はてなキーワード: 字形とは
東京国立博物館 平成館で開催中の特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」に先週行きました。
目玉となっている顔真卿の「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」は平日午後で、30分待ちでした。
入口の券売機コーナーに待ち時間が表示されていますので、心構えを持って行列に臨むことができます。
これは祭姪文稿に限らない注意点なのですが、展示物は小さいものが多いです。
現代書道では畳の大きさである全紙、それを縦半分にした半切、のような大きな紙を使用しそれに大きな字を書くことが多いかと。
展示されている古い作品は、小学校の習字で使う半紙を横にしたようなサイズ。それが横につないであります。
日本でも昔の巻物はそんなサイズですよね。その縦のサイズに字が12~15文字記されております。大体のサイズ感はお分かりいただけますでしょうか。
祭姪文稿全体は、横2メートルほどあるでしょうか。しかし、メインは半紙(横長)×2ぐらいです。
残りはこれを手に入れた歴代の所有者のコメントやらハンコやらで埋まっています。
歴史的に有名な作品にたくさん付いてくるこのおまけは「千社札みたいなもの」と聞いたことがあります。
お宝を手に入れたら、何かしら自分の足跡を残さずにはいられないということでしょう。
長い長い待ち行列のあとにこれを拝むことができるわけですが、たくさんの人が並んでおりますので、立ち止まって鑑賞することは許されません。
立ち止まらないで見ると、本当に一瞥、ちょっとみた、という感じです。
祭姪文稿に特に思い入れのない人があれで感動するのは至難の業と思われます。
そのあとに祭姪文稿の拓本が展示されていますので、じっくり見たい方はそちらで。
拓本なので真筆と違い、墨、筆運びは感じ取れませんが。
PCモニタが大きい人は、公式サイトをPCで表示したほうが大きいサイズで見られるかもしれません。
ポスターが明朝体を使用していることを批判されているブコメを見ましたが、よく見ていただければ明朝体ではない、顔体に似たフォントであることがわかるかと思います。
展示パネルに、明朝体の大本は顔真卿の字体(顔体)という説明がありました。見間違う程度には似ているということでしょう。
顔真卿以前の欧陽詢、虞世南、褚遂良は、縦画・横画の線の太さが大きく異なりメリハリがあること、横画が右肩上がりで外形の角度が鋭角になり正方形、長方形ではなく菱形っぽくなる特徴があります。
癖のあるかっこよさ、というのでしょうか。
顔真卿の楷書は、縦画・横画の線の太さの違いが少ない、横画が水平に近く字の外形が正方形・長方形に近い、という特徴があります。大変にプレーンです。
欧陽詢、虞世南、褚遂良、顔真卿(だったと思う)の同じ字をモーフィングで写してどのように違うのかを見せてくれるモニタ展示があります。
字形の違いだけではなく、たった1字からその人の性格が透けて見えるような大変に面白い展示です。
王義之、欧陽詢をはじめ著名な人の作品にはキャライラストがついています。
本当にこんな顔だったの? 絵が残ってるの?と疑問が沸きますが、キャッチーではあります。
はっと気が付くと、顔真卿のキャラのポーズが違うのがいて二度驚きました。
「まだまだ北風です」「はじまりはいつも顔真卿」などキャッチフレーズがつけられている作品もあり、大変まじめでしっかりした展示であるにも関わらず、一生懸命キャッチーです。
拓本の展示が多く、これは当然本のサイズです。
しかし石碑全体の拓の展示もふんだんにあり、整然と統一された一面の書の美しさに圧倒されます。
メインは唐ですが、その後の時代も日本、中国できちんとフォローしている幅広い展示でした。
唐の玄宗皇帝、則天武后の書も展示されております。そんなに書を上達させる時間があったなら政治にもっと力を入れたほうがよかったんじゃないかな、と思わせる達筆です。
最澄の書が空海と並んで展示されているのはいわゆる公開処刑のように思われました。
唐に遣唐使として滞在していた折に、最澄が空海に代筆を頼んだ、というエピソードを読んだ覚えがあります。
本人も空海の書のほうが遥かに優れていると知っていたわけであえて並べて展示しなくても。
蘭亭序、孔子廟、九成宮をはじめ有名どころが勢ぞろいしていますので、書道に興味のある方は是非。
ただ展示数が多いので足早に見ても二時間半(祭姪文稿の待ち含め)かかります。
