はてなキーワード: 子供服とは
これは実はとても楽をしてるのではないかということに最近気づいた。
「こういう女の人にこういう風に踏まれたい、脚のこういうところに魅力を感じる、ああでもない、こうでもない、」
という煩悶と試行錯誤は脳で練ったあと絵に描くことで解決する。
長さのバランスもいろいろ、筋肉と脂肪の割合や太さ、いろいろ描いてる。
(ところで理想の1パターンしか追求しない人、つまりいつも同じ脚を描く人の絵はだんだんつまらなくなっていくとおもっている。
極端な話今は魅力を感じてないような脚も描いておくべきだ。どうせ自分の中でだんだんすぼまっていくのだから。)
ここで絵という欲望のアウトプットと消化があるから私は人に迷惑をかけずに生きていられるのかも知れない。
描けなかった場合、女性の足や脚に対する欲望をどうすればいいのか、コネクタがないようなもどかしさにかられる。
太ももに抱きついたり頬擦りしたりしても多分かなり違う。
よくある「踏まれたい」も、ピュアなマゾの人を除けばコネクタ追及なのではないか。
ダイレクトな衝撃や痛みを求めることで脚とのつながりを持とうとしているのだ。
それ以外では後は型を取るとか、食べるとかになっていくかもしれない。
これもなんか広義の性欲のにおいを感じる。
肉欲というか接触欲というか。
でも自分の場合はこういうことも「こんな可愛い子に触りたいなあ」というビジョンを脳内で作り上げて絵に描けばいいのだ。
おでこの丸さはこれぐらい、ほっぺたはこんな感じ、髪の毛の質感はこう、髪形はこう、服は最近のお洒落な子供服はこう、靴はこう、
ここまで出来上がってくれば別に触らなくても絵に描いてるだけで満足できるというか絵の方が充足度が濃い。
世の中の多くの人は自分の性欲を解消するベストなソリューションにたどり着けていなくて
その結果としてかなり達成感から遠い代替手段であいまいな満足を得ながら不満を持ち続けていたり、
ときにはその不満が自分の中でぐるぐるして人に迷惑をかけるような手段になってしまったりするのではないだろうか。
かといってみんなが絵を描きなさいというのも現実的でない話で、
オタク育休中主婦です。今より狭い家への引っ越しが決まったので断捨離中。
フリマアプリで美少女系フィギュアやFAや神姫を出すと高確率で転売や旦那の物を勝手に売っていると疑われる。
確かに化粧品と子供服に挟まる美少女系フィギュアの図が珍妙に見えるのは一理ある。
コメント荒らしかと思いきや普通に取引してるフィギュア趣味の男性が多いんだよね。
全部自分の物であることを主張するけどあんまり信じてもらえない。
一時期結婚相手の物を勝手に売ることが話題になっていたからそういう疑いのある人に聞いて回っているのかな…
女性向け作品の物販に男性が並んでいるだけで転売目当て扱いされたりするし、
男女関係なくメインターゲットとは別の客層でいるのはなかなか肩身が狭いものだなぁ。
大事にしていたフィギュアをこうして売りに出すこと自体にはなんとなく後ろめたさみたいなものがあるのは確かだけど。
ショッピングモールの喫茶店にて。二歳の息子は寝てしまったが、うまくソファでねてくれているので、ひとりアイスコーヒーを飲んでいた。
妻と五歳の長女は、別行動で、子供服をみるのだといって喫茶店の入り口で別れた。
若い夫婦が隣のテーブルに座っていた。飲み物を飲んだ後、「少しみたいところがある」と言って男性だけ先に席を立った。女性はお腹が大きかった。
六年ほど前を思い出した。身重の妻の気を使って行動しているつもりが、かえって疲れさせていたことがあった。
妊娠中の体調は個人差が大きいと思うし、その女性が、何を考えているかはもちろんわからないが、もしかして、何か不安、不満があったらかわいそうだなと思った。
「お母さんのほうが、10ヶ月早く子供と出会うので、お父さんが子供に気がつくまでもう少しだけかかりますよ。数年すればこの通り、寝た子を抱えて、お父さんだけで楽しくやれますよ」と言えるものなら言いたかったけど、別に困ってもいないかもしれないなと思ったので、心の中にしまっておいた。
そんなことを考えているうちに、男性が戻ってきた。買い物したものを女性に見せると、女性は嬉しそうにしながら、二人は店をでていった。
しばらくすると、妻と娘が帰ってきた。
「まだ寝てるね。交代して、買い物してくる?」と妻が言った。「いや、抱っこしていくよ。」出遅れた10ヶ月を少しずつ取り返すことにした。
アノニマスなインターネットが好きだ。私が私でいなくても良い、俺とお前らだけの世界。
アメブロやインスタのような、習い事☆手作り子供服☆DIY☆の世界は自分には明る過ぎる。「〜さんのセンス流石です!真似したくなっちゃいました^_^」なんて気恥ずかしい。「乙」一言で十分だ。
俺もお前も、匿名の無個性の画一化された卵アイコンであり、名無しさんであり、増田である。名前をつけられ、戸籍を与えられ、如何なる発言も自分自身と紐付けされる息苦しい社会からの脱出。重力を振り切って糞みたいな現実から逃げ出す、それが私のインターネッツだ。
でもどうして、女だと少しでもバレるだけで、それを取り沙汰する奴がいるのだ。
女の増田には必ずと言っていいほど、セクハラとうんちがぶら下がっているのは何故なんだ?
