はてなキーワード: 口語とは
たとえばこんなやつね
https://anond.hatelabo.jp/20210629175201#
口語にもいろいろ語り口ってあるとおもうけどそろいもそろって同じ感じなんだよなー。
遅い。
これにすごく悩んでいる。
一度聞いただけでは何を言っているのかわからなかったり、資料を読み解けなかったりする。(ただ目が文字の上を滑る感じ)
仕事においてはこれが本当に最悪で、その場で理解したくても、頭が回らずにあとで改めて追いかけることになる。
ロジック、というものが苦手で、筋道立てて喋れる人はどれほど頭の中が整理されているのだろうと思ってしまう。
本を読むのも時間がかかる。
自分の書いたメモは捨てられない。この先活用することがないと思っても、一度自分のフィルターを通したものは、いつか自分の理解の助けや、気づきになるという経験もあり捨てられない。
スクリーンショットは星の数ほどある。
何かを作る過程の、形跡が捨てられない。資料の草稿や、イラレで作ったアートボードの外の何か。
一言一句取りこぼさず何かをインプットしようとしているのがしんどい。
最近よくあるのは、常に脳内で喋っている。口語で。この現象は何?
知識欲や好奇心は強い方で、寝食を忘れるほどの集中力と忍耐力はあるように思うが、
インプットしようとしているものの見極め、またその量と脳の処理速度が見合っておらず、結果として寝食してないだけのような気もする。
メモしておかないと不安なのもあるが、自分の頭を信用していないのだと思う。
その場で理解できないのを分かっているから、のちの自分のためにといいつつ、その瞬間で理解すること、記憶しようとすることを放棄しているのか?と考えたりもするが、頭が混乱するばかり。
変なギャグとか、場を和ますための一手、みたいなのは自分でもよく思いつくなと思うくらい瞬発力とかあるのに。
この人今この話してるけど、そういえばそれで思い出したけどこのネタがーみたいなのは尽きない。
でも、文章や人の話(堅い系)は脳が空回りする。
同じミスを何回もするタイプではなく慎重にこなすタイプ。変な瞬発力があるくせに、処理速度がやばい。
学生の時も、人一倍時間をかけて努力をしないとついていけない感じだった。
はるか昔、こんなに脳の処理速度が遅いのに国立の大学に受かった。(全然すごいとは思っていない。かけれる時間があったということ。)
どうせ死ぬのに、やめられない。
パソコンでOA事務してるんだが、対人折衝をしない仕事がしたい。
10年近く働いて確信したが、俺はワーキングメモリがとりわけ低いのと、音の聞き分けが苦手(聴力検査では異常はない)で、耳で人の話を聞いて理解するのが苦手だ。相手が喋っている事が頭に留まらず、「なんの話だったっけ?」となるし、自分が喋っても「なんの話してんだっけ?」と、脳みそがオーバーフローしてパニックになる。
特に電話は相手の声が小さかったり、声が低い人相手だと、単語と文脈で話してる内容を理解しなくちゃいけなくなり、CPUが焼けきり、時々要旨を取り違えることがある。
その点、メールは便利だ。相手が伝えたい内容を何度も読み返せるし、言った言わないで朧気な記憶を漁る必要もない。俺はメールがなければとっくにニートになっていたと思う。
仕事が出来ない俺みたいなカスが辛うじて人としての尊厳を保つことが出来たのは、メールがあったからだ。
苦手な事をするのは脳力をとても消費する行為なので、出来るなら対人折衝がない仕事をしたいのだが、そんな仕事はあるんだろうか。
簡単なプログラミングの学習経験はあるので、パソコン操作が苦手な上司などの年配者の為にエクセルのフォローや、マクロによる自動入力機能を作ってあげたことはあるが、ああいうのはとても楽しかった。
「"取り急ぎお礼まで"は失礼」とかいう急に出てきた謎マナーに対して国語辞書編纂者、飯間浩明氏の見解
https://togetter.com/li/1705695
こういうので夏目漱石とか古い例を持ってくるのは、ただ知識を振りかざしたいだけで間違いだからな。
そこで「夏目漱石もそうなんだ。ふ~ん、じゃあそれが正しいんだね」となるやつも鵜呑みにしてるだけか、自分に都合の良い例を肯定してるだけ。
明治と令和でどれだけ離れてると思ってるんだよ。
今どき「御座候」とか使わないだろ?
