はてなキーワード: 合成語とは
調べてみたが、「ソレはどういう場面で起きるのか」「性的搾取を広義化した言い換え」「消費の意味が広いので実質ただの難癖」など、
フェミ目線でもアンチフェミ目線でも「性的消費」という言葉とまともに正対しようとする意思を感じない意見ばかりだったので、真面目に考察してみる。
まず、「性的消費」とは何か、というところに着目する。
せいてき【性的】
( 形動 )
①
性欲に関するさま。 「 -な魅力」 「 -な関心」
②
(男女・雌雄の)性にかかわるさま。 「 -特徴」
しょうひ【消費】
( 名 ) スル
①
物・時間・エネルギーなどを,使ってなくすこと。 「時間を無駄に-する」
②
〘経〙 欲望充足のために,生産された財貨・サービスを使うこと
①+①、②+②では意味が通らないが、①+②=「性欲を充足させるために財貨・サービスを使うこと」、
あるいは②+①=「性にかかわるモノを使ってなくすこと」なら理解できる意味になる。
いくつか例をあげると、直近ではATSUGI社の「ラブ・タイツ」キャンペーンが「性的消費」だと指弾を受けている。
また、「グラビアアイドル」は「性的消費」の対象であり、「漫画・アニメ・ゲームなど架空の女性キャラクターを起用したポスターの掲出」も「性的消費」であるらしい。
ここから、「肉体的な女性らしさを切り取った表現物」がある場所へ現出した瞬間に「性的消費」が行われる(と認識する人々が現れる)のだと考えられる。
「タイツ(を穿いた女性を描いた画像)」や「グラビアアイドル」や「漫画・アニメ・ゲームなど架空の女性キャラクター」が存在している時点では「性的消費」は発生しておらず、「表現物がある場所へ現出」すると発生する。
言い換えると、「セーフゾーンからアウトゾーンに特定の表現物が移動する」と発生する。
こうなると、少なくとも「性にかかわるモノを使ってなくすこと」を指しているわけではなさそうだ。
以上を踏まえ、「性欲を充足させるために財貨・サービスを使うこと」について問題点を考えてみたい。
なお、今回「問題などない」という考え方は今回はしない。
実際に批判が発生している状態で問題などないと言い張ってもただの現実逃避でしかないため、問題はあるという前提で「何が問題なのか」を考察していく。
「財貨・サービス」とは、この場合性欲の対象となる「タイツ」「グラビアアイドル」「漫画・アニメ・ゲームなど架空の女性キャラクター」にあたるだろう。
Aにおける「消費」は経済学的な意味合いであるため、何者かの性欲を満たすと同時にこれらは費消されているということだ。
費消というからには、「タイツ(を穿いた女性を描いた画像)」「グラビアアイドル」「漫画・アニメ・ゲームなど架空の女性キャラクター」から何らかのモノがなくなっていることになる。
一体何が無くなっているのだろう?
表現物であり、物理的に量が目減りしないことを踏まえると、「性的な価値」が無くなっていると考えるのが妥当だろう。
「性的な価値」はこの場合「性欲を充足させ」られない状態になる(質が低下する)か、
ほかに同じ質のものが供給されて需給のバランスが崩れる(希少性が低下する)かすれば減じるはずだ。
先ほど述べた通り、表現物は物理的に質が低下することはない(生身の人間と違って表現物は再度掲出すればよい)が、その代わり同じ質のものは大量に存在している。
(抜くためのオカズが見つからなくて困るということはこの現代ではほぼありえないと思う)
これらのこと総合すると、「性的でない状態の女性を性的な状態に変化させて表現物として切り取り、現出させ、性的な希少性を減じさせること」が「性的消費」であると考えられる。
ここから、「性的でない状態の女性を性的な状態に変化させて切り取り、現出させ、性的な希少性を減じさせること」にどんな問題があるか考えてみる。
まず第一に、この問題は女性にまつわる問題であるということが言える。
「性的でない状態の男性を性的な男性に変化させて表現物として切り取り、現出させ、性的な希少性を減じさせること」が発生した場合は批判が出ないからだ。
つまり、『男性の「性的な希少性」が減じた時は問題だと感じないが、女性の「性的な希少性」が減じた時は問題だと感じる人』がいるということだろう。
問題は、彼らは「タイツ(を穿いた女性を描いた画像)」「グラビアアイドル」「漫画・アニメ・ゲームなど架空の女性キャラクター」当人(当物?)ではないということだ。
ここからは想像になるが、自分ではないヒト・モノの「性的な希少性」が落ちたことを我が事のように批判する背景について考えてみると、
彼らと「タイツ(を穿いた女性を描いた画像)」「グラビアアイドル」「漫画・アニメ・ゲームなど架空の女性キャラクター」は
『女性』という地球を覆う大いなる存在の一端末として同一の存在であると認識している可能性がある。
「タイツ(を穿いた女性を描いた画像)」以下略の「性的な希少性」が減じると、『女性』本体の「性的な希少性」が失われ、ダメージになると信じているのだ。
一般的に、こういう考え方をする人は少ないだろう。
例えば、極端な話として「同性と毎日セックスしないと落ち着かないセックス狂いの男性」に出会ったとする。
この男性との出会いで「世の中の男性はすべて同性と毎日セックスしないと落ち着かないに違いない」と考えるだろうか?