女であることは避けようもない私の一部であり、逃げ出したい現実の一部でもある。女と明かすことは、仮面舞踏会で仮面をとるようなルール違反なのか?無個性の列からはみ出した罪になるのか?ノーマルは男で、女は亜種だから?でも私は生まれた時から死ぬまでずっと、女なんだ。それは私のノーマルだ。
何故異性になった途端、増田でなく女増田にするのだ。男増田は男増田って言わないのに。姫も女神もやらないから、オンゲでやたら優しくしたり、掲示板でおっぱいうp言うのやめてくれないか?何を言ってもいいからって、いちいちセクハラしなくていいだろ。別に異性として書き込んでるんじゃないんだよ。
こんなの増田で書いたって何も変わらないのはわかってる。だから、もっぱら現実逃避先に選ぶのは同性しか居ない、5ちゃんねる「もてない女」だ。キラキラしない、マウンティングもない匿名の庭だ。それなのに!糞雑魚ゴミカス童貞君は、男子禁制をやぶって入ってきてはおまんこぺろぺろ言って、中学生か。
スーパーで舞茸78円だったー、みたいなレスに一々俺のキノコ云々。父の一周忌で寂しくなったレスに、俺が慰めてあげる。
百合に介入する男みたいな、余計さある。鬱陶しいだけ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%88%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%80%89%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F
『〈子供〉の誕生』(こどものたんじょう、フランス語:L'Enfant et la Vie familiale sous l' Ancien Regime)は、フランスの歴史学者フィリップ・アリエスの著作である。1960年に公刊された。子供と大人の一線を当然視し、学校教育制度を当然視する現代の子供観に対して、疑義を呈する書物である。フランス語の原題は『アンシャンレジーム期の子供と家族生活』という意味であり、「〈子供〉の誕生」は、日本の翻訳者がつけたものである。
アリエスは、中世ヨーロッパには教育という概念も、子供時代という概念もなかった、と言う。 7〜8歳になれば、徒弟修業に出され、大人と同等に扱われた、と言う。飲酒も恋愛も自由とされた、と言う。なぜ大人と子供の一線を7〜8歳に引いたのかと言えば、この時期に言語によるコミュニケーションが可能になると考えられたためである、と言う。 7〜8歳以前の子供は動物と同じ扱いであり、大人がフリスビー代わりに投げ遊び、落として死なせたこともあるという。乳幼児死亡率が高く、5歳までは頭数に入れられなかった。もっとも、乳幼児死亡率が高かった理由として、医学水準が低かったことだけではなく、両親のベッドの中で、あまりにも頻繁に窒息により非業の死を遂げる子供が多かったといった理由も挙げられている。
教会は、嬰児殺しを厳禁していた。が、両親があれは事故だったと主張してしまえば、それ以上追及する者はいなかった。
近代的な学校教育制度が現れたのは、17世紀のことである。当時の教育者たちは、古代には存在した学校教育を倣い、「純真無垢」を理念とした。「純真無垢」とは何か。子供と大人を引き離すこと、特に子供にとってセックスを禁忌にすることだった。また、子供として保護される期間の延長も提唱した。この時期から、美術も子供をテーマにし始めた、それ以前は美術が子供をテーマにすることはなかった、と述べる。
近代学校教育制度は、大人とは異なる、子供服というものを編み出した、と述べる。この傾向は特に男児に顕著で、男児の特徴的な衣装である半ズボンが考案された。それに対し、女児の服装の変化には無頓着であった。女児は家事に専念すればいいのであって、学校教育を受ける必要性が少ないと考えられたためだ、と述べる。
これを受け、近代的な学校教育制度は、同年齢の子供を同一のクラスに編成した、と述べ、極端な場合には、寄宿舎制度を設け、子供を外部から遮断した、と述べる。
結婚式ってハレの日だし、普通は本当がどうであっても「いい式だったね」とかなんとか言って帰るもんだと思うんだけど、今から7、8年くらい前、どうにもこうにも辛抱ならずにキレてしまった結婚式があった。