観覧者の7割は中華圏の方ですので、春節終わった後がいいかもしれません。
日本人観覧者より、中華圏観覧者の平均年齢は20以上若いと思われます。
20代のカップル、グループ、小学生ぐらいの親子連れもいます。
多少閲覧マナーがどうであれ、お若い方に観ていただくのはとてもいいことだと思います。
祭姪文稿の待ち行列で順番ぬかしを一度静止しましたが、二度目は見送りました。
そんなに焦っていっても、ちょっと見て終わりなんですけどね。
「改」っていう字さ、「己」の最後はねなくてもいいらしいよ
あと別に「木」の二画目ってはねても大丈夫らしいし、「女」の二画目が飛び出ても大丈夫らしいし、「牧」の「牛」もはねていいんだってさ
”しかし,当用漢字字体表と常用漢字表が60年以上にわたって示してきた字体・字形に 関する考え方は,十分に理解されているとは言い難い。現在の社会生活においては,この 考え方が理解されていないことによって,本来は問題とする必要のない漢字の形状における細部の差異にまで必要以上に注意が向けられ,それが正誤の基準とされたり,漢字を手 書きするときの習慣と印刷文字の習慣とが理解されず,どちらかの字形が誤ったものであ るとみなされたりするなどの状況が生じている。”
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/shoiinkai/iinkai_16/pdf/shiryo_3.pdf
だってさ
嫌いすぎて気が触れそうなのだが, 他の方はどうやってこのクソフォントに対処してるだろう.
こういうフォントに対する感覚が無い人が大多数なのかも知れないけど, 完全にマイノリティに対する抑圧だよこれは..
醜悪フォントが大々的に使われている, というのが本当に異常.
まず, ポイントが小さいとビットマップフォントになるのが気に食わない.
視認性を良くするためだったとか聞くが, 本当に2018年か????
字形がつらいのも本当に耐えられない. (https://news.mynavi.jp/article/20150611-mspg/)
私の場合は, 最初はChrome on Windowsに「Advanced Font Settings」を入れて他のフォントを入れていたが, それでも稀に出てくるMSゴシックに耐えられなくなってしまった.
MacTypeも使っていたが安定しないので使い物にならなかった.
という訳で今はUbuntuをメインに使っているが, 一部のサイトでWindowsのみ対応と先日言われてブチ切れ寸前である.
本当に2018年か???
結論から言えば、「令」の字の下は「ア」「マ」どちらでもよい。
両者は同じ字だ。
「令」は、活字では「ア」のようになるが、
手書きでは「マ」と書く。
もともと手書き「マ」だったのだが、
活字「ア」を目にすることが増えたため、
「ア」(だけ)が正しいと思って(誤解して)いる人が多い、
というのが現状。
同じ字なんですよ。ご了承くださいね」というならわかる。
でも別に間違いではない。趣味の問題。そう書きたいなら書けばよい。
「「マ」は間違い」と言い出すと面倒。
「戸籍は「ア」になってる」とか言い出す。
だが、手書きで「ア」と書くのは間違いではないし、本来「ア」が正しい。
まあ、当人が言うんだから、と筆耕の先生が手書きで「ア」と書くことになる。
それで間違いではないし。
ただ、そうこだわる時点で「ア」「マ」を別字だと思ってるわけで
その人は誤解をしている。
わかった上で「ウチの字は「ア/マ」だ」と言っているならいいんだけど。
●参考
「常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)」(文化審議会国語分科会)の概要
間違いがあったら指摘よろしく。
これまで使った万年筆についての覚え書き
当時9歳ぐらいだったと思うのだが、9歳に500円の買い物はとても高いので、
おじいちゃんか誰かに買ってもらったのかもしれない。
残念ながらまったく使いこなせなかった。
だいたい阪神大震災、地下鉄サリン事件の頃の記憶とセットになっていて、
(少なくとも現行品は)カクノやコクーンと互換性のある形状で、線種がEFのため、
本末転倒という気はするが。
高専時代にレポートを書くのに万年筆使ったら良いんじゃないかと思って買った。
オールブラック、マット加工の黒である。純正黒カートリッジで使用していた。
形状的にも大人のPSPという感じがする。当時16歳くらいだけど。
