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はてなキーワード: 正論とは

2019-09-12

相談できなくなった

仕事で大きなミスをした。

何人も巻き込み、上の人がお客様に謝りに行ったりもした。

以前からさなミスをしたりして周りからの信頼はなくなってきた時だった。

理由は色々と考えられる。ただ、自分に関する事はご法度だ(残業続きとか)。それじゃ、再発防止にならない。トヨタ式ではないそうだ。つまり自律神経がいかれてて心療内科に通っていようが、プレッシャーミススパイラル状態にあったことは言い訳しかなく、理由としては認められない。

大人なら当然である

上司から理由を早く考え、再発防止策を考え、それを踏まえた施策案を求められている。振り返ってもなかなか良いアイデアが出ず、それは対策以前、そんな事言えば契約を切られてしまうと却下されまくる。嫌だなぁとボヤいても、上司お客様から回答を求められているからねと関係ない周りは言う。

まりは、全てはヘマをかましたお前が悪く、それ以前に対策は打てたはずだ。可哀想とは思うが、どこかで止められなかったお前が悪く、辛かろうが、しんどかろうが、反論余地なく状況を受け入れ、粛々と怒られるしかないと言われているように聞こえる。

周りは全面的に正しく、自分には反論余地はない。

ただ、こういう意見を聞くたびに、辛くなる。

例えば言ったことを忘れないようにメモすればいいじゃないと言われても、メモがないところで延々と話されたり、後からメモを見ても何のことか分からなかったり、肝心のポイントを外していたり、気づいたら止めていて元の木阿弥になり、自己嫌悪に落ちる。

あなたは私に画期的人生を変えるようなアドバイスをしたと思っているかもしれないが、それは何度も試した道で、挫折した道だ。

アドバイスをしたあなたノートを持参せずに仕事相談をしに行っても何も言ってくれない。諦めてるのですか?

だらだらと書いたが結局、愚痴ったり、その状態から逃げだしたいと思って相談しても、正論が返されるだけだ。

お前の努力が足りない。工夫が足りない。向こうの事も考えてやれよ・・・

本音は辛くて逃げ出したい。可哀想だと同情されたい。ただ、ストレッサー悪者にしないようにオブラートに包んだって正論で返される。正しいことができないお前が悪い。

口にできない苦しさを抱えて今日も帰る。

家にいる人は元気がないことを心配してくれるが、あなたたちにも相談はできないんだ。ごめんなさい。

自分が苦しくなるだけだから

2019-09-11

anond:20190911223329

ブクマカを「賢い自分が世の中にツッコミをいれる」ことを目的としている人たちとイメージしてツッコミどころを用意するといいだろう。正論ありすぎてはいけないしあからますぎてもいけない。

2019-09-09

ストレス発散

こっちも悪かったんだよな〜

でもめちゃくちゃ腹立ったんだよな〜

かに面と向かって愚痴れば正論が返って来るのが分かるからこそここに書くわけさ

「お前も悪いじゃん」、そんなことは百も承知

anond:20190908073938

世間よりも自分意見の方が正しいと後ろ盾をもらいたがってるのはなんで?不安からだろ。それを自信がないっていうんだよ。

正論すぎて笑っちゃった

ぐうの音も出ねぇや

2019-09-08

anond:20190908171352

韓国政府在日無関係」は正論だとは思う.同意する.

ただ,実際わけのわからない論理在日韓国人攻撃的なことを言っている人は存在する(twitterとか検索すればいっぱい出てくる)

から個人的には,この人の主張全体を支持するわけではないけど,現在不安な心情だ,ということは理解できる.

20半ばだけど芸能界に入りたい

この年齢じゃもう遅いんだろうか

小さい事務所は騙される場合もあるし、仕事も入って来にくい コネがないか

大手がいい でもレッスンはすべて無料じゃないとダメだよ

からそう教えてもらうけど、そんなの詰んでるじゃん

でも正論から何も言えない

20半ば以上で芸能界目指してる人っているか

そういう人の意見を聞きたいな

2019-09-07

そんなに怒ること?

最近の世の中を見てるとなんだか怒りっぽい人が増えたように思える。

誰かが何かをやらかしたら、ツイッター等で炎上して騒ぎになる、それをテレビワイドショーが取り上げる、全国の視聴者がそれを糾弾する。

もちろん、悪い事をした本人がいけないと思うが

匿名性の高いネット必要以上に叩き

切れ味鋭い正論で言い負かして良い気になるのって、果たして日本社会を良くしているのだろうか?私はそうは思わない。自由発言思想の妨げになるだけではなく固定観念に囚われた考えが

普及してしま思考停止に陥ってしまうのではないか危惧している。

承認欲求を満たす為だけの批評はある種の争いが生まれるだけだ。柔軟な発想 相手を受け入れる寛容な心を育む事こそがこれからの、AI時代に求められる事ではないかと。シンギュラリティは近い。 だが結局人にしか出来ない事を機械が出来るようになるまでにはまだ相当年月がかかる。

パラダイムシフトを経て、人もアップデートしてかなくてはならない。

と中身はないけどそれっぽい事を綴ってみました。

2019-09-06

anond:20190906151433

言ってることは正論だし、まともな人なんだと思う。

他の政治家とかメディアとかからしたら、理論武装して対峙するもの破壊するエネルギーもあるから、正面から戦えないんで遠くからバッシングとか、イメージ戦略に終始するしかない感じに見える。

N国

参議院当選から興味をもってYoutubeを見る。言ってることは正論

ただ

NHK受信料を払うとか払わないとか

どうでもいいか とおもって 見るのをやめた

そういえば NHKドラマとかドキュメンタリとか好きでみてるから、ぶっ壊されても困る。

2019-09-05

左翼は「正論」を言うんじゃなくて勝てる戦いをしてほしい

なんで勝てる戦いをしないかって、勝ってしまったら困るから

anond:20190904191741

疾走感あるド正論気持ちいい。

一度でも幹事やったことあれば元増田みたいな感情は沸かないわな。

2019-09-03

YouTuberアンチ気にしないアピール動画

まあ、これはYouTuberに限らず配信してる奴全員に言えるか

アンチ気にしてませんよってだけの動画出してる奴って、多かれ少なかれアンチ気にしてるの丸わかりなんだよなぁ

気にしてなかったら、そもそもそんなアピール動画さないだろうし

自分思想否定されたり、あらぬ噂を流されて嫌だったら、それに対する反論動画なり配信すればいいだけの話なんだけど

そうでなく、ただただアンチ気にしてないアピールするだけってのは、キレてるかどうかは別として結局アンチ気になっちゃって反応してる哀れな奴って自己紹介してるのと同じなんだよな

そんな馬鹿げた動画配信者を誰が支持するのかと思いきや、ファンらしき人たちは配信してる側以上にアホだったりして、むしろアンチ気にしてないなんてカッコイイ!とか盲目的に支持してたりする

あの世界では正論かどうかなんて関係なくて、配信者が言ったことが正しいってことになりがち

すべてではないけどな

あいうの見てると、やっぱちゃん勉強しておいて、感情に左右されにくくてある程度考えられる人と関わる可能性を高めたくなるね

anond:20190903100338

オウム返しじゃなくて正論言ってみろやホレホレ

救いようのないバカほど「正論」や「論破」って言葉使うの大好きだと思うガチ


自分証明してたら世話ないぜ

anond:20190903100338

“救いようのないバカほど「正論」や「論破」って言葉使うの大好き”にはエビデンスがない。ろんぱっぱ。

anond:20190903095742

オウム返しじゃなくて正論言ってみろやホレホレ

anond:20190903095440

救いようのないバカほど「正論」や「論破」って言葉使うの大好きだと思うガチ

救いようのない馬鹿が言っております

anond:20190903093651

救いようのないバカほど「正論」や「論破」って言葉使うの大好きだと思うガチ

anond:20190903093651

アホか。

増田だと自由戦士がよく「フェミ攻撃されているから反撃しているだけ」という。

それって今の韓国の「日本にやられたから反撃してるだけ」と何が違うの?

攻撃事実の有無」という最も重要ファクターが全く違いますね。

フェミは実際に表現を殺してる。

結局、誰だって暴力コンテンツが好きなだけなんじゃないのか。

でも、体裁として「暴力を好んでいる」となると自分がひどく低俗人間に見えるから

正論暴力を隠してるだけなんじゃないの?

だって喧嘩暴力もしたく無い。

フェミのような一部の例外を除けばな。

何度も言ってるが、フェミが居なければ俺はこうはならなかった。

平和に、望んだ仕事をして暮らしていけた。

寝言いってんじゃねーよ。

正論暴力を隠してるだけなんじゃないの?

本当はもっとこう、歩み寄りとか、せーの愛してるとか、猫増田みたいに相手を受け入れて相手に受け入れてもらう事が必要なんじゃないのか?

フェミの言うことを受け入れた結果がどうなるか、端的に示してやろう。

『コンビニの成年向け雑誌を潰したら、今度は少年マガジンの水着グラビアを潰せとフェミが喚きだした。』

フェミが止まったか?歩み寄ったか

フェミは決して他人を受け入れない。

気に入らないものはすべて滅ぼすまで止まらない。

だったら、こちらも死に物狂いで抵抗するしかないだろ。

現実を見れないDD論者は黙ってろ。

正論コンテンツが本当に苦手

ウサギのミミちゃんとか、スルメロックみたいなやつね。

自分を棚に上げて指摘してたらそりゃ正義に見えるよ。

あと、テレビだとスカッジャパンか。

かに譲れないものはあるし、こちらに一切落ち度がないこともある。

今まで落ち度とされてきたことを受け入れていこうという空気もある。

からといって反撃にまで出てしまったらそれはもう暴力じゃないのか。

増田だと自由戦士がよく「フェミ攻撃されているから反撃しているだけ」という。

それって今の韓国の「日本にやられたから反撃してるだけ」と何が違うの?

結局、誰だって暴力コンテンツが好きなだけなんじゃないのか。

でも、体裁として「暴力を好んでいる」となると自分がひどく低俗人間に見えるから

正論暴力を隠してるだけなんじゃないの?

本当はもっとこう、歩み寄りとか、せーの愛してるとか、猫増田みたいに相手を受け入れて相手に受け入れてもらう事が必要なんじゃないのか?

2019-09-02

週刊ポストって昔からあのレベル雑誌だと思ってたけどな

サピオだか正論だかその辺だったらスルーされそうなのに問題視される辺り

もっと高尚な雑誌だと思ってた人もいるって事か

anond:20190902203645

あのさぁ、変位はキャンセルされないから変換とか無理だから(正論)!

叱られすぎると反省できないよね(叱り方戦略について)

昔、そこそこ仲の良かった男子結構くだらない事でめちゃくちゃ叱られてグレてしまった

グレたと言っても、自習時間に机をドンドコしたり、補習をサボってバッセンに行く程度だったけど、まあうちの学校ではグレてる部類だった

彼はそのうち課題を出さなくなり、その事で他の先生にもしょっちゅう叱られるようになり、余計態度を硬化させる負のスパイラルに陥って

もともと下がっていた成績もガタ落ち、結局3浪して消息不明になった。f欄に行ったという噂も聞いたが、謎だ。

彼を叱った先生とついこの間お話しした際に、彼についての話も出たのだが、「怒りすぎちゃったなあ」と後悔していた。他にも彼の没落の原因はあったのだろうが、アレがキッカケになったのは確かだった

宿題やったの!?」「今やろうと思ってたのに!」みたいなの、大人になってもずーっとあるよね。あんまり叱られすぎると反感や怒りが先行してしまって、なかなか自分省みることが出来なくなる

叱られて伸びないタイプの人は、やんわりと諭してあげるのが一番良いのだと思うが、叱る側に立つと結構難しい

「叱る」とはどうあるべきなのだろう

鬼の生活指導に叱られて、不登校になってしまった女の子中学時代いたが、彼女にとっての「叱られる」は、しょっちゅう叱られている剽軽男子にとっての「叱られる」とは同じ叱られ具合でも全く違うものだったろう

クラスメイトの前で「ちゃんとやれよ!」と一言言う事だっておとなしく真面目な子と活発で不真面目な子とでは受け取り方が全く違う

前者の場合先生にみんなの前で怒られた」という羞恥を引き起こす、精神的苦痛は絶大だ

本人のタイプに合わせて指導法をきめ細かく変えてやるのが一番人を伸ばす叱り方だと思うが、「人によって叱り方が違う」というのは集団不公平感を生む

教室のような閉じた、それでいて壁のないオープン集団の中で人によって態度を変えながら叱るのは難しい

そう考えると、何か悪いことをした子はそっと別室に連れて行き叱るのが適切なようにも思える

しかし、自分自身小学校のころよく知らない先生と二人きりの教室で隣に座って密着されながら委員会資料作成をさせられたのは軽くトラウマなのでそれはそれで問題があるように思う

一対一での指導、は多分ロリコン教師欲情させるシュチュエーションになってしまうし、閉鎖的な空間上下関係が残るのも監獄実験のような状態になって「叱りすぎ」を誘発しそうだ

職員室で叱るという手もあるが、他の先生の前で叱られるというのも精神的な負荷が大きいだろう(忘れ物が酷くて何度やられたことか)

保健室で「厳しい担任先生」と話をそばで聞くだけの「優しい保健室先生」という二対一のお説教が思いつく限り一番良いように思う

仕事量を考えると養護教諭ではなく、昼休みだけ来る外部カウンセラー数人で回すのが風通しが良く現実的な形になるだろう

これが家庭の場合「厳しいお母さん」と「優しいお父さん」のような役回りでの叱り方になるのだろう

しかし、甘やかすだけ甘やかす父(母)に子供がなつき、損な役回りをさせられる母(父)の言う事を子供がきかなくなる、というようなケースも聞くので、適宜「厳しい」と「優しい」は交換しながらやっていく必要がある筈だ

「叱る」一つの手前でも、どちらがどちらの役割をするのか話し合う必要があるのはやや面倒だが、子供の糧になる「叱る」のためにはそのぐらいの手間は必要ではないだろうか

職場で叱るケースでも、教育係を一人に一任せず「直属の厳しい教育係」と「見守る優しい先輩」というロールで叱ってみるのも一つの手なのではないだろうか

我々は普段から「叱る」と「怒る」を混同し、ただ感情を発露させるだけの行為を目下の相手にしてしまう事が多いが、効率的に人を成長させるためには「叱る戦略」をきちんと考えて叱るべきだ

個人的に、教育現場における「叱る=怒鳴る」は論外である。怒鳴る事によって相手を萎縮させ、内省させる間も与えない行動が反省を促すとは到底思えない。

生徒、部下の立場は怒鳴られても怒鳴り返すことの出来ない立場である。おずおずと返答をしても「言い訳をするな」と一蹴される恐れがある。怒鳴る行動は対話の機会を奪うのだ。

勿論、いじめや命を落としかねない悪ふざけには少なからず「怒鳴る」のコマンド必要かもしれない。事の重大さに気づかずヘラヘラ対話による説教を聞き流すような生徒もいる。なぜ「怒鳴る」が必要になるのだろうか。この場合「怒鳴る」はどのような効果を発揮しているのだろうか。

主観的かつブラッシュアップの足りない考えではあるが、一つの仮説がある。「怒鳴るとは上下関係をわからせる手段ではないか」という仮説だ。そもそも動物としての観点で見ると大声とは威嚇の手段の一つである動物のように大声を上げることで、相手を威嚇し、上下関係再確認させるのだ。プラスして、感情をあえて大袈裟表現することで「自分真剣だ」と伝える意味もあるだろう。(しか演者時点が自身の演技に呑まれ可能性はかの有名な監獄実験で示されている通りであるので、十分な精神力と慎重さが求められるだろう)

社会動物である我々は猿山の猿のように、狼の群れのように序列に弱い。だから不真面目な相手を前にした場合、この「怒鳴る」という行為はある程度有効なのだろう。怒鳴るは相手の「話を聞く真剣さ」を+5するというようなコマンドなのかもしれない。

人間感情は複雑なように見えて案外単純だ。悲しい時に怒る、傷ついた時に傷つける、というような行動も一見ブラックボックスを抜け出たものに見えるが、案外類型的なものである。それはピンボールの玉がピンに当たって跳ね返りながら、最終的にはいくつかの穴に収束していくのに似ている。無限可能性を持ちながらも、個々のピンでの跳ね返り方はある程度の予測がつく。我々の行動自体が、大したパターンを持たないからこそ、我々は相手気持ちを思いやり、共感できるのだ。

宿題やったの!?」という言葉子供時代私たちにもたらしてきた感情は「後ろめたさ」「反省」「反感」である。この感情パターン類型的だからこそ、私たちに「先に言われるとやる気なくすよね〜」という共感をもてる。

というように、人間感情がある程度パターンとして把握できる以上「叱る」のマニュアル化可能ではないだろうか。

「優しく諭す」というコマンド相手の「真剣さ」には効果が薄いかわりに「反感」の数値はあまりあげない。だが「真剣さ」の数値が低いと「反省」には至れない。

「怒鳴る」というコマンドは逆に「真剣さ」には絶大な効果を持つ、が、「反感」のポイントを高めてしまう。「反感」の数値が一定を超すと「反省」への道は閉ざされる。

前述の優しい医者と怖い医者戦略も、数値化で説明してみよう。怖い医者は「真剣さ」「内省を促す」方面に強いキャラクターであり、優しい医者は「反感」という感情共感し、怒りを和らげ「落ち着き」を取り戻させるヒーラーのような役割キャラクターである

「叱る方と叱られる方」という絶対的上下関係に、そのどちらでもない第三者を加える事で、叱り手の感情暴走を抑えるとともに、第三者による「共感」で叱られる側の精神負担を減らし、自分省みる余裕を与える。

無論、感情の数値の動き方には個人差があるので、叱り手は自分コマンド相手にどんな影響をどの程度与えるのかを考えながら叱り具合を調節していく必要がある。 と言っても、その個人差もある程度はパターンに当てはまるように思う。不真面目だが誠実な子、真面目だが反抗的な子、結局は要素の集合体である。実際に「元気な子(そして剽軽悪戯っ子)」「明るい子(そして優しくてポジティブな子)」「大人しい子(繊細で真面目な子)」という安易パターン化はあらゆる人間関係において常に行われている※。タイプに応じてコマンド駆使の仕方のマニュアルがあれば、どんなボンクラでも効果的な「叱る」ができるだろう。

※これには幾らか問題がある。私のように「大人しい子(割合図太く不真面目で陰険な子)」という相反するイメージの要素を持つ人間は取りこぼされる。そして不理解大人失望し私は余計陰険になった。教室のような大人数を把握すべき空間では、雑なラベリングが横行して、かえって正確な人格の把握の障害となるかもしれない。ここにもいくつかの心理検査を用いた人格パターン化による把握が必要かもしれない。

このように数値化して考える方法を主張すると必ず人の心が通っていない、愛がないという人が現れる、が、なんの考えもなしに相手の叱られた後の情動予測せずに感情をぶちまける事の方がよっぽど動物的で、「人の脳味噌」という回路を通わない非効率不合理なくだらぬ行動だと私は思うのだが。

(だいたい愛の鞭なんて言うが、恐怖政治よりインセンティブによる動機付けの方が効果がある事なんかもう数十年前から言われているのだからいい加減卒業してほしい。)

叱る、は上手くいけばとてもポジティブ効果を発揮する。しかし下手にやればかえって人から反省の機会を奪う。説教正論気持ちが良すぎるので、叱り手側は容易に権力を振りかざす楽しさに呑まれしまう。だから、叱る前に一呼吸置いて、叱る戦略を立ててみるのはどうだろう。戦略という言葉大袈裟かもしれない。叱る前に叱られた相手気持ちを考える、それだけの事だ。

人材育成教育現場、家庭での指導法においては、「叱り方マニュアル」の作成も試みとして楽しそうだ。心理テストで振り分けられた生徒や人材ごとに診断チャート作成し、それを参考に叱り方戦略を立てる。大規模に実験調査結果を取り続ければ有効性を立証できるかもしれない。最終的にはAIが掛けるべき言葉演算し、叱り手という演者がそれに従うようなディストピア教育が出来上がるかもしれない。AIの愛のない教育、は痛烈にこき下ろされそうだが、「データを集め、型に当てはめ、パターン化された指導をする」という一連の行動は学習行動として常日頃個々人が行なっている事であるし、そこに統計処理がより得意なAIを解すのはそれほど不自然でないように思う。

教育者には当たり外れが多すぎる。一生涯呪い殺したいようなクソもいれば、人生の節目のたびにあって感謝の意を述べたくなるような聖者もいる。マニュアルさえあればどんなクソにも一定ラインを超えた指導ができるようになる筈なのに……!と思うと悔しいばかりだ。しかし、こうなると今度は「マニュアル一辺倒の叱り方」という批判が生まれてくるだろうか。教師マニュアル依存、なんてニュース流れるようになるのも嫌な話である。優しい医者と怖い医者も何も知らずに信じ込めるとステキ装置ではあるが、そんなプログラムだと言われてしまうと薄っぺらさにがっかりしてしまう。マニュアル化した叱り方は叱られる側に不信感をもたらす逆効果となるかもしれない。うーん、難しい(そこまで進んだ未来だと生徒もプログラムが組まれたのをわかった上で乗れるほど慣れるかもしれない、AIカウンセリラーを利用したマインドセット人生の基本になるのだ!←楽しそう)

まあ、今のところは感情的に怒る前に、相手情動予測しながら諭してあげるというのがいいと提案してみることにします。つまるところは思い遣り。プラスして、叱るときは座って目線を合わせるっていうのも提唱してみる。叱り手側も怒りをセーブやすいし、叱られ側も対等な立場での対話であると感じやすい、と思うから。(座って足組んでる奴から立たされて叱られるのも、立った状態で目の合わない相手を見上げながら叱られるかもつまらないもの。)それと、誰かが厳しく叱られていたら、優しい第三者として「反感」や「落ち込み」に共感してあげたりね。まあ普通のことです。しか実践はクソムズイ。人生手強いね

(思い出話あるあるを書こうと思っていたのに、思いのほか筆が乗って長文増田になってしまった。noteにでも貼るべきだったかな、図解しながら書き直したくなってきた。ところで、25件を無限リロード中の増田様方には大変ご迷惑をおかけします、すまない。途中送信しちゃっただけなので再投稿の甘えではないんだよ!)

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