祝い事なので今まで黙っていたのだけれど、もうだいぶ時間も経ったし、ふとしたことで思い出したので書く。
それはだいぶ年下の従兄妹の結婚式だった。
昔からいつでも家族一緒の写真が飾られているようなとても仲の良い一家だったので、きっととても良い式になるのだろうなと喜んで式場に向かったのを覚えている。
小さなアパレル販売店で働く彼女は仕事を通じて今の夫に出会ったらしく、結婚式が始まるとお約束のようにそのエピソードの紹介が始まった。
新郎側の会社は大手のアパレル商社らしく、主賓挨拶やらなんやらでは新郎新婦のことにはほとんど触れずに「我が社の素晴らしさ」みたいなことが延々と語られていたような気がする。
よく覚えていないが、経営は安泰盤石だしイギリスの某ブランドがあるからどーたらこーたらみたいなことを左団扇で語っていたのは覚えている。
それはまあいい。結婚式なら普通のことだし、サラリーマンの結婚式にはよくあることだろう。
新郎側のほうが会社が大きいため、どうも挨拶や出し物が新郎側のほうが多い。
それもまたあるあるなんだろうけどそれがだんだん度を越してきて、しまいには新郎方:新婦方の話題の比率は8:2を余裕で超えた。
どうも昭和な商社なようで、昭和な宴会芸やら職場の話題がほとんどだったのだが、披露宴なんだからさ、もうちょっと新婦や新婦方の話題があってもいいんじゃねーの?と思いながら観ていた。
話を聞くに、どうも新婦の務める側の会社は新郎の会社の子会社だか傘下の販売店だかの関係なようで、新婦方の挨拶とかは妙に新郎方の会社をヨイショしたコメントだったりしてしかも一瞬で終わってしまったので、それがますます奇妙な話題比率に拍車を掛ける。親族としてはそんなの知らねーよって感じではあるが、当の家族が黙って見ているので我慢した。
遠い親戚の俺から見たって、もっと語るべきことや披露することは山ほどあるだろうになって思ったけど、とにかく我慢した。
さらに司会者の捌きがかなりイマイチで、そんなこんなギクシャクした雰囲気で淡々と進めた結果時間がだいぶ余ってしまったようだ。普通、結婚式って時間に収めるのに苦労するものだと思うんだけど。
イマイチ司会者、何を思ったか「ここからは皆さんで一言喋りたい人にマイクを回します」とかやりだした。まじか。セミナーかよ。
すると、出来上がった新郎会社の連中が次々を手を上げ、次々と会社の内輪ネタを披露しだした。イマイチ司会者は順番にはいはーいとマイクを渡す。どうやら話題の中身やターンを意識してマイクを振るという発想は無かったようだ。はいはーいじゃねーよ。
○○君は若い頃はオイタを一緒にしていたのに落ち着いちゃってー
うるせー。黙れバカ。
新婦は小さな販売店の社員である。ストアで販売員をやっている。
ああ、そうですか。
この間、新婦方にマイクゼロ。司会者、次の方いますかー、はいはーいとそいつらの席に張り付く。
ここで俺は切れた。屋上にいこうぜ、きれちまったよ。
とりあえず新郎会社の席に行って、イマイチ司会者にマイクよこせと言い、マイクを持って新婦家族の席に行った。
音が出るのを確認して「最後に、新婦の兄からひとことです」とわざとらしくひとことしゃべり、会場がシーンとしてから新婦の2つ上の兄にマイクを渡した。
照れ屋の兄はえーほんとにーとか言いながらも親指をグッとして、「しゃべるの下手なのでうまく話せるかわからないけれど」と言い、
それから、赤ん坊の頃から兄妹ほんとうに仲が良かったこと、家族で過ごす時間がいつも楽しくて幸せだったこと、両親への感謝、妹への感謝をニコニコと笑いながら淀みなく一気に話した。
大手子供服ブランドで働く彼は、自分も家族を幸せにする洋服を売っていきたいとちょこっと挟んで、これからも私達が素晴らしい家族でいること、新しい家族を作っていきたいことを語って話を締めた。
音の出元が偏っていた会場でようやく偏りの無い拍手がたくさん響いて、結局この言葉が締めになって閉会になった。
この日会場で一番輝いていた男は新郎ではなく、新婦の兄だった。
結婚式が終わって帰り道、親族一同で「いい式だったね」とは誰も言わなかったけど、「お兄ちゃんは最高だったね」と話しながら歩いた。