これは一般的な考え方とは言えないはずだ。普通は「そういう人もいるのだな」という考えに落ち着く。
『男性の「性的な希少性」が減じた時は問題だと感じないが、女性の「性的な希少性」が減じた時は問題だと感じる人』たちは、
このような、特定の女性個人に起きている問題を自分の問題だと認識し(自他の境界の喪失)、パニックを起こして批判を始めるのだということが推測できる。
ひとまず、長いので『男性の「性的な希少性」が減じた時は問題だと感じないが、女性の「性的な希少性」が減じた時は問題だと感じる人』を「端末」と呼称しておく。
この「端末」たちの思考をトレースしていけば問題点は明らかだろう。
「端末」たちは、この自他の境界が崩壊している状態が日常化しているため、「それはあなたの問題ではない」と言われても理解ができない。
この大いなる『女性』と「端末」の関係は、「親子」の関係に非常に似ている。
「母親といい子」の関係を守るために、「性的な希少性」を失わせるどころか、『性的』なものはそもそも徹底して排斥されなければいけないということだ。
「自他の境界があいまいで精神状況が『ママの言いつけを守る子供』から脱し切れていない人々の理解を得られないこと」であると言える。
表現物はリテラシーの低い層にあわせる必要があるということだろう。
難しい問題ではあるが、今後も社会が取り組んでいかなければ問題であると思う。
以上
実際、弱者に向けて優しいメッセージを発してる人がいないってどういう現象?
百歩譲って自分の手で救ってあげろとは言わない
せめて、そう言う寛容な意見に共感するなら、行動でそれを示せばいいのに
頑なに共感に全勢力を向けて現実に行動を起こさないのはなんなの?
これって何て現象なの?
振る舞いだけ寛容なのに一切行動が伴わず誰も救わない人達の群れ
これが偽善?
※追記
例の記事の下記の内容を読んでいないと思われるブコメが目立ったので参考までに。ちなみに私は事件加害者と似たような立場にいると自覚しています。
「社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、という強いメッセージを発していくべき時だと思う。」
※結論
スラックティビズムというものだと分かりました。解答して頂いた方ありがとうございます。以後、皆さんは自分のやってることがスラックティビズムだと自覚して悔い改めてください。ちなみに、韓国にはキーボードファイターという言葉もあるそうです。意味は言わなくても分かりますね。
『スラックティビズムは、「怠け者」と「社会運動」とを掛け合わせた合成語である。労力や負担を負わずに、社会運動めいたことをする行為を指す。 この用語は、社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為について、軽蔑を込めて使われている。』
だいたいそうだと思います
そうなのですがあえて癖のつよいところでいうと
日本語で言う 聞き間違いがおおいのではと危惧されるところはあえて違う言い書いたで回避するのです
本などでも古来からイニシャルだけ装飾しておおきく書いたりするような風潮があります
なので似たような単語 頭文字の系統でわけてききまちがいをしないように言い回しを変えるというものがあります
すべき とか日本でよく言われるところでは ふだんづかいしないのです
教科書でならったマストの使い方をしている人はまずいないと思うのがよいかもしれません
おなじように言い方として英語はいいたいことを前にもってきます
あなた のあとに形容のどのような をもってくるような話し方は英語的ではなくフランス語的で
黒人に言及するならフランス系黒人のようなというニュアンスをすでに含みます
あなたは はなすべきだ 何々の というのが一般的な英語のつくりなので
そこで日本的にはべきを強調したくなるのですが あなた はなす(はなせ)にするのが英語的には受け入れやすいです
あなた のあとに どうすべきかという意見をいれるのはやさしく友好的で
ハリーポッターの映画の中でも友人を諭すときにつかわれている話法をみれば近いと感じると思います
そのやさしさがすでに嫌味であることもあります にているものとしては京都弁のようなものでしょうか
英語ではなすときは なにをすべきかを2から3とかあわせることはできないと考えて
あなた はなすべき それが なにより よい といった形式になることが多いです
きれいな すてきな を選ぶときは単語としてSかEで始まる言葉を選ぶのが一般的です
ありがとう うれしい おめでとう のような雰囲気で すてきな すばらしい すごい というものと似ています
Bで始まるものはあまり好意的ではない皮肉であることがうけとりやすいのでこの場合は適しているだろうと思いますが