肯定するなら「御座候」も使えよ。口語じゃなく漢文使えよ。それが正しいんだろ?ってことになるよ。
なんなら平安まで戻って「ありおりはべりいまそかり」とか使うのかよ。
妹の子供の「何で勉強が必要なの?学校の勉強なんか大人になって役に立つの?」という問いに
夫婦で「いい大学に行って、いい会社に行くため」と答える以外に、まともに答えられず納得させられなかったらしくSOSを受け取った。
俺の両親は、高卒。妹も高卒。妹の旦那は地方の私大卒なので、勉強する意味を聞く相手として、一応は東大を出た俺にお鉢が回ってきたと。
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勉強する意味が分からん、社会に出て役に立つとは思えない、と言って勉強を嫌がって、お母さんを困らせてるらしいなw
でも、偉いぞ。そう感じること、答えを知りたがるのは大事だ、勉強する意味はそこにある。
お前の疑問に対するおじさんの答えは、学校の勉強は意味はあるし大人になって役にも立つということだ。
じゃあなぜ?と、お前は聞く訳だが、まだ大学にも行ってない今のお前に、数学や物理を大学で勉強したことが、俺の仕事でどんなふうに役に立っているか?を具体的に説明するのは難しい。
幾つでも例は出せるんだけど、今のお前にはピンとはこないだろうし。
だから、もっと簡単で身近な例え話で説明する。なんとなくごまかされた気がするかもしれんが、とりあえず聞け。
そもそも勉強ってのは大人になっても出来るし、おじさんも今も勉強はしてる。
だけれど、子供の時ほど勉強する時間は、もう持つ事が出来てないし、知識が増えすぎてお前が持ってる様な純粋さは失ってる。
だが、子供の時に多くの時間をかけて勉強したことは、おじさんにとっては大事な財産だし、お前にも同じ財産を作ってほしいと思う。
それはどういうものか?
何でだろうってのを自分に問うということだな。
仕事を始めると、おじさんのお客さんなんかに「こういうことで困ってるんです。お金を出すので解決してください」と頼まれる様になる。
多くの場合、そういう問題は大人になってから勉強した事も解決の為の道具になる。だから、単純に解決するだけならば、テクニックは大人になってからでも間に合うよ。
だけど、その裏には何故そうなるのか?という本質的な問いが沢山含まれている訳だな。
何か仕事をするときに、どうしてそうなるのか?それは何なのか?をかつて疑問に思って調べた事があって、その知識を持って説明するのと、そうでないのとでは
説得力にも大きな違いが生まれるし、仕事をする上でも結果に大きな差が生まれる事になる。
もっと身近な話をしよう。例えばだ。
インフルエンザになったとしても、病院へ行って薬を飲んで寝てれば治るという対処方法を知ってれば、治るし、生活する分には困らない。
だけど、インフルエンザってのは、どんなウイルスが起こす病気なんだ?って疑問に思って、何故感染してしまうのか、どうすれば防げるのかを調べていれば、アルコール消毒するとか、マスクするとか対処方法をさらに工夫できる。
インフルエンザがどういうものか?を勉強した後に、ノロウイルスとのウイルスとしての構造の違いをしっていれば、ノロウイルスはアルコール消毒ではダメで、次亜水という別の薬品が必要だって事も分かる。
コロナウイルスのワクチンが、どんなふうに作られているかを知っていれば、HIV陽性判定が出たからと言っても恐れる必要もなくなる。
何故?という問いを持って答えを勉強したかどうかで、小さなことでも変わってしまうわけだな。
今、お前が勉強していることは、人間の何万年って歴史の中で、昔の人たちが「何でだろう?」って疑問に思って、答えを見つけて来た事の集大成なんだよ。
昔の人が、インフルエンザなんて治ればいいんだって思ってる人ばかりじゃなくて、インフルエンザとはそもそも何だ?と疑問を持って勉強した人が
インフルエンザの予防接種を作ってくれて、今生きている俺らはインフルエンザを予防する事も出来ている。多くの病気は、そうやって治療方法を発見されてきた訳だ。
教科書に書いてあるのは、昔の人が持った疑問の答えなんだが、勉強すると言う事は、その答えに至るまでの本質的な疑問を1つでも2つでも、昔の人と共有するという事なんだ。
お医者さんが学生の間に多くの事を学ぶのは、患者を診た時に症状から病気を診断して治すためだけど、試験に受かる為に教科書を覚えてるだけでは典型的で簡単な例しか治せない。
何故だ?何が違う?と色々考えている学生は、医者になった時に難しい症状でも対処出来て多くの人を救えるかもしれない。
でも、不思議に思って、考えて、間違えて、また考えてって繰り返すのは、とても時間がかかる。だから、生徒でいられる間に勉強するべきなんだよ。
英語が話したいだけなら、大人になって海外にでも引っ越せばすぐに話せるようになる。
だけど、言葉がしゃべれるだけよりも、外国人の名前の由来とか語源とか、なんで?と思ったことをたくさん知ってる方がいい。
アメリカ人やイギリス人は生きてるだけで自然に子供の間に身に付く文化や教養だけど、俺たちは意図しなければ英語が話せるだけの無教養な外国人のままだ。
だけど、こんなとりとめのない疑問は、それこそ仕事に追われてる大人には追いかける余裕もない。だから、生徒でいられる間に勉強するべきなんだよ。
今、お前が学んでいることはとても簡単なことだ。だけど、いきなり難しい事は分からないし、それに考える事も難しい。
難しいことを考える為には、簡単なことから考えている必要があるのは分かるな。
一番最初に小学校で教わる1+1=2 ってのいうのだって、当たり前ではない。
本当に、そうなるのかな?という事を、誰かが疑問に思って、そうなるよって答えを探してきたから、1+1=2ですと教わるんだ。
1+1=2になるのは何故かって?それは大学に行く年にならんと流石に難しいな(笑
だが、後で噛み砕いて教えてやるよ。でも、いいぞ。エジソンだって、そうやって疑問に思ったんだ。
答えだけを聞いて納得してはいけない。放射線が怖いものだって事しか知らない大人が
10年前に大地震があった後に、とんでもない嘘をバラまいてた。あんな風に、恥ずかしい大人になってはいけない。
不思議に思ったら、疑問に思ったら、それを捨てないで考えて、それでも分からなければ先生とか、大人に聞けばいい。
でさ、なぜ学校の教師の事を、先生と呼ぶか不思議に思ったことはないか?
