。何しろ自分たちがはっきりと承認を与えたあとだ。あまつさえ自分の承認の正当性で吹き上がってる真っ最中だ。ここで大事なのは、ポコ女が盛んに反論してる間は決してこのポコポコどものダブルスタンダードを指摘しないということだ。何が正しいか、そんなことはどうでもいい。とにかく言いたいことを言わせておく。大事なのは、いかに女をエロく描いたCMを誰にも気兼ねなく制作放映し、またそれを観て楽しむことができるかだ。ポコっ娘たちも、じつをいえば半裸のオトコの出てくるちょいエロCMを何の気兼ねもなく楽しみたいと思ってるわけだから、この流れはむしろ大歓迎だ。大歓迎なんだけど、ただそうは言わないだけだ。これはポリティカルでありコレクトである、と、そう言うだけだ。世の中とはそういうものだ。
結局男も女もどっちも観たいと思ってるんだからウィンウィンだ。勝ち負けの話ではないのだ。カチカチだ。カッチカチのウィ~ンウィンだ。
この方法の副産物として、CMには男と女のキャストを同数雇うことになる。雇用機会均等法だ。まさにいいことづくめだ。ポコ気味男女均等法だ。
「今までポリコレ棒で叩かれてたオタクがポリコレに守られてるわけねえだろ、反ポリコレになって当然だ」ってのは違うって。
「ポリコレがオタクを殴る」ってのは、ソフ倫の「近親相姦や獣姦禁止」とか、コンビニエロ漫画の「ランドセルやセーラー服は禁止」の方だよ。
駅乃みちか辺りの話は、「オタクが棒を所構わず振り回しだしたので、それで殴られるやつがいるからやめろ、と、棒を取り上げられた」って話なんだよ。
自分が持ってたはずの棒を他人に取り上げられたから、「あの棒で俺を殴る気だ!」って言ってるだけのことだ。
棒を振るなって言われたら「じゃあ、この棒はどこで振っていいのか。誰に向けてなら振っていいのか」をちゃんと突き詰めて、お互いに気持ちよく傷つけ合わずに好きな棒を振れる距離を見出さなきゃいけないのに、「その棒、こっちに当たりそうなんですけど」「じゃあ、もう棒振らない……」って逃げちゃうやつが悪い。
「そうか、この棒はお前の前髪掠ってるか。じゃあ、これくらい短めに持っておこう。代わりにあっちの空いてるスペースは、お前に当たらないから好きに振る」そういう話をちゃんとしていかなきゃいけない。
でも、「どこででも好きに棒を振り回していい」という状況に慣れきってた奴らは、それが出来ない。話し合うのがめんどくさい。というか、話し合う方法が分からない。
オタクは別に好きなように棒を振り回してない? むしろ、振り回さないように遠慮してた?
それは違うだろ。最近はちょっとマシになったけど、エロゲブーム末期の秋葉原はすごかったぞ。大通り沿いに平気でスジ晒した幼女のポスターが貼ってあった。
でも、それはそれで正しい(大通り沿いはどうかと思うけど)。秋葉原はオタクに特化した街で、そういう表現を好む人間が好んで集まる場所だから、そこではそれがメジャーなのだ。
そう、メジャー。秋葉原のノリはマイノリティのノリじゃなくてメジャーのノリ。
マイノリティがマイノリティとして、メジャーとの距離感を図る表現じゃなくて、メジャーがメジャーとして、それ以外の表現を駆逐する表現。だから、よそに持ち出した時に「お前、それはちょっと待てよ」と制止がかかる。
ゲイタウンでは、ムキムキマッチョが小さいパンツで股間をモッコリさせたセクシーポスターがいくらでも飾ってある。そういうのはゲイタウンの外では滅多に見ない(意味もなくビキニ姿な女性の広告はいっぱいあるけど)。
しかし、年に何回か、ゲイパレードではそういう人たちがみんなの前に出てくる。普段はみんなの目に触れないけれど、こう言うふうに暮らしている人がいます、という『自分の権利』を主張するために出てくる。
おネエタレントがいる。おネエと呼ばれる中には、ただのゲイもいれば口調が女っぽいだけのノンケもいるし、トランスセクシャルもいて、それが一緒くたになってる。
性転換手術済みのMtFでも、いっしょくたに「女みたいな格好したおっさん」として「きもーい」と扱われる。
