はてなキーワード: いでとは
このツリーで言われているような「偽善」という意味においてはそれで正しいと思う。
そして”「デマはすべて潰す」ことも正当化”する輩も、まさしく沸いてくる、という良い例。
「良かれ」って結果や思いだけじゃ納得しない人が(一部だろうが)居るんだよ。
反論できないトラバを迂回しながら見苦しいこと言い続けてるんじゃねえよw
「『良かれ』で嘘を流すことは、倫理的に駄目とかいう以前に、関係ない人の不当な被害を大量に産まないですか?」
に答えられないんだろ?
おまえ自身が、突然変なデマに苦しめられて、
デマ作ったやつや流したやつに「良かれと思ってのことなんだから目くじら立てるな」と言われて飲めるのかいな。
そんなことまで考えても居ないんだろう。
馬鹿たれが。
ありがとう、そう言ってくれてなんか良かった。
一瞬サバよんで多めに書こうかとも思ったけど、正直に書いてよかった。
サバよんで多めに書いたら、増田的にはオレツエーで終わるのかもだけど
それきいてどうすんの?
あぁオレのほうが上だわって安心するの?
それとも舌打ちするの?
それとも負け組のくせに偉そうにwって笑うの?
そういうのがくだらないですよっていってんじゃないの?
だからあえてこういうこと書いたのに、まだわかんないの?
お前らいい加減にしろよ
どうでもいいけど、真剣に戦ったこともないくせに、勝ち組だの負け組だのくだんねーんだよ。
必死で戦ったことあんのかよ。
じゃぁ何と戦ってんだよ。
誰に勝とうとしてんだよ。
それはこうやって増田に書きこんでたら勝てるのかよ。
どうなったら勝ちなんだよ。
一流企業の名刺配り歩いて、高級マンションに住んで、高級車乗り回して、美人の嫁さんつかまえて、子供に恵まれて?
そりゃ気持ちいいだろうよ。
でもそれ以上でもそれ以下でもねぇよ。
バカじゃないのホントに。
愚痴言うなとか言ってんじゃねぇぞ。
勝ったとか負けたとか戦ったこともないくせにナマ言うなつってんの。
たかだか就活で一年選にもれたぐらいでこの世の終わりみたいな顔しやがって。
お前に勝ち負けなんかわかんねぇよ。
誰にもわかんねぇよ。
勝ったとか負けたとか口にするだけみじめになるってのがまだわかんねぇのかよ。
「俺が死んだ後のことは知ったこっちゃねえ」のは推進派だけではない。全ての人は「俺が死んだ後のことは知ったこっちゃねえ」だ。
とりあえずこの人たちに共通しているバックグラウンドは、院とか博士課程とか行ってて学校生活が長いこと。現実をドライにクールに客観視したり、それについて文章書いて人にみせるのが好きなようなんだが、人の行動とかアナログな要因が入る物事に関しては考察が劇尼になるようですわ。
最近は、東電とか政府の対応がどうこうだとかっていう新聞記事をよくみるじゃないですか。原因の解明はもちろん大切なことなんだけどさ、この人たち、WSJとかの記事をわざわざひっぱってきて、欧米でもこういわれている、やっぱり東電ダメだわ、とかって言いたいみたいなんですよ。でもこれ結果論が多くて、東電を叩くことが目的な記事なんだよね。それを鵜呑みにしちゃっていて、東電と政府はここが甘いんだ、みたいなことをえんえんというんですよ。Facebookで。うざいでしょ。記事見ればわかるよ。
本人はWSJとかの記事の検証とかをするつもりはまるでなくて、WSJが言っているから日本はダメって毎日吠えてる。万が一の対策しないとダメなんだってWSJに書いてあるからそれを自分の意見と勘違いしちゃっているみたいで。あんた、車乗るけど自動車事故に遭う可能性があることを考えたら乗らないほうがいいんじゃないって突っ込まれてたらなんか激怒してた。
あんたみたいな、在米の日本人が、何もできないが心を痛めているってあちこちで騒いでいて
この書き込みはその典型なんだが、これって自己満足で自分を癒すことしかできないわけ。
相手をする側の身になってみろ。面倒だから。