あらまあおきれいな といった皮肉は そうしなさい という文脈にはあわないかと思います
黒人もたしかにご指摘のとおりですが 前に「お美しい英国人」とついているので名前だろうとは思います
美しいのBと英国のBで重ねると皮肉が効いていると思われますがイングリッシュは英国のでも英語でも英国人でもなく
アメリカからみて東方の近い語圏または西のという意味になります
普段日本語を話しているのに「わかりやすくはなせ」というのに「日本」というスケールはでてこないと思います
なので北で海をこえたら日本語つうじないのか 南の海をこえたら といった風に北海道や沖縄をいうなら
「日本じゃないもんな」という比喩でしか「同じ日本語をはなすちがう日本語の地域」という表現を含めなくないですか
スティングがイングリッシュマンとつけた歌がありましたが はるか東方(西方)からきた人という疎外感を
距離は大きく違いますが関東人が「北陸人は」というような言い方でしょう
なにより誤解をおそれず話しかけることは大事だとおもいますし それがどう伝わったかは各個人間でしかわからず
それは外野がどうだといったところで違うものは違うしわかるものはわかりあえると思います
次の機会に私たちがだれかとであったときに あたらしい価値観をためせる機会があればよいのではないかと思います
あとついでなのですが南部訛りの黒人の方言はおそらく日本語の方はほぼ理解不能だとおもいます
黒人ラッパーなどの歌詞などで聞き取れる方がどれほどなのかと思います
日本できけるものは主に都会で聞かれるものだと思いますがコンテンポラリーチャートにあるようなものは
とても独特だと思います
たとえば語尾にアンドユーやアーントユーとつけるのがエイントでもなく
「アーイー?」
スラックティビズム(英: slacktivism)は、「怠け者(slacker)」と「社会運動(activism)」とを掛け合わせた合成語である。労力や負担を負わずに、社会運動めいたことをする行為を指す。
この用語は、社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為について、軽蔑を込めて使われている。こうしたスラックティビスト(スラックティビズムにあたる行為をする人)たちの行為は、多くの場合、個人の労力や負担を必要としない。
この用語は、社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為について、軽蔑を込めて使われている。
2002年に、この用語は怠惰であることを基準に再定義され、広く使われるようになった。「スラックティビスト」は、直接的に社会運動を行うことを避け、余計ともいえるような、やってもやらなくてもよいことをやっている人々を指すようになった。
最近は減ってきたけど、犯罪予告に関して思うことがあるんだよね。
わざわざ、過剰反応しなくてもいいと思う。
テロなんかも分からなくはないけど、今程犯罪予告が厳しくなったのって秋葉原通り魔事件以来からだよ(西鉄バスジャック事件からだ、という人もいるが、ネオむぎ茶は具体的な犯罪予告をしていなかった。当日書き込まれたのはヒヒヒヒヒだけだし)。
あれに便乗して書き込んだのが摘発されたわけ。
元々2chには悪ノリするとか、不謹慎やっちまおう、みたいな風潮があってだな(昔のビートたけしみたいだ)。
http://mimizun.com/log/2ch/news/1216196513/
>>108 : 強生(アラバマ州):2008/07/16(水) 17:26:32.84 ID:2X4VRbdJ0
109 : 丘比(東京都):2008/07/16(水) 17:26:35.55 ID:XztoITWK0
110 : 佳得楽(東京都):2008/07/16(水) 17:26:37.34 ID:Tdt/wKZX0
通報を呼びかけたりするのも、スラックティビズムの変種だと思う。
>>スラックティビズム(英: slacktivism)は、「怠け者(slacker)」と「社会運動(activism)」とを掛け合わせた合成語である。労力や負担を負わずに、社会運動めいたことをする行為を指す。<<
通報は、労力や負担を負わず、ボタン一つで出来てしまい、社会に貢献した気になる。
だからこそ厄介だ。
誤解しないでほしいんだけど、私は「個人が特定でき、かつ嫌がらせや脅迫の意図が強い(ここで言ってるのは本人が強く感じた場合かな、とかいろいろ考えたけど、難しい)」物は対処をすべきと思う。
「ち」が音便で濁る場合は「ぢ」と表記するのが基本規則で、合成語の元の言葉を把握しやすくするものなんだよ。
カナ文字は表音文字だから音だけ表せばよいという気持ちもわからんではないが、表音文字つっても、厳密には音声を表してるんじゃなくて「音韻」を表してるんだ。