「そう扱われるのは嫌じゃないですか?」というインタビューに「本当は女性タレントと同じように扱ってほしい。でも、今はまだそういう時期ではない。自分の次の世代からは変わっていくと思う」と答える。
隠れた場所で独自進化したものが外に出ていくときは、「どこまで受け入れてもらえるか」手探りで、全部を最初から受け入れてもらうのではなく、自己主張と融和を繰り返して「どこが中立か」を探っていくものだと思う。
それをせずに、いきなりどこででも秋葉原ノリで棒を振り回しだせば、「きもい!」と同じ棒で叩かれて当然だわ。
今までは意味もなくビキニ姿の女性のポスターが、街中のどこにでも貼ってあった。それは、そういう広告を出展するメジャー勢力であるおっさんが振り回してる棒で、その棒に殴られてた人が「すいません、今まで社会的立場が弱かったので黙ってましたが、もうそういうのやめてください」と言いだす。
そして、「少なくともビキニや下着姿である意味のない広告はやめよう」「そういう広告にするにしても、おっさんだけでなく様々な立ち位置の人に良い印象を与える表現にしよう」と『中立』を探っていく。
ビキニで胸の谷間を強調するポスターがどこにでも貼ってあったおっさんからすりゃ、窮屈で意味不明だろう。「女は露出して胸を寄せて男を楽しませるべきものなのに、なんで遠慮しなきゃならないんだ」って平気で言う。自分が振り回してた棒を取り上げられて、「みんなが俺の価値観を攻撃する!」と泣き喚く。
ビキニ姿の女性を、上司に無理やり酒を飲まされる若い社畜に変えても同じだよな。
ポリコレ棒はターン制ってのは正しい。棒を取り上げられたやつらは、その棒を取り戻してまた相手をボッコボコにしていく。
だから、これからはポリコレ棒を振り回してくるやつも全く容赦しなくなるだろう。お前らの息を完全に止めるまで、自分たちは棒で叩かれるって分かったわけだから。
編集時刻: 2012/10/29 11:50:00 編集者: rent-7777 編集内容: 1c1,2 3,4c4,5 6,7c7,8 18a20,23 20,26d24 28d25 41,43d37 -「おかま」もしくは、女性の心を持った男性のこと。また、そのようなキャラクターのこと。「おネエ系」とも。 +新宿2丁目など男性同性愛者の中では、ゲイの中で<span class="deco" style="font-weight:bold;">オネエ言葉を使うゲイ</span>を「オネエ」といってきた歴史がある。ゲイの全てがオネエというわけではない。 +昨今、テレビのバラエティ番組などでは、[[ゲイ]]<!--おかまは差別語-->の男性の中でも、女性性が高いか、女性の心を持ったタイプの人のことをオネエというようになっており、「おネエ系」ともいう。 -おねえキャラの男性は、「美意識が高く知識が豊富」「女性の(男性の)気持ちがわかる」「人生経験が豊富で相談相手に最適」として、女性に人気がある -「おかまバー」「ゲイバー」勤め以外に、スタイリストやメイクアップアーティストなど「美」に関連する職業に就いている人も多い。 +女装をし性転換までするニューハーフ、女装のみをして身体は男性のままでいたい女装家、女装せず身体も服装も男性のままだが心が女性に近いトランスジェンダーの3タイプがある((2011年6月8日放送TBS系「20マウス」オネエ仕分けより。))。男性のアイデンティティをそのまま受け入れている男性的なゲイは含まれない。 +おねえキャラの男性は、「美意識が高く知識が豊富」「人生経験が豊富で相談相手に最適」として、<!--女性に(女性に人気といいますが、オネエは女性の為の癒し道具ではありません。-->人気がある。「ゲイバー」「ニューハーフバー」勤め以外に、デザイナーやスタイリスト、メイクアップアーティストなど「美」に関連する職業に就いている人もいるが、ほとんどの人は普通の仕事に就いている。 -性同一性障害の診断の有無、性転換手術経験・整形などの有無、恋愛対象が異性/同性、容姿が男性/女性、を問わないカテゴリーであるが、「女装」だけを趣味とする男性を含むかどうかは意見が分かれる。 -明確な定義はないものの、「女性」の中にも、時折「男性」が見え隠れするのが特徴のようだ。(女性になりきっている場合は、「おねえキャラ」への分類が難しい) +<!--(出典のない独自研究であり、コメントアウト)性同一性障害の診断の有無リーであるが、「女装」だけを趣味とする男性を含むかどうかは意見が分かれる。 +明確な定義はないものの、「女性」の中にも、時折「男性」が見え隠れするのが特徴のようだ。(女性になりきっている場合は、「おねえキャラ」への分類が難しい)--> +*おねえキャラ +**ニューハーフ…はるな愛 +**女装家…IKKO、マツコ・デラックス、ミッツ・マングローブ、KABAちゃん +**トランスジェンダー…楽しんご、假屋崎省吾、植松晃士、平澤隆司、真島茂樹、マロン、水無昭善 -*代表格 -**容姿が女性×女性の心を持っている <おねえキャラ> -IKKO、はるな愛、マツコ・デラックス、ミッツ・マングローブ、カルーセル麻紀 -**容姿が男性×女性の心を持っている <おねえキャラ> -楽しんご、假屋崎省吾、植松晃士、平澤隆司、真島茂樹、マロン、尾木直樹、KABAちゃん、水無昭善 -**<おねえキャラ>に分類しにくい -三輪明宏、ピーター、佐藤かよ
「2011年6月8日放送TBS系「20マウス」オネエ仕分け」か。バラエティ番組のみを出典にして「「女装」だけを趣味とする男性を含むかどうかは意見が分かれる。」を削除するのはどうかと。
若いうちはそれなりに遊んだりできるかもしれないけど、いずれ50代とか60代になると老後のこととか心配になってくると思うし…
だから最近は長生きなんてしたくないし、する意味もないと思ってる。年取れば取るほどゲイなんていいことないし。
ある程度の年齢になってくると、周りの目が気になってくるんだと思う。親からも催促されそうだし、友達はみんな家庭持ってしまうから遊べないし。
ほんとにつらいのは、親孝行できないってことだよね。孫の顔も見せてあげられないし。
テレビに出てる素人とかみて、「アンタがこういう人お嫁にって連れてきたらお母さん許さないよー!よく見るのよ!」なんて言われたらたまんない。心の中でただひたすら謝るしかない。
でも、「こんな風に生んだ親を恨んでやる」みたいな事は思わない。誰のせいでもないし。
親には自分が同性愛者だってことは死ぬまで隠すつもり。こないだおネエMANSっていうオカマが出てる番組観ながら、
「男なのに女の腐ったのみたいな格好してよく表歩けるわよねー。あんたがホモだったらあたし縁切るからね!」
って言われたから。ゲイにだって色々いるのにね。俺だってあんな汚い格好で表出るの嫌だよ。
人間関係みたいなのをスムーズにするために、友達には俺が男の人が好きですっていう事は隠してる。
だって、いくら偏見が少なくなったとはいえ「俺同性愛とかそういうの全然偏見ないんですけど…」とか結局はいい人ぶってる人ばっかだし、実際ずっと親友だった人がゲイとかだったら正直引くっしょ。
ひどい奴だと「俺のこと、好きとか言い出すんじゃねーぞ?俺ホモじゃねーし!」とか言い出しそうでさ…ゲイにだって選ぶ権利ぐらいあるんすけど。
結婚できなくても、一生死ぬまで寄り添い合えるパートナー見つけられたらそれは素晴らしいと思う。でも戸籍っていうかそういうのの上では赤の他人だから、死に際には立ち会えないし、お葬式だってただの友人として出るしかない。生きてるときには一番の心のよりどころだったのに。
周りの友達の結婚についての話とか、恋愛の話とか聞いてると、本当に胸が痛む。なんで自分はこんな風に生まれてきちゃったんだろうって。
でも受け入れるしかない。結婚できなくても、世間の風当たりが強くても、生きていかなきゃいけない。やっぱり普通の人生っていうのが一番幸せだと思う。