はてなキーワード: 藤子とは
「のび太というキャラクターは故意なく覗いてるかもしれないが、藤子F不二雄という現実の作者がしずちゃんが覗かれるシーンを故意で描いてることが問題」という意見がブコメにもトラバにも複数ついてるけど、その理屈が広まったらヤバくない?
その理屈だと、主要人物をイケメンに描いたり巨乳に描いたら、たとえ作中の物語がどうであっても、作者はルッキズムや性的魅力重視を助長してる悪い奴だと批判できてしまう。
作品内では彼らが外見じゃなく性格がよくて周囲から好かれる物語であっても、逆にキャラたちが自分の外見的特徴を肯定的に捉えて生き生き暮らす物語であっても、作者がイケメンや巨乳という要素を選んだ時点で非倫理的な思想の持ち主ですよね!となるじゃん。
………いや、既にこういう考え方の人が結構いるのか。
擁護側が、宇崎ちゃんは人生楽しんでるし長瀞さんにいじられてる主人公男子も幸福なんだから問題ある描写じゃないと言っても噛み合わなかったのは、ヒロインの要素として巨乳やいじりを持たせる現実の作者が問題であり、作中での扱われ方は二の次という考え方だったんだろうな。
ここ最近また人生ゲームで『しずかちゃんのお風呂』が話題になっているらしいが、確かにこれに関しては不快感覚えても仕方ないと思う。
今ではドラえもんは図鑑イメージキャラクターだし、他にも様々な学習用品が出ている(もちろん普通のおもちゃも出ている)。そら高尚なものになっても仕方ない
それなりに長くやっているアニメというのは昔と表現が違うなんてよくある事だし、ドラえもんも例外ではない。しばらくすればお風呂シーンに関しては無くならないにしても頻度は限りなく減るのではないかと思う。
あとこの件に関して署名があったらしいけど、あるならキッチリ出してくれ、出さないと舐められるだけだ。
最後に、もうドラえもんは藤子F先生の手から離れ、独立した一つの巨大コンテンツになった。もしもF先生の風味を楽しみたかったら、他の作品の再アニメ化を期待するしかないだろう。
〈追記〉
そうか、限りなくもう既に減っているのか、それは勘違いして本当に大変申し訳ない。私の愚かな知識不足だ。教えてくれてありがとう。
米国では高額な眼鏡は先の御当主であるディエゴ・ホセ・サン・フェルナンド・ラブレスからのプレゼントなのだろうか…
米国で日本人のステレオタイプが「眼鏡で出っ歯」なのは、視力が悪い=兵隊に向いていない、歯列矯正していない=育ちが悪い、というメタメッセージ
ロベルタの眼鏡は伊達だから視力はかなりいいはずなんだけど、眼鏡外さないよね
兵隊には向いてる
というか、フローレンシアの猟犬とまで呼ばれてたんだから向き過ぎてる、天性の兵隊
育ちは超悪いのに、歯列矯正しなくても歯並びがいい
というか、鉄でも噛み砕けそう…
日本でも「特に意味合いなく眼鏡をかけている主人公女性」となるとかなり少ない。ベヨネッタぐらいか。友人枠なら枚挙に暇がないが、知的orオタクorおとなしいキャラが多め
コミュニティに参加するための条件が知りたい。
同じ趣味で集まるコミュニティがあったとして、いったいコミュニティに参加するにはどんな条件が必要なんだろうか。
世の中ギブアンドテイクだから何かを提供しなければ仲間に入れてもらえないはずで、そんなものは持ってないからコミュニティに入れない。
コミュニティに入れる人の条件を教えてほしい。
人に迷惑をかけないのは当然として、コミュニティに入るからにはそれ以上のものが求められるはずで。他人にとって価値のある人間でないとコミュニティに入れてもらえないと思う。
そんな人間ではないのでコミュニティには入れないんだけど、そんな人間だからこそ一人でできることには限界がある。詰み。
コミュニティに入るにはどうしたらいいのか。
