はてなキーワード: 政治問題とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1750665
ツイートは特にたわいないそうだねーみたいな話なんだけど、人気ブコメ見ると
今まで食べた栄養素など覚えていないのと同じで、1つ1つの体験や経験がその人を形作る。親が連れて行ってくれた記憶が消え去るわけでなく、次に受け継がれる。だからこそ、貧困を連鎖させてもいけない。
「子供が覚えているか否か」という観点を持ち出すと「覚えてないなら連れて行くだけ無駄」という効率性の話になってしまう。そうじゃないんだよ。そこじゃないんだよ。子供に経験を積ませるというのは全く別の文字数
が今の上位。
なんかはてブって全部政治問題、社会問題を絡めて説教してくるおじさんか、唐突にオヤジギャグいってウケを狙おうとするおじさんしかいない典型的おじさんSNSだなってカンジ。
大体他のSNSじゃ政治問題はタブー視されてるようなもんだし。
数年前はITに興味のある所謂情強みたいな人達が、ユーモアも交えて政治絡みの話もしていた
そこには和やかな雰囲気もあった
ただアメリカがSNSを使う様子を見て政治利用するユーザも増えたように思う。
いかに高密度で正確でキャッチーな情報を提供出来るかがフォロワー獲得の最短の近道だったが
フェミニズム、LGBT多種多様な問題を取り上げ「炎上」させる事で政治的問題解決の手段とする人が増えた。
趣味垢があるように愚痴垢もあれば割り切って投稿する事も可能だが、昨今の政局は国民の生活にもろに影響してるから無理だろう。
例えば、競技やアスリートの行動等スポーツに係る箇所は政治ではなく、国家の予算・人員投入(協力)等リソース配分や、開催の可否、招致等は政治である。
※政治:辞書の定義による。政治問題、政治案件、又は政治マターと読み換えても良い。
※発言:https://www.asahi.com/articles/ASP6S54Z2P6SUTIL02L.html
A 内閣の一官僚として、内閣の政策に反するので、問題である。
6 天皇が発言した場合には、宮内庁長官の「拝察」発言で述べられているような部分は、
C 合憲・違憲を判断するための一定の基準又は類型を設けて、それに適わないものは禁止されるべきである。
D 従前通り慣例に従い、必要に応じて、具体的・個別に判断するべきである。
E 天皇にも他の国民と同程度の表現の自由が認められるべきであり、禁止されるべきではない。従前よりも自由であるべきである。
C 不合理であり、削除されるべきである。
※日本国憲法:https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION
B 違憲が疑われる。
B 違憲が疑われる。
B 違憲が疑われる。
C 憲法に則っているが、天皇の意図を体せず、全く不適切である。
13 内閣は、本件について
A 天皇の行為の責任を問われ、かつ、宮内庁長官に対する任命責任及び監督責任が問われる。
C 何ら責任を負わない。
14 内閣は、本件について、
https://twitter.com/SayakaChatani/status/1379968066319097856
また日本右派とアメリカの白人至上主義との交錯も見逃せない。二〇二〇年の論文でラムザイヤーは、「アメリカの民族問題を題材にすると激しい対立が起こってしまい自由に議論できない」ので、「渋々ながらアメリカの問題は取り上げず」「あまり知られていない題材を使えば自由に議論できるだろう」と書いている。つまり、被差別部落、沖縄、在日コリアンを通して主張した「差別は自己責任であり、マイノリティの統率者がむしろメンバーを搾取している」というロジックは、本来はアメリカに適用したいのだが、そうすると政治問題になるので、人があまり知らない日本史を使って発表する、とあけすけに述べているのだ。
うん、日本にもアメリカにも (そして他国にも) 同じような問題があるんだね。日本で「マイノリティの統率者がむしろメンバーを搾取している」構造をもとに、自国、他国のことも論じないといけないね、という話でしかないように思いますが。日本にも問題が存在するのであれば、それを論じても何も問題がないのではないでしょうか。まさか、日本の問題は日本人 (?) だけが議論すべきだ! とかいう排外主義に基づいた主張なのでしょうか。