音韻を説明するのに典型的な例としては「ん」がある。 例えば「しんぶんし」はヘボン式ローマ字では "Shimbunshi" と書く。 「ん」は音声としては "m" の場合も "n" の場合もあって実際に違う音を出している。 しかし日本人はこの違いをほとんど意識することなく同じ音だと思っている。
ならば逆に、音声として同じ「じ」と「ぢ」を同じ音と認識しているかというと、出自が違う音がたまたま同じ音に発音されていると考えるのは自然なことで、統一してしまうのはちょっと乱暴な話だよね。
元増田の言い様にどうも納得がいかないので一席ぶたせてもらう。
なお、個々人が作品から何を見出すかは千差万別であることは認識しているので、この記事を読んで意見を変えろなんて言うつもりはない。
ズートピア世界は、理性によって被食-捕食関係が終わり、共存できるようになったからこそ成立している。
理性の存在は、動物が喋る/二足歩行する/服を着る/文明化してる/etc.と同レベルの、物語における大前提である。
理性/野生の対立軸は本編前にもう終わっているのだ。
もちろん、これは「過去」として本編中でも言及はされるし、“偏見”の大本にもなっているが、この過去そのものが本編中に蘇ったりはしない。
では、元増田が見出した“野生”というのは何か?― それは“偏見”である。
「肉食動物は凶暴で草食動物を襲って食べたがっている」という偏見だ。
そしてこれはズートピアにおいて一貫して存在している、理性/偏見という対立軸の一部なのだ。
「肉食動物は凶暴」なんて、「ウサギは臆病」「キツネはずる賢い」と同種の偏見と言えば分りやすいんじゃないかな。
― 当然さ!でもそれは“野生(という名の「肉食動物への」偏見)”とは別物なんだ。
草食動物だって「野性的」で「野蛮」で「非社会的」な行動を取るだろうって?
― 当然さ!まさに黒幕がそうだったろう?
― あれは薬物による凶暴化さ。野生とは関係ないよ (薬物中毒の人間が暴れてるの見て「野生だ」って言う?)。
「理性は必ずしも野生より優れてはいない」、「理性が善、野生が悪とは限らない」、「理性ばかり肯定的に扱うな。野生にも光を!」。
しかしズートピア世界においては、過去に克服された野生にしろ、偏見としての“野生”にしろ、内容的には「共に暮らす隣人(隣獣?)を襲う」というものだ。
なに? 野生は自然だから善?それは自然主義の誤謬と言うのだ。
元増田は言う。
「ズートピアはユートピアを意識しているはずなのに、ユートピア文学等を踏まえた批判/論評が盛り込まれていない!つまらん!」
さて思い出してほしい。ズートピアはユートピア/ディストピア的な世界だっただろうか?
初期案(肉食動物に電気ショック首輪等々)であれば、これはなるほどユートピア/ディストピア的世界だと言えよう。
映画があって道路があって、スマホもあるし、屋台、車、電車、etc。職業だって警官からお役人、詐欺師もいれば泥棒だっている。
では、我々の世界はユートピア/ディストピア的だろうか?―もちろん答えは「いいえ」だ。
単に、ズートピアは作品の名前であり、都市の名前であり、ZooとUtopiaの合成語である。
ユートピアの俗語的な意味、すなわち“理想郷”的な意味合いは持たせているだろうが、それだけだ。
ぱっと見、理想郷にも思えるような、動物たちの共存する大都市ズートピア。
そこにも現実の、我々人間の世界と同じように偏見があり、差別がある。そういう世界。
タイトルがユートピアのもじりだからって、ユートピア的世界観なわけでなし、なんでわざわざ関係ない批評を盛り込む必要があるのか。(もちろん盛り込んでも良いが)
ズートピアはZooという単語も含んでいるわけだが、動物学(Zoology)の観点からの批評とか盛り込むべきだと思う?私は思わない。それと同じさ。
以下のブログ記事では「野生」の原語(Biology, Biological)について示してある。(全部ではない?)
アレロパシー(英語: Allelopathy)とは、ある植物が他の植物の生長を抑える物質(アレロケミカル)を放出したり、あるいは動物や微生物を防いだり、あるいは引き寄せたりする効果の総称。邦訳では「他感作用」という。ギリシア語の αλληλων (allēlōn 互いに) + παθος (pathos 感受) からなる合成語である。1937年にドイツの植物学者であるハンス・モーリッシュにより提唱された。
アレロパシーは、連作障害の原因の1つと考えられている。セイタカアワダチソウなどの帰化植物が勢力を拡大する要因の1つでもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%AD%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%BC