結局すぐにパソコンで書くようになったのでレポートにはあまり使わなかったが、
カリカリのEFだが、安いノートや情報カードばかり使っていたせいか中字くらいのイメージがある。
だいぶ後でパーカーの万年筆を使ったときには滑らかで驚いたくらいだ。
まぁカリカリな割にインクがしっかり出るのが偉いというのも今ではわかる。
後年フタを破損したので、即座に同じものを書い直したぐらい気に入っている。
パイロットの黒は染料インクなのに宛名書きに使えるくらい耐水性があって便利である。
ブルーブラックのインクで書くというのをやってみたかったので買い足した。
マットコーティングみたいのが手に馴染んでなかなかよかったのだが、
三年くらい前に店頭で手にとる機会があって、適度な重みに惚れてつい買った。
パーカーの現行品としてはたぶん一番安いやつだが、
たいそうなものを書くわけでもないし、値段の割に質感もいいと思う。
いわゆる英字向けにペン先が研がれているものだからだと思うが、
サファリに代わって最初の一本に推されることも増えるだろうに、という
どうもブラス軸の重みが好みらしく、
18金のペン先で、小ぶりの黒い革巻きのボディにパーツは金メッキである。
仕方なくカートリッジ(青)を入れて使っている。
セーラージェントルインクのブルーは雑味のない落ち着いた青で気に入っている。
その分カートリッジを変えた時にはなんとも言えない爽やかさがある。
革巻きの肌触りはけっこう気に入っていて、
(6)ダイソー
ダイソーの万年筆はなかなか良い……という評判を聞いて試したら、
ほんとに良かった。さすがに品質にばらつきはあるので、
買ってきた状態ではロクに書けないようなのにも遭遇するが、
線種はM(中字)ということだが、同じインク(パイロット)を入れて比べると
ラミーEFと同等の太さの線になる。フローとの兼ね合いなんだろうか。
カリカリとした抵抗もなんとなく似ている。
書ける線が太いために手帳用としては不適で、
ただ遊ぶ用になっている。まぁいいんだけど。
最近パッケージが変わって、ペン先の具合を買う前に見ることが出来なくなった。
ボールペンとセットだった。
10年くらい前に(前から?)欧米で売っていたものらしいのだが、
私は外したフタを置いて書くのが好きなので問題にならないが、
後ろにつけてないと落ち着かない人は大変だろうな、と思う。
そもそもが、かなりの振れ幅のある表現を、一つに収斂させて示すことが、記号だ。
普段余り意識することはないが、夜空に浮かぶお月様を「月」という字形で表現することが、記号化だ。
「こういう描き方をすれば、こういう意味を持つ/こういう表現をしようとしている」という共通基盤整備が、記号化と言える。
つまり「白血病の薄幸の美少女」というのは、ドラマヒロインの記号と言える。
ホラー映画に出てくる「キャンプ場でセックスするカップル」も惨殺対象者の記号だ。
おそ松さんでは、キャラクターの記号化と、シチュエーションの記号化が、とても巧みだと感じる。
イヤミやハタ坊等、そもそもおそ松くんのキャラクターは、ガッシリと記号化されている。
例えば「3本出っ歯」「おフランス帰り」「ザンス」等を外さなければ、まあイヤミに見える。
名前もそもそもが「イヤミ」だし、どうキャラクターを崩そうと、イヤミ以外の何者にもならない。
(「1本出っ歯」「オカッパ」「頭に日本国旗」「ダジョー」のハタ坊にしても、同様である)
これはとても二次創作向きだと言える。
上手でも下手でも、そのキャラクターに見える。
つまり、外見を簡単に描き分け出来る良く似たキャラクター群というのは、強い。
戦隊モノが「ちびっ子に描きやすく造型されている」のと同じ理由で、この記号化は成功しているといえる。
シチュエーションとは状況設定のことで、例えば「壁ドン」がある。
動作ではなく「壁ドン」という記号によって、状況設定を表現している。
(わかりにくければ、少女漫画において結婚式エンドがハッピーエンドの表現、で理解して問題ない)
キャラクターに焦点を合わせると、シチュエーションとは、キャラクターとその他との関係性だ。
「キリッと格好つけるが、無視される」までで、キャラクターのシチュエーションの記号化と言える。
戦隊物で例えれば、「レッドは天然熱血」「ブルーはクールな二枚目」「ピンクは可愛い」などが、性格の記号化。
「ブラックは孤高の一匹狼ゆえにレッドとウマがあわないが仲間思いで、ホワイトと破局後も幸せを祝福できる男」が、シチュエーションの記号化だ。