昔の中国では老師とも言うんだが、昔の中国人が「先に生きて学んだ人を師としたい」という文章を残していて、先に生きたという言葉から、教えを授かる師を先生と呼ぶ
という言葉が生まれたと言われていると、何かの本で呼んだ。つまり、先生というからには、お前の持つ疑問も先に持ってきたはずだよな。
という知識も、俺も何で先生なんて呼ぶの?と、子供の時に思ったから知ってる。
勉強したくない、何で勉強するのか分からない、それはもっともなことだ。意味わからんことはしたくないよな。
疑問を持って自分で解決するってことを繰り返せば、自然に学ぶことが楽しくなる。
いい大人が、勉強しとけば良かったとか、今になって勉強が楽しいと言うのは、自分の疑問を自分で解決する喜びを改めて見つけたからだ。
お前は、今からそれを実感するといい。それがお前の一生の財産になる。
仕事をするようになった時に、勉強してきたことが自分を支えてくれてる事を実感するか、勉強しとけば良かったと思うか、それで人生は変わるよ。
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なんとなく分かった様な顔でふむふむと頷いてる甥っ子の横で話を聞いていた妹夫婦の方が感動していたという。
まぁ妹が理解したなら、後は何とかなるだろう。
簡単な話で、方言は話し言葉だから地域と時代による違いが激しいだけだよ。書籍に使われる言葉は書き言葉って言われる比較的全国共通の経年変化が少ない言葉。(あと書き言葉と話し言葉、文語と口語は違う。書き言葉の中に口語と文語が包含されている。文語はいわゆる近代小説みたいな堅苦しい表現方法で、ネットはそれと反対の口語。)
浄瑠璃と狂言台本が例に出されていたけど、それで方言が使われているのは、台本は「話し言葉を書き起こすもの」だから。だからこそ地域だけでなく時代(中世、近世とか)すらも反映した言葉が文字という媒体によって記録として残される。
つまりネットで方言使われないのは書き言葉だから地域、時代による違いが少ないってだけです。ネットスラングに関しては「口語の書き言葉」を前提とした集団が細分化され、またその集団の中で共有される言語が形成されたから…だったと思う。(論文もあるらしいけど私は読んでない)
【海外の反応】強面な外国人ニキがAdoの「うっせぇわ」聴いたリアクション!!【USSEEWA reaction】【The First Take】【ザファーストテイク】【ボカロ 】【ボーカロイド】
を見ていたら「エイデイ」にものすごい驚いて「日本のスラングは事前に勉強してたんだけど…エイデイときたか!」みたいな反応をしている。
1. 謎
2. everyday の略
しかし 2 に関しては "everyday abbr" とか "everyday abbr urban dictionary" とかで検索しても何も出てこない。
3 の errday に関しては表記法が変わるだけで発音は everyday と変わらないらしい link
あともし字面どおり読んだとしても「エァーデイ」に近い発音になる(definitions.net)。
syudou 氏のtwitterも検索してみたが特にエイデイには言及していなかった。
それで eiday eidei あたりを手当たりしだいに検索していると "A-Day" というワードに出会う。
これは空軍の導入日だったり、歴史的な文脈ではビキニ環礁での核実験を透過した日のことらしい(1946/7/1)
ところでエリントンの曲やジミヘンの曲に出てくる A train は「ア・トレイン」ではなく「エイ・トレイン」と発音されている。
この A は一体何なんだろうなと昔から思っていた。冠詞ではない。ネイティブのオーラルイングリッシュが変化していていっていて、
冠詞の a を「エイ」と発音するようになっていたのだとしても歌詞全体として「ある列車」では意味が通らないのだ。
エリントンの方は歌詞を覚えていないがジミヘンの方は「here my A train is coming.」だし(覚え間違いで「here my train A comin'」だった)。
大文字のAを「エイ」と読むことによって「例の」という意味とする感覚があるのではないかと思う。
再び『うっせぇわ』に戻る。
「あてもなくただ混乱する」という事態が起きているのが複数の日(何らかの形で everyday に帰着する説)なのか「例の日」なのかでどっちか変わる。
しかし前後の歌詞を見るに「その日」を特定する情報はなく、この歌詞の語り手にとって普遍的なことのように思われる。
ここまで調べたがもうわからないので考えるのをやめることにした。
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twitter で「eyday lang:en」を試したがツイートの内容がチャット英語という感じでよくわからない。
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トラバにある通り urban dictionary の範囲で "everyday の省略としての a day"がある模様(トップしか見てなかった)。