コミュニティに入ってから抜けるのは申し訳ない。しかしコミュニティに入らないとその場の雰囲気がわからない。高校の時、部活に入ったら想像以上の練習のキツさで1日で幽霊部員と化したことがある。その轍は踏みたくない。どうにかして入らずに雰囲気を掴む術を知りたい。
コミュニティに入ると他人と関わることになる。他人と関わることは他人に迷惑をかけることである。その人がコミュニティから得られる利益を、私が迷惑をかけることによる不利益が打ち消すかもしれない。
コミュニティなんて自分のことだけしか考えられない人が入るところだ。他人に迷惑をかけないために、コミュニティに入るべきではない。
コミュニティがないとつらい。
独身男性の寿命が既婚男性より短いのは有名な話だ。そうであるならば独身男性は早めにこの世からなくなるようにならないか。藤子F不二雄の漫画みたいに。
コミュニティについて考え出してはや1年が経ったけど、未だに答えが全然出ない。コミュニティがあれば楽しいんだろうなあ、でもその楽しい空間は私が潰しちゃうんだよなと思うとだめだ。
もう無理だよ。
ちょっと前にドラえもんの絵柄寄せた二次創作が似せすぎて多くの人が藤子先生の作品だと勘違いしてたってのがあったけど
これとかこれで金儲けしたって言われたようなモヤモヤって言ったら伝わるだろうか
望月けい、pako、最近見るのだと藤ちょことか漫画家だと久保帯人、大御所だと藤子F不二雄。
そこら辺の絵柄が特徴的なイラストレーター/漫画家の絵柄をあからさまに真似てる絵師をTwitterで見かけるんだけど。
〇〇さんをリスペクトしてます!って明言してたり趣味で投稿してるならまだしも、Twitterのフォローもしてなくて不自然にやってるゲームのその人の関わってるキャラには触れませんみたいな態度で、skebやVtuberのサムネ描いたりして儲けてる絵師が一定数いるわけですよ
絵柄に著作権が発生しない=法的には問題のない行為ってのはわかるんだけど、依頼してる側も大元の絵柄の絵師のこと知りませんってことは多分ないわけじゃん。大物絵師に頼むには金がなかったりそもそも依頼受け付けてもらえなかったりして出来なくて、そいつに依頼してるのが容易に想像つくわけで
これってどうなの…?ってずっと思ってるし先日興味本位で覗いたら「絵師に〇〇さんと絵柄似てるなとかこのキャラ〇〇と似てますとか言わないでください!傷つきます!」ってツイートをRTしていて笑ってしまった。お前がそれ言っていいわけないだろ
https://anond.hatelabo.jp/20210820185218
返事すると言ったので
・ある人が別の人に比べて良い思いをすることで苦痛を感じる必要は双方ない(嫉妬一般が有害無益と広く捉えていいのか?)
この二つだと思う。
これは数年前に読んだアドラー心理学に近いと感じた。違うんだったら言ってほしい。
(ちなみにこの本には女特有の感情とは書いてなかったから狩猟生活のくだりは噛み合わない。関係ないが藤子Fのそこそこ有名な平等の話のコマにも男しか描かれてない)
アドラー心理学は一定の支持のある考え方で、個人的にも全肯定はできないまでも多少の納得感がある。だからもうこの本題部分に反論はしない。アドラー心理学はそこそこ有名で他の人が大勢反論してるだろうからもういいだろうというのもある。
ただしーーこれは元増田から引き継いだ間違いという面もあるので増田ばかり責められないけどーー本題はそこそこ理があるのに具体案が間違っていてわかりにくくなっている。
元増田は
私が参加できない楽しみ
と言っていて、増田も
と言っている。これは普段だったら両方正しいけどコロナ禍では両方おかしい。元増田は「私も夫も参加できない楽しみ」というべきだし、その夫の楽しみはやめさせないといけないものだから増田もおかしい。
それでも元増田はその部分以外はコロナ禍に適応した言動をしているのに増田は
仕方ない理由で自分が参加できない楽しみについて、他の奴らも参加すんなって
それ誰が得すんの?
男なら参加できるやつが参加する。
そんで気が利いたやつ(大人)なら参加できなかったやつになんか奢ってあげるとかおすそわけしてあげるとかそういう風にする。
この通り夫をフジロックに行かせることが正しいと言ってるとしか思えない主張をしている。
だから、仮に増田が全体的な精神性としては元増田よりWIN-WINを狙える優秀な人なんだとしても、このコロナ禍での具体的行動としては増田が無益な足引っ張りとした元増田の行動のほうがWIN-WINなんだよ。なんか奢ってもらったりおすそわけされたりするより夫の楽しみをやめさせるほうがよっぽど全体の利益が増す。
返答ありがとう。
だから、よくある女性が共感してもらいたくて話をしたら男性が解決策を提案したり、お前にも非があったんじゃないかと説教するやつの逆パターンに見えた。
なるほどね。これは確かにそうだ。共感を求めるメッセージに対して、先走って問題解決を図ろうとしてはいけないな。反省するわ。
風俗産業はパートナーを得るのが難しい男性や、出張などで遊びたい独身男性の利用が多い。芸能人などが恋愛トラブルやスキャンダルを避けるために利用するケースもある。いずれにしても既婚男性がセックスレスを理由に堂々と遊べる風潮には男性の間でもなっていない。
ここからは議論するというより、増田に一緒に考えてもらいたいというか、自分が考えることに増田につきあってほしいという感覚で書くんだけど。セックスレスを理由に堂々と性欲を解消したい、風俗で解消しても良い夫だと思ってもらいたい、というのは、性欲自体の認知・取り扱いとは違うことのような気がするんだよ。
増田と元増田の話に出てくる、社会がどう変わっていってほしいかという話を自分なりにいくつかに分けて考えてみるね。
まず①性欲は健康で健全なものだという社会的認知がすすむこと、これは充分に可能性があると思うし、老人の性や女性のセルフプレジャーが認められている話とも、性の権利宣言の話ともつながる。あとホモソーシャルな領域では男性の性欲はずっとそんな風に扱われてきたような気もする。
次に、②既婚中年男性であろうとそうでなかろうと、性欲については公にオープンに語っても構わないことだ、という社会的認知がすすむこと。これについてはまず、自分は未成年という要素が絡むときには、今後も一定の配慮や線引きが必要になるんじゃないかと思うんだよね。未成年全般に対しても、自分自身の子どもに対しても、性をめぐる情報の発信には適切・慎重な取り扱いが必要で、子どもがそれによって親との関係を損ねたり、心的トラウマを持ったりしないよう細心の注意を払わなければいけないと思う。増田の望むような未来で、子どもに対しても自分の性欲についてオープンに語れるイメージは湧いているんだろうか。俺も既婚中年男性で子どもがいてセックスレスで性欲はあって、だから自慰を行っている、という、元増田と同じステータスなんだけど、やっぱ子どもに自分の性欲について話すのはきついわ。これについては、社会通念の変化でどうにかなるような可変的な価値観だという実感が全然わかない。
あと、性のプライベートで私秘的な領域こそが人を惹き付ける部分とか、「語れない」ということこそが性の快楽の源泉になっている部分は確実にあると思うんだよ。藤子F不二雄の『気楽に殺ろうよ』ってSF短編では、セックスはオープンに誰とでもやってよく、かわりに食事が恥ずかしく淫靡な行為になった世界が描かれてるけど、やっぱ「他者の肉体との直接のコンタクト」という動物として極めてリスクの高い行為(コロナ禍でこのリスクをいっそう実感した)の実践や語りが、食事のようにカジュアルに気楽にできる未来というのはなかなかイメージしにくいんだ。
最後に、③性欲は婚姻という関係の外部で他の人間との性行為で解消されてもよい、という社会的認知がすすむこと。これは、最初からそういう前提で結婚しているパートナー同士が充分に増えない限り、広く一般に受け入れられるようになるのはなかなか難しいんじゃないかと思うし、一般的にそういう通念が通用するようになったとしても、今の配偶者との関係までがいきなり変わるわけじゃないんだよな。日本では婚外性交渉は犯罪ではないけれど、結婚している人間同士が双方同意したうえでのことでない限り「婚姻共同生活の維持という権利又は法的保護に値する利益の侵害」という不法行為を構成するわけで、やっぱり「結婚」と「相手と性行為を行う権利の排他的独占」は、社会的にはセットの権利義務関係として考えられていると思う。
元増田はまっとうな人だから、セックスを希望していない妻側の意思を尊重してセックスレス関係になっているわけだけど、やっぱり理屈としては妻と話し合って婚外での性交渉を容認してもらうというのが唯一正しいアプローチのような気がすんだよ。社会の変化や技術の進歩では、どうやってもこの問題(ほかでもないご自分の奥さんが、いま「結婚とセットだ」と考えている権利義務関係を、こちらの要望で解除すること)は解消できない、っちゅーか。
もし既婚でなければ、結婚する時に相手と「セックスレスになったときの対応」についてお互いに取り決めておくことはできるから(結婚契約書みたいなやつ)、セックスレスがいずれかの段階で来る問題だという認識のもとで、事前にそういう取り決め・擦り合わせをすることが世間的に当たり前になったらいいのかもなとは思った。