読んで解るだろうが、判りやすいシチュエーションは関係性を限定するので、ハッキリしたキャラクターほど動かしにくいという難しさがある。
そうすると、関係性毎に切り離されているキャラクターというのは、強い。
基本的にすべてのキャラクターが「他の兄弟に対して」の「状況設定の記号」になっている。
(これに、一松はカラ松の絡みに耐えられないとか、チョロ松は女性が絡むとポンコツ、みたいな個別の関係性が付く)
全てを劇中の言動で見せなければならないという条件がつく中で、この状況設定の記号化に成功しているのは、見事だ。
テトリスブロックの様に記号化が巧みなら、ブロックを積み上げて自分だけの形にするのは、容易で面白い。
その記号の形が想像力を刺激するなら、「こういう絡みでこういうネタを」と組み上げる作業(妄想)がはかどる。
(腐女子による二次創作が想像し難いなら、一本アニメの脚本を書くことを想像してみれば良い。脚本の書きやすさだ)
作品の「要素」が巧みなら、それを組み上げる作業は、それ自体が楽しい時間になる。
記号化の巧みさは、直接には「お話の作りやすさ」に繋がるだけで、腐女子人気とイコールではない。
もちろん、そのシチュエーションが想像力を刺激するなら、人気には繋がるが、それだけではない。
嫌悪感を抱かせるものが画面に現れないということは、とても重要だ。
ポップンミュージックを思い出すような、パステル調でカラフルな画面。
競馬のパック酒やもつ煮込みを画面に描きながら、あくまでもサラッとした爽やかな絵面。
声優の演技や声質も、無理をして取り繕ったものではなく、心地良い声がテンポよく流れていく。
握手する相手の爪の間に垢が溜まっているのが見えるような汚らわしさとは無縁の、清涼感ある下品さ。
テレビから流れるのは、安定感のある箱庭の中でワチャワチャと可愛く動きまわるニートな六つ子の日常だ。
一定ラインのクオリティがあり、愛でるのに不足のない可愛らしさがあり、聞いて心地良い声優が演技をする。
つまり、腐女子に愛されやすい外面をしていると言っていいと思う。
清潔感のある画面で、観て不快でなく愛されやすい外面を持っていることが、視聴の安心に繋がり
劇中に描かれるやり取りが、ブロック化された関係性を持っていることが、創作性を刺激し
可愛らしい男の子達が、ワチャワチャと絡み続ける群像劇は、腐女子を熱狂させる。
これを狙いつつギャグとして作品にしているので、恐ろしいほど練り込まれたアニメだと思う。
見ていない人に説明すると、おそ松さんとは、TIGER&BUNNYと忍たま乱太郎を掛けて、ゆるゆりと銀魂の逆数で累乗して声優を足した感じだ。
声優は腐女子の入口なだけでなく、作品の品質を支え続ける土台になっていると思う。
また、創作活動は『飢え』だというが、それも少し足りない気がする。
『飢え』とは、「もっとここを掘り下げて欲しいのに!」「これだけじゃ足りない!」という渇きだと思うが、
おそ松さんの場合は、「あえて描かないスキマ」というよりも、「創作しやすい記号化」が巧みなのだと思う。
『ファンからいいように解釈できる行間がたっぷりととられていること』というところが、非常に重要なのだと思う。
第一話のネタのように外見をしっかり描いてしまえば、想像の余地が無い。つるんとした記号化されたキャラクターならタップリある。
その上で、キャラクター同士の絡みを想像力で補い続けなくても、不遇なカラ松のような記号化されたシチュエーションをそっと差し出してくる。
エンディングテーマも含めて、相当練りに練ってぶつけてきている気がする。
(第一話が「掴み」ではなく振り切った「媚び」であって、その揺り戻しが2話以降からあざとさを消している気がする)
私はあまり字がきれいではない。読めないと言われたことはないので、中の下か下の上ぐらいなのかなと思う。
一般に女性は字形が整った人が多く、その中でなんというかコチャッとした私の字はみっともなく思えて、今さら日ペンの美子ちゃんでもやろうかと思うぐらいだ。
そういうコンプレックスがあるせいか、男性の書いた字がきれいだとものすごくかっこよく思える。
ササッと書かれた字がきれいだと、倍率ドン!さらに倍!!って感じでその男性への好感度が上がる、というかぶっちゃけ興奮する。
年齢容姿はマジで関係ない。※とかない。男性の書く字がきれいだとウッヒョオォォオォォッホオォォオォォッ!!!!!ってなる。
職業柄いろいろな方の自筆を見る機会があって、その傾向として感じるのは、男性で字がきれいな人は少ないということだ。正直とても残念だ。