安全対策などちゃんと掛けなきゃいけないコストを削って「コストカッターすごいでしょ」とか、みてらんないどころじゃないよなあ。そしてそんなやつをちゃんと引き摺り下ろさない株式投資家、特に大口投資のやつらとかもなんなんだいったい。
原発廃止派に、原発を全部いきなり止めてそれで必要だった電力はどうするの?と聞いても、「再生可能エネルギーがー」といった具合に、"新エネルギーがいきなり原子力を置き換える"と思ってる人がいます。
新エネルギーを役立てるには必要な前提がいくつかあります。なぜ必要なのかを理解するためには、知らなければいけないことがいくつかあるので、それをまとめてみました。
曖昧な表現や間違っている部分がある可能性や、将来の展開について個人的な想像が含まれていることをお断りしておきます。
(それは違うだろ、という点があればトラックバックで補足してもらえればと思います)
水力は電気が余って捨てられている夜間に水をくみ上げて位置エネルギーに変換し、昼間のピークに放出している。水力が他の発電と比べて優れているのがこの"位置エネルギーに変換し、必要な時に即座に生産できる"ところ。
しかし、水力発電に伴うダムの建設には環境破壊など大きな問題がある。貯められる電力という水力と同じポジションを担う発電、送電、蓄電技術が今後重要になる。これについては後述する。
原子力発電は大きな発電力があるが、ほとんど調整がきかない。火力発電は原子力発電に比べればずっと調整がきくが、それでも出力を変化させるとロスが大きくなる。これら二つは、変化が少ないかわりに大きく安定したベース電力を得られる発電方法といえる。
逆に水力発電は、さほど大きな発電量は見込めないが、位置エネルギーに電力を変換し必要な時に放出するピーク電力対策に優れた発電方法といえる。
現代の発電は、このベース電力とピーク電力対策を組み合わせて需要に対応している。
夜間は電力が捨てられて、昼間は電力が足りない。
電力の需要量は、時間に応じて夜間は低く昼間は高くやまなりの曲線を描いている。仮にベース電力だけで全てを供給すると、ベース電力の必要量は需要のピークに合わせなければならない。需要の谷にあるときには、必要量を発電量が上回った分がそのまま無駄になることになる。
そこで、水力発電のような"夜間のあまった電力を一度保存し、ピークのタイミングで生産できる"補助があれば、ベース発電の出力をピークにあわせる必要がなくなる。結果的に無駄にする電力が減り、必要な総発電量も減る。水力発電は少ない発電量しかないが、その特性上見かけよりも必要総発電量の削減に役立っている。
先にも言った通り、ダムを作る事は大きな環境破壊を伴う。いくら水力の貯めができる点や追従性が優れていても、ほいほい増設できるものではない。しかも、火力発電を(ロスを出しながら)調整し、水力発電がフルで頑張っても、夜間と昼間の必要電力のギャップには追いつけない。夜間に大量の電力が捨てられているわけだ。
冬と夏の電力需要にも同じ問題がある。発電所の新設は夏の電力需要のピークを見越して行われる。電力会社が「電力が足りない!新設しなければ!」と言う時、それは「夏の昼間のピークに足りない」ことを示している。
水力発電の担っている仕事を、企業や個人レベルで行っていく必要がある。しかし、水力なんて大規模なものは普通できない。別の蓄エネルギー方法が必要になる。
現実的なものには氷蓄熱があるだろう。エコアイスと言えば聞いた事があるのではないだろうか。電力会社は数年も前からこの氷蓄熱を普及させるために夜間の蓄熱用の電力を非常に安くしている。
冬と夏の時間スケールでなら、冬の間にためた除雪の山をそのまま夏まで持ち込んで冷房に利用するという手段が北海道では実用化されている。
海外では巨大な電池を設置する例も出てきている。
EUでは時差のある国家間で電力の融通が行われている。そのため、夜間に捨てられる電力は日本に比べて少ない。また、工場の廃熱等で発電する熱→電気の再利用が進んでいる。
日本は東西ではなく南北に長いのでEU間のような時差もピークの差もない。しかも島国なので送電技術が進歩しないかぎり隣国と電力を融通しあう事はできない。北海道の電力は余っているが十分に生かされていない。同じく西日本からの変電の問題もある。これらの改善には膨大な金が必要だそうだ。
(送電技術が進歩しまくった未来には、電力輸出国がありうるかもしれない。)
個人規模では電気自動車があげられる。夜間のうちに充電できるからだ。ただ電気自動車は高価で、走行条件によっては航続距離が非常に少なくなるなどまだまだ普及するものには思えない。古いクーラーを省エネのものに変えていくのは効果があるらしい。
その通り。しかし、新エネルギーで原発を無くそうといっている人は本気でいきなり代替になると思っているのだろうか?新エネルギーや風力や太陽光などの再生可能エネルギーはすぐにはベース電力の代替にはならない。今の技術では、設置コストや生産にかかるコストはもとより、発電量でもベース電力を担うものにはならない。
だけども、新エネルギーが全くの無駄なのではない。新エネルギーは火力や原子力が担うベース電力をいきなり代替するようなものではないが、今の水力が担っているピーク電力を強化することで、結果的にベース電力の必要量を下げ、火力発電所や原子力発電所の新設を少なくする可能性がある。
新エネルギーが実用化されるとしたら、まずはベース電力の代替ではなくピーク電力の補助ではないだろうか。今後のプロセスは次のようになるのが理想的だと僕は考える。
今更ですがタイトルはちょっと良くなかった。原発廃止派が余計でした。漠然と訴えてる人は廃止派に多いという偏見が確かに僕にあった。ご指摘の通り、極端な推進派廃止派は声が大きいだけで、数で言えば「原発いきなり全部は止められないから現実的に頑張ろう派」「しょうがないと思ってるけど原発はこれ以上増やさない派」「東電や政府の問題は追及するけど今安全な原発の運用は認める派」のような人達がサイレントマジョリティな可能性はあります。原発の話題をする時にまず「推進派なのか廃止派なのか」を前提にする今の空気自体が議論を横道に逸れさせるめんどくせー状況を生み出してるともいえそうです。今回タイトルで自分がそれを僅かでもやってしまったというのはちょー後悔してます。
代替エネルギーについて網羅しきっていない→素人の僕が説明するより資料見てもらったほうがいいと思う。このまとめは"前書き"部分にあたる話だから、代替エネルギーやその進歩の展望について網羅することはしていない。バイオマスエネルギーの開発状況とそれが発展途上国の農業に及ぼす影響、メタンハイドレートは掘れたらすごいけど掘るの難しい、国境問題も絡む話、ゼーベック素子の話、超伝導蓄電(これ正直僕は詳しくない)等は調べれば色々出てくるよ。
何れにしても、新エネルギー利用も化石燃料と原子力の利用を少なくするのも、エネルギーを無駄にしない仕組み→スマートグリッドや地域間国家間での融通、蓄電技術、熱の再利用などがセットなのは間違いないわけで、その必要性を理解してもらうのに書いたのがこのエントリです。
地元から反対されてるのに暴力的な政治力で建設してしまうケース、トラブルがあったときの縦割り体勢による不透明さ、フットワークの重さ、補償問題、風評被害への対策…これら社会的な問題は原発の技術を認めていても無視してはいけません。
逆に、原発に反対であっても社会的な問題を理由に原発の技術面を全く評価しないのは話をややこしくします。技術の存在自体が社会的な問題だと捉える人が出てくるからです。そうなると技術不信で一層正確な判断ができなくなり、パニックや陰謀論に陥ってしまいます。
原発の技術を正しく認める事で、「最新式ならこうできるはずだった」「もっと最善の方法があったのではないか」という人為的なミスや運用上の問題が見えてきます。
漠然と「原発は安全だ、何故反対するのだ」「原発は危険だ、全部信用できない」とならずに、原発の社会的な問題と技術的な問題は分けて考えるとパニックにならずに少し落ち着けるのではないでしょうか。
よくわかんないけど、自分を追い詰めてみるのはどうかな
試しに色んな金融機関回って1000万ぐらい借りて
一月ぐらいでぱーっと使ったら、いい感じに追い詰められると思うな
私は、ニューヨークに住んでいる。
だけど、胸が痛い。
涙が止まらない。
何か出来ることが無いかと、神戸まで歩いて救援物資を届けに行った。
見慣れた街、ここにあったはずの家、全部が消えていた。
消えるだけならまだしも、戦争映画に出てくるような、燃えかすになっていた。
もう少し地震が来るのが遅かったら。
私もどこかの瓦礫の下に埋もれていたのかもしれない。
そんなことが頭をよぎった。
NYに移り住んで1年も経っていない頃だった。
ふと、気付いた。
ユナイッテド93便。
あ、私が乗るはずだった飛行機・・・。
テロの一ヶ月前に、乗ろうと思ってネットでチケットを探してた。
座席予約に行くと、取られている席は黒く塗りつぶされてた。
その時で、3分の2程の席が埋まっていたのを覚えている。
私は、いつも通り窓際の席を取った。
最後に、何故かどうしても、「Buy」のボタンが押せなかった。
押そうとした時、両親の泣く顔が、ふと頭をよぎった。
何でだろう。
私にそんな力は無い。
今までも、この後も一度も無い。
ただ、その時、
「親を泣かすようなことはしたくない。」
と思って、購入を止めた。
そして、テロが起きた。
黒く塗りつぶされた、2/3くらいの座席表。
ここには、一つ一つ、人間の顔があったんだ。
その背景には、一人一人の家族や友人がいたんだ。
私が取らなかったことで、誰かあの席に座ったのかな。
そう思うと、恐かった。
誰かの背中を、地獄の谷の底に押してしまったのでは、と思った。
愛する人に会いに行く人もいただろう。
余った私の席を取った人にも、家族や愛する人は勿論いただろう。
涙と震えが止まらなかった。
目の前に飛んでいる飛行機が落ちる夢。
その度に目を覚まし、
そして、夢だったことに安心して、
深い罪悪感に襲われる。
今でも時々、飛行機の夢を見る。
ずっとずっと行けなかった。
行くと、また思い出すから、
あの黒く塗りつぶされた席達を。
見たことも、会ったことも無い顔の中に、
私の顔がそこに居たかもしれない。
「ごめんなさい。」
なんで、ごめんなさい、なんだろう。
”乗ってはいけない”と感じたあの時、
全員に伝えられる術があれば。
と、途方も無いことを考えいた。
そして、私だけが乗らなかったことすら、悔いていたのかもしれない。
私は運が良かったのだろうか。
実際に、本当にそうなのかもしれない。
だけど、私はあの飛行機には乗らず、こうして今生きている。
罪悪感を感じるという症状があると、先日初めて聞いた。
まさに私が10年間、ずっと感じてきたこの気持ち。
こういう気持ちは、普通なんだ。
その代わりに、ずっとずっと”恐怖”と”罪悪感”を持ってきた。
もしも今回の地震で、私のような気持ちを抱えている人がいるならば、
助かったあなたたち、そして私も、それでいい。
悔いることなんか、何も無い。
死ななくて良かった。
生きていて良かった。
忘れるなんて決して出来ないけれど、
罪悪感も、すぐにはどこかに行かないけれど、
それは、上に太陽光発電や風力発電は大規模化したところでうまみはないと書いたが、家庭レベルの電力であれば話は変わり十分実用に値するため、
実際の所そうでもないけどな。
ソーラーパネルの寿命は現状で10~20年程度と言われてる。設置費用や製造コストがそれだけで取り返せるかどうか。助成金などでサポートするにしてもそもそも財源が無い。現政府は子供手当てを何よりも最優先にしてるような現状だしね。あと、天災で破損した際の補償も今の所無いんだっけか。
ついでに言えば、ソーラーパネルの製造自体に大量の電気を食うので、完全国内生産しようと思ったらとてつもなく高価になってしまう。なので結局外国で作ってもらうしかない。今ならBRICsあたりか。それって依存する国が産油国から別の国に変わっただけじゃね?という事にも。
文章を読む限り、割と余裕な雰囲気だけど、数億円をどうやって調達したの?「やりようによっては外車に乗れるくらい」だと、手持ちの現金とかでどうにかしたってわけじゃないだろうし。
借金で調達したなら、今後何十年くらいで返済するとしても、利子と減価償却費で会社は何十年かは経常損失って感じだよね。キャッシュフロー的にも楽ではなくなるし。俺なら、とてもこの余裕さは出せないよ。
死なない程度に冷暖房入れるのって、年間何kwぐらいでいけるんだろうね
題名はブルーハーツの詞より。
僕たちが生まれる前、戦争に負けてここは歴史に残る放射能の島となった。
それから50年余り経ち、改めて放射能をばらまく状態となっている。
この先フクシマがどうなるかなんて誰にもわかりゃしない、専門家だってわからない。
近辺に様々な奇形の犬や猫や家畜などが生まれるかもしれないし、
もしかしたらヒトでそれが生まれてしまう可能性だって無い事はない。
甲状腺ガンになりました、僕は右目と左目がくっついて生まれました、
僕の性器は2本もありまして、両方とも不能となっております、
脳もなく、鼻もちぎれた子供が生まれてきました、…それより以前に子供が授かりません、
・・・そ れ ら を、 国 は 責 任 を 取 り ま せ ん !!
10年後をピークに20年後に僕らの子供が右目と左目がくっついて生まれるかもしれないし、
放射能の因果関係があまりにも証明しにくく、チェルノブイリの時のデータでは足りない、
チェルノブイリで甲状腺がんになった子供は何%で、平均どれだけのベクレルを含んだ牛乳を
どれぐらいの期間飲み続けていたのだろうか。牛乳以外の野菜などはベクレルを含んでいたのだろうか。
今後、僕たちは野菜から、空気から、魚から、牛乳から、水から、ヨウ素やプルトニウムやら
セシウムやらをどれぐらい取りこんでしまうのだろうか。専門家にもわかりゃしない。
黒い雨が降る死にかけた街で、
特に今年に入ってからの3ヶ月は、本当に会社で何もすることがなかった。
ひたすら机に座ってネットサーフィンするだけ。
昇進の話もなくなった。
異動の話もなくなった。
上司は実力は評価しているが、仕事の機会を与えられなくて申し訳なさそう。
会社の為に、少しでもお手伝いでも雑用でも何でもやろうと思ったけど、それすら必要にされないのがホントにつらい。
思い切ってサボるほど、図太いヤツでもない。
でも、こうして座っているだけでおカネがもらえるのは、本当に幸せなことなんだな、と・・・。
震災をキッカケに、仕事が亡くなった友達もいるし、もっと言えば、大切な人を亡くした友人もいる。
キャリアアップや出世なんか、そういった不幸に直面したヤツらからしたら、ちっぽけなものなのかもしれない。
偉くなって上り詰めたヤツが、テレビカメラを前に謝って世界中から避難を浴びるリスクを思えば、名もなきうだつの上がらないサラリーマンの方が
そしてその後に起こったことたちについて。
君はちょうど小学校の下駄箱にいて、下校する直前だったらしいね。
揺れ始まってまず見たのは、時計だった。君が学校にいる時間なのか確かめたかったから。
だけど運悪くそれはちょうど君が下校するくらいの時間だったね。ママは不安で不安で、揺れの恐怖よりも君のことばかり考えていた。
幸いにも君は学校を出る前だったみたいだけど。本当に、君が一人で道路の真ん中で怯えていなくて良かったよ。
揺れは、長かった。
建物はきしみ、壁にかかっていたものが落ち始め、天井のプロジェクターは私の頭上で振り子のように揺れていた。
そして最後に蛍光灯がジジジと不気味な音を立てて消え、とうとう揺れは収まった。
とにかく、長かったよ。
ママはこりゃ大ごとだなと思ってね。だって、電気が消えちゃったんだもの。
揺れたこと自体はママはそんなに恐怖じゃ無かったよ。ずっと、見てた。
どんな風にどれくらい揺れるのか。
「いいから机の下にもぐれ」って、隣の先輩に怒られたんだけどね。
でも、見たかったんだ。世界を確かめなくちゃって思った。くっきりとそう考えたことを覚えてる。
目をこじ開けて、全部を、見たかった。
会議室にはその時職場の人全員がいて、誰からともなくみんなが声を出していたよ。
「まだ揺れてるから、動かないで」「上注意だよ。プロジェクターが危ない」「揺れ強いよ。まだまだしっかり」「続いてるよ。まだみんな隠れて」「みんな、大丈夫?怪我してる人はいないよね?」って
あちこちで声が上がっていた。ママは一番下っ端だから、じっと黙っているだけだったけれどね。
良い職場だな、と思ったよ。世の中の人たちはどんな感じであの揺れを耐えたんだろう。
君はお友達と一緒だったんだよね。良かった、一人じゃなくて。
お友達が「バスみたい!」って喜んだそうだね。良かったよ、頼もしいお友達を持って。
あんなこと、きっと君が生きている間にはもう二度と起きないと思う。と、信じたい。
ママは会社から退社の許可が出て、一番最初に会社を飛び出したんだよ。
ママの会社って何百人もの人が働いている工場なんだけど、一等賞だったんだよ。すごいでしょう?
車に飛び乗って、車のナビでNHKにチャンネルを回したんだ。どんな状態なんだろう、と思って。
その時に見たのは、街が海に飲み込まれていく映像だった。ハリウッド映画じゃないよ。生中継だ。
大津波警報って、なんだ?大津波?この映像は?現実なの?一体、どこなの?どこの海で津波が起こってるの?
さっぱり訳が分からなかったよ。だって、信じられるかい?街が海に浸かるなんてことを。
そしてそこは、君も知っている場所なんだよ。
一旦車を家に置き、自転車立ちこぎで猛スピードで小学校に着いた。
最初にママも顔見知りの君の友だちに会ったんだけど、その子は顔を真っ赤にして泣いていたよ。当然だね。不安だっただろう。
でも君は不思議と泣いていなかったね。
硬い顔で
「さむさが限界だよ」
帰り道には冷たい雪が降ってきて、街がどんどん暗くなってきた。
街は不安に包まれていた。
あの時、不安は形になって、色になって、私たちの住む街に降りていていたと思うよ。少なくとも、ママにはそう見えた。
これは大ごとだ、って。確かめるように何回も考えた。
確かに大ごとだったんだよ。
ママがテレビも見れず、知らない間に、津波は宮城県の全ての沿岸部を根こそぎ持っていってしまった。
でもママはそれを知る手段がなかったんだよね。
唯一手元にあったのはラジオだけで、でもラジオでは津波がどれだけの陸地を飲み込んだのかは想像できなかった。
君と一緒に行ったことのあるショッピングモールも、水に浸かったそうだよ。
君と一緒に遊んだサイクリングできるあの場所も、なくなったよ。
君と一緒に船に乗ったあの港も、君と一緒に買い物をした市場も、みんな、みんな、波が持っていってしまった。
私がそれを知ることができたのは、それから何日も経って家に電気が来てからだったけど。
君を仙台空港の近くの海のそばにある公園に連れて行くつもりだったんだ。
だからもしもあの地震が一日ずれていたら、私たちは死んでいたかもしれないね。
だってあの場所に、あんな津波が来るなんて全く想像つかないよ。正直、今でも信じられない。
それが、一瞬でなくなってしまうなんて。
どうやって信じたらいいのだろう。
ないよ、ってママは答えた。
もう、あそこには公園作らないの?って君は訊いたね。
どうかな、ってママは答えた。
でも、誰も悪くないんだ。あの公園がなくなったことも、何もかも、全部。
あの日あの時、起こったこと。
そしてこれから起こるであろう全てのこと。
ママたちは津波の影響がなかったから、家を片付けて、ライフラインが復旧すれば
とりあえず身近な日常に帰ることができる予定だった。はずだった。
掌に収まるほどの小さなラジオが、大事な大事な全ての情報源だったんだ。
こうやって考えると皮肉なものだね。
ママは普段からパソコンだの携帯だのって、デジタル漬けになって生きていたのに
結局あんな時に頼ることができたのはアナログだけだったんだものね。
ラジオから貰える情報は限定的だった。音声のみのデータでは、余りにも物足りなかった。
でもNHKのアナウンサーは繰り返し、福島原発が良くないということを伝えていた。
最初は、電源が使えなくなって冷却ができない状態に陥ったこと。
次は、核燃料が溶けているかもしれないこと。
そして、爆発したこと。
分からないっていうことは、不安ということなんだと、今回とくと思い知ったよ。
情報と知識があれば、何事にもそれほど恐れずにすむことを。
知識は人を強くするから。
知らないってことは怖いことなんだって、気付いた時には遅いこともたくさんあるだろうから。
何が起こっているか、分からないこと。これから先、どうなるか分からないこと。
それらがママをどんどん蝕んでいった。
彼が出てきて話すことといえば、やれ爆発しただの、やれ退避しろだの、やれ念のため家の中にいろだの、
そもそも原発の事故ってだけでもとてつもなく恐ろしいことなのに、
その内容たるや、時間が経てば経つほどに悪化して行っている。
ママはね、自分が生きてる間に戦争が起こることって想像したことがなくて、
でもこれは、戦争だと思ったね。
その時はちょうど電気も無くて、買い物するにも屋外に商品をとりあえず並べたものを何時間も並んでちょっと買うしかなくて、
ママは思ったよ。
これは戦争だ。ここは戦中なんだ、と。
そして、まだそれは続いている。
うちに電気がきて、ママはいつも通りにインターネットを使えるようになって、
スーパーも徐々に開いてきて、でも、
まだ何も解決はしていない。
ラジオから二号機の核燃料棒が全て露出して、炉心が溶けたかもしれないってニュースが流れた時に
その時は、ママには君を守ることができないかもしれないって、本気でそう思ったんだ。
何があっても、ママは君を守り抜くって思って生きてきていたんだけれど、
うちにはパパって人がいないから、絶対に絶対にママが君をどうやったって守ろうって思っていたのだけれど、
どうも、ママにでもどうすることもできないのかもしれないって
うちから原発まではたったの80キロほどしか離れていないからね。
原発に重大な何事かがあったら、多分我々も駄目になるだろうからね。チェルノブイリのようなことがあったらね。
すぐには死なないかもしれない。
でも、身体に影響はあるかもしれない。
君は子どもが産めない身体になるかもしれない。
いや、産めないわけじゃないかもしれないけれど
でも宮城県出身だからっていう理由で差別されて結婚できなくなるかもしれない。
君はたったの7年しか生きていなくてこれから先何十年も生きて幸せになるはずで、
でもその全てを原発に奪われるのかもしれない。
2011年3月11日まで、当たり前のようにこの先ずっと生きていくんだと思ってた。
そうしてどんどん君は大きくなって、運動して勉強して、そのうち反抗期になったり恋したりして、
当たり前のように大人になるんだと思ってた。
でもそれは簡単に手に入るものじゃなくなった。
訳の分からないうちに。
福島原発の一連の事故に対して最初に抱いた感情は、絶望だった。悲しみだった。
次に浮かんだのは怒りだった。そして不信感だった。
ラジオと新聞の情報のみの電気が無い状態では、自ら調べることはできない。焦燥感が募った。
そして、憎かった。原発が。東電が。政府が。そして、東京の人すら。
君はさ、まだ7歳で
今ここで何が起こっているかなんてことは、到底理解できないと思うんだ。
多分君の未来には、日本の未来も含まれているんだろうと思う。ひょっとしたら外国に永住するかもしれなけどさ。でも故郷は必要だろう?
だからママは日本の未来について考えなくてはいけないと思ったんだ。
調べたよ。たくさん。原発のことなんて、今まで気にも留めてなかったからね。
放射能と放射線の違いすら知らなかったし、同位体って何のことだかもすっかり忘れていたくらいだったけれど、とりあえずいっぱい調べた。
ああ、余談だけど、やっぱり勉強は大事だよ。ママも昔、ちょっとはしたんだよ。化学も物理もやった。そのベースがなかったら、ちょっとしんどかったかもしれない。まあそれはいいんだけど。
調べたからって正答を得られるわけじゃないんだよ、勿論。
考えなくてはいけない。どんなに困難でも、逃げるという選択肢はない。自分たちの問題だからね。
どこかで誰かが解決してくれるだろう、ってわけにはいかないんだよ。
だから考えなくてはいけないよ。諦めずに、信念を持って、考える必要があるんだ。
ましてや人の命よりも大事な電力なんてものもないんだってこと。
原発がなくなったら、確かにしんどいことが起こるだろうと思うよ。
とんでもなく不便で、そして貧乏になる。私が貧乏なのはまあ、いいけど、日本という国の全てが貧乏になるだろうね。
不便もどれくらい我慢できるんだろうね。今まで無尽蔵に電気を使ってきたからね。
とてもとても、想像つかないけど、どうにかできないこともないはずだと思うよ。
でも、仕方ないよ。
何だって変わり始めはしんどいもんだよ。当たり前だよ。
ママも離婚したての頃はしんどかった。する前は不安だった。でも、どうにかなったよ。どうにか、したんだ。
でもこれは日本という国全ての話だからね。ママの離婚と比較するのはおかしいだろうね。
国の全てがしんどくなるって分かってる方向に向かって、舵を切るのが困難だってことも分かる。
勇気がいる。痛みも伴う。そして、犠牲も。変化は怖いものだよ。いつだって、どんなことだって、そうだ。
だけど私たちは、ずっと先のことを見なくちゃいけない。これから先の、未来のことを。
今この瞬間が辛くてもいいんじゃないかな。十年後、二十年後、五十年後、百年後、いやそれよりもっと先でもいい。未来が幸せになれるんなら、いいと思うんだ。
でも、原発を使い続けて、明るい未来はやってくるのかな。何百年後かの君の子どもの子どもの子どもだって、困るんじゃないのかな。
人間はさ、失敗するもんだよね。
でも失敗は成功のもとだよね。君にもいつも教えてるよね。
勿論、国だって馬鹿じゃないから、津波対策とかはするだろうよ。
多分、無理だよね。だって人間は失敗するんだもの。いつかは必ず、何かが起きるよね。
ママは何かが起こったときに、誰かが命張ってじゃないと止められない仕組みなんてあっちゃいけないと思うんだよね。
今もどこかの誰かが命掛けで、どうにもなんない原発をなだめようと頑張ってる。
でもそれが、家族だったら?君だったら?
日本は変わるよ。変わらなくてはいけないんだ。ママにはそれがはっきりと分かったよ。
こんなこと考えたのは生まれて初めてだよ。でも必ずどうにかしなくてはいけない。
強く強く、そう思ってる。ママにはなにができるのかな。きっと、何にもできないとは思うよ。
だってママは東北の片隅の工場でチマチマ働いてるだけの人だからね。政治家でも学者でもないからね。
だけど考えることはできる。そんなに賢くはないちゃらんぽらんで頼りないママだけど、君のためなら必死に考えるよ。
2011年3月11日は、日本にとって重大な日になるはずだと思う。
君もママもこの瞬間に立ち会えたこと、そしてその渦中にいたこと、これはとてもとても貴重な経験だと思うよ。
人によっては運が悪かったって思うかもしれない。
でも、違うんだよ。
私たちはね、歴史の変わり目に立ち会えたんだよ。
2011年3月11日に始まった悪夢を、一つも無駄にしてはいけない。
これを二度と繰り返さないために、未来に伝えていかなくてはいけないんだ。
私は君に伝えたいと思うよ。
この全てのことを、忘れないで。