誰もが発信できるようになって、誰もが受信できるようになったインターネット。
俺のインターネット。あなたのインターネット。君のインターネット。お姉さんお兄さんお母さんお父さんのインターネット。あいつ達のインターネット。それはきっとそれぞれ違うインターネット。
決して、昔のインターネットは素晴らしいものではなかった。誹謗中傷の数は今とそう変わらなかった。匿名の人間が大量のゴミを残していった。
端的に言うと99%はゴミだった。クソったれ。どうしようもない。残す価値の無い塵芥。
インターネットの利用者は、意識せずとも、現実とネットを分けていた。
別の空間だった。その理由は、インターネットを利用するには、人間がパソコンの前に座る必要があったからだ。
インターネットにアクセスする方法が限られていたからだ。インターネットに情報を残す方法は限られていたからだ。
ごみ溜めと呼ばれていた。アンダーグラウンドで、無意味で金にならないどうしようもないコンテンツが大量に存在して、その無価値なものが無意味に流動していた。
インターネットに集まる人間は、その性質上、日陰者が多かった。悲観主義な奴が多かった。孤独な奴が多かった。
それぞれがみんな足りないモノを求めた。全員ハンドルネームか匿名。著名人や有名人以外はみんな、別人だった。現実にはなりえない何者になろうとした。
現実には存在しない空間を求めた。インターネット上では、現実の何者である必要はない。平等なクソだ。
インターネットは徐々に現実と融合した。どこもかしこも、誰もかれもがスマホを凝視して、インターネットを利用した。
ありとあらゆる問題がインターネットに放り込まれた。政治経済、世の中の流れ、人間、学問、エンタメ、情報に次ぐ情報。
世界についてのすべて。人が喜ぶ、人が妬む、誰もが注目する情報。情報。情報。
人間関係を可視化して、人間の優劣をつけるためのSNSが現れた。
大量の企業が、政治団体が、利用し始めた。ガキから老人までインターネットに内包された。
インターネットはもはや化け物だ。ゴミ山モンスター。ゴミ山モンスターは世界を覆い、人間をインターネットに内包した。粗探し、炎上、政治問題、社会問題。老若男女問わず、情報。情報。情報。
人間は現実の全てをインターネットに切り貼りして、金に変換した。友情も愛情も人間関係も犬も猫も芸術も政治経済も日記も全て。
人間はキャパシティーを超える情報量に混乱し、アメリカ合衆国がネットに翻弄された。
全てが可視化された。全ての傷口がパブリックなものとなり、解剖され弄りまわされ、化膿し、悪化し、感染した。
ネットはクソのはずだ。誰しも認めていたはずだ。ネットはクソだ。ネットは無価値だ。
まるで、人生のようで、だからこそインターネットに夢中になったはずだ。
インターネットは現実のクソではなかったはずだ。インターネット固有のクソであったはずだ。
俺にはクソを選ぶ権利があった。現実のクソとインターネットのクソ。
クソなりにクソの選択肢があった。
今のクソは、現実のクソとインターネットのクソを組み合わせたハイブリットなクソ。
選択肢は一つ。
最高だ。
最高。最高。最高。
自分が恵まれてないとかツイてないとか、冷静に考えれば悲観するほど酷い境遇でもないのに
承認欲求と願望だけはネットで毒虫の様に肥大化して、ただ自分が金や女や称賛や社会的地位を得られればいいとか通り越して
自分の欲しいものわずかでも持ってる奴は、全員死ねばいいしなんなら犯罪にならないレベルで足引っ張ってやれるならやるってレベルで煮詰まって、社会や世界に自分の不満による不幸なら、社会や世界も同じように等しく不幸でなければならないというのは
劇画ヒットラーで司馬遼太郎がコメントを寄せてた「自分が不幸だからと言って社会や周りに同じ不幸になることを求めるのは通り魔の考え」って書いてたがその通り
ネット民は政治だ経済だ思想だと高尚ぶってあまつさえ政治問題だとか叫ぶけど
根っこは全